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2017-03-28 古本夜話646『綜合ヂャーナリズム講座』10

[] 古本夜話646『綜合ヂャーナリズム講座』10

『綜合ヂャーナリズム講座』第十巻には神道久三「日本プロレタリア雑誌発達史」が掲載されている。プロレタリア運動におけるヂャーナリズムの歴史をトレースし、新聞や雑誌のスタイルや主筆者たちの名前も挙がり、簡略なチャートとなっている。だがこれは新聞、雑誌、人名辞典の趣もあり、残念ながら要約紹介に向いていない。

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また『婦女界』主幹の都河龍「婦人雑誌の編輯」もあるけれど、すでに『主婦之友』の編集を取り上げているので、これもここではふれない。今回は次の四編を見てみる。

1 横溝正史「探偵・猟奇・ナンセンス」
2 加藤武「ヂャーナリズムと『創作』」
3 甘露寺八郎「出版書肆鳥瞰論、誠文堂の巻」
4 本庄陸男「児童をめぐる出版市場」

1 の横溝は当時『新青年』編集部から『文芸倶楽部』担当に移ったばかりであり、「探偵・猟奇・ナンセンス」は『新青年』の編集体験をベースにしている。そのことは「探偵小説といへば雑誌『新青年』の独占の感があつた」とか、ヴァン・ダインの『新青年』掲載の探偵作家の信条ともいうべき文章を引用し、探偵小説の本質的な価値を論じてもいる。

探偵小説の流行は日本だけでなく、世界を通じて顕著な事実で、とりわけ英米において一頭地を抜いている。その台頭と発達は近代の科学、機械文明と切り離せないし、現代小説の一つのタイプとして出現してきている。横溝はそれを補足する意味で、チェスタートンの「探偵小説はモダンライフに於ける詩の観念を表現する大衆文学中、最初にして而も唯一の形式である」という言葉を引用してもいる。

ただ日本の科学、機械文明がまだ英米ほどには発達していないことが、本格的探偵小説の出現に至っていない理由となる。探偵小説に寄り添う猟奇とナンセンスにしても、モダニズムの本質に徹することで地平を開いていくのではないか。確かに小栗虫太郎『黒死館殺人事件』夢野久作『ドグラ・マグラ』の出現は、まだ数年を待たなければならなかったのである。

黒死館殺人事件 ドグラ・マグラ

2 の加藤武雄は本連載181でふれているように、新潮社の『新潮』や『文芸倶楽部』の編集者で、横溝と同じく、それが「ヂャーナリズムと『創作』」にも表われている。その書き出しは「創作といふ言葉が、純文芸的の作品―それも主として短篇小説を指すことになつたのは、何時頃からであつたらうか?」というものである。「創作」=純文芸的な短編小説とは大衆的読物風の作品と峻別する意味で使われていたようで、これは通常の近代文学史などにも記されていないはずだ。

その区別を現代に当てはめれば、葛西善蔵と三上於菟吉ということになるのだが、『中央公論』や『改造』が「創作」を重んじなくなってきた。それはジャーナリズムが歓迎するのが大衆文芸、通俗小説などの「面白い作品」という傾向に染まってきたからだ。だがここで「面白い」ということに関して、考えるべき時を迎えているのではないか。ここでもまたジャーナリズムと「創作」の相克が語られていることになる。

3 の甘露寺の「出版書肆鳥瞰論」は繰り返し取り上げてきたが、今回の「誠文堂の巻」はかなり特異な注視であるように思われる。それは彼の次のような言葉にも表われている。

 最近では誠文堂といへば「十銭文庫」で知られてゐる。しかし一般には、あんまりちやほやされない。こゝは地味な出版屋だ。地味といふのは、毎日の新聞広告面を出版界の社交界と見て、そこに、華々しく毎日顔を出さないといふ点でいふのだが、事実はその反対で、実際に中産階級以下の家庭には、想像以上に深く食ひ込んでゐる出版屋は誠文堂である、といへるのだから面白い。

そして「主人小川菊松氏の細い終歴は知らない」のだが、「興亡の多い出版界に特殊な地位を持つてゐる書肆」ともいっている。それから芳賀剛太郎『自習漢和辞典』その巻末広告の原田三夫『子供の聞きたがる話』全六巻などにふれ、次に今年の昭和六年における「記念半価大提供」のチラシ文と創業二十周年代バーゲンの広告を示す。

また誠文堂予約出版目録から九種類の全集や大系を挙げ、さらに八大雑誌の『科学画報』『子供の科学』『商店界』『広告界』『実際園芸』『無線と実験』『家禽と家畜』『スポーツ』もリストアップし、その発行事情と戦略を探っていく。

しかし甘露寺の誠文堂探索は戸惑いが明らかで、小川と誠文堂のスキゾフレニックな性格と企画と出版物に理解が及ばなかったことも伝わってくる。ある意味では岩波書店平凡社などと異なるかたちで、小川と誠文堂は手強いのだ。それはクロージングの「誠文堂は、過去の書店であると同時に現在の書店であり、同時にまた将来の書店でもある」という言葉に象徴的に表われていよう。

4 の本庄陸男はこの時代にナルプ(日本プロレタリア作家同盟)に属し、多くの童話などを発表していたとされる。それもあって、「児童をめぐる出版市場」が書かれたのであろう。それは「恐ろしく小さな資本の駈け出し出版屋と、とてつもない大きな抜け目のない出版屋とが目をつける出版市場―そんなところに、学校といふものがある」と始まっている。八百万人以上の子供がいる消費市場として、そこには教科書や子供向けの出版物、「破廉恥出版物」も含め、洪水のように押し寄せ、「哀しげな小資本の出版屋」と「抜け目のない大出版屋」が参入していく。小出版屋は二千数百の児童書を有する模範学校の教師を口説き、ペン習字の隆盛を見て、『硬筆習字練習帳』を作り、その学校専用登録を取ることで、確実に売れ、しかも模範学校使用の宣伝レッテルはその販売に拍車をかけ、元は小さな文房具屋が堂々たる出版屋になった。

その他の出版屋の手口としては「その筋」の推薦状を散布する宣伝による販売で、安い日給の外交員を雇い、学校巡りをさせ、校長から口説き落とすのだ。何と本連載407の椎名龍徳『生きる悲哀』もそのような一冊だとされ、版元の文録社は巨万の利益を博したという。その他にも同様の雑誌や書籍が挙げられている。

しかしこれらは小さな出版屋のやることで、大きな出版屋の講談社は「膨大な、『字の読める』児童―子供の販売欲を手に入れること」に向かう。最初は先生への『キング』『講談倶楽部』、級長への『幼年倶楽部』『少年倶楽部』の贈呈から始まり、広告などによる洗脳で、学校全体を講談社の消費者にしてしまう。これらを通じて講談社文化が子供たちの潜在意識にも刷りこまれていく。それに抗するものとして、川崎市の公立小学校の文庫設立自治会での子どもの発言として、『少年戦旗』を子供のための本として挙げたというエピソードを記し、この一文を閉じているが、こちらはこちらでどうなのかという気にもさせられる。


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2017-03-26 古本夜話645『綜合ヂャーナリズム講座』9

[] 古本夜話645『綜合ヂャーナリズム講座』9

『綜合ヂャーナリズム講座』第九巻には杉村楚人冠「日本ヂャーナリズムの現勢」、安成二郎「新聞と婦人」も収録されている。前者は新聞編輯部の現在のみならず、印刷設備、科学的新機械の利用、洋紙の現勢などにも及ぶトータルな新聞状況を広範にレポートしている。後者は「新聞にはヂエンダーは無い」と書き出され、ここで早くも「ヂエンダー」なるタームが見えていることに驚かされるし、安成については拙稿「安成二郎と『女の世界』」()『古本探究3』所収)があることを付記しておく。これらも興味深いのだが、出版ではなく、新聞プロパーの論考なので、ここではタイトルを挙げるだけにとどめ、第九巻からは次の四編を紹介しよう。

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 1 為藤五郎「教育雑誌の現勢・その編輯」
 2 梶原勝三郎「埋草・ゴシップ・編輯後記の解剖」
 3 壺井繁治「プロレタリア雑誌の経営」
 4 都倉義一「婦人家庭図書の出版観」

1 の為藤は「講師略伝」によれば、東京高等師範学校卒業後、東京日日新聞記者、博文館の『中学世界』主筆『太陽』編輯長を経て、現在は東京府会議員、『教育週報』主幹とある。彼の「教育雑誌の現勢・その編輯」を要約してみる。

全国学校教師の数は二十万余の小学教師にその他を加えても、二十二、三万ほどで、それに対する教育雑誌は七十種に達する。しかし教育社会はジャーナリズムと最も縁遠い世界で、それは思想的に時代の後陣、後端しか歩んでいないからである。教育雑誌で全盛なのは「教材物」で、それは三十種を占め、その次に学科別専門の物=「教材の蒐集乃至教材解説」が十七種を占める。そこに「仕出料理の如き教材ものゝ解説にのみ趨くといふ」「教育読書会の趨勢」が察知できる。そうした意味において、教育雑誌の現勢は浅薄と安易の平凡な道しかたどろうとしていない。それは編輯にも反映され、素人編輯であっても、東京広島の両高師、東京奈良の両女高師を背景とし、それらの付属小学校の訓導の肩書による執筆を中心として編輯される教育雑誌は最も売れている。そして為藤は「それ程にも、日本の教育社会は、偶像崇拝の世界なのである」と結論づけている。

2 の梶原の「埋草・ゴシップ・編輯後記の解剖」はこの講座ならではの論考であろう。彼は文芸雑誌『近代生活』の編輯を経て、翻訳、売文稼業にあるようだ。雑誌のおける埋草記事、ゴシップ、編輯後記などは「あらゆる記事のうち最も下らないもの」と軽視され、「六号記事といふあまり有難くない総称」を冠せられている。だが読者が新しい雑誌を手にした時、最初に目を通すのはこれらであり、六号記事の重要性は看過できないものだと見なし、それぞれの特質に言及し、次のように述べている。

 このやうにして、編輯後記もゴシップも埋草記事も、その簡明さや、軽快さや、気楽さの故に諸君の興味を惹き、他の論文や創作や中間読物などに先んじて愛読される。まことにこの六号記事こそは、その名の示す通り常に六号記事で誌面の片隅に押しこめられてゐるにもかゝはらず、雑誌の持つ最も有力な触手となり吸盤となり招き手となつて、重要な役割を果たしてゐるのである。

 たゞそれだけではなく、貴重な誌面に無駄な空白(ブランク)を残して徒に雑誌の不充実さを暴露したり、堅苦しい記事や長い読物ばかり羅列して諸君に倦怠を覚えさせたりする危険を防ぐ上にも、この六号記事は、欠くことの出来ない有効な武器となるのである。

そして続けて、それぞれの性質と機能が解剖されていくのであるが、それらは省略する。ただ埋草・ゴシップ・編輯後記が「雑誌の持つ最も有力な触手となり吸盤となり招き手となつてゐる」との記述は、昭和時代に至って近代雑誌が成熟してきたことの表われであろう。

3 の壺井繁治による「プロレタリア雑誌の経営」は『戦旗』を中心とするもので、それは彼が戦旗社経営の仕事に携わってきたことによっている。これは「プロレタリア雑誌としての『戦旗』が、毎号毎号『発禁』をクヒながらも、何故につぶされる事なく発行が続けられて行つてゐるかと云ふ」話で、「プロレタリア雑誌の発行、経営は、一つの組織事実だる」ことを語っているのである。

『戦旗』の場合、通常の取次、書店ルート=「御頭配布またはブルジョワ配布網」も利用しているが、「直接配布網」によって読者の手に渡すことで、発禁と押収からの防衛をしている。この「直接配布網」は支局や読者会が単位となって形成され、それらは読者のグループであるので、本社との緊密な連携によって、雑誌発行以前に必要部数を本社に注文し、敏速に読者に配布するというシステムになっている。この方法によっているために、発禁処分を受けても、押収以前に大部分が読者の手に渡っていることになり、これによる部数も伸びていったのである。

ちなみに壺井は昭和三年五月の創刊号から同五年四月までの通巻二十六冊のうちの十三冊が発禁になったことを示す一方で、部数が七千部から二万二千部、三倍以上になったことはひとえに「直接配布網」に支えられ、そこに財政的基盤を置いていたからだとしている。「街頭配布」の場合、常に押収の危険にさらされているので、財政的基盤にはならないからだ。また第九巻には甘露寺八郎の「出版書肆鳥瞰図(四)」として「戦旗社の巻」も掲載されているが、重複するところもあるので、ここでは言及しない。

4 の都倉義一の「婦人家庭図書の出版観」は実業之日本社編集局長兼主筆としての視点からレポートされているので、それを追ってみる。都倉は婦人家庭図書が広範囲に及ぶので、結婚から家庭、そこで生じる出産育児、主婦として必要な料理、裁縫、手芸、化粧、家庭医学、看護法などの図書に言及したいと述べ、大正時代に入ってからの実業之日本社の各種家庭図書にふれている。とりわけ「嫁入文庫」シリーズ十二冊はよく売れ、明治半ばから大正十年前後まではロングセラーも多く、「家庭書は有望な一の出版物」だった。

ところが大正末から昭和に入ると、売れ行きが落ち始めた。それでも各社の料理書、健康法に関する本、通俗医学書はそれなりに売れているが、最近の傾向として婦人家庭書は不況だといえる。それは新聞と婦人雑誌の発達が婦人家庭図書の領域を侵していることによるのではないかという推測を行なっている。またそれゆえにこそ、婦人家庭図書の進むべき新天地の開拓を試みるべきだとの結論に至る。それこそジャーナリズムと婦人家庭図書のせめぎ合いの時期を迎えていたことになるのだろうか。


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2017-03-24 古本夜話644『綜合ヂャーナリズム講座』 8

[] 古本夜話644『綜合ヂャーナリズム講座』 8

前回、美術雑誌においても、専門の評論や記事だけでは成立せず、それらも含めてゴシップなども包括する一般雑誌と同様の編輯方針を必要するという『アトリエ』の編輯主任の藤本韶三の言を紹介しておいた。

『綜合ヂャーナリズム講座』にしても、それは同様で、これも前回の「出版屋うちわけ話」などはそれに属するだろう。今回ふれる第八巻にはこれもゴシップに近い甘露寺八郎の「出版書肆鳥瞰論(三)平凡社の巻」が掲載されているので、それと他の二編と合わせ、次の三編を取り上げてみる。

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1 甘露寺八郎「出版書肆鳥瞰論(三)平凡社の巻」
2 赤坂長助「図書雑誌の販売と小売に就て」
3 苗穂一六「出版宣伝雑誌」

1 の甘露寺の「平凡社の巻」は、前回の出口堅造の「出版屋うちわ話」の平凡社の金融に関する内幕をさらにクローズアップしたものといえる。それは「出版屋の新規開業に当つて」、「金は何処から出るか?」を平凡社に応用したものである。したがってこの甘露寺も出口と同じく、大宅壮一のペンネームであるかもしれない。

平凡社創業時代の丸ビルに日本柘植株式会社という高等ルンペン集団があった。その顧問役として、北海道釧路新聞社長兼遠藤商会主の遠藤清一がいて、東京中の主たる高利貸から数十万円をさらうほどの猛者だった。この遠藤が東京駅脇の赤い郵送車の逓送権を獲得し、一党の高等ルンペンを送りこんだ。そのことで遠藤商会は隆盛となり、その背後に福岡商事株式会社社長の小川島次がいて、『富強世界』や『致富講義録』なる株式雑誌、講義録を発行していたが、遠藤に寄り添い、次のプランを練っていた。甘露寺はそこに、本連載436で取り上げているけれども、思いがけない人物を登場させる。

 折も折、これも思ひを同じくしてゐた人物に、福岡商事高級社員の加藤雄策がゐた。加藤雄策とはそもゝゝ、こゝに論するところの平凡社長下中弥三郎夫人の実弟である。

 加藤雄策は商船学校出の男だ。平凡社が創業されるに及んでは、その支配人、人事課長となって宰領し、その地盤によつて平凡社から分離し、現在ではこのごろ売出しの「実話雑誌」を発刊してゐる非凡閣の主人としてをさまつた年は若ひが却々この道の苦労人とは知る人ぞ知るである。見透しも人一倍きく、平凡社華やかなりし頃の活動振はすさまじいもの、直木三十五などは手もなく彼に惚れこんだと云ふ話だ。

 この加藤雄策と小川島次は期せずして書肆樹立のプランを示し、義兄下中弥三郎の意のあるところを伝えた。時あたかも円本戦正に火蓋を切らんとする機運にあつた。彼等は鳩首凝議した。そこで福岡商事会社(中略)の払出の三千円内外の手形数枚は平凡社創立に貸し出された。

これらの真偽を確かめることはできないが、小川菊松でさえも怪訝に感じていた、加藤の下中に対する態度と羽振りよさを考えると、納得させられる気がする。

この手形が所謂融通手形であったことはいうまでもないが、当然のことながら、平凡社が隆盛になると、逆に福岡商事に手形を貸し出さざるを得ない。その手形の裏書をしたのは下中の埼玉師範時代の教え子で、民政党代議士の高橋守平だったという。高橋は下中のスポンサーの一人だとされていたが、平凡社の手形の裏書人であったと言う事実は伝えられていなかった。

甘露寺によれば、昭和三年の雑誌『平凡』の失敗に加え、このような手形の問題も絡み、驚くべきほどの円本全集出版が出されることになったという。私も拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)などで、平凡社と円本にふれてきたが、それらの出版に融通手形の問題がそこまで絡んでいたとは想像していなかった。もちろん自転車操業的出版だとは承知していたけれど。そして甘露寺は平凡社が昭和五年二月に手形不渡りを出し、会社は休業、債権者会議が開催された新聞記事を引用し、さらにその会議による再建案も提示し、「さて平凡社は何処へ行く?」としながらも、下中の「捲土重来を望んで止まない」と結んでいる。

古本探究

当社は「岩波書店の巻」も併録されていることもあり、こちらにも言及するつもりでいたが、平凡社の巻」が長くなってしまったこと、また「岩波書店の巻」は現在において、ほとんどが知られていることでもあり、今回は言及を省略したことを付け加えておく。

2 の「図書雑誌の販売と小売に就て」はそのまま1の平凡社の円本販売状況と密接にリンクしていて、しかもそれは取次の東京堂の取締役仕入部長の赤坂長助によっているのである。

赤坂は取次に関して、図書雑誌の「発行所と小売店の中間に介在して、それ等の販売を輔くる期間である」と定義する。そして単行本について、「昔は兎に角、現在では極めて特殊な場合を除く他殆んど委託販売制度であると云つて差支へない。委託販売制度とは図書類の発行所が、取次業者にその販売を委託し、取次業者はさらにこれを書く取引先の小売店に委託して販売をはかる制度である」と説明している。それらの定義と説明を提出し、円本以後の入銀制という新刊の低正味買切制の消滅と単行本の売行の生命の短さにふれ、その原因について、次のように述べている。

 つまり現在では発行所の或る部分が良い物を出すと云ふことなどはその目標でなく、出版物を投機的、金融的に発行してゐる為でもある。従つて其処に無統制に濫売が行はれ、生産過剰の事態が起るのである。で互ひに本が売れない売れないと云ふことになる。

まさにこれは現在の出版業界の状況を語っているようでもある。だがそれはすでに九十年前にも起きていたことを告げている。

しかしそれでもなお出版業界が成長を可能にしていたのは書店の増加であり、それが3の苗穂一六の「出版宣伝雑誌」の中に、朝鮮、満洲、台湾の植民地も含めた都道府県別書店数が挙げられている。「販売店は、三省堂東京堂の如く、年額何万何十万を売上ぐる大店から小は小学児童を対手の、文房具から荒物煙草を兼業する、村の絵雑誌屋を含めて、昭和五年現在で、一万三千七百余軒の店がある」と記されている。そしてこれは拙著『書店の近代』にも述べておいたように、昭和十五年には一万六千店にまで増加していた。それが現在の一万四千店の書店数をはるかに上回っていたことになる。しかしそれでも赤坂が述べた、単行本をめぐる委託制下の出版状況は続いていたはずであるし、現在は書店数の減少の中で、それが起きているわけだから、いかに現在の出版状況が危機の中にあるのかはいうまでもないだろう。

書店の近代


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2017-03-21 古本夜話643『綜合ヂャーナリズム講座』7

[] 古本夜話643『綜合ヂャーナリズム講座』7

『綜合ヂャーナリズム講座』第七巻からは次の四編を紹介してみる。

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1 新居格「婦人雑誌論」
2 佐藤澄子「婦人雑誌の編輯と記事のとり方」
3 藤本韶三「美術雑誌の編輯」
4 出口堅造「出版屋うちわ話」

1 の「婦人雑誌論」において、新居はまず婦人雑誌の膨大な発行部数とその全盛を述べ、一般雑誌として『主婦の友』『婦女界』『婦人倶楽部』『婦人世界』『婦人画報』『婦人の友』『婦人公論』『婦人サロン』のタイトルを示し次に特殊な婦人雑誌として『女人芸術』『婦人戦線』『婦人運動』『火の鳥』『令女界』『蝋人形』『婦人労働』を挙げている。そしてさらに新居は続けている。

 以上の婦人雑誌の性質とそしてその読者層はどうなつてゐるのか。「主婦の友」「婦女界」「婦人倶楽部」「婦人世界」は極めて一般向(今の世間での)である。それだけに常識的で保守的である。それゆえに読者層は一般家庭的でもあり、のみならず進取的でないプロレタリア婦人をも索引する。それは丁度新派劇や通俗小説や、松竹の日活製作の現代物映画が一般の世間の婦人達を牽くのと同じ工合である。「婦人サロン」はプチ・ブル好みのモダン色調を幾分取り容れ、それだけにブルジョワ的な知的清新さ一味の淡さで含有しやうとしてゐる。「婦人公論」の昔日は知的見識の角度を示して婦人雑誌中で知的水準をぐつと抜いてゐた。従つて知識的婦人の愛好をかちえてゐたが、近年は昔日の態度を根本的にといゝ程抛ち、水準を下げて(定価も下げて)婦人読者の一般性に向ふ新方針をもつて進出したやうだ。それが営業実績の好調を示したとも云はれてゐる。

 「婦人の友」は基督教的精神主義と、自由主義的温雅さとをもつてその特色と成してゐる。

 それに「婦人画報」を加えて、以上のものが所謂一般的な婦人雑誌である。

また特殊婦人雑誌に関するコメントも紹介しているが、これらは要約してみる。長谷川時雨主宰の『女人芸術』は当初女子文芸誌だったけれど、社会情勢ゆえか、コミュニズム女子文芸の傾向を強めている。『婦人戦線』にはアナキズム系の女性が拠り、奥うめをの『婦人運動』は職業婦人を中心とするが、プロレタリア婦人諸問題も扱っている。『令女界』はスゥートな文芸雑誌、西條八十の『蝋人形』は文学女性を読者とする詩の雑誌、『火の鳥』は同人たちを中心とする女性文芸誌である。

ここに昭和五年時における婦人雑誌の世界の分布図とそのコンテンツの一端を見ることができる。さらに新居の婦人雑誌分析は続いていくのだが、この婦人雑誌チャートの紹介だけにとどめよう。

2 の佐藤澄子は大阪の婦女世界社を経て、中央公論社の記者となっていて、「婦人雑誌の編輯と記事のとり方」はそれらの具体的な編輯と記事への言及である。それは広範な実用記事本位の『主婦の友』『婦女界』『婦人倶楽部』『婦人世界』、少なくとも実用記事本位ではない『婦人公論』『婦人サロン』『婦人画報』に分けられ、前者は保守的、後者は進歩的という視点からのもので、実用記事の占めるページ割合の比較も提出されている。そして佐藤はいう。「現代は、『実用記事』万能の婦人雑誌黄金時代を招来したのは偉大な事実である。だが明日は? そこに神秘な謎がある」と。

3 の藤本韶三は葵橋洋画研究所で川端龍子山本鼎の指導を受け、大正十二年『アトリエ』の創刊に際し、その編輯に携わることになったと紹介されているので、その「美術雑誌の編輯」とは『アトリエ』のことに他ならない。それを抽出してみる。

日本の現在の美術界は美術展覧会を主たる美術行動とする団体によって構成されている。それらは帝国美術院、日本美術院二科会、春陽会、国画会、構造社、独立美術協会、青龍社からなり、この美術展覧会によって美術が大衆へと接する機縁となり、ほとんどの美術家がこれによって社会への関連を持ち、また交渉も起き、社会的地位を確保する。そのためには美術雑誌の力が必要なのである。

ではその美術雑誌の編輯方針ということになるのだが、それらは美術批評と美術界時事評論、鑑賞資料の役割、研究論文の他に、技術手引きに関する記事、名匠伝や紀行やゴシップなどの興味中心の記事のすべてを包括する必要があり、そのことによって現在の美術雑誌は成立している。また美術批評と美術界時事評論や研究論文だけでは決して存続しえない。そのようにして『アトリエ』も編輯されているし、その範は休刊となってしまったが、「美術雑誌編輯上に一つのエポック」をなした『中央美術』に求められるのである。藤本の論考も美術雑誌の現在を伝えていることになろう。

4 の出口堅造の「出版屋うちわ話」はそのタイトルどおりのもので、出版社の金融が高利貸しによって支えられている事実を暴露している。それは「今、当り屋の講談社が、最初にどんなインチキからくりの下に成長して来たか、又、品川は浅間台に籠居して、一介の山本実彦とその一党がどんなに苦しい台所をやりくりしてゐたか最近不況に陥入つた平凡社の台所がどんな風にして成立つたか」、とりわけ改造社平凡社における手形問題と借金整理を取り上げている。そしてこの一文は次のように閉じられている。

「単行本にしろ雑誌にしろ、大出版屋の台所は出版で儲けるのぢやなしに、看板=信用と宣伝から来る広告料と、代理部の儲けで帳尻が合うわけだ。それの証拠に、本当に景気のいゝ出版屋を見れば、必ず必要以上の雑誌と代理部を持つている」。つまり代理部とは出版物ではない各種通信販売商品を扱う部署で、それと雑誌広告収入によって出版社は「帳尻」を合わせているといっているのだ。おそらくこの出口は大宅壮一のペンネームだと推測される。


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2017-03-20 古本夜話642『綜合ヂャーナリズム講座』6

[] 古本夜話642『綜合ヂャーナリズム講座』6

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『綜合ヂャーナリズム講座』第六巻は、本連載635でふれた小澤正元による興味深い「日本プロレタリア新聞発達史」も掲載されているが、これは新聞の領域にあると見なし、言及は差し控える。今回は以下の三編とする。

 1 菅忠雄「座談会と合評会」
 2 甘露寺八郎「出版書肆鳥瞰論(二)左翼的出版社の巻」
 3 仲間照久「通俗科学図書の出版」

1 の菅忠雄は文藝春秋社で『文藝春秋』や『オール読物』の編集長も務め、小説家としては本連載388の『新進傑作小説全集』に『関口次郎集・菅忠雄集』がある。これは「座談会と合評会」というタイトルだが、実際には『文藝春秋』の座談会のレポートといっていい。この座談会は菊池寛が考え、昭和二年三月の『文藝春秋』において、実現したものだった。

 最初の主旨は飽くまで、所謂一流どころ、発表価値を百パーセントに持ち合わせながら、しかも時間とか、其の他の理由により、積極的には、世間に表明の機会を得ない人々から、その胸中の意見なり、乃至は過去における大衆的興味を持つ所の経験談を引き出して、誌上に公開して、大衆の目前に曝け出す、之れである。

後には経済的、政策的な編輯の一方法、即興的形式、リーダブルな大衆的文章による会話などといった説明が加えられるようになったが、当初はこのような主旨で始まったのだ。第一回は徳富蘇峰、それから後藤新平、新渡戸博士と続き、その後は次第に人物中心から、「現代医学座談会」といった新機軸としての題材中心へと移っていった。そうすることで、昭和五年には毎月二回近い十九本が掲載されることになった。それとパラレルに座談会はジャーナリズムの潮流に乗り、天下を風靡するに至った。その発端はひとえに『文藝春秋』のコンセプトにふさわしい「談話のカクテル」だったからだと菅は述べている。

2 の甘露寺八郎の「出版書肆鳥瞰論(二)左翼的出版社の巻」は「的」がつけられていることに注視すべきで、甘露寺も最初に次のように断わっている。「だからここで論ずる範囲は、形態に於てはブルジョワ出版社であり、内容に於ては左翼的出版物を専門にしてゐる出版社を対称としてゐる」のである。それらに大出版社はなく、小規模で、新聞に広告はほとんど掲載されず、翻訳物が多く、訳者も世間的に無名で、しかも少部数高定価を特徴とする。それは労働者階級の中の読者層、及びインテリゲンチャ左翼を想定する限定販売的出版だからだ。

この左翼的出版社の系譜は本連載233の同人社、弘文堂、同206などの叢文閣を始めとして、共生閣、市川義雄の希望閣が続いた。それから白揚社、同265の鉄塔書院、世界社、大田黒某のイスラム閣、難波英夫のマルクス書房、失敗した版元として、同603の服部之総が関わった上野書店同213の南蛮書房、同65の南栄書院も挙げられ、これらが大正後期から昭和初期にかけての「左翼的出版社」の一覧ということになろう。

なお甘露寺はこの「左翼的出版社の巻」と並べて、「改造社の巻」も提出していることを付け加えておこう。それは大出版社ながら、改造社も「左翼的出版社」といえる一面を合わせ持っているからに他ならないことに起因しているのだろう。

3 の仲摩照久は本連載171などで取り上げてきたが、巻末の「講師略歴」にその写真入り紹介があるので、それをまず引いておく。「現住所」は省略する。

 明治十七年三月五日、大分県大分郡高田村大字常行四八一に生る。学歴、日本大学法科、大正四年四月新光社創立今日に至る。新光社主幹。

 著者、雑誌「科学画報」の他、「万有科学大系」「世界地理風俗大系」「日本地理風俗大系」其他主として科学書の出版に従事。

ここでは記されていないが、前回の原田三夫を主幹として、大正十二年に『科学画報』は創刊されているのである。これらの経緯と事情は「原田三夫の『思い出の七十年』」(『古本探究2』所収)で既述している。

思い出の七十年  古本探究2

「通俗科学図書の出版」は初めて目にする仲摩の論考で、最近における科学雑誌の隆盛が語られている。かつては博文館の『中学世界』、冨山房の『学生』、研究社の『中学生』が売れていたが、それらは廃刊になり、その代わりに中学生読者たちは科学的知識を求めて、『科学画報』や『子供の科学』に向かい、それが両雑誌の大いなる部数の増加となって表われている。それに関して、仲摩は述べている。

 啻に彼等は科学雑誌を読む事に熱心である計りでなく、其燃ゆるが如き知識欲は、之を読んだ計りで満足せず、進んで其学び得た知識を実地に実験せんとする驚くべき熱心を示すに至つた。ラディオは既に事足りた。模型モーターによる電機機関車の運転、モーターボート、汽船の工作運転から、近頃はテレヴィジョンの実験にまで進み、中には硝子の素材からコツコツと二三ヶ月もかゝつて反射鏡を研磨して、天体望遠鏡を試作し、天体観測に熱中するものも少なからず見るに至つた。

中学生たちをコアとする新しい科学の時代が訪れていたのだ。それを仲摩は「兎に角現代は科学の世代」と見なし、「学者の大衆進出と出版者の科学的理解と印刷技術の驚くべき進歩」の一致協力によって、「科学書出版の黄金時代」の出現を確信するに至る。その現実化が大正十五年の『万有科学大系』であり、それに続くのが『世界地理風俗大系』『日本地理風俗大系』だったことになる。本連載173「新光社と『日本地理風俗大系』」などでも、それらにふれているが、また仲摩のことも含め、あらためて言及することになろう。


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