拝受・字音仮名遣

小田垣太志さんという方から、

という論文を頂きました。
上智大学国文学論集』第42号、上智大学国文学会(二〇〇九年一月十日発行)p.67-78

ありがとう御座います。
字音研究史、どんどん深めって行ってくださればありがたいことです。


「はじめに」に、

本稿では、宣長が「区別できなかった」のではなく「区別しなかった」可能性のあることを論じ、学説史上の位置づけに議論の余地が残されていることを述べたい。

とあるので、宣長に対する学史的評価を目指しているのだと分かるわけですが、この部分を読むと、

が連想されます。
http://kokugosi.g.hatena.ne.jp/kuzan/20020113/
ここに書いてあることですが、いわゆる上代特殊仮名遣について、古事記伝の稿本には、「古ヘオノヅカラ音《コヱ》ノ別《ワカ》レケルニヤ」と書いてあるのに、刊本にはそれがないことについて、

宣長にとつて、上代国語五十音以上の音から成り立つてゐたといふことになると、重大な矛盾を来たさないわけにはゆかない。かういつた事情もあつて、刊本古事記伝に公表をさし控へてしまつたのではないかとも考へられる。

などとした論文です。


小田垣さんの論文には、田辺論文への言及はありませんが、五十音という枠組みへの宣長の意識など、関わってくる論考かと思います。


小田垣さんは、

用いられている述語*1の定義を個別に明らかにした上で、その学史上の正当な位置づけを模索していく必要があると思う。

と、「まとめ」で書いてらっしゃいますが、最初の方で書いてらっしゃる、

字音仮名遣に関してはm・nをそれぞれ書き分けるべきだ【括弧内省略】という見解が広く学界に共有されているものと思われる。

という記述に見えるような、「字音仮名遣」の範囲こそが問題になるように思えます。


サテイカニ口ヲバ箝《ツグ》ミヲリテモ事モ無クイヅルハ〔ン〕也*2.サルハコハ本口語ノ正キ音ニハアラテ鼻音ナレバゾ.

男信、版本二〇丁裏(義門研究資料集成1 p99)

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho02/ho02_04803/ho02_04803_0001/ho02_04803_0001_p0029.jpg

*1:術語」とあるべきところかと思います。

*2:「イヅルバン也」と引用されていますが。