日本書紀 巻第十三 允恭天皇
雄朝津間稚子宿禰天皇は反正天皇の同母弟である。天皇は幼童の頃から、ご成長後も、恵み深くへり下ったお心であった。壮年になって重い病をされ、動作もはきはきとは難しかった。五年春一月、反正天皇がなくなられた。
元年冬十二月、妃の忍坂大中姫命が、群臣の憂えなげくのをいたまれて、自ら洗手水をとり捧げもって、皇子のお前にお進みになった。
しかし皇子は聞き入れられず、背を向けて物も言われない。大中姫命は畏まり、退こうとされないでお侍りになること四〜五剋(一時間)以上にも及んだ。時は歳末の頃で、風も烈しく寒かった。