第38代 天智天皇 661年7月24日〜671年12月3日

日本書紀 巻第二十六 斉明天皇

 秋七月二十四日、天皇は朝倉宮に崩御された。
 八月一日、皇太子(中大兄)は天皇の喪をつとめ、帰って磐瀬宮につかれた。

 冬十月七日、天皇のなきがらは帰路についた。

 二十三日、天皇のなきがらは、帰って難波に泊った。十一月七日、天皇のなきがらを飛鳥川原に殯した。この日から九日まで悲しみの発哀を捧げた。


日本書紀 巻第二十七 天智天皇 天命開別天皇

 天命開別天皇舒明天皇の皇太子である。

 七年七月二十四日、斉明天皇がおかくれになった。

 この月に、蘇将軍(唐将蘇定方)と突厥(トルコ)の王子契必加力らとが水陸両道から進撃して、高麗の城下に迫った。

 八月に、前軍の将軍大花下阿曇比邏夫連・小花下河辺百枝臣ら、後軍の将軍大花下阿倍引田比邏夫臣・大山上物部連熊・大山上守君大石らを遣わして、百済を救援させ、武器や食糧を送らせられた。

 九月、皇太子は長津宮にあって、織冠を百済の王子豊璋にお授けになった。