日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆米国現役大統領の広島訪問と我が国財閥群の揺れ動き、関連性は?

 経済もまた政治やギャンブル同様に記憶力の勝負とはなるのだろう。即ち、再びにする、建造途上に於ける不慮の事故を因とした、大型客船建造取り引きの失敗を一とし、小規模なものを含めれば、金だけは掛かる数知れずの原子力発電所の事故(国内外)、並びに、自動車製造事業体に因るデータ偽装、若しくは改竄事件や、明らかな欠陥車の送り出しに因る事件(タイヤ脱却等)隠蔽等々、日本の三大財閥の一角を占める「三菱閥」に因る、其の中でも取り分け閥の中に於けるリーダー意識の強い「三菱重工業」が、一度ならずも二度にも亘る、同じ過ち、若しくは、失態の繰り返しを惹起して終った事で、今、漏れ伝わって来ているのが、三菱を冠する「事業体全体」乃至「閥」そのものが、劣化し始めているのではないか、其の結果が、財閥全体として有する莫大なる資力に関して、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因る、過剰にする被吸引事象そのものが、現実的に為されているのではないか等と囁かれ始め、戦後再びにして糾合せし三菱閥そのものが、此の七十年間、一度として日本経済の歩んで来た史的事実をして、良くも悪くも学んではいないと言う事さえ囁かれるもの、その点では、「三井閥」(イラン石化合弁事業の空中分解や、崩壊に向かわせられる東芝)と同じ轍を踏むと言う事にもなれば、何れの日にかは、三井閥同様に斯かる三菱閥も、収益面でも日立閥の後塵を拝する事となり、住友閥の様に、新勢力たる伊藤忠閥に拠って、抜き去られてさえ平然とする、一流大卒や出自、或いは、コネだけでは、最早、立ち至らない無感動企業の集合体へと、閥を形成して満足するだけの状況へと容易に陥って終うのでは在ろう。

 勿論、未だに日本国大財閥の頂点に立ち続ける事実は否定し難きもので、また、三菱閥としての、其れこそが、恒久的に自らに課した責務であり、且つ、日本国経済をして、此処まで栄華を極めさせ、誰に譲るとも無く牽引せし指導者ですらあれば、此れから先もまた、先人に見られし努力を以って、尚一層のこと精進して進まなければならずは言う迄もなく、また、進む事も可能であろうとの思いには至るのであろうが、二度、乃至、三度にも及ぶ、同じ過ちの繰り返しは、閥を背にする看板三菱の信念や哲学に、既に皹が入って来ている事を知らしめて余り有るもの、遅延に次ぐ遅延を露呈した旅客機製造に関わる、内外に跨る問題の湧出と言い、件の、商取引には至る事も無かった潜水艦の輸出事業と言い、はたまた、ステルス戦闘機の「ミサイル抜き」立ち上げ問題と言い、上述せし造船や自動車に関わる諸問題の再発と言い、事業運営体質そのものが劣化、乃至は、後退せし主導権のへし折られに在る事は明々白々のもの、「時代の転換点に在るだけに過ぎない」と言われて終うのだろうが、主体性無き侭に、然も、藤蔓の如き特性を以って、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に巻き付く事が為し得たと錯覚、主従関係の<従>に就き得たと自負すらし続けた事での誤解が招く、諸資源の抜き取られが既に始まっていたとの、所謂、思いとは裏腹の錯覚であった事に気付けなかっただけと言う事にはなるのだろう。憐れではある。

 バブル経済の絶頂期、所謂、虚業経済華やかりし時には、三菱閥の中でも取り分け「不動産を統括する事業体」が、其の貯まりに貯まり続ける金融資産の成り行きに任せ、米国主要都市部の不動産をして爆買いに走り、勿論、あのロックフェラーセンタービルも、爆買い物件対象の、象徴的一つとして含まれるのだが、”あぶくゼニ身に付かず”は三菱地所とて例外には措かずのもの、僅かな期間ではあったが、アメリカ合衆国をして経済的支配下に置いた様な、言わば、勝ち誇った様な得も言われぬ、錯覚せし高揚した心裡を日本国民に与えたのも束の間、複数年も経たずに消化不良を来たしては吐きだし、挙句の果てには、シオニストユダヤ系大財閥企業家群の傘下企業体へと、買占めしあらゆる物件をして、二束三文の買い叩きと迄は言わないが、安価なる指値で買い叩かれる始末、如何に”頭が良く見え”、”日本製一流大卒で”、”出自も優れた坊ちゃん育ちの”人物群が、斯かる三菱閥の不動産事業体にも溢れて居ようとも、世界経済の実体(流れ)を知ろうとせず、米国を含む欧米社会の政治的実体も理解した積りに置いた侭、研究一つせず、欲望発生(或いは、仕掛け)の本質等を見極め得ない侭、究明し続ける人物群やシンクタンク部門が実質機能不全ともなれば、国際を冠したビジネスゲームで勝利を手にする何ぞは在り得ずのもの、基より、戦争とは異なり、勝利自体が、永久不滅のものとしては一ヶ所に留まらぬ以上、負けもまた覚悟しなければならずは政治経済に於ける鉄則、斯かる鉄則の忘れは事業体の破滅をすら意味するのである。

 データー改竄や虚偽で右往左往の真っ只中に置かれた<三菱自動車>は、仏国営企業ルノー自動車の子会社、C.ゴーン社長率いる「日産」の資本傘下に入る事で、話し合いが進められるであろうとの情報が流されているが、また一つ、日本の大財閥から消える大企業、良いか悪いか等の結論など出る由も無かろう。傀儡子宰相が差配を揮う安倍政権時に、聞くも野暮、言う等はもっと野暮である。巧く崩れ落ちない事を、部外者では有るが願うだけである。

 共和党大統領候補のD.トランプとは、流れ来る情報を見聞している限りに於いては、塀の上を歩く金銭亡者で、無知蒙昧の底浅き扇動者、其れでしか無きが故に、所謂、日本国家をして実質的に支配し差配する国家が、今、己が大統領候補に立つ其のアメリカ合衆国そのものである事を全く知らず、況してや、日本国開催の<G−7サミット/伊勢志摩>に合流するべく日本入りする米国大統領のオバマが、サミット終了後に広島入りする事を、合衆国政府として正式に決め、71年目となる投下決行日の前に訪問すると言う事実すら、何の事やらチンプンカンプンのD.トランプ共和党候補、此の様な態を平然として見せ付ける、言わば、対日政策に先の見えたアメリカ合衆国をして悲観的に想定させる中で、斯かるアメリカ合衆国をして崇め奉るしか能の無い<安倍晋三と其の御一行様>、お気の毒にと言いたい所だが、気の毒なのは我等道々の民では有るのだろう。

 基より、原爆被災地たる広島への米国大統領の訪問は、オバマ政権を以って現役大統領初の公式行事となる事は言う迄も無く、在る意味では極めて重要なる意味を持つもの、即ち、アメリカ合衆国の実質的支配者たるシオニストユダヤ系大財閥資本家群の支配力に翳りが見え始めた、其れこそが証しであるとの推断さえ、否定し得ないのかも知れないのである。

 原爆投下、其れも、ご丁寧にも二種類の原爆(ウラン型とプルトニウム型)を広島と長崎に別々に投下しては、其の威力を日本人と云う有色人種を以ってモルモットとして験し、また、日本帝国は、敗戦に因る無条件停戦の受け入れへと至る事にも相成るのだが、其の後の70年間と云うもの、現役に在る米国大統領は誰一人として広島や長崎を訪れる事も無く、基より、支配国となった今でさえ、現役元首が、何処に於いてであろうとも、首を垂れることすら一度として無かったのである。其の唯一の理由は、大量殺戮兵器として開発せし上述した核兵器を用いる事で、米国は、太平洋戦争を早く終結させ、米国の若者達百万人をして死なす事無く済んだのであるとの、核兵器使用に際しての正当なる事由として、戦後米国社会に於いて敷衍せし事が挙げられるのである。また、敗戦に帰した我が日本国が、核兵器使用の善し悪しを除外せし沈黙裡に置き続けた事も、米国の言い分をして正当化、乃至、戦勝国言い分として史実化させた事もまた、確かではある。

 即ち、戦勝国の大統領たるトルーマンが、核爆弾の投入と其の実戦試用に関して、米国の若者百万人(最初は数万人、次は数十万人、其の次は百万人へと拡大)をして死なさずに済ます事が出来たのであるとの理由付けは、後付けの理由で在って一方的なもの、実体はと言えば真っ赤なる嘘の並べでしか無く、核兵器など使用せずとも、戦争と云う大勢に於いて、或いは、実体に於いての日本帝国は、敗戦を明確に認識、停戦に至る落とし処を求めて国際間を奔走していた事実が在るのである。

 戦争にもルールは在るが、原則的には、戦に負けし者が一切の敗戦責任を取るのは至極当然の事とされ、謝罪し賠償を施し、場面に因っては、須らくの戦争責任者は打ち首獄門とされても致し方の無いのが此の「戦争」と云うもので、敗戦を選択せし戦争遂行者の定めとはなるもの、如何に、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因る計略に、日本帝国がまんまと嵌まり、米国が、ウラン型、プルトニウム型核爆弾の実戦利用の完成見極めが出来る迄、日本帝国の敗戦宣言を出させずに戦争の継続遂行へと向かわせ、若者の米軍兵士”数百名”をして、その間に犠牲者として差し出しても、代わりに、有色人種である数十万人日本民族の大量虐殺を遣って退けて見せる、所謂、シオニストユダヤ系大財閥資本家群や、彼に付き従うアメリカ合衆国民の原始的欲望を満足させて良しとするべく、其の為の、精度も高く、二種類の異なる核爆弾の完成と投下を急ぎ、数万人(戦後には百万人へと嵩上げ)の米国人の若者を救ったとの言い分をも用意、核爆弾完成までの数ヶ月の敗戦宣告引き伸ばしへと日本帝国をしての誘いにも成功した事は、太平洋戦争をして日本帝国が買って出なければならぬとの、窮鼠状態に追い込まれたのと同様に、此処でもまた同じ轍を日本帝国に踏ませ、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の姦策にまんまと乗せられたが故のもの、七十年後の今日に於いて、斯かる成り行きさえ理解せず、唯々、米国をして<主>と崇め奉り、米国現役大統領の広島訪問のみを以って、己の政治的業績とする何ぞは愚の骨頂でしか無いのだろう。

 戦争終了の時間を早めた、或いは、米国の若者数百万人の命を、”原爆二発の投下”は救ったとの軽口にする冗談を吐いたのは、トルーマンであり、彼に投下を指示したシオニストユダヤ系大財閥資本家群の曲がりし口が言わしめしもの、戦争に引っ張り出されて負けた日本国に、理解修正を迫る権利等は無いが、其の後を生きる逞しい有色人種たる日本列島民には、理性在る条理に基づく不条理批判は当然に赦されるもの、其の相手が、合衆国の大統領オバマ氏であろうと、はたまた、シオニストユダヤ系大財閥資本家群をして、己の<主>として崇め奉る傀儡子宰相の安倍晋三先生で在ろうとも、免罪符発行の対象者とするには無理がある。

 また、オバマ大統領には、C.ケネディー駐日大使同様に、理性在る条理も認められれば、D.トランプが飛び出して来る迄の間は、僅かでは在っても、有色人種日本民族に対する昔日に於ける無念、乃至、配慮の情を、何かしらの形で示しても呉れるのであろう。