日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆無駄に空費した二年半

 時の権力者(群)に因って、最も悪質極まりない<冤罪>の投網を投げ掛けられ、即ち、国政を条理に主導すべき能力在る稀代の一政治家が、国民からの批難と離反を受けるべく、巧妙な罠を当該権力者(群)に因って仕掛けられ、司法権と云う排他的権力を以って執拗に追い回された挙句、自由を束縛されたばかりか、あまつさえ、裁判と云う貶めの仕組みを用いて為される決定的な冤罪が、遂には実行された訳だが、結果、無実に在る者が、被告人と云うおぞましき語彙と観念を冠された席に付けられ、時の権力者(群)の思うが侭に国民の忌避感情を一手に引き受けながら、其れでも尚、裁判と云う仕組まれた法廷を通る中で下された判断が、時の権力者が最も恐れていた”無実”の宣告、即ち、被告人は当然の”無罪判決”を受けたのだが、無罪を言い渡しながら、拙劣なる判決内容がもたらしたその影響はとうてい見過ごしに出来ぬもの、貶めを策した時の権力者(群)の作為性に関しては軽く遣り過ごし、諭す程度に措くと云う稚拙なる内容、基より、被告人が受け続けたであろう苦痛、若しくは、無罪判決を申し渡されながらも、今もなお受け続けている元被告人が受けるマイナスイメージと、計画的作為を以って貶めを謀りながら、成就間際で無罪を与えて終った権力者(群)に与えたマイナスイメージを比較考量すれば、其の雲泥の差だけは杳として縮まらずのもの、況してや、NHK(時論公論の解説者)や日本テレビ村尾信尚、辛坊じろう)、或いは、TBS(みのもんた)等々、検察を含む時の権力者(群)とともに、無実の者を有実であるが如くに論評し続け、取り扱い続けたマスメディア群は、無罪の判決後もなお、不当なる自説を維持展開しては元被告人に対する批判を強め、且つ、社会正義に抗う事を恥じらうことも無く、無実の者を有実であるかの様に論を誘導する様は極めて異常、まともと言えるメディア状態には無い現状に措かれているのである。

 東京地検特捜部と云う、強権発動を得意とする官憲の手に因って自由を束縛され、あまつさえ、濡れ衣を以ってする不名誉を三年間にも亘って被せられ、指導的政治家としては最も重要なる国民からの信託及び負託を、当該官憲とマスメディアの共謀に成る洗脳のプロパガンダに因って無慈悲にも削ぎ取られ、要らぬ不審すら託つ事になった小澤一郎氏と其の陣営、基より、「無罪判決」を取り返した今に在っては、時間そのものが解決するのであろうが、其の原状に復すべき早期の解決を、即ち、総じての国民が2009年以前の条理に覚醒し、再び、小澤一郎氏が民主党党首の地位に返り咲き、確固とした条理を以って再び党を率い、国政を、在るべき元の形で牽引する事を、其れこそ忌み嫌い、望まぬ者もまた数多く居る事を、マスメディアは教えているのである。

 それが誰かと云えば、基より、明示する必要などさらさらに無かろうが、口に出して敢えて言えば、官憲に狙われる当時(2009年)に於いて、小澤一郎氏と其のグループの台頭を真に畏れ、今もなお小澤一郎氏を怖れ続けている、其れは、時の権力者として行政府の長に就き、また、血が騒ぐかの様に葉巻とグラス片手に帝王然として振る舞い、責務としての行政差配は、配下の官僚機構に丸投げし、右腕として重用した元警察官僚とともに、傀儡子集団の自民党を追い落とす対抗勢力にまで頭を擡げ始めた、所謂、小澤一郎党首と民主党そのものの追い落としを画策、<冤罪>の投網を投げ掛けた人物、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族本宗家を自負する元首相の麻生太郎と、此れまた藤原一族に繋がる首相補佐官漆間巌ではある。

 無罪判決が下されたのだから其れで良しとし、後は粛々として国民の為に働けば良く、国家権力の濫用を多用、マスメディアを取り仕切ってはプロパガンダを撒き散らした組織や機関は、何れ時間の経過が彼等の化けの皮を剥がし、自然淘汰に向けて動いていくので捨て置けと、小澤一郎氏は言うに相違ないのだが、とは言うものの、斃れて棺桶に入っている筈の自民党が、党首の谷垣禎一や幹事長の石原伸晃を以って、はたまた、公明党の党首や幹部までが、其れも国家の大禄を食みながら仕事はろくにせず、只々小澤一郎氏追い落としに向け、国会での説明責任は未だに残るとしてメディアに多言、手ぐすね引いて待ち構えている現状では、一戦の交えだけは避けられずのもの、基より、自民党公明党に因る、所謂、ストーカー染みた貶め行為を延々として繰り広げる族に対しては、或いはまた、民主党を乗っ取ったつもりの菅直人前原誠司岡田克也等に対しては、手厳しき対応を以って臨まなければならずのもの、基より、小澤一郎氏が求めなくとも、日本国家に社会正義顕現の浸透と復活を求める条理在る民主党員であれば、実践活動に向けて早速に動き、彼等不条理陣営とは戦わなければならないのである。

 イ)無罪に、灰色も桃色もなければ真っ黒に近い無罪など有る由もなく、無罪は飽く迄も無罪、今回の強制起訴に因る裁判は、冤罪を叩き潰した社会正義の顕現と受け留めなければならない。

 ロ)公判の主体となった四億円を、ゼネコンからの贈賄を素にした脱税の金であると見立てた検察側の捜査並びに調査は、見立て違いの下衆の勘繰りの粗相であった事が、あまつさえ、検察側に因る調書改竄と捏造に基づく冤罪作りである事が白日の下に晒され、且つ、法廷で露見したのだから、検察審査会に因る、無罪判決を受けた当該強制起訴事案は基より、先に有罪判決を科されて、現に無罪を勝ち取る為に控訴中に在る同一事案に対しても、即ち、石川知裕氏他二名に対する控訴審もまた、無罪になければならずのもの、作為も虚偽も全く無い以上、高裁は、冤罪の裁判であるとする判断を下さなければならない。

 ハ)小澤一郎氏に対する、議員としての道義的政治的国会での説明は残るとする自民党、並びに、公明党の主張や要求は不当のものでしかなく、其れを言うのであれば、調書改竄を策し、捏造を企てて実行、万が一にも露見する事のない公判に於いてバレた検察側に因る悪事、左すれば、公正公平を以って法律を順守し執行すべき役割を担い、排他性を以って自由権を剥奪出来る検事、並びに、検察全体の責任者でも在る当時の最高検の長をこそ、国会に証人として喚問し、検察側が敢えて策した改竄や捏造に至る事情や事由には何が隠されているのかをこそ問い質すべきが、先ず以って優先としなければならない立法府の為すべき筋なのである。

 ニ)自民、公明を主要勢力とする野党が、口を開けば馬鹿の一つ覚えの様に、カンモンカンモンと騒ぎ立てするが、其れは正に現代社会に蔓延る「ストーカー行為」と瓜二つの嫌らしい行為であり発言、此れ以上に国民をして愚民化へと洗脳し誘導し続けてはならず、況してや、マスメディアを前面に押し立てて為す冤罪の二幕目要求などは論外のもの、オンナの腐った様なウジウジした其れは下衆の振る舞いとして野党は反省すべきで、基より、犯罪とでも云うべきストーカー行為は止めて、正々堂々と、国家を条理に率いる議論と政策で勝負しなさいと言いたいものである。谷垣禎一も祖父に大物右翼と言われる人物を持ち、石原伸晃の父石原慎太郎もまた過去に於いては、小泉純一郎のご先祖様と血が交わると云う、所謂、朝鮮民族との直近の血を最近に至るまで引き、共有していた胸の張れる人物であるならば、小澤一郎と聞けば直ちにカンモンカンモンの馬鹿の一つ覚えの発言は、見苦しくもあり、おぞましくも在るもの、前を向く政治的仕事も偶には遣ってみるべきだろう。此の侭の体たらくでは、谷垣禎一石原伸晃も禄盗人の一人でしかなく、其の他大勢の税金の穀潰しとして後ろ指を指されるだけでしかない。

 ホ)条理を掲げた民主党に国家行政を託しながら、悶々とした憤懣だけが溜まり続けている国民、左も在ろう、公約に掲げた事は何一つとして遣らず、在ろう事か、元政権を担った自民党と同様、或いは、其れ以上に官僚主導型為政にのめり込み、あまつさえ、国民を奈落の底へと追い詰める、増税を中心とした政策を次から次へと布設し得心する様は異常である。基より、第一次民主党政権の長を担った鳩山由紀夫は、母からの簿外に措いた政治献金が元で首相職を一切させて貰えず終い、勿論、彼は日米安保問題に大英断を揮い、最終的には、沖縄県から米軍の一掃を国策として堅持、旧政権が成立させた辺野古への移設を白紙撤回して、国外(米国)への移動を求めたいとする、所謂、戦後初めてとでも云うべき日本国首相に拠る、賢策の投げ掛けが試みられたのだが、此れまた、あの日本を駄目にした藤原一族本宗家の率いる自民党と外務省に横槍を入れられ、足許を掬われては退陣を余儀なくされるエントラップメントを仕掛けられて終うのである。

 ヘ)エントラップメント、即ち、「罠」のことだが、わなにはまってアッサリと政権を引き払い、其れも、小澤一郎氏を道連れにして引き下がって終ったのが鳩山由紀夫の最も駄目なところで、次に名乗りを上げたアナーキスト菅直人と、現在の野田佳彦にまで繋がるノータリン極まりない民主党党首を生み出す要因となったもの、要するに、政治的能力も、リーダーたるべき主導的資質も、政策的練上げ力も、基より、経験的にも乏しい欲深いだけの連中が勘違いし、更に言えば、社会正義の顕現一つ成し得ない一小市民上がりの目立ちたがり屋たちが手を挙げて、党首の座、すなわち、首相の座へと名乗りを上げて就いて仕舞った事が、そもそもの現在に至る民主党政権失敗物語りと言われる因を為す素、冤罪を放任して原発事故を引き起こして終った、其れこそが要因なのである。

 ト)国家を条理に牽引するほどの政治的能力も資質も無く、況してや社会正義の顕現一つ成し得ぬ平衡感覚の欠如に措かれ、戦争経験不足にも在る菅直人野田佳彦だけに留まらず、鳩山由紀夫退陣せし後に、猟官活動を逞しくしては彼等二人の周りに集まり、行政府の主要閣僚、或いは、党務をこなす権力の座に厚顔無恥にも就いた、即ち、岡田克也、仙石由人、前原誠司渡部恒三等々を一とし、二流、三流の挙手起立要員の域をまだ脱していないにも拘わらず、更に、修行としての雑巾掛け役目途上の族が、敵方のマスメディアを上手く利用、今や大臣然として悦に入る小者の安住淳小宮山洋子、或いは、国会をメディアの撮影場として利用させて悦に入る蓮舫等々の、行政府に参加した、或いは、現に参加すると云う、何とも薄ら寒い行政府の実体を目の当たりにすれば、まともな民主党員ならずとも空恐ろしくなるもので、条理在る主導者を欠いた権力集団が、どれ程に危険な存在と成り得るかを如実に知らしめるもの、基より、無知に勝るテロル無しを今の野田政権は地で行くのであり、まさしく具現すらしてもいるのである。

 チ)腰が重く用心深い習性の国民を動かし、民主党を政権の座に導いたのは二名だけ、一人は、紛う事なく党首の座に在った当時の小澤一郎氏であり、もう一人は、闇に隠れた「年金問題」を白日の下に晒し、其れを契機として自民党政治八百長政治として看破し、国民に知らしめた政治家としての長妻昭氏、此の二名が居なければ民主党も野党の侭に終わっていた筈、特に、小澤一郎氏を現に欠く民主党は、国民の求めた民主党ではない。