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2016-09-25 古本夜話584 太平洋協会編「南太平洋叢書」と泉靖一、鈴木誠共著

[] 古本夜話584 太平洋協会編「南太平洋叢書」と泉靖一、鈴木誠共著『西ニューギニアの民族』

これは美作太郎の『戦前戦中を歩む』の中でもふれられていないが、泉靖一、鈴木誠共著『西ニューギニアの民族』が昭和十九年十一月に日本評論社から刊行されている。太平洋協会編の「南太平洋叢書」3としてで、B6判並製一三四ページの造本と用紙は粗末になっていて、敗戦が近いことをうかがわせているようだ。戦後の泉は『インカ帝国』岩波新書)などで知られるアンデス文明研究者、文化人類学者だったが、初期の仕事はこのようなものだったのである。

f:id:OdaMitsuo:20160911212321j:image:h110 インカ帝国

「序」によれば、この一冊は昭和十八年に泉と鈴木が海軍ニューギニア資源調査隊の隊員として、現地調査に従事した記録によったものである。上梓は太平洋協会の平野義太郎の尽力によると記されているように、奥付編者名は同協会とその代表の平野となっている。前々回も書いているように、本連載119同120で、平野と太平洋協会については既述しているけれど、ここでもう一度記しておこう。

太平洋協会は昭和十三年に鶴見祐輔によって設立された。これも、本連載581でふれた太平洋会議にも鶴見は関係していたし、それはアメリカや日本などに設立された太平洋問題調査会をベースとして組織された会議と見なしていい。したがって推測ではあるが、太平洋協会もそれらの延長線上に設立されたと考えられる。そして当然のことながら、太平洋協会もまたひとつのシンクタンクだったので、雑誌や書籍の出版に向かい、それに寄り添った一社が日本評論社だったのである。「南太平洋叢書」の他にも、平野と清野謙次による太平洋協会調査報告書として『太平洋の民族=政治学』も出されているが、こちらはやはり本連載120で論じている。

これもそこで挙げておいたけれど、岩波書店も太平洋協会編訳でハウスホーファー『太平洋地政学』を出し、さらに続けて、同協会編「太平洋圏学術叢書」として、清野謙次『太平洋民族学』と同協会編『太平洋の海洋と陸水』を刊行している。人類学者の清野は『太平洋民族学』の「序」において、昭和十七年三月の「未だ戦争が始まつた許り」の日付で、「大東亜共栄圏の諸民族が共存共栄の実を挙げるためには、何人と雖も一と通り広義の人類学を学び置かねばならない世になつた」と記している。そしてインドネシアと印度支那半島、アッサム地方、オーストラリア、オセアニア、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの各民族の社会と文化がそれぞれに「大東亜共栄圏の」として論じられていくのである。つまり大東亜共栄圏は地政学をベースとして、人類学と政治学と民族学が三位一体となることによって推進されるのだ。

f:id:OdaMitsuo:20160914100626j:image:h115(『太平洋地政学』) 太平洋民族学(『太平洋民族学』)

これで太平洋協会とコラボレーションした出版社は日本評論社に続いて、岩波書店も加わることになったわけだ。さらに川村湊『「大東亜民俗学」の虚実』講談社)を読むと、太平洋協会自体が雑誌『太平洋』を発行し、太平洋協会出版部として、『ソロモン諸島とその付近―地理と民族』『ニューカレドニアとその周辺』なども刊行していたという。もちろんこれらは未見である。また出版社にしても、その他に六興商会出版部や河出書房、創元社なども加わっていたことも。このことに関しては次回にふれることにする。

「大東亜民俗学」の虚実

それならば、鶴見祐輔を専務理事とし、平野が代表となっていた太平洋協会とはどのようなものであり、それはどのようなメンバーによって形成されていたのかということになるのだが、管見の限り、まとまった太平洋協会の研究、及びその組織図やメンバー一覧を目にしていない。平野の死後に出された『平野義太郎 人と学問』大月書店、昭和五十六年)所収の「略年譜」にしても、昭和十六年のところに「太平洋協会(日比谷・幸ビル)に勤務」とあるだけで、その後の三年間は空白となっている。

またこの追悼文集には八十人以上の友人や弟子たちが寄稿しているし、、本連載580の柘植秀臣の名前も見えているのだが、太平洋協会にふれているのは陸井三郎の「戦中・戦争直後の平野先生」だけだといっていい。後にハーバード・ノーマンの『日本における兵士と農民』(白日書院)の訳者となる陸井は、昭和十八年に人を介して「平野義太郎先生が身を寄せておられた太平洋協会」を尋ね、面接と簡単な質疑だけで、そこに採用された。

f:id:OdaMitsuo:20160912135159j:image:h120  

陸井によれば、太平洋協会は内幸町の旧日本放送協会の向かい側の東洋製罐所有の五階建ての幸ビルにあり、五階が本部・出版部、四階が資料室、三階が研究室で、彼はまず司書係として資料室に入れられた。その資料室は太平洋、アメリカ、アジアに関する洋書を主とするもので、三方の壁が天井まで本棚となっていた。そこには研究員、嘱託、常連の来訪者たちが絶えずきていた。それらは平野の他に、信夫清三郎、風早八十二、宇佐美誠次郎、三宅晴輝、清野謙次、守谷典郎、笠間杲雄、松本慎一郎たちだった。そして当然のことながら、、本連載564の東亜経済調査局、同580東亜研究所とも、人材と文献でつながっているようだ。ここでは彼らに関して注釈はつけないけれど、笠間については、同576で書いているので、こちらはぜひ参照されたい。

太平洋協会には平野を局長とする調査局、河合栄治郎事件で東大を辞めた山田文雄を局長とする研究局があり、陸井は資料室から調査局の研究員へと昇格になったが、調査局と研究局は端然と区別されておらず、赤羽壽(伊豆公夫)、井上道人、古沢有造、逸見重雄、関嘉彦、石上良平などがいた。

そしてこの他にも日比谷公園市政会館ビルにアメリカ研究室があった。これは日米開戦後の交換船で帰国した人々を中心とするもので、室長が坂西志保、常勤もしくは嘱託として都留重人、清水幾太郎、鶴見俊輔、鶴見和子、武田清子、松岡洋子、阿部行蔵、福田恒存たちがメンバーだった。

またこれらの人々の他にも、名前を挙げないけれど、本部で開かれる例会にはさらに多くの人々が集ってきたという。

しかし敗戦を受け、鶴見祐輔は戦争責任をとり、太平洋協会の解散を決意する。そしてその資産は平野の主宰する日華学芸懇話会と東ア学術協会、山田の太平洋文化協会の二つに分けられた。平野の「略年譜」の昭和二十年のところに「日華学芸懇話会設立(太平洋協会会議室)に参加」とあるのは、このような経緯を示唆していることになる。それは大東亜共栄圏構想から占領下日本社会への転向を意味していた。旧太平洋協会の平野の部屋には、満鉄や東研から帰ってきた人々を始めとして多数が集まり、中国研究所、世界経済研究所、国民経済研究所、民主主義科学会などが生まれていったという。


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2016-09-22 混住社会論153 三崎亜紀『失われた町』(集英社、二〇〇六年)

[] 混住社会論153 三崎亜紀『失われた町』(集英社、二〇〇六年)

失われた町


二〇〇六年に三崎亜紀の『失われた町』が刊行された。この物語はガルシア・マルケス『百年の孤独』鼓直訳、新潮社)の消えてしまうマコンドという村、及びその住人であるブエンディア一族の記憶をベースとする変奏曲のように提出されている。

百年の孤独

それだけでなく、『失われた町』は二〇一一年に起きた東日本大震災と福島原発事故によって起きた実質的な町や村の消滅の予兆的メタファーのようにも読める作品として出現していたことになる。しかも3・11の二万人に及ぶ死者たちにしても、その五分前には自らの死のみならず、町や村の消滅をまったく予測していなかったのである。本連載81 の大岡昇平の『武蔵野夫人』の中に、「事故によらなければ悲劇が起こらない。それが二十世紀である」というアフォリズムめいた言葉が見えていたが、それは二一世紀になっても起き、しかも「大きな悲劇」をもたらし始めているように思える。

武蔵野夫人

ただそうはいっても、三崎の『失われた町』においては長きにわたる静かな悲劇のように語られ、その町の消滅は、冒頭で次のように説明される。

 眼下に町の光が広がっていた。

 すでに住民の撤退が完了した町には、人の営みを示す暖かな明かりは灯らず、街灯の白々とした光が規則正しい配列で光っていた。無人の町にすら秩序を強いるかのように、信号が一定時間ごとに色の変化を繰り返す。音も無く輝くその光からは、「町」の意識を感じ取ることはできなかった。

 町の消滅には、一切の衝撃も振動も、音も光も伴われない。ただ人だけが消滅するのだ。

これは序章と終章を相乗させた「プロローグ、そしてエピローグ」に示された町の消滅のかたちである。そこに登場しているは消滅管理局員の由佳、彼女の心の中で生きている潤、調査員ひびきとのぞみ、ペンション経営者らしい茜、そのアトリエに住む和宏などで、これらの全員が三十年前に失われた月ヶ瀬町の関係者だったとわかる。そしてここに示されている町の消滅は現在のものであり、三十年前はそうではなかった。町と人がともに消滅していて、月ヶ瀬町はその典型ともいえる例だった。近未来小説の体裁からなる『失われた町』の物語とは、そこで生じたトラウマを確認するように進行し、また同時にその「消滅の連鎖を断ち切る」ように動いていくことが次第に明らかになっていく。月ヶ瀬町は成和三十三年四月三日午後十一時頃、瞬時のうちに数万人の人々とともに消滅してしまった。この時代にあって、町の消滅は何百年も前から起きていることとされるが、本当の理由はわからず、新聞やテレビは管理局によって規制され、その町に関する記述のある書物も回収されていた。

それらを前提として、7つのエピソードから形成される『失われた町』が始まり、「エピソード1 風待ちの丘」へとリンクしていく。その最初のシーンは三十年前に消滅した月ヶ瀬町の回収で、茜はその「国選回収員」に任命されていたのである。半年間の「国選回収員」の仕事は国民の義務行為と見なされ、基本的に拒否できず、選抜者の職場なども、その終了後には復帰に最大限の協力をすることが求められていた。

その選抜条件は消滅化から五百キロ以上離れた場所に住んでいて、そこに一度も行っていないこと、失われた町に親戚、友人、知人が一人もいないことだった。これらの条件は町に「汚染」されないこと、言葉を代えれば、「汚染」とは町の消滅を悲しむことに他ならなかった。また一方で、失われた町に関わることは一種の「穢れ」として認識され、それは国民の中に広く浸透していたのである。

回収員たちは二人一組で人が消滅した家に入り、生活の痕跡を示す物を回収し、この町のすべての地名と住民の生活の痕跡を消去させようとする。そうした任務を終え、回収員たちは送迎用トラックで隣の市へと運ばれ、十七分十五秒後に降ろされる。しかしその場所は一定していなかったが、次のように描写される。

失われた町(文庫版)

 都川市は、消滅した月ヶ瀬町の隣に位置する、どこにでもある地方都市だった。市内の北よりの私鉄駅を基点として、南に向いてこぢんまりした繁華街が広がっていた。駅前大通りから一本外れた道はアーケードに覆われ、「都川駅前商店街すずらん通り」という、没個性化を目的にしたようなありふれた名前がつけられていた。

 買い物の中年女性が、この時間夢の主役だとばかりに、華やかさとは無縁の服装で闊歩する。スカート丈の短い女子高生が雑貨店やファストフード店にたむろし、仕事を早仕舞いした会社員が連れ立って裏通りの飲み屋へ繰り出そうとしている。どこにでもある地方都市の夕方の賑いだ。

現時点における郊外ショッピングセンターに包囲された地方都市の状況からすれば、後半の部分は今から十年前のものであるから、「どこにでもある地方都市の夕方の賑いだ」という一節は割り引いて考えるべきだろう。だがそれは図らずも消滅した月ヶ瀬町が「どこにでもある地方都市」の近傍に存在し、同じことが「どこにでも」起きていたことを伝えている。

そして茜は管理局が用意した半年間の回収員受任期間中の仮住いである駅裏の六畳一間のアパートを見て、思うのだった。数万の人々が一瞬で失われたというのに、自分はその隣の、一人の知り合いすらいない都市に住み、自分もまたもしいなくなったとしても、何も痕跡も残すことなく、消えていくのだと。この述懐は茜が何の関係もない「国選回収員」の立場にあっても、ほとんど月ヶ瀬町の人々と変らない社会状況にあることを暗示させている。

都川市と月ヶ瀬町を流れている都川沿いには「消滅緩衝地帯」があった。消滅は町という行政単位で起きるようだが、消滅直後の町は非常に不安的で、町は人々の悲しみを吸収し、消滅を広げようとするので、その結果、町の範囲外でも「余滅」が起きるとされる。それゆえに、消滅した町の周囲一キロ以内は消滅緩衝地帯に指定され、住民は退去を命じられるのである。

そこで茜は中西という都川の丘陵でペンションを営む六十代の男と知り合う。彼は月ヶ瀬町で妻と妹夫婦と孫娘を失っていた。その風待ち亭というペンションを茜は訪ねていく。そこから見る月ヶ瀬町は「残光」現象を示し、明かりが灯り始めたが、それは「見えているのに、そこに存在しない光」だった。失われた人々の想いはしばらく町に漂い続け、その間「残光」が光り続けるのだ。

風待ち亭には茜の他にも、由佳という少女が訪ねてくる。彼女も月ヶ瀬で潤という幼なじみの友人を失っていて、「残光」を見るために訪れてきたのである。彼女はいう。町の消滅は不可解な部分が多すぎるし、過去の消滅について調べてみようとしたけれど、すべてが管理局に回収、規制されているのでわからない。それを知るために管理局に入り、その意味を調べてみたいと。そのために『失われた町』の冒頭において、管理局員として由佳が登場しているのだとわかる。

そしてこの風待ち亭を称して、中西が「終の棲家」というように、失われた町のかたわらにメタファーとしての失われないトポスが存在している。風待ち亭とは、それぞれの人生に新しい風が吹いてくるまでしばしくつろげる場所として、月ヶ瀬で消滅してしまった中西の妻が命名したものだったのだ。その新装オープンの最初の客が茜であり、由佳だった。そしてさらに新しい客たちも現われ、『失われた町』という物語も続いていくのだが、それらへの言及はここで打ち切るしかない。私たちもまた、現実の状況に戻らなければならないからだ。

三崎の『失われた町』の中での町の消滅の原因は不明とされているけれど、現実に消えていくかもしれない郊外の変容に関してはそれを説明できる。拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、戦後の日本の郊外の誕生、それに伴う混住社会と郊外消費社会の出現に至る回路を既述しておいた。それらは高度成長期を通じての第一次産業から第二次、三次産業への急速な産業構造の転換、八千万人から一億二千万人近くに及んだ戦後の人口増加と大都市への人口移動、消費社会の幕開けとロードサイドビジネスの簇生などを通じて現実化していったのある。

〈郊外〉の誕生と死

このような郊外の歴史を包括的にたどり、パラレルに発生した郊外文学も参照しながら、一九九〇年代半ばまでを検証してきた。すると浮かび上がってくるのは日本の敗戦とアメリカの影に他ならず、日本の八〇年代の産業構造が、日本占領時のアメリカのそれとまったく相似することに気づかされた。その八〇年代とは郊外消費社会が隆盛を迎え、東京ディズニーランドが開園した時代であり、それらのアメリカ的風景は占領下の再現を彷彿させ、第二の敗戦をも示唆するものだった。

それゆえに否応なく、このような郊外の風景の行方を問わざるをえなかった。そうして二一世紀以降を幻視すれば、郊外を誕生させ、膨張を推進する基本的な要因であった戦後の人口増加は、当時の厚生省と国立社会保障人口問題研究所の「将来推計人口」によると、日本の総人口は二〇〇七年に一億二千七〇〇万人をピークとして減少し始め、二〇五一年には一億人を割るとされていた。それは同時に高齢化社会少子化社会が想像以上に加速し、出現することを意味していたし、とりあえず「郊外の行方」として、核家族によって形成された郊外社会へとダイレクトに反映されていくであろうとの予測を提出しておいた。

二一世紀に入って、それは現実化し、予想よりも数年早く、二〇〇四年の一億二千七百九〇万人をピークとして、人口は減少し始めた。やはり〇五年には一人の女性が産む子供の数を示す合計特殊出生率は1.25と過去最低となり、また65歳以上の老年人口割合は20.1%に達し、世界でも突出した高齢化社会を迎えることになった。

これらの事実をふまえて、二〇一三年から、『〈郊外〉の誕生と死』の続編というべき本連載「混住社会論」を書き始めるに至った。それは前著でふれられなかった日本近代の歴史、イギリスにおけるハワードの田園都市計画、アメリカの五〇年代とショッピングセンター、フランスの郊外の団地と移民、台湾の先住民族と戦後、再びアメリカのプライベートピアやゲーテッド・コミュニティなどを、文学や映画をアリアドネの糸として模索したもので、この郊外の果てへの旅は四年の長きに及んでしまった。もちろん郊外と混住という広範なテーマであるゆえに言及できなかった事柄も多く残されているけれど、ここでひとまず連載を終えなければならない。それはこれ以上長くなってしまうと、単行本として刊行することも困難になるからだ。

ここでは連載中に見聞してきたことも含め、とりあえず前述した日本の人口減少、高齢化、少子化社会の影響を受け始めている郊外状況を記してみる。一九七〇年代以後に形成された所謂郊外の団地、ニュータウンが近隣に三ヵ所あるのだが、この数年売り家や空き家、空地が目立って増えてきた。それは団塊の世代のサラリーマンが退職したことを主たる要因とするもののようだ。仄聞するところによれば、経済的な事情は別にして、故郷への帰還、一戸建よりもメンテナンスがわずらわしくないマンションへの移行、別の県に住む子どもとの同居のための引越しなどがその理由とされている。

これらの現象を裏づけているのは二〇一三年の総務省の「住宅・土地統計調査」で、総住宅数に占める空き家率は13.5%、820万戸に及び、そのうちの400万戸は賃貸住宅である。また野村総合研究所の予測データによれば、その空き家率は二三年には20%、三三年には30%、2167万戸に達するとされる。これは三軒のうちの一軒が空き家という状況を示すもので、まさに「向う三軒両隣」において、そうした現象が日常的に生じることを意味している。

それの意味するところは、私が郊外論を構想するにあたって拳々服膺してきた佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』というタイトルにちなんでいえば、「衰退する郊外」が全国各地に発生することになる。それは郊外消費社会にも反映されていくはずで、ロードサイドビジネスの衰退やビジネスモデルの変容へともつながっていくだろう。それは業種によってすでに表出し始めていると判断できるし、総合スーパー、百貨店のみならず、様々な業種が大閉店時代を迎えていることはその予兆と見なせるであろう。

成長する都市衰退する都市

これは本連載13 などでふれてきたが、ロードサイドビジネスはオーダーリース方式=借地借家方式で出店していて、定住ではなく、ノマド的形態によるビジネスで、この本質からすれば、ニュータウンのマイホームよりもはるかに撤退は早く、マイホームとロードサイドビジネスの相次ぐ退場は、地域によってはバニシングポイント的な風景をもたらすかもしれない。

最後に三崎の『失われた町』を取り上げたのも、これがこのような郊外の現実のメタファーとなっているからでもある。日本の郊外は、アメリカのようなプライベートピアやゲーテッド・コミュニティ、フランスにおける移民のためのあからさまなゲットーとしての団地は生み出さなかったけれど、人口の減少と少子高齢化社会が急速に進行し、「失われた郊外」を出現させていくことは確実だと思われる。郊外の果てへの旅を続け、混住社会をたどってきたが、日本の郊外はどうなるのか、ここにもう少しその旅を続けていくことを記し、ひとまず連載を終えることにしよう。


◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」152  エヴァン・マッケンジー『プライベートピア』(世界思想社、二〇〇三年)とE・J・ブレークリー、M・G・スナイダー『ゲーテッド・コミュニティ』(集文社、二〇〇四年)
「混住社会論」151  ミネット・ウォルターズ『遮断地区』(東京創元社、二〇一三年)
「混住社会論」150  三冊の日本住宅公団史
「混住社会論」149  カネコアツシ『SOIL[ソイル]』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「混住社会論」148  奥田英朗『無理』(文藝春秋、二〇〇九年)
「混住社会論」147  伊井直行『ポケットの中のレワニワ』(講談社、二〇〇九年)
「混住社会論」146  吉田修一『悪人』(朝日新聞社、二〇〇七年)
「混住社会論」145  窪 美登『ふがいない僕は空を見た』(新潮社、二〇一〇年)
「混住社会論」144  畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)
「混住社会論」143  森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1 

2016-09-20 古本夜話583 ハウスホーファー「地政学的基底」と『日本』

[] 古本夜話583 ハウスホーファー「地政学的基底」と『日本』

前回の『新独逸国家大系』第三巻の中に、ミュンヘン大学教授カール・ハウスホーフェルの「地政学的基底」が収録されている。そこには独逸国有鉄道中央観光局日本支局という名入りの、一九三九年の「大独逸国」の折り込みカラー地図が付され、その地政学を彷彿とさせる。

このハウスホーフェルは本連載119で言及した『太平洋地政学』の著者ハウスホーファーと同一人物であることはいうまでもないだろう。したがって以下はハウスホーファーと表記する。しかしあらためてその地政学に基づく地図を見た後、この「地政学的基底」を読むと、次のような書き出しが目に入ってくる。

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 民族とその国家とは地球上の生活空間内のかれらの民族的地盤の上において、その空間内の最初の限界の中に生存競争における彼らの意力とその反作用の力とによつて規定されながらも、もともと生息圏と生活空間に対する自然権から生れ出るものである。

たまたま翻訳されたばかりのティモシー・スナイダーの『ブラックアース』(池田年穂訳、慶応義塾大学出版会)を読んでいるのだが、このホロコーストに関する新しい歴史認識を提出している同書の第1章はヒトラーのいうところの「生存圏」と題され、このタームに思わずハウスホーファーの「生息圏と生活空間」を想起してしまった。もちろん「生息圏」と「生存圏」の言語が異なっていることを承知していても。

ブラックアース 上 ブラックアース 下

『ブラックアース』はドイツとソ連によって国家機構が破壊されてしまったウクライナ=ブラックアースや東欧において起きたホロコーストの実態を浮かび上がらせている。それはあたかもハウスホーファーの地政学の実践のようにも思えてくる。どうしてなのか、スナイダーはハウスホーファーにまったく言及していないけれど、ヒトラー『わが闘争』(平野一郎、将積茂訳、角川文庫)における外交政策の部分は彼の見解だとされていることからすれば、「生存圏」の思想とは地政学に基づくもので、それがホロコーストへとリンクしていたと考えることも許されるだろう。ヒトラーと同様に、ハウスホーファーも敗戦後に自殺していることも、同じアナロジーを感じてしまうし、それはハウスホーファーの『日本』にも表出している。

わが闘争 上

本連載119でも既述しておいたが、ハウスホーファーはドイツ陸軍参謀部の命を帯び、日露戦争後の明治四十一年から四十三年にかけて日本に滞在し、帰国してミュンヘン大学教授となり、『大日本』『日本国』『日本及日本人』の三著を著したとされている。これらは未邦訳だと思っていたが、昭和十八年に第一書房から佐々木能理男訳『日本』が刊行されていたのである。ただ「訳者の序」によれば、この『日本』は『日本の国家革新・明治時代から今日までの国家構造の変遷』と『旧日本・太古から強国の敷居までの生長過程(一八六八−明治)』の二冊を翻訳編纂したものとのことなので、先の三著の抄訳のような内容であるのかもしれない。

『日本』は前述したように、第一編「日本の国家革新」と第二編「旧日本」で構成され、両編とも地政学から見られた日本論、日本史であり、それは同時に日独比較史ともなっている。ハウスホーファーの意図するところは、日本とドイツが同じような国家構造と国家革新の変遷をたどってきたにもかかわらず、ドイツと異なり、日本だけが英米やロシアに対して自己保存を全うしてきたのはなぜかという問題に他ならない。彼は書いている。

 両国は自給自足のつましい農業国から伸長性に富んだ工業国へと国内構造の徹底的返還を迅速に体験するにいたつたのであるが、両国ともあまりにも狭隘な国土のうへに建設されてゐる割合に人口の増加が急激であつて、このさき従前どほりあまりにも狭隘な地域内における貿易経済に主眼をおいてゐたのでは、食糧供給の可能性はたうてい人口増加率と歩調を合わせていけなくなつた。

 そこで、両国とも人間の国外進出策を講ずべきか、商品の輸出をはかるべきか、といふ峻厳な選択の前に立たされ(中略)、結局、商品の輸出といふことに方針をきめ、それぞれの国土のうへに経済建築を構築することに着手した。ところが(中略)、この経済建築はいきほひ上へ上へと増築されて行つて、全世界の他の諸民族の眼に映つたよりも遙かに越境して脅威を感じさせるやうに見え(中略)、これを取りまく周囲の強国はいづれもこの経済建築の内部に鬱積されてきた対外圧力を逸早く感得するにいたつた。

 ついで、両国の進出地域を獲得するための血みどろな闘ひがはじまつた。(……)

そしてドイツと日本はパラレルに大陸と海外への双方の進出を体験しているが、この両面進出に際して、どこの国と提携すべきかも迫られていると記している。ドイツでの『日本の国家革新』の刊行は一九三〇年(昭和五年)であり、日独伊三国同盟は四〇年(同十五年)だが、このようなハウスホーファーの地政学がドイツばかりでなく、日本においても三国同盟の成立にも大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。

これこそは「生息圏と生活空間」の拡大に他ならず、それはヒトラーの「生存圏」思想とつながり、ドイツと日本の大陸と海外への進出、すなわちさらなる「血みどろな闘ひ」へと向かっていくことを暗示させている。しかもハウスホーファーの地政学は「血と地盤」をベースにしているゆえに、ウクライナや東欧において、必然的にホロコーストをもたらしたように思われる。

なお本稿を書き終えてから、『大日本』が若井林一訳で、昭和十七年に洛陽書院から刊行されていることを知った。それゆえにまだ入手に至っていない。

f:id:OdaMitsuo:20160911115411j:image:h120『大日本』


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2016-09-19 古本夜話582 日本評論社と『新独逸国家大系』

[] 古本夜話582 日本評論社と『新独逸国家大系』

前回ふれた美作太郎の『戦前戦中を歩む』の中で、昭和十年に日本評論社から『ムッソリーニ全集』が刊行されたことについて「この『兆候』は、ひとり日本評論社に限られたものではなかった」し、すでに数年前からファシズムやナチズムに関連する本が多く出されるようになったと述べられている。

f:id:OdaMitsuo:20160911212321j:image:h110

しかしその後、美作もそのような出版に関するようになり、それを同書における「『新独逸国家大系』始末記」で語っている。この企画は、『現代法学全集』の責任編集者の東大教授末弘厳太郎を通じて面識を得ていた平野義太郎から持ちこまれたものだった。平野は東大助教授だったが、昭和五年に「共産党シンパ」事件で起訴され、罷免されていた。その後、彼は本連載119「ハウスホーファー『太平洋地政学』と太平洋協会」、同120「平野義太郎と『太平洋の民俗=政治学』」で既述しておいたように、太平洋協会に属し、地政学に基づく大東亜共栄圏構想へと接近していたのである。

美作によれば、ナチス・ドイツ国家を総合的に取り扱う大部の翻訳出版である『新独逸国家大系』全十二巻は平野の紹介と推輓があり、しかも時流に合っているということも相乗し、日本評論社からの出版が決まった。ドイツ大使館の後援もあったようだし、その用紙も「特配」された上質紙を使ったものだった。

だが美作は仕事が進むにつれて、ナチスのゲルニカ無差別空撃、オーストリア併合、ユダヤ人迫害といった国際情勢の中で、この『大系』はどのような役割を演ずることになるのか、また平野はどのような考えでこの出版企画を持ちこんできたのかという疑懼に捉われるようになったのである。それについて彼は次のように記している。

 なるほどこの『大系』は、普通に考えられる扇動的文書とはいえないほど体系化され、専門的に編集されていた。当今の時勢からこそ、ナイツ・ドイツを研究するには好適の文献である、という理由も、それなりに受容されそうにも思われた。訳者の中には、住谷悦治、小林良正、風早八十二、大河内一男、上原専禄の名も見られた。

 しかし、と私は考えた。この『大系』の原名は「民族社会主義国家の基礎、建設及び経済秩序」であり、明らかにナチスの公的文書である。その日本版出版の経路にも、ドイツ大使館が介在している。まえがきには、海軍中将伍堂卓雄、伯爵二荒芳徳、侯爵木戸幸一、首相近衛文麿が名をつらね、ドイツ側の執筆者はオットー大使のほか、あの悪名高いルドルフ・ヘス、アルフレト・ローゼンベルクが顔を出している。この顔触れは、大衆向けでない、知識層相手の出版物としては、最も有効な宣伝文書になりうるのではないか。

このように書きながらも、美作はその売れ行きと反響について何も記していない。昭和十四年から十六年にかけて刊行された、政治篇、経済篇、法律篇の各三巻からなる『大系』は本当にどのように読まれたのであろうか。『ムッソリーニ全集』全十巻は売れなくて、四巻で中絶してしまったことに比べれば、出版助成金の問題は別としても、それなりに売れたと考えるべきだからだ。

実はこの『新独逸国家大系』全十二巻を入手している。箱入は五冊で、あとは裸本だが、装丁は堅固な学術書的で、「特配」らしき上質紙を使っていることがわかる。ただ「凡例」を見ると、この『大系』は原著『民族社会主義国家の基礎、構成及び経済体制』全三巻の全訳とあり、美作の記述と若干異なっている。巻頭に「ヒトラー総統の演説」写真がすえられ、続いて伍堂が「伸び行く新興ドイツは世界の驚異である」と始まる「『新独逸国家大系』刊行の辞」、「独逸大使オット」がこの『大系』を「独逸指導者国家の構成を説明する最初の大なる試み」と述べる「日本版への序詞」を寄せている。

そして確かに原著にある「指導者代表ドイツ国大臣」ルドルフ・ヘスの「序文」も置かれ、その末尾に見えるドイツ語のままの「Heil Hitler」が生々しい。また「ナチス党中央指導者」ローゼンベルクの「民族社会主義・宗教及び文化」が最初の論考としてある。そこではただちに「全民族を一つの世界観の魔力のうちに保留し、そしてこれらの諸国民をこの世界観の争闘的な支持者にまで形成することが成功するであらうならば、その時こそはじめて、一時期の新しい国家思想も創立者とともに死滅せず、しかし、将来にまで生々発展の姿をもつて持ち運ばれることができる」という言葉が迫ってくる。これは本連載114で取り上げたやはりローゼンベルクの『二十世紀の神話』の要約といっていいし、訳者も同じ吹田順助である。また林健太郎『昭和史と私』(文春文庫)の中で、『大系』の第一巻はローゼンベルクの著書だったと書いているが、この一文は二十ページ余で、それが間違いなことも指摘しておこう。

昭和史と私

さらに美作は「あの悪名高い」ヘスとローゼンベルクと述べているが、それは戦後になっての認識であり、当時はそうではなかったと思われる。とりわけ後者の場合、『二十世紀の神話』は前記の中央公論社版だけでなく、丸川仁夫訳の三笠書房版も刊行されている。それはローゼンベルクが単に「あの悪名高い」という言葉で片づけられない存在であったことを意味していると考えられよう。

それから巻は飛んでしまうけれど、最終配本の第八巻を見てみると、冒頭に内閣総理大臣近衛文麿の「『新独逸国家大系』の完結を祝ふ」が寄せられている。その「我が大日本は、現在、肇国の精神に則り、国体の本義を顕現し、万民翼賛の体形を整へ、高度国防国家体制を確立し、一億一心、堅い決意を固めて、大東亜に新秩序を建設し、我が東洋に永遠の平和を招来せんとしつつある」との始まりは、昭和十六年の日本の現在認識だったと見なしていいだろう。そして「東亜とヨーロッパに於てわが日本と独逸は全世界の新紀元を画すべき世界新秩序を創建するといふ絶大なる偉業に参画し、夫々の持場に於て旧秩序の打開より民族の新しい生活空間の創造、即ち我が建国の理想たる八紘一宇の実現に向つて相互の共通に努力をなすべき役割を分担しつつある」。それゆえに「本大系の如き文化の交流は、かかる秋に当つて誠に欣快に堪へない」ので、ここに「祝詞」が述べられていることになる。

また巻末には編纂事務主任の平野義太郎名の「新独逸国家大系の完結に当りて」も掲載され、奥付の編纂代表者として、同刊行会々長二荒芳徳の名前が挙げられているけれど、それは平野が実質的な編集長だったことを示している。そしてここには『大系』に関わった多くの人物の名前が列挙されていて、興味深い。今回は長くなってしまったのでそれらに言及しないが、いずれまたふれる機会があるだろう。


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2016-09-15 混住社会論152 エヴァン・マッケンジー『プライベートピア』(世

[] 混住社会論152 エヴァン・マッケンジー『プライベートピア』(世界思想社、二〇〇三年)とE・J・ブレークリー、M・G・スナイダー『ゲーテッド・コミュニティ』(集文社、二〇〇四年)

プライベートピア ゲーテッド・コミュニティ


マッケンジーは『プライベートピア』(竹井隆人・梶浦恒男訳)の中で、本連載59 のハワードの田園都市構想がアメリカに移植されるにつれて、コーポラティヴな思想と方向性を失うかたちで発展していったことを、まず指摘することから始めている。

それはジェイン・ジェイコブスの『発展する地域 衰退する地域』中村達也訳、ちくま文庫)やR ・B・グラッツの『都市再生』(林泰義監訳、晶文社)などでも、正面から言及されていない事柄なので、ここで取り上げておきたい。しかもこの問題は、住むことにおけるアメリカの格差社会の現実を浮かび上がらせているし、二〇〇八年のリーマン・ショックをもたらしたサブプライム・ローンとリンクしているようにも思えるからだ。サブプライム・ローンとアメリカの住宅金融市場の歴史と構造に関しては、みずほ総合研究所編『サブプライム金融危機』(日本経済新聞社、二〇〇七年)を参照している。

発展する地域 衰退する地域 都市再生

「プライベートピア」とはCID=common interest developmentと呼ばれる私的資本による住宅供給方式で、アメリカの二〇世紀を通じて発展してきたシステムだった。竹井、梶浦訳において、CIDは「コモンを有する住宅地」とされている。だがマッケンジーは直接ふれていないけれど、「プライベートピア」の成立に影響を与えているロールズ『正義論』(川本隆史他訳、紀伊國屋書店)やノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(嶋津格訳、木鐸社)などのリベラリズム、リバタリアニズムの文脈からすれば、「共有利益(資産)開発地」と解釈してもかまわないであろう。このタームに、マッケンジーはアメリカのプライヴェティズム定義に基づく、市民は富の獲得を目的とし、都市は私的な蓄財家のコミュニティになることを結びつける。それは借地借家方式のハワードの田園都市計画と相反するものだったが、アメリカの民間デベロッパーたちは政府の援助を受け、そうしたマイホーム所有を鼓舞していった。

正義論 『アナーキー・国家・ユートピア』

 一九三〇年代から大手の建設会社が徐々に住宅建設事業の分野で目立つようになる。一世帯用の住宅は、彼らによって、トースターや自動車のように大量生産の消費財に変えられた。このような会社は、一度に何百もの、後には何千もの住宅を建設するようになったが、それは短期的な利益を求めた結果であり、不動産としての価値を守るよう設計された。ハワードの「自己」の利益ではなく、地域社会へのサービスを基盤にした新しい文明」への希望は実現しなかった。かわりに、アメリカのデベロッパーは、政府を隠れたパートナーとして、プライヴェティズムの記念碑として後世に残る、新しい住宅地を建設する道を選んだのであった。

それらの中でも、富裕層のための高級分譲地としてのCIDにおいて、デベロッパーたちは住宅所有組合(HOA)を組織し、アメリカの都市の歴史にとっての重要なトレンドを生み出したとされる。そのトレンドとはデベロッパーによる私的な土地開発計画の手段としての土地共有方式と証書規制の利用で、それが一九六〇年代に始まる中流階級向けのCIDやコンドミニアム、ニュータウンブームにも応用されるようになった。それらのニュータウンは政府の支援を受け、大企業がスポンサーとなったりしていて、大規模なものとしてはカリフォルニア州のランチョ・ベルナルドやアーヴァイン、ヴァージニア州レストン、メリーランド州コロンビアなどがあった。

このような私的に整備された集合住宅地としてのCIDは「インスタントシティ」と呼ばれながらも、全国的に広がり、驚くほどの増加を示した。一九六四年にHOAは五〇〇に満たなかったが、七〇年には一万、七五年には二万、八〇年には五万、九〇年には一三万、九二年には一五万に達し、三千万人以上のアメリカ人がHOAという私的政府の管理下にあるとされる。これはアメリカの人口の12%を占める人々が一五万に及ぶCIDに住んでいる事実を物語り、またハワードの田園都市構想とアメリカのプライヴェティズムとの混成であることから、マッケンジーはそれに「プライベートピア」という言葉を用いることになったのである。

そして「プライベートピア」としてのCIDは、アメリカ人の住宅の個人所有志向を利用した私的政府という形態を特徴とし、それらの多くは反友好的なプライヴェティズムを伴うイデオロギーの色彩に染められていった。最も上位に置かれるのは資産価値の保護であり、それはくだらない規則を強制するもので、しかも厳密で押しつけがましく、住宅はその規則に従うか、訴訟を起こすかの選択しかない。したがってCIDに住むということは資産の共同所有権、HOAへの強制的加入、同じ住宅地もしくは建物の住民により執行される制限約款という私的な法体系のもとでの生活を要求される。それはコンドミニアムやコーポラティヴ住宅も同様なのである。これらの私的政府形態は地方自治体とも著しく異なり、企業体と見なされるので、そのミクロポリティクスは反自由主義的で、非民主主義的といえる。

これらの事柄からわかるように、CIDはハワードの田園都市計画が描いていたすべての社会的階級に住宅を供給するものではなく、富める人々を社会から分離し、カースト社会を現出させようとするアメリカの象徴と見なすこともできる。しかしそれらの欠点を孕みながらも、CIDの有する住宅供給のユートピア的魅力は不動産市場戦略において不可欠なものであり、それゆえにアメリカで広範に開発に至ったと考えられる。その最悪のヴァージョンが、「コモン」ならぬ「サブプライム・ローン」付の住宅地だったのではないだろうか。

マッケンジーは『プライベートピア』において、田園都市からプライベートピアに至る経路をたどっていく。制限約款の発展の歴史、第二次大戦後の住宅ブームとHOAの関係、六〇年代からのCIDブームと土地経済が果たした役割、そして七〇年代以後のCIDの理事会に大きな影響力を持つ弁護士や資産管理人で占められた特殊利益団体としてのコミュニティ組合研究機構(CAI)に焦点が当てられ、次に私的政府の概念とHOAの分析、税制行政サービスをめぐる地方政治の分極化と富裕なCID居住者の離脱へと至る。マッケンジーはそれらが必然的な流れだとは認めるものの、「CIDがかかわるところでは、現実と実践のギャップ、レトリックと現実のギャップは実に甚しい」と記し、問題はそれがこれまで公共的な観点から検証を受けることもなく、際限もなく複製されてきたことにあると述べている。本連載58でふれたマイク・デイヴィスの『要塞都市LA』、それに併走していると見なせるジェイムズ・エルロイ『ブラック・ダリア』 に始まる「暗黒のLA四部作」は、このようなロサンゼルスやカリフォルニアの地政学をひとつのテーマとしているのではないだろうか。

要塞都市LA ブラック・ダリア

このプライベートピアのひとつの帰結がブレークリーとスナイダーが言及する『ゲーテッド・コミュニティ』(竹井隆人訳)ということになるだろう。それは要塞住宅地と呼ぶもこともできよう。

 居住境界線をよりはっきり示す形態の一つであるゲーテッド・コミュニティは、一九八〇年初期から現在に至るまで米国中に出現してきた。何百万人という米国人が、以前はより多くの人が共同で平等に利用していた一般市民のスペースを、外壁で囲いフェンスを張り巡らした特定の共同住宅スペースとして、そこに居住することを選択した。

   

 ゲーテッド・コミュニティは、1960年代後半から1970年代に傷から得た総合計画(アスタープラン)による退職者向け住宅が出現するまでは、依然として希少な現象であった。レジャー・ワールドのような退職者向け住宅は、平均的な米国人が自分自身を外壁で隔離することができた最初の場所であった。ゲートは、直ちにリゾートやカントリークラブの住宅地に、そして今度は中流層の郊外分譲地へと広がった。1980年代に、高級不動産への投機と派手な消費へと向かう傾向は、排他、威信(プレステイジ)、レジャーを目的に設計された、ゴルフコースを取り囲むゲーテッド・コミュニティの急増につながった。大衆がますます凶悪犯罪に恐れおののくようになるにつれて、主に恐怖から逃れるべく構築されたゲーテッド・コミュニティがこの10年間に多く出現した。ゲートは、郊外の単一世帯住宅の住宅地や高密度の都市のアパートメント群においても設置された。1980年代後半以降、ゲートは国中の多くの地域に偏在するようになり、今や警備員付き玄関口を特徴とする全体が独立法人化した都市までが存在する。

このような現象を見て、マイク・デイヴィスが『要塞都市LA』の中で、「東ヨーロッパでは壁が次々と倒れていく時代にあって、ロサンゼルスのあちらこちらで壁が作られているのだ」と書いていたのだと納得する。ブレークリーとスナイダーはこのゲーテッド・コミュニティの分布を示し、それはカリフォルニアやフロリダの二州が最大の基地で、それにテキサス州が続き、ニューヨーク市やシカゴ周辺やその他の大都市圏でも普遍的な現象をなっているが、地方の諸州ではほとんど見られないとしている。

そして二人は具体的に様々なゲーテッド・コミュニティの実体を探求した後、アメリカの人種、所得、地理的位置の問題にふれ、一九五〇年代の膨張する中流階層を収容する郊外化の時代と異なっていることを指摘している。それは次のような人口と人種の動向である。五〇年代には人口は一億五千万人、白人比率は88%であったが、マイノリティ人口の増大と大量の移民によって、九五年には二億六千万人、白人比率は74%に落ちこみ、今世紀半ばには人口三億八千万人、白人比率53%、高齢者人口は前世紀末の13%が20%に達すると予測されている。

このような動向を受け、アメリカは人種と所得によって分割され、五〇年代の郊外化の果てにゲーテッド・コミュニティが出現したことになる。しかしそれは人種差別主義、エリート主義、分離主義という負のイメージを拭い難く、ゲートと壁によって異なる人種、文化、階層の相互交流を拒否するトポスであることを否定できない。それゆえに、『ゲーテッド・コミュニティ』は様々な検討を与えた後で、その結論的な第7章に「それほどすばらしくない新世界」というタイトルを付し、ゲーテッド・コミュニティが「市民の共同体」であるのかという問いを発していることを付け加えておこう。

なお日本人による言及として、渡辺靖がカリフォルニア州コト・デ・カザで見た「ゲーテッド・コミュニティ―資本・恐怖・セキュリティ」(『アメリカン・コミュニティ』所収、新潮社、二〇〇七年)がある。これはアメリカの最大規模のゲーテッド・コミュニティとされる。ブレークリーたちの『ゲーテッド・コミュニティ』ではその実態がリアルに伝わっていなかったが、渡辺は具体的に見て描写することで、これが子供たちにとって「社会の矛盾や悲惨なニュースとは無縁の温室コミュニティ」であり、「『近代』の象徴である『アメリカ』に増殖し続ける『新しい中世』」の出現ではないかとの嘆息ももらしている。郊外化の果てに出現した「新しい中世」、それは日本においても、ゲーテッド・コミュニティは多くを見ていないけれど、監視社会として、その一端を現わしているのういかもしれない。

プライベートピア


◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」151  ミネット・ウォルターズ『遮断地区』(東京創元社、二〇一三年)
「混住社会論」150  三冊の日本住宅公団史
「混住社会論」149  カネコアツシ『SOIL[ソイル]』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「混住社会論」148  奥田英朗『無理』(文藝春秋、二〇〇九年)
「混住社会論」147  伊井直行『ポケットの中のレワニワ』(講談社、二〇〇九年)
「混住社会論」146  吉田修一『悪人』(朝日新聞社、二〇〇七年)
「混住社会論」145  窪 美登『ふがいない僕は空を見た』(新潮社、二〇一〇年)
「混住社会論」144  畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)
「混住社会論」143  森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1