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notable or ordinary

2008-08-28

らき☆すたに学ぶコミュニケーション


らき☆すた』を観ていると、主に会話で表現される登場人物たちの関係性、それが意外にも彼女たちのコミュニケーション能力(無自覚的なものを含め)により保たれていることに気が付きます。ということで、本日はらき☆すたキャラのコミュニケーション処世術、そこから少し学んでいきたいと思います。

一つお気を付け頂きたいのは、「らき☆すたに学ぶ」と銘打ちましたが、所詮は恣意的にコントロールされるアニメから恣意的に抜き出したことばかり、それはさながら『ハヤテのごとく!』から執事の在り様を学ぶような、『おまかせピース電器店』から電気屋の理想を学ぶような、『島耕作』からサラリーマンの出世術を学ぶような、とてつもない無茶振りでございます。そのことをご配慮お願い致します(つまり真に受けてもアレだよみたいな)。



こなたに学ぶ「ウザがられないオタク語り」


オタクのウザがられる会話の代表的なもので、「聞いてもないのにオタク話題を振りまく」といったものがあります。

相手はそんなことどうでもいいと思ってるのに、「俺は知ってるんだぜ〜」と知識をひけらかす人。相手はそんなこと興味ないのに、「この作品が楽しいんだよ・凄いんだよ」と熱く語り出す人。どちらも、される側としては困ったものでしょう。知識という価値観で優越感を得たがられても、感性や価値観を共有することで承認を得たがられても、話を振られる側からすればどうでもいい……いえ、どんな対応するにしろ、その分のコストがかかるので、むしろ億劫と言えるでしょう。


オタク語り」がピンとこない方に例えると、アレです。「昨日の日本代表サッカー面白かったね」って話振ったら、「フォーメーションがほにゃらら〜右サイドバックの○○の動きがどうたら〜〜94年ワールドカップでなんちゃら〜〜〜」とこっちがサッカーそんなに興味ないのに語り出すサッカーオタの友達や、挨拶代わりに「昨日パチンコで負けちゃってさぁ。○○って機種は回転数が××だと〜」とこっちがパチンコやらないのに語りだす学校の先輩や、「今週末の競馬は○○が本命だ。何せ騎手がアレでコースがどうたらでこの成績がなんちゃらで〜」とこっちが競馬知らないのに語りだす会社の上司とか思い浮かべてください。


ついていけない話を振られれば、対話として成立しない。つまりは、相手の一人語りになる。けれど一応会話の形式を保っている以上、自分が参加できない会話とはいえ、相手を傷つけないために・また険悪にならないために、ある程度気を利かせて話に乗ったり相槌うったり、話を切る頃合を見計らわなくてはならない。

その「めんどくささ」「厄介さ」がウザがられるのでしょう。


さて、『らき☆すた』のこなたも、オタク話題をしたり、物事をオタクネタに例えたりして周りの人が付いていけない会話を幾度か創出しているのですが、『ウザがられる』というほどの反応は得ていませんでした。せいぜいが「困らせる」「疲れさせる」くらいで済むように、バランスを取っていました。どうやってか。


それは「説明をしないこと」――「同意を求めないこと」によってです。


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■第2話

こなた「でも男子は歯医者とか好きそうだよね」

つかさ「なんで?」

こなた「だってドリルは男のロマンっていうじゃん」

こなた「ドリルを武器に戦うロボットのガチ勝負はたまんないらしいよ!」

つかさ「……えっと……でも、歯を削られるのは嫌だと思うけど」


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■第5話

こなた「でもお祭りって、その場の雰囲気でついつい手を出しちゃうんだよね」

かがみ「まあねぇ」

こなた「コミケ会場で同人誌が高いと思わないのと同じ感覚だよね。あとで気付くとすごい出費」

かがみ(だから、そっち方面の話はわからないって!)

こなた「朝から並んでくたくたになるし、西館と東館すごく遠いし」

かがみ(言ってる意味がわからんわ!)

例として二つ。どちらも、こなたのオタク語りに対し聞き手は「わからない」状態になってます。つかさは「?」状態だし、かがみにいたっては心の中でツッコミ入れています。でも、それに対し、こなたは説明を入れません。言うだけ言って後は終わり、「つまりこれはこういう意味で……」みたいな追加は無し。相手がわかっていようがわかっていまいが関係ない、言いたいことを言うだけで、「そうだよね」という同意や、「そうなんだ」「上手いこと言う」といった優越を求めていないのです。

パパッと5秒10秒、言いたいこと云うだけ謂って終わりです。相手の反応は気にしない。

その「相手に求めないこと」「自分からさっさと終わらせること」が、このような話をしてもウザがられない秘訣なのでしょう。


極端に考えると、「反応を求めていない」とも言えます。オタク語りに対する相手の反応を全く気にしない・見ない。クエスチョンマークだろうがツッコミだろうが、相手がどんな反応しても、こなたはいつも、(この例に挙げた以外も殆どの場合)「言いたい分言ったら」終わり。同意も何も求めないのです。

「相手の反応を見ない・反応を求めない」。

これは話し手(オタク語りする方)側の立場で考えれば、こなたのように、遣い方と相手さえ誤らなければ、「オタク語り」の欲求をインスタントに・応急的に処理できる方法ではないかと考えられます。

こういった「相手の興味がないことが明白なことを一人で語る」という会話は、その元となるのが虚栄心や承認欲求だったりする以上、それが満たされる可能性――「反応」の存在を有耶無耶にしてしまえば、必要以上に食い下がってウザがられることもなく、ただその欲求だけを処理できるのではないでしょうか。優越や承認を「見てないからわからない」=「あったかもしれないこと」にする、あるいは「相手の反応を求めない」ことにより優越や承認自体を「求めていないこと」に変化させられる。

相手が「?」な顔をしてたり食い付きが悪かったりと反応がイマイチなら、さらに説明や説得を試みて、よりイマイチな反応になり、最終的にウザがられる。いかにもよくある、ドツボなパターンですが、そういったことも防げます。そもそも説明や説得そのものが相手の反応をイマイチにしているのですから(それを積み重ねるとドツボに)、そこを最小限に抑えれば、被害は最小限に抑えられる。

そもそもそんなオタク語りしなければ済む話ですが、どうしてもしたい場合は、このこなたを見習い、5秒10秒の「反応無視語り」で、ウザがられないかつある程度の欲求処理が可能なのではないでしょうか。たまにスイッチが入ったように語りだす人なんだなと思われるかもしれませんけど。




かがみに学ぶツッコミ・コミュニケーション

かがみと言えばツッコミ、というのは大雑把に過ぎますが、しかし、そういう印象を覚えてしまうほど、かがみがツッコミを入れてる場面が多くあります。

上に書いたこなたのオタク語りにもガンガンツッコミ入れますし、こなたやつかさのだらしない姿・いいかげんな姿などにもガンガンツッコミ入れていきます。前者で謂えば「わかるように話せよ」、後者で謂えば「ちゃんとしろよ」とでも言いたげなニュアンスのツッコミです(実際ほぼ同じ言葉を口に出したこともあります)。

そういったツッコミは、関係の悪化――敵対などと紙一重です。言うなれば「ダメ出し」ですから。そんな話題されてもわかんねえというコミュニケーションへの「ダメ出し」、もっとちゃんとしろよという今の相手自身への「ダメ出し」。

しかし、かがみのツッコミにはそういった「関係の悪化」は存在しません。こういったコミュニケーションのやりとりがこの集団ではデフォになってるからというのもあるけど、とにかく関係は円満。円満なツッコミ。いや、円満だからこそ、かがみのツッコミがこの集団のコミュニケーションに受け入れられてるのでしょう。



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■4話

こなた「私が宿題忘れるのもそのせいかな」

かがみ「あんたの場合は忘れるんじゃない、やる気がないっていうのよ」

こなた「というわけで、午後の国語の宿題見せてー」

かがみ「さっそくかい!」

ツッコミはダメ出し。その中で問題となるのは、「何をダメ出しするのか?」ということです。

相手自身をダメ出しするのか、それとも、今この時の相手の言葉や行動や思考”だけ”をダメ出しするのか。

そういう点でかがみは後者で、そしてだからこそ円満なのでしょう。

「それはダメだよ」というダメ出しでありながら、その時その言葉その思考に対してだけの否定で、相手自身への否定ではない。そして、そこからの修正を要求しないし、正そうともしない。この時の「宿題見せて」に対する返しが「さっそくかい!」であり、自分でやってこいとは言わない。この流れでこの言葉が出てきたこの瞬間、その思考とその言動にダメ出しをするけれど、この瞬間の思考と言動以外へのダメ出しはここではしないのです。その「否定対象の分別」が、円満なツッコミを行える理由でしょう。

そして、そこから修正を求めることもない。わたしが貴方を矯正なんてしないのです。

決して相手そのものを否定するわけでもなく、決して相手そのものに変化を要求することもなく、決して自分が考える正しさを押し付けることもない。否定対象を分別し、押し付けない。それこそが、かがみの「ツッコミ」が円満なツッコミである理由と言えるでしょう。




つかさに学ぶ「コミュニケーションのための」コミュニケーション


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■3話

かがみ「でもそういえばみゆきにも噂ないわね」

つかさ「あまりに美人だから、近寄りがたいのかな」

かがみ「それはないんじゃない。優しいし、面倒見も良いから」

つかさ「そうだよね」

かがみ「結構告白されてたりして」

つかさ「でも断ってるとか」

かがみ「断ってるのか」

こなた「いや、告白を告白と気付いてないとか」

つかさ「それはあるかも」

この適応力は何なのでしょう。

つかさ「○○かな」 かがみ「それはないんじゃない」 つかさ「そうだよね」

つかさ「でも○○とか」 こなた「いや、××とか」 つかさ「それはあるかも」

途中を恣意的に弾いてますが、(↑)この全体の流れ。


先に言ったことも簡単に翻す――いやそもそも、言ってることはつかさにとって「重みのない」ことだから、簡単に翻すことができる。「絶対こうだ!」という重みを持って云った言葉ではなく、彼女の口癖「〜〜かも」「〜〜かな」「〜〜とか」が証明しているように、それは意思疎通における意思の表明というより疎通の構築の為の言葉でしょう。

そしてそれは、(相手が前提としてある発話だからこそ)コミュニケーションの場の生成・流れの生成と、その維持を行っているとも捉えられる。

「わたしがわたしが」といった強い我が、全然ないのです。「わたし」を会話の中心に持って行きたがらない。会話の主役になりたい欲求なんてない。自己顕示欲も見せない。「わたし」は”ここ”に居て”これ”を維持するのが最上の目的で、「わたし」が”ここ”の”どこ”に居るかは問わない、そんな姿勢かのよう。それは本作後半(20話くらい〜)によく見られた、「こなたとかがみが会話しながら歩いてて、つかさはうしろで会話に参加せず点の目をしてただ居ただけ」に表れてるでしょう。


わたしの意見を「わたしがわたしが!」と押すのではなく――「わたし」だけを見ているのではなく、この場全体を見ている。

例を挙げると――

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■5話

こなた「というわけでみゆきさん、ブルーハワイって何か知らない?」

みゆき「……えっと、えっと(考える)」

つかさ(うずうず)

みゆき「よくわかりませんね。お役に立てずすみません。今度調べておきますね」

こなた「うん、よろしく」

つかさ(うずうず)

みゆき「多分、そういうジュースやお菓子があるのではないかと……」

つかさ「あの……そのブルーハワイのことなんだけど」

つかさ「名前の由来は〜〜(説明)」

みゆきを差し置いて「わたし知ってるよー」とは言わない。みゆきが「わからない」と言っても、すぐ「わたし知ってるよー」ではなく、その会話が途切れるまでしっかり『待つ』。その場全体のコミュニケーションを見て、最適と思われるタイミングを見い出しているのです。

こういうつかさの働きが、こういう内容であるからこそ、コミュニケーションの場を維持するために必要不可欠な働きを見せ、だからこそ、本作後半「こなたとかがみが会話しながら歩いてる」場面で、つかさはうしろで会話に参加せず点の目をしているだけにも関わらず、その存在は必要だったのでしょう。

「ただ居るだけ」に近いけど、「居なくても同じ」とは大きく違う。つかさが居なければ、こういう「場」は生まれていなかったかもしれない。それがつかさが行ってるコミュニケーションなのでしょう。




というわけで、らき☆すたにおけるコミュニケーションを、メインキャラ3人から学んでみました。誠に申し訳ありませんが、残るもう一人のメインキャラ「みゆきさんに学ぶ〜」は作者都合の為永遠に休載いたします。ご了承下さい。