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Number-06の日記

2009-08-26

今必要なのは「経験」

12:07

選挙には行かない(TAKUYAONLINE)

もうずっと選挙には行ってない。今度のやつももちろん行かない。「とにかくみんな選挙に行くべき!」とか力説してる人よくいるけど、仮に投票率が100%になったとして、それでこの国の政治がまともになると思ってるなら、それはちょっと脳天気すぎるんじゃねーの。(上記リンクより一部引用)

言わんとしている事は分からなくもないし、指摘していることの大半は事実だと思っていいと思う。ぼくも含めて(こういうエクスキューズも大概卑怯な逃避であるとも思うけど)この国の国民が果たして政治的リテラシーがあるわけがない。けれどそれはどの時代もどの国の選挙民も大差はない。参政権を求めて運動するようなエリート層はともかくとしてその下にぶら下がる層の人々は概して政策の詳細は知らない。と言うか国民が一々知る必要はない。出来るに越したことはないが、そういうのは専門家の仕事だ。この辺は超人思想的な模範的市民像が強すぎるように思う。


今この国に必要なのは選挙によって政治が善化される(今の政治が”悪いもの”と言う前提の下で)という「成果」よりも、選挙によって何かが大きく変わると言うダイナミズムを国民自身がコミットして「経験」することなんじゃないかと思えてくる。有史以来一部のエリート層は政治に参加をし体制を変えたが、一度たりとも市民革命を経たことのないこの国の国民のミームには民主主義などというものは存在し得ない。

与党の政治に不満があろうが、その不満を言い訳に投票率は上がらなかった。投票率が上がったこともあったけれど、それは単なる”罰”に過ぎず、日本人特有のバランス感覚というポジティブな表現とともに結局は大きく揺り戻させて代えることを、そこから生まれる責任を回避してきた。与党への抗議はするが、野党に任せるほど野党を信頼していないというレトリックで巧妙に責任を回避して、そのバランス感覚をして大人だとする狡猾。

2005年の郵政選挙は国民の政治参加の意識を示したと言う人もいるが、あれはやはり評論家の宮崎哲弥が評するように擬似政権交代でしかなかった。結局は自民党と言うコップの中での争いに対して、政治を見てしまっただけに過ぎなかった。今までの与党を否定したのに、結局は与党を承認したと言うねじれだったと何と言うアンヴィヴァレンツ。国民の責任と言えば責任だけどね。


今必要なのは、国民が選挙という方法で政治に関与することで政治を代えられる、そして変えられるという「経験」なのだと思う。選挙で政治や社会を変えられると言う経験をすることが出来れば、日本の国民にも言葉や概念にとどまらず民主主義を血肉化することが出来るんじゃないのか。一番大事なのは大きく変えると言う「経験」なんじゃないか。そんなことを思うのです。リベラル派にしても、保守派にしても。