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日本の歴史は日本人が創る このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018年04月02日

☆魔に魂を売った、彼は福島県民の恥晒し、同時に、日本民族の恥曝しでもある。

 3月27日に於ける件の、森友学園土地売買不正疑惑問題に絡む証人喚問で、日当を宛がわれては国会に呼ばれ、両院議員団より訊問を受けし証人たる、前財務省理財局長で在り、且つ、前国税庁長官でもあった佐川宣寿が証言台に立ち、事の真相と顛末をこそ事細かに話して呉れるのではなかろうかと、僅かでは在っても内心期待、同じ福島県育ちと言う、正義心逞しい土地柄で生まれ育った一人として、権力に阿る事無く、在るが侭の事の成り行きと推移をして披瀝して呉れるのでは無かろうかと、一縷の望みを託し、期待もしていたのだが、矢張りと言うべきか当然と言うべきかは扨て措くとしても、彼もまた国家権力者(群)には抗えずに措く、弱くて芯無き勘定高い一人の人物、基より、此れで一件落着では全く無く、此れから先は、大阪地検特捜部より起訴されるか、はたまた不起訴となるかは予断をこそ許さぬが、何れにしても、佐川宣寿氏には家族諸共に不名誉にする後ろ指が指される事と相成るのは避けられずのもの、また、当該事案を基に、揉み消し工作をして命ぜし者を恨みながら、自死をして余儀なくされた故人に因る、慙愧の呻き声が絶え間なく耳に入るであろうし、同様に。氏の家族諸共が延々と怨霊に纏わり憑かれ続ける、命運に陥るのであろう。残念なる哉、作為を以って社会正義を踏み躙り、あまつさえ、名誉欲や金銭欲をして自己満足させるべく善良民をして騙し、且つ、有るべき魂をして悪魔に売り渡した人間に俟つものは、唯一”地獄の苦しみ”が口を開けて待つのみ、佐川氏一人をして例外に措く事は決して無いのである。

 我が身を賭し、「天皇家」をして守護差し上げ、輔弼すべくに会津藩民を率いた五年二ヶ月(1862年12月〜18681月)、テロリストを束ねし真の逆賊たる薩長土肥から、似非宸翰を翳されては逆賊呼ばわりをされ、遂にこそ敗れはした奥羽越列藩同盟(京都守護職を司る会津藩を一とする幕府軍)だが、最期の最期まで、「孝明天皇」に拠り幕府に対する信任が与えられ、同時に、真の御宸翰もまた下賜された会津藩、不幸にも、上記テロリスト集団たる薩長土肥に追い詰められては敗れ、遠巻きにして鶴ヶ城を見守っていた白虎隊(16〜17歳の男子)に所属する予備兵士たる若者達20名は、白煙を上げる鶴ヶ城を見て、炎上敗北したものと悲観、城郭内にて死滅せし大人達とともに、何時の日にかの舞い戻りと、不条理陣営たる薩長土肥連合への復讐を誓い、自刃を決意し決行したのである。勇敢にして有能なる会津藩の若者は、斯くして”自死”を余儀なくされ、且つ、不条理に抗う形で”死”を受け容れたのである。

 其の様な、社会正義心に溢れし郷土社会(民族風土)に育った在りし日の白虎隊の若者同様に、佐川宣寿もまた同じ福島県の強度に育った、言わば、曲がった事の大嫌いな人物の一人で在った筈である。

 だが、齢六十も過ぎ、其れこそ、後進を育てては身を譲るべくに至りし今、其れも、二浪こそあって遅れもしたが、旧大蔵省に登用されて以来、36年間にも亘り延々として為し続けて来た良質にする公僕の務めをして急遽にして否定、考えたくは無いが、国権と言う「見えざる力」に気圧されて萎縮、良質性を以って推し進めていた責務をして違え、国家権力者群に求められるが侭、或いは、言われるが侭に歪曲せし責務に切り替える何ぞは、条理からしても赦されざるもの、基より、社会正義の顕現をして常に胸に準備し措く、所謂、公僕に身を置く立場からしても、有るまじきご注進の振る舞いや、何なりとご随意になる、言わば、猟官運動や裏取引行為など在ってはならず、努々、認められずのもの、基より、在ってもならない職権乱用の行為であり条理へし折りの取引とでも言うべきもので、其れこそが、国家国民に対する裏切りで在り背任行為でもあり、はたまた福島県民に対する冒涜ですら在れば、よしんば、今後押し進められるであろう、財務大臣や異邦人傀儡子宰相が今や遅しとして待ち望む様な、大阪地検特捜部の介入と裁定に因り、不起訴の申し渡しがお墨付きとして為されるにせよ、五千万円の退職金(手取り四千万円弱)と年金だけでは、他の元高級官僚群がなさしめている様な、華やかなる生活(収入五億円程度の積み上げ)は望みえず、今から始まる残る生涯たる三、四十年余をして、夫婦ともどもに、罵声や非難に耐えて生き抜くなど無理が在ろうと言うもの、即ち、不正義集団の援助無しには生き抜く事さえ困難とはなるのだろう。

 即ち、森友学園不正土地売却問題を仕掛けし権力者群より、内々に申し渡しが為されであろう、曰く、”十二分にする生活保証は準備するので、須らくの行為をして己の責任内に止め置くよう貫徹して貰いたい、勿論、監獄等に入る事も無ければ、汚名すら吐かないので安心されたし”なる、言わば、白地手形を切って渡されたににせよ、不渡りになる惧れ無しとせずのもの、国権濫用を万度にして繰り返す政治屋集団の遣る事、約束は違える為にも在る事位は、重々承知し措くべきもの、簡単に騙されてはならないのである。況してや、「天皇家」を一とし、赤子たる一億二千万国民をして手玉にとって騙したばかりか、卑猥にする己の強欲を満足させるべく、魂をして不条理権力者集団に売り渡し、在ろう事か、社会正義を蹂躙すらした事で、家族、並びに、一族郎党をして道ずれにし、犯罪者集団に仲間入りさせた事と相成る佐川宣寿前国税庁長官、基より、魂を売りし其の対価が、額面五億円の手形で手を打ったのか、はたまた、十億円の額面で手を売ったのかは解らぬが、唯一言える事は、家族諸共に、良質にするまともなる爾後の生活を営む事など不能とはなるもの、神様は決して見逃さずには措くもの、努々、赦される事も無い、と言う事で在る。

 不条理なる国家権力者群の様々なる圧力に対し、己をして臆せずの不動の許に措き、真っ向から受けて立ち、不条理に抗い続けた件の、加計学園問題では、正義の使者たる、言うならば、「公僕の鏡」の様な立ち居振る舞いを為して見せた、前文科省事務次官前川喜平氏とは真逆の、魔の召使役を買って出ては演じ切り、国権不当行使の犯罪すら臭わせた佐川宣寿、恐らく、<地検特捜部マター>にでもなれば、其処は悪代官が今もなお牛耳る魔の巣窟と聞かされている所から、己自身もまた完璧に逃げ遂せると錯覚もしたのだろうが、そう簡単には逃げ遂せずのもの、一億日本民族の”守護神”たる”速素戔嗚男命神”をして忘れてもならず、況してや、努々侮ってはならずのもの、でさえ在るのだ。

 国権濫用をして万度にする、権力者の群を前にして、怯み臆する所か正々堂々と、条理在る舌鋒鋭い回答を以って応じた前川喜平氏、彼は近い将来に於いて、一億日本民族に懇願され、剰え推挙すらされて、指導的国民の地位に就く人物で、また、そう在らねばならずの人物、其れに比べ、吾が福島県民と同朋に在る件の人物はと云えば、あの、喋れば必ずや不穏当にする物言いをして常態とする中身無き財務大臣や、異邦人傀儡子宰相たる人物ともども、私利私欲の凝らしの為に国家国民をして欺き、貶めて良しとする何ぞは信じられぬ所か、赦されざる悪行とでも言うべきもの、日本民族の”恥晒し”では在るのだろう。