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2011年08月15日

☆大文字焼きと陸前高田の松明

 京都市で毎年執り行なわれる恒例の宗教行事、一般的呼称”大文字焼き”、勿論、京都市そのものが直接当該宗教行事に関わる事もないのだが、其の宗教行事でもある”大文字五山送り火”で焚く薪(松明)に関し、良かれとして企画導入したであろう、所謂、起案者が大分県に住まう一芸術家で、企画提案の持ち込み先が陸前高田市のNPO団体、実行者は京都市に在る、真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、神道等々が集まって為す宗教団体と云う事にもなるのだが、斯かる三者の企画、合意、並びに、実践を受けて、薪を用意し提供した陸前高田市の被災者たち、送り火に使う薪の準備に放射性物質付着の懸念が在ろうとは露たりとも思わなかったであろう上記三者、並びに被災者たち、だが、放射性物質の近寄りに対する少なからぬ京都市民の不安表明で、陸前高田市民から準備され届けられた件の「送り文入り」薪の使用を、実行者としての上記宗教団体が急遽中止する事を表明、俄かに物議を醸したのである。基より、不安の表明だけで使用中止を決定した宗教団体には抗議が殺到、此れを知った京都市も事態を憂慮、即刻、当該送り文入り薪の検査を図り、結果は、放射性物質未検出とされるものであったのだが、宗教団体の不使用表明は覆る事もなかったのである。

 斯かる宗教団体の不使用表明が更なる抗議の増加に拍車を掛けた事は云う迄もない。

 放射性物質が未検出で在ったにも拘わらず、宗教団体が不使用を貫いたから堪らない、今度は、岩手県民のみならず、福島県にまで怒りが波及、京都市に対する反感として伝播、京都市は急遽間に立ち、新たな折衷提案として、「送り文無し」薪の使用を宗教団体と陸前高田市に要請、双方納得させて元の鞘に収め、送り文無し薪を新たに準備して現地に運び込んだのである。これで一件落着かと思われたのだが、当該真言宗や浄土宗、神道を一とする宗教団体に対して、検査付き条件を提示、受け入れとしていた京都市は、放射性物質の有無を早速に調べた結果、今度は放射性物質の「セシウム」が検体である送り文無しの薪から、微量とは言え検出されて終ったから、話しがややこしくなったもの、即ち、要らぬ感情問題へと発展して終ったのである。

 詰まる所、原発事故に対する不必要な迄の配慮を以って、京都市は線量こそ公表差し止めをしたものの、セシウムが検出されたと云う事実のみの開示は為し、但し、五山送り火での陸前高田から提供された松の使用は為さない旨を、今度は京都市そのものが公表、公の判断である事を敢えて買って出たのである。陸前高田市民が、二度にも亘って準備手配した松明は、無残にも、宗教団体の判断と京都市役所の判断と云う、其れこそが権威を持つ二つの組織から、使用するには相応しくないものであるとの公的烙印を捺されたばかりか、放射線汚染ゴミとして厄介者扱いされる事が決まったのである。勿論、斯かる宗教団体と京都市の判断に因り最後に残ったものはと云えば、東国の民の感情を逆撫でにし、立腹を残しただけ、何とも釈然としない宗教本山と京都市の振る舞いと云うもので、まるで岩手県民が独り相撲をとらされた観無きにしもあらずのもので、京都市に居合わせる配慮無き者たちの行動と結果ではあったろう。痛く迷惑を被ったのは、岩手県民や福島県民の仏教四宗派の檀家であり、神道の信者達、並びに、送り文の入魂に手を尽くした人々、我ら道々の民ではある。

 不安の疑義を呈した京都市民は、其れ見た事かと安堵の溜息を吐き、岩手県民や福島県民はと云えば、放射性物質が未検出で在った原薪を、其の侭予定通りに使用していれば何の問題も起こらずに済み、東国に住まう、所謂、真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、並びに神道等の、檀家や信者達もまた、大震災後初の盆を迎え、霊を送る事で、気持ちが安寧に移り、一連の日常的宗教文化の活動と遂行に満足さえ出来ていたものをとの、悔やまれるが如き複雑な思いに追い遣られて終ったのである。

 東国の民、就中、岩手県民や福島県民にとってみれば、さほど表には出る事もない宗教団体からの拒否とは捉えず、寧ろ、京都市民から排斥されたとの感情的思いに突き当たるのは至極当然の成り行きと云うもの、斯かる心情を分析してみれば、京都市と其の民は、他郷や他郷の人々に対する排他的優越性を未だ捨て切れず、引き摺った侭の特殊な状況下に自らを措いているからであるとか、天皇家をして再び、其れも、何時でも、京都に御迎え出来る準備をしている故郷そのものに在るとまで自負する特異なお国柄、其の裏を返せば、未だに東国の民に対する蔑視性は根固く残り、捨て去ってもおらず、永年にも亘る東国に対する、所謂、西国の支配に因る差別や迫害行為に関してすら、全く悔いることのないのが京都市、並びに、市民で在るとの思いに迄至らせて終うもので、即ち、東国陸奥の歴史に深く残る古の傷痕として、自然にして浮かび上がらせるからである。

 一芸術家、宗教団体、NPO法人に拠る宗教的連携企画の実践、その何れもが良かれとして決断し、受け入れた結果としての薪騒動だが、とんだ副産物をもたらし、尚且つ、要らぬ悪感情をすら生み出したとでも云うべきもので、京都の閉鎖性まで、謂わば、特異性までをも晒し出し、東国の民から、眠り続けた出来事を呼び覚まして終った事は、恐らく、京都市にとっても、東国陸奥の郷にとっても不本意極まりない事ではあったろう。勿論、大文字五山送り火を実行する宗教団体からすれば、岩手県の松明使用のアイディアは部外者から持ち込まれたもので、五山送り火保存会には何等の落ち度もないと云う積りなのであろうが、此れこそが無責任極まりない判断と云うもの、京都市民の感情宥めももちろん大事だが、二度にも亘ってコケにされた岩手県民や東国陸奥の民の心情は尚更に堪らない、仏教四派と神道一派が共同で執り行う儀式に在りながら、基より、持ち込まれたアイディアであったとは言え、陸前高田市に住まう檀家や信徒をコケにした侭、我ら一切関知せずを貫き通す様は極めて不遜、宗教人に悖るあるまじき行為である。

 今日は66回目の終戦記念日であり、東日本大震災に伴う福島原発事故真っ只中に向かえる”お盆”、貧乏神と疫病神だけが居座り続けている日本列島、宗教人までもが、本来に於いて為すべき所作を忘れて終っている様だ。此れではご先祖様も浮かばれず、上記二神が菅直人に憑いた侭長逗留するのもむべなるかな。

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