日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆国家に巣食う”アベジジと400人の盗賊たち”

 7月24日には衆議院で審議が為され、翌25日には参議院でも為された「国会閉会中審査」、其れは、主要議題をして、宰相安倍晋三自身に燻ぶり続ける疑獄事件とでも言うべき、件の、「加計学園疑惑問題」等に関わる委員会を開いて為す集中審議の事なのだが、目にすればする程に、また、耳にすればする程に、宰相安倍晋三の出席を一とする閣僚陣の、疑獄問題など何一つとして存在しないと主張する陣営の異様性のみが際立つもの、即ち、自民党陣営と自民党から招かれた参考人達、若しくは自民党系質問者群、斯かるとんでもない人間達をも招集して開いた閉会中審査、基より、疑獄事件で在る事を明確にする証拠書類と状況証拠を準備しては持参した、所謂、参考人召致に拠る、二日間にも亘って繰り広げられ、知らぬ、存ぜぬの連続や、追及する野党陣営が、政府組陣営が言う、記録に無い、記憶に無い等を含めた、疑獄事件作為者側の証言等をも得た中で為された、真っ向からぶつかり合う対立構図の如くにも見える集中審査になるかと見ていたが、疑獄事件をして覆す新たなる証拠や証言が、安倍政権陣営からは一つとして出る事は無かったもの、即ち、渦中の中心人物たる安倍晋三が出席したものとは言え、安倍晋三発言になる言質の殆んどが、当該疑獄事件をして、不条理の冤罪であるとして覆すには至らずのもの、即ち、当該疑獄事件が成立すべく、野党陣営の追及にこそ正義が認められ、軍配が挙げられしは明々白々のもの、即ち、被訴追者たる中心人物として、既に心の中では準備さえ為しているかの様な発言雰囲気さえ漂わせた、傀儡子宰相安倍晋三に因る、前言(過去の国会で安倍晋三自身が繰り広げた発言)の翻しさえ、恥とせずに遣って退け、況してや、参院議員<小池晃共産党副委員長が厳しく指摘した事実に付いても、ケロッとして遣り過ごすと言う、此れが真に”法治主義国家”日本の代表たる人物の為す事かと、唯々首を傾げたくなるだけ、考えて見れば其れもその筈、傀儡子宰相たる安倍晋三自身が異邦人で在れば尚更の事、斯かる不条理にする須らくの理解は可能となるもの、即ち、彼にとっては、国家権力を持つ自分自身の為す事、遣る事の全てが正しく、而も、法律そのものでは在ると錯覚、在ろう事か、幻想すらしてもいれば、精神疾患者に浸ける薬無しともなるからでは在る。

 基より、安倍晋三政権の取り巻き連中と参考人に因って為された質疑に関わる共鳴や同調には、即ち、知らぬ、存ぜぬ、記憶に無い、記録に無い等、或いはまた、加戸守行(82)参考人発言の様に、つい数ヶ月前には文科省の現役事務次官であった前川喜平参考人の言い分をして自分なりに取り上げて解釈、彼の言い分は精神構造を疑うには十分である等々の、質疑に対する、聞かれもしない応答を以って為す暴言の吐きには、世が世であれば誣告罪をも構成さえする犯罪と呼べるもの、盗賊側の行動と弁を篤く支持、不条理活動の成就をして良しと言い張る怖いもの無し老人の弁を、視聴させられた者としては、ホトホトにして閉口する呆れる発言でさえ在れば、似非国粋主義者に因る、論点外しの不埒なる発言と言うもの、基より、其の仮面すら剥がしたい所だが、”類は友を呼ぶ”胡散臭い人物群の一人として見られた事で納得、辟易として見させて貰った次第ではある。基より、十年以上も前から延々と、加計学園今治市のタッグで進めて来た此れは「獣医学部創設事案」で在るとまで言明していた元自治体の長<加戸守行>参考人、、、傀儡子宰相安倍晋三が其れを知らない筈は無く、宰相安倍晋三が偽らざるを得なかった件の、<1.20の嘘>が、加戸守行発言で判明しただけでも十二分に、参考人として招いた価値は在るのである。

 嘘を吐き、白を切り、知らぬ存ぜぬを繰り返し、前言を翻しては騙し、即ち、(能力不足で)記憶に無いと自供、(PC内メモを消去して)記録に無いと言い張り、(警備部が管理する)入館記録など保管してもいないし、また、政府が管掌する所轄の記録公開予定などまったく無いと供述している様に、国権をして実体的に動かす彼等公人達(元、現)に因る、実に不誠実で乱暴な説明と物言い、また、巧妙にして狡猾にする、都合六年間にも及ぶ不条理政治行政の実態の露呈は、まさしく、日本国家国民にとっては悲惨で哀れを託つもの、勿論、日本国家社会の主流を構成する日本民族にとっての、其れは悲惨さで在り、憐れさでも在るのだが、此の二日間に亘って彼等が演じた、所謂、制限時間一杯に役どころを熟した積りの安倍内閣閣僚陣と其の取り巻き一群、斯かる集中審査終了後の状態から推し量れば、まるで「アリババと40人の盗賊」ならぬ、「アベジジと400人の盗賊」なる不条理傀儡子集団に因る、猿芝居を見させられている様な、言わば、不条理劇を演じ切れたとさえ錯覚もしていれば(既に錯覚は認められ、メディア批判も再開され、”あんな人たち!”批判が、またぞろにして始まった事は言うを俟たない。)、日本国をして食い物にするだけに止まらず、日本民族をして家畜人間奴隷牧場へと追い遣り、一人残らずの断種を完成させる為の、次なる演劇芝居の立ち上げに向けて脚本執筆を急がせ、或いは、配役布陣を決め、其の構成にすら、傀儡子宰相を擁する”アベジジと400人の盗賊たち”は、早速にして準備に取り掛かるのであろう。

 一件落着に終わった訳では無いが、次なる安倍政権の織り成す不条理政治劇を、再びにして観てみたいと待ち望む日本民族がどれ程に残っているかには、Q.Mが付く所、<安倍晋三>自身が、戸籍謄本上は日本国民の一人では在っても、精神的、且つ、思想的には日本民族に己をして措かず、異邦人に其の身を措き、且つ、日本国家国民の長たる<天皇家>をして、案の定とでも言うのだろう、尊崇対象の枠外に措く等の不条理分子にも在れば、此のまま良しとして、国権をして異邦人に委託し続け、基より、外交関係を含む政治経済の舵取りをして任せ続ける何ぞの判断は、努々にして有り得ずのもの、況してや、万度に於いて繰り返される、返済不能に陥って久しい日本国家財政をして、大枚の赤字国債発行を以って更に悪化させる、所謂、国家予算の止め処無き悪辣にする編成と其の継続は、日本国家国民のみならず、日本民族の長たる<天皇家>の御存在をしてさえ危うくさせる素となるもの、まさしく、総じての日本民族には受け容れられずに措く、其れこそが、安倍晋三政権に因る不条理手法の継続ですら在れば、在りし日の2012年に於いて、日本民族自身が政権与党を担わせてもいた民主党に対し、呆れ返った挙句の果てには、三下り半をも叩き付けては下野へと追い遣り、其れ在るが故に、未だ立ち直れず、在ろう事か、国民に拠って下野させられた真の意味すら探求せずに放置し続け、現在にまで至っているばかりか、「民進党」へと名称を替え、党首、並びに、役員等を一新した積りが、野田佳彦だの菅直人だの、岡田克也であるとか前原誠司であるとかの、所謂、民主党時代の、言わば、下野させられし、其の戦犯とでも言うべき「幹部群」に因る、誰一人として為さず示さずの、”自己批判”或いは”敗戦総括”無き侭に居座り続ける指導者の椅子、此の様な、無責任で頼り無く、横柄で、汗一つ掻かず、働きすらせぬ、まるで労働貴族をして地で行く様な幹部連中を抱える民進党に、国民の誰が、もう一度政権を担って欲しい等と期待するものが居様ぞ、居る筈も無かったのである。基より、民主党が政権(国権)を担っていながら、旧権力者群と司法権総掛かりに因る、「冤罪、でっち上げ事件」一つ排除出来ず、民主党トップ二人をしてまんまと罠に嵌めて終った民主党員、其の無力にして結束力も無く、且つ、正義心無き集団に、日本民族の誰が、自己批判を為す所か、国権の旗振り役を其の彼等に任せ様などと言うのであろうか。言うものなど殆んど居ないのである。

 だから、真面なる国民は、都議選に於いても「民進党」系候補者には目も呉れず、言って見れば、海のものとも山のものとも判断付かずの、都知事小池百合子が、暫定的にでは在っても、指導者として率いた件の、「都民ファーストの会」所属候補をして推す政党を頼みにし、自民党をして下野させるべくの受け皿へと押し上げ得た事は未だ記憶に新しい所である。何度も言っている様に、今から十八年前の2009年に於いて、どうし様も無く酷く、且つ、致し様を知らない無策続きの麻生太郎自民党政権に対して、三下り半を突き付けた日本国民は、480名中、308名の衆院議席をして野党である、鳩山由紀夫/小澤一郎両首脳が率いる「民主党」に当然のものとして与えたのである。だが、僅か三年で、其れも民主党両首脳に続くべき幹部連中の政治的無能さと、迫り来る不条理に対してすら逃げ捲くり続けた事が素で、上記に云う、社会正義の顕現何一つ現わし得ず終いで叩かれるぎかり、遂には、政権の座を降りる破目へと至るもの、当然の結果と言えば当然のもの、今、民主党から民進党へと名称を変え、新たに党首に就いた蓮舫女史もまた、本格的戦争を目の前にして党首の地位を退く事と言う、旧体制の馬鹿さ加減を、再びにして見させられる事と相成るもの、都議選敗戦に連なるマイナス結果も、また、政権支持率に映し出される民主党支持率の低迷推移もまた、蓮舫女史個人に責任が在る訳では無く、其れこそが、誰が党首になっても同じ事なのだが、即ち、国民の琴線の触れをして感じ取れず、また、動かし切れずに措く、愚鈍にする、菅直人を筆頭に前原誠司にまで至る古参十数名の碌盗人が、未だに幅を利かせては、牢中の主の如くに振る舞い続けてすらいれば、誰がその様な政党に無け無しの一票など入れようぞ、基より、其処迄に至る事由をこそ見逃してはならずのもの、批判をして巧妙に交わす言葉の吐きだけでは駄目、特に、殴り合いの喧嘩一つ遣った事の無い若手は、不条理勢力と戦い続けるとの、正義心を以ってする行動の示しや実力行使の示しが無ければ、政治的開眼等とうてい有り得ずのもの、勿論、総じての日本民族には受け容れられずにも在れば、民進党も先は無く、沈没寸前に措かれるのは当然の成り行きである。

 野党と呼ばれる勢力の中で、日本共産党を除けば、その須らくが、”アベババと400人の盗賊”の受け皿にはならずのもので、日本民族は逃げ場無しに措かれて万事休す、然らば、自民党の頭を替えて権力政党に据え置くか、左も無ければ、立憲君主制国体をして、既に認めてもいる「日本共産党」に、勇気を振り絞って清き一票を入れ、政権を託してみるかの判断が待ち望まれるだけ、日本全国津々浦々の選挙区に候補者擁立が適う「日本共産党」が、唯一にして無二に於ける、不条理政党自民党に対峙し得る政党ともなれば、遣って貰う価値こそ残そうと言うもの、基より、安倍晋三政権が即刻にして退き、即ち、衆院を解散し、出雲王朝域出自となる石破茂議員、或いは、奈良王朝出自を匂わせる高市早苗議員等が前向きに動いては政権掌握に手を掲げ、安倍晋三に因る政権続投に待ったを掛けるのであれば別だが、其れ以外に、即ち、「日本共産党」に国権を託すか、左も無ければ、安倍晋三追放を条件として人選を限定、斯かる条件を付した後に再度、自民党に政権を託すかは日本民族の選択眼次第、では在るのだろう。