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OJYO963の日記

2011-02-03

社会福祉法人とは何ぞや?

07:00

最近、社会福祉法人とは何なのかについて漠然と考え始めている。


一般の人が何となく抱いているイメージはこうではないだろうか? 志のある人が志をもって起業し、今もその志に沿って運営されている。

実際、どこの法人の資料を見てもそんな文句が踊っている。

でも、実態はどうなのだろうか? 日本における社会福祉というのはそのような形で発展してきたのだろうか?


社会福祉学を学んだわけではなく、以下は私がここ数日ネットで調べたり業務内で知ったことから来る記述なので推測を含む。

かつて日本における社会福祉は、行政社会福祉法人とが措置という仕組みにより手を携えることで運営されてきた。

ある意味では、行政にとっては直接の運営に携わらなくていいという責任回避、社会福祉法人にとっては申請したら満額もらえるという公金受領の仕組みだ。

そして社会福祉法人はその半公的な性格上、監査その他の形で「公」を担保することになっていた。


上記から推測されることは何だろう?

まず、志があろうがなかろうが、一定以上資産があって、社会福祉法人のそのような仕組みについて知っていれば、社会福祉法人設立できる。

そして、その監査その他の「公」を担保するはずの規則や仕組みが実際には機能していないとなれば?

ネットでちらっと見た情報によると「相続税対策で特養を建てている」なんて批判も過去にはあったようだ。


社会福祉法人設立することによって一族の資産は「公」のものになるけれど、理事長を一族が継いではいけない等の規定はないわけだから(多分)、事実上、資産を半永久的に確保でき、税制その他の優遇措置も得られ、公金を堂々と受領できる、さらにはもっと新しく施設を建てませんかというさらなる金儲けの話まで特権的に入ってくるというおまけのたくさんついた、非常にオイシイ話だったのではないか。


なぜ上記の推測が出てきたのかについても記しておく。

法人での経営を観察すると、結局「頑張ったからといって収入は(介護報酬は決まっているから)増えない。だから文句が出ない程度のそこそこのサービスでいいのだ。それよりも支出をいかにケチるかが大事。それが経理の仕事だ」ということなのだと思う。

それに対して知人は「収入が増えようが増えなかろうが志があればやるはずだ。それは理屈の後づけ、やらない言い訳でしかない」と指摘し、私もなるほどと思ったのだ。

つまりここには「志」はない。


もうひとつ記しておく。

この某法人において「入所コーディネートマニュアル」に沿った運用はなされていないし、その必要性も感じていないようだ。

そして、「入所コーディネートマニュアル」に沿った運用がなされていない実態は、この近隣の他の法人でもよくあることのようだ。

このマニュアルには問題点が多く、それに沿った運用は現実上困難という汲むべき事情はあるのだが、それを置いたとしても、2つの意義があると思う。

1つは申込者に対する情報公開、そして公平性を担保するための入所システムの透明化だ。

そのような時代の流れまでも無視できるということは、この法人内において「利用者側の視点はない」ということだと思う。


別にサービスの質の向上に努めなくてもいい、待機者はたくさんいるんだし稼働率をある程度確保していれば施設の収入は確実に得られる。

そういう本音が透けて見えてこないだろうか?


ある事務職員は「身寄りのない人は施設には入れられないでしょ(だから地域でみるのだ)」と平気でのたもうた(そこに疑問や矛盾は感じないらしい)。

これこそ、社会福祉法人の意義、「公」の放棄ではないか。