ドラマを見て思い出したこと

■アイシテル



終わった。
きれいにまとめたよっていう終わり方でした。
でも最後に頭に浮かんだ言葉は“死に損”
この手の言葉は使いたくないけど、それしか思い浮かばなかった。
例えばこれが事故とか過失でキヨタンが亡くなったということなら納得できたかもしれないけれど、でも違うんでしょ?なのにたった1年で親元へ帰ることができるなんて。その1年が、たとえ智也と野口家にとって大変な1年だったとしても。
これではあまりにも小沢家が気の毒すぎる。
野口家がどんなに苦しんでいようとも、その中にも小さな喜びや幸せがあるわけで、もし自分が被害者の母だとしたら、そんな当然のことすらきっと許せないと思う。
うちの子はあなたに命を奪われたのに、なぜあなたは、あなたの家族は笑ってるの?笑っていられるの?と思ってしまいそう。
心の中ではどんなに苦しみ続けていたって、外からはわからないから。

「生まれてこなければ良かったなんていう命はない」…確かにね。でも奪われていい命だってないんだよ。生まれてこなければ奪われることもなかった。だから生まれてきたことを肯定すれば、奪われた命も肯定することになりそうで、なんか釈然としないの。



長女が小学校1年生の時、クラスメイトの男子が投げた石がおデコ(髪の生え際)に当たり、2針縫う怪我をしたことがあります。
その男の子は知的ハンディキャップがあり、当時の担任の説明によると、わざとぶつけようと思って投げたわけではなく、嬉しくて少々興奮したため石を投げてしまい、その石が飛んでいった先にたまたま女子3人が手をつないでいて、不運にも真ん中にいた長女に当たったという事故だったそうです。

学校からの電話で急いで保健室に駆けつけると、おデコということで出血も多かったこともあって、長女は少々パニックに陥り大泣きしていました。でもそんな経緯ならばその男子生徒に怒ってもしょうがないし、当の長女がその男子のことを怖がってしまったら問題だと思ったんだけど、そんなことはなかったので、大して問題にもせずに学校が手配してくれたタクシーに乗ってそのまま病院に行きました。ただ先生たちはこちらの出方に戦々恐々としていましたが。
多分ここで問題にすれば、ハンディのある生徒を普通クラスに受け入れていること自体も問題になってくるだろうし、私としてはそれは本意ではなかったので、この件は事故として受け入れました。


その夜、石を投げた男子のご両親が正装をし、菓子折り持参でお詫びに来ました。お母さんは泣きながら「ごめんなさい。ごめんなさい」と繰り返し謝っていました。
そんな姿を見ていると、そのお母さんの気持ちも痛いほどわかるし、こちらの方がいたたまれなくなり「大丈夫ですからご心配なさいませんよう」と言ってお帰りいただき、治療費もお支払いしますと言われたものの、学校内の事故なので学校からの保険で支払いが出来るため、お断りしました。
ただ、当の本人を連れて来てないことが、いささか疑問に残りましたが。


だけどそれから暫くして、最初は心配されてたお母さんも私を見てもだんだん気にしなくなり、お父さんに至っては学校行事で顔を合わせても私が誰なのかよくわからない様子で、なんかそれを見ていたら急に怒りを感じ、やりきれなくなってきたんですよね。当の男子本人には何も感じなかったけれど。
何?あなたたちはもうすっかり忘れてしまったの?うちの娘は何にも悪くないのにおデコに傷も残り、痛いのを我慢して毎日化膿止めの注射を打ちに病院へ通ったのよ!なのにもう忘れちゃったの!って。こんなんだったらあの時、もっと強く言えばよかったの?って。
いつまでも申し訳なさそうにしてほしいわけではないけれど、忘れるにはちょっと早すぎない?って。


たった2針の傷だってこんな風に思うんだから、これが命を奪われたということであれば絶対に幸せになんかなって欲しくないと思っても不思議じゃない。この先大人になった智也に愛する家族が出来た時、本当の意味で自分の犯した罪を理解し、反省するということも頭では理解できたとしても、幸せになること自体が許せない気がする。


そんなことを考えながら観た最終回でした。


最後クランクアップの様子が映ったのは、重い気持ちがフッと抜けて、あぁこれはフィクションなんだと思わせてくれる演出でよかったかな。
特に智也役の一星くんを思うと。