日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆社会正義に抗う権力者は何れ自滅する。

 七年にも及ぶ永い間、結果として、無為、無策、無益、無駄、無謀を以っては使い回す執政をして振る舞い続け、更なる不条理為政が続けば、条理在る理性的国家社会には決して戻る事の出来ぬ、言わば、家畜人間奴隷牧場の如き酷い状態にまで、必ずや追い遣られるで在ろう日本国家社会、現に執政権を掌握、自由奔放に、而も、悪政を以って平然と執政し続ける異邦人傀儡子宰相安倍晋三、彼は、連れ合いたる夫人の関わる、所謂、不条理為政の露見の端緒ともなる件の、”森友学園土地不正取引疑惑”なる、言うならば、同類とでも言うべき似非教育者(群)に因る、言わば、ダボハゼの如き政治屋群を利用した、其れこそが、企み通りに行けば、五倍どころか十倍にも上る付加価値を有する不動産(国有地)を、僅か一割にも満たぬ金額で落札すらしたのだが、不運にも、不正事案そのものに目を凝らし続ける朝日新聞社の地道なる調査が功を奏し、不正にする斯かる悪巧みが露見、似非教育者たる学校法人の理事長夫妻は、逮捕拘留され、司法の裁きを今や遅しとして待つ身の上に措かれると云う、なるべくにして成る法廷への引き摺られへと至ってもいるのだが、まさか、利益と見れば何にでも喰らい付くダボハゼ政治屋集団を利用した、其れこそが、<国有地廉価簒奪劇>に加担させし政治屋群団の中に、瓢箪から駒の如き存在の、現役宰相と宰相夫人と云う大物の両名が含まれて居様とは、凡人である者には露ぞ想定し得ぬ所と云うもので、如何な口達者で狡猾なる似非教育者で在ろうとも、現役国権者をして数多に集めて絡ませる等の、此れ程に力の在る人物であったとは思いもよらぬ事、其れこそが、青天の霹靂なる轟の伝心であり、神風が吹くが如き教唆の後押しであり、悪巧みの成果に向けた国有地簒奪劇の場面では在ったろう。

 だが、社会正義の顕現人一倍に逞しくし、且つ、国権濫用の権力者群に因って放たれる、所謂、悪巧みの異臭を放つ原因の大元、其の嗅ぎ取りに長けたメディア記者の探査力に拠り、当該不正が暴かれ、且つ、真相が突き止められると云う、国家権力者群にとっては不運を託つ事にもなるもの、言わば、蟻の一穴とでも言うべき力(探査)に因り、国有地の簒奪劇そのものがフィナーレ目前で失速、似非教育者の不正にする簒奪目論見と、其の似非教育者の丸ごとの呑み込みをも策したワザオギ(俳優)連中の、異にする不正成就に因るお零れ頂戴の目論見は、完遂半ばで潰え、事実上破綻を来したと云う事では在るのだろう。

 基より、斯かる政治的スキャンダルの渦に巻き込まれ、其れも、脇役の座から一転、急遽、主役の座へと躍り出た観も在る「財務省」の一部職員、所謂、当該事案が、国権保持者が陰に陽に絡んだ、不正、不法行為を基にする事案で在る事が露見、若しくは、感付いた時点で、一部職員達は、須らく突き放し続ければ良かったものをと、平凡なる道々の民は思うのを常とするのだが、其処は泣く子も黙る国家権力者(群)を向うに回した売買事案で在り、尚且つ、財務省吏員の職掌から推し測れば、自らに直接関わる人事権や予算権、所謂、生殺与奪の権すら握ってもいる、総理大臣安倍晋三を一とする内閣府に拠る直々の圧力ですら在れば、如何なエリート吏員で在ろうとも”泣く子と地頭には勝てず”の喩えにも在る様に、社会正義心に蓋をするのも当然、当該事案が本で隠れ自殺者を出しても居れば、内閣府の存在そのものが、高級官僚達にとっては如何に巨大で在り、且つ、逆らえずに在る絶対組織ですらある事を、弥が上にも教えて呉れているのである。

 当該不正事案に絡む、所謂、国家権力者群の直接、間接にする関与は、状況証拠から推し測ってみても確かな関与がなされた事を示し、基より、数々の物証を通してすら、国家権力者群に因る不法行為の実践をして明らかにはなるもの、其れでも尚、関与を否定し続ける異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三(並びに宰相夫人)、勿論、事の発端は、本人たる「安宰相倍晋三と宰相夫人」の関与在りや無しやから始まったもの、基より、当該森友学園事案が財務省理財局絡みで在る事から、また、理財局が保管管理すべき国有地売買契約に関わる、決裁書簡(公文書)の改(偽造)竄事件の露見でも在る事から、財務大臣たる麻生太郎が矢面に立ち、勿論、何の因果が在ってかは知らぬが、率先して矢面に立った観すらあれば、此れまた話しは複雑怪奇な筋書にはなる筈、即ち、当該国有地の廉売問題に絡んでは、事件の本丸(宰相並びに宰相夫人)には決して迫らせる事無く、財務省止まりの事案で在ると断定されればしめたもの、即ち、財務省元理財局長で在り、前国税庁長官でも在った佐川氏の、猟官運動の為の一人芝居であり、其れに追随せし部下等に因る、公文書の改竄であり偽造、並びに、隠匿の実践とする事で、<検察事案>へと移動させ、政界を巻き込むスキャンダルとさせず、高級官僚独断の「国家公務員法違反」問題として処理したかったので在ろう。基より、司法権に対しては格段の差配が揮えると自画自賛して已まずの財務大臣麻生太郎の事、筋書きを新たに書き加えたとしても不思議では無いのである。

 国権濫用甚だしき国家権力者群による不法行為が、未開発国同様に隠然として続けられ、尚且つ、此れほど数多に不条理事案として露見してい乍ら、蛙の面に小便の如くツラッとして遣り過ごし、権力者群団の歪みにゆがんだ素性を知り始めた国民に対しては相も変わらずに、騒がせている事を詫びるでもなければ、玉座を退くでも無く、基より、国民の信を問い直すでも無く、為に、斯くも入り組んだ、司法権を含む政官権力図式に絡む、不条理にして複雑なる力関係を呈し、且つ、国家権力者群に因る権力依存症候群が増々にして国民の目に触れる事と相成り、恥も外聞も無き不条理内閣として強く認識もされ、在ろう事か、増々にして露骨にすら不条理為政が現されて来ると、国家社会秩序の崩壊もまた、遠くは無く迫り来ようと云うもの、斯かる、異邦人傀儡子宰相たる人物(集団)の、不条理にする目論見を成就させない為にも、或いはまた、人間家畜奴隷牧場へと追い立てられる日本民族国家をして救い、条理を以って為す、健全なる日本国家社会をして存続させるためにも、渦中の人物たる「佐川宣寿」前国税庁長官の、此の27日に於ける証人として招請される役割は大事で、影響小さからずのもの、我欲を捨て去り損得勘定を排除した、所謂、理性在る条理に則った真相をこそ話し、真実のみをこそ証言すべきではあろう。

 勿論、異邦人傀儡子宰相(並びに夫人)を庇うべく、虚偽答弁をし続けたばかりか、当時の所属官庁であった財務省に管理保管されし公文書を改竄、作為的に手を染めた事が疑われている渦中の人物たる佐川宣寿氏、況してや、当該森友問題に関わる公文書改竄事件に関しては、一名のみならず、命を亡くした複数の犠牲者すら出したと言われても居れば尚更の事、議会証言に於ける答弁での、虚偽発言は勿論の事、沈黙の貫きや、或いは、検察事案を理由とする、若しくは、検察事案になる事を意識した上での証言拒否等の連発は望ましからず、決して許されざるもの、苟も、指導的日本民族の一人として国務に専心、三十数年間をして条理に違背する事無く国務を遂行する、其れこそが、現役活動の最終章たる中で犯した、過ちとなる作為が本で、慙愧の念を抱いたまま黄泉の世界へと旅立ちを決意、且つ、当該同僚の家族をして悲嘆のどん底へと追い遣って終った、故人の”無念さ”に思いを馳せれば、元上司の役職に在った佐川宣寿氏とは雖も、我欲をして満足させる為に、事実を披瀝せずに口を噤んでみたり無視してみたり、或いは、虚言を吐いたりの押し通しで、同僚の部下たる故人を貶めるばかりか、遺されし故人のご家族をして、努々、侮るべきでは無かろう。

 基より、我欲に突き進むのも地獄と云うもので、他方、社会正義の顕現を決すべく、真実を述べるのもまた、本人にとっては地獄では在るのだろうが、元々が、己が判断せし不条理の選択と云うもの、大神<速須佐之男命>は前者をして好まずには措くもので、基より、命を賭してすら、社会正義の顕現をして誉められるのであろうし、名誉回復を含む、苦痛や苦役須らくからの解放をも、選択肢次第ではご用意もされては呉れるのであろう。

 悪魔の囁き、曰く、「黙るのが一番、悪い様にはしないし、ブタ箱にしょっ引かれる事も無い、懸念や不安には及ばぬ。将来の面倒は十二分に見て遣ろう。」と、或いはまた、大神<速須佐之男命>が申されるには、「条理に違う事を為せし族は、誰であろうと、決して赦されずに措かれるもの、何れ厳しい沙汰が、一族郎党もろともに、下される事と相成ろう。」と。日本民族で在るならば、大神<速須佐之男命>の指し示される条理を、努々、侮るべきではない。