出版・読書メモランダム このページをアンテナに追加 RSSフィード

「出版状況クロニクル96(2016年4月1日〜4月30日)」はこちら

2016-05-27 混住社会論142 本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一

[] 混住社会論142 本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)

国土計画を考える


やはりどうしても国土計画のことが気にかかるので、もう一回書いてみる。

本間義人は『国土計画を考える』中公新書)において、国土計画は「時の政治権力の最大の計画主題(つまり国策)実現のための手段として利用される」機能を有し、「時の国家権力の意思そのもの」で、「国家による日本列島のグランドデザイン」と見なしている。そしてその具体的な機能と関係構造、及び社会に与える影響に関して、次のように述べている。

 国土計画と、国土計画に示された計画目標実現の手段である社会資本整備の諸公共事業長期計画(道路、公園、住宅などの五ヵ年計画)、あるいは地域開発計画(首都圏・近畿県整備計画や都道府県開発計画などの地方計画)との法的関係を見ると、国土計画を頂点に、その下位に諸長期計画と地域開発計画があるピラミッド型の体系になっている。その意味で、国土計画はミクロには私たちの身のまわりの空間から、マクロには国土空間にまで、大きな影響をおよぼすものである。

これをさらに補足すれば、国土総合開発法に基づく全国総合開発計画を頂点として、首都圏整備法や北海道総合開発法などの九つのブロック法による計画、それらに新産業都市建設促進法といった各関連法が横並びし、これに公共事業の諸長期計画がつながっている。さらにその下に地方総合開発計画なども位置し、それらに準拠して市町村緒開発計画があるといったように、「ピラミッド型の体系」となっている。

そして同時に国土計画でありながらも経済計画に他ならず、また社会インフラのための公共事業といったフィジカルな面に目が向けられていたが、国土総合開発法が「経済、社会、文化等に関する施策の綜合的見地から」と謳っているように、国民のすべての生活への影響も見逃すことができない。それを本間は「私たちの身のまわりの空間」にまで及ぶ国土計画と呼んでいることになる。

ここに酉水孜郎の『国土計画の経過と課題』(大明堂)という一冊がある。これは田中角栄『日本列島改造論』刊行から三年後の一九七五年に出されていて、まさに国土計画の出自と七〇年代前半におけるその位相と行方のレポートを形成している。また七四年には国土計画の主管庁の国土庁も発足しているからだ。同書によって、まず国土計画の歴史をたどってみる。

日本列島改造論

それは一九四〇年の満州国国務院会議で決定された「綜合立地計画策定要綱」に起源が求められる。満州の広大で未開拓の土地、しかも人口が少なく、豊富な地下資源を有する土地は日本からの渡満者も多く、広域国防国家と所謂王道楽土の建設を目標にしている。それに満州は漢・満・豪・朝・日の五民族協和をスローガンとしていたわけだから、混住社会ならぬ混住国家をめざしていたことになり、そのための「綜合立地計画」という色彩も帯びていたと考えられる。ここで想起されるのは、蛇足かもしれないが、満州の建国大学を舞台として始まる安彦良和『虹色のトロツキー』中央公論社)で、建国大学は国務院直属という位置づけにあった。建国大学もこの満州国土計画に関係していたのであろうか。

虹色のトロツキー

それはともかく、これが同年の近衛内閣の基本国策要綱における「日満支を通じる総合国力の発展を目標とする国土開発計画の確立」へと引き継がれ、続けて「国土計画設定要綱」が発表される。この「要綱」は満州事変以後、年を追うごとにエスカレートしてきた軍事国家を国策面からバックアップするものだった。地域的には新東亜の建設を国策の基本とし、満支をふくめての国防国家体制を確立するために、百年という長期にわたるスパンの中で、産業立地、交通文化施設の配置、人口の地域配分、国土の綜合的保全、利用、開発計画をたて、国家政策の統制的推進を図ろうとすることをコアとしていた。

それを受けて、企画院が具体的な国土計画の策定に取り組み、過大都市問題、工業規制や立地問題から「戦時国土計画素案」などが出されていった。このようなラフスケッチからわかるように、国土計画とは戦時下の植民地開発、及び軍事国家を支える地政学的システムを背景にして始まっていたのである。それゆえに戦後の国土計画ともまさに陸続きとよぶべきで、先に挙げた都市問題、工業規制や立地問題などはそのまま戦後の国土計画へと組みこまれていったのである。

そして一九四五年八月の敗戦を迎え、GHQによる占領下で、様々な改革が始まっていく。その中で内務省国土局は戦後復興のための国土計画を策定することになり、「国土計画基本の方針」を概定し、四六年には関係各省庁の協力を得て、「復興国土計画要綱」を公表した。それは五年後に八千万人と想定される人口を、どのようにこの狭い国土に収容するかが最も重要な課題で、民需関係の充足を目標とした工業開発、人口収容を主目的とする農業開発計画をたてざるを得なかった。前者の工業立地は大都市圏の環境整備に合わせて縮小を図り、地方の中小都市へと移し、鉄鋼業、大型機械工業、化学工業などは重量や運送原材料の輸入の関係から港湾地域へと集中させ、埋立地を造成し、工業立地に当てることにした。後者の農業開発計画は農業人口割合を43.4%とするもので、旧軍用地と国有林野を中心とする165万町歩、そのうちの10万町歩は干拓とし、入植を100万戸、生産は米にして1400万石の増産が目標だった。戦時国土計画から戦後復興国土計画への転換であり、五〇年の国土総合開発法の成立を機として、これらが戦後の工業用コンビナートや農業用地開発や干拓へと結びついていったと考えられる。

しかしこれらの戦後復興国土計画はすべて占領下で進行したものであるにもかかわらず、GHQとの関係、及びその影響は詳らかでない。四七年に「国土計画審議会官制」が公布されていたけれど、占領下ゆえに日本が主導権を持って推進したとは考えられず、これも前回、前々回と続けてふれてきたように、GHQのニューディーラーたちとの関係やその影響を受けていることは確実であろう。

それを象徴するのは国土計画審議会内務省から経済安定本部へ移され、資源委員会が設立されたことだ。アメリカのニューディール政策の一環として、一九三三年に国家計画局が設立され、これが後に国家資源計画局として地域問題を取り扱い、土地利用計画、交通計画、さらに公共事業計画を推進していくようになる。それに各州にも州計画局が設けられ、州計画、郡計画、都市計画、ゾーニングが総合的に実施され、国土全域の土地、河川、森林が地下資源、水資源などの包括的調査、それに基づく国土の総合的保全、利用、開発計画が立てられるようになったのである。そのようにしてTVAに代表される開発事業が続いていった。日本の資源委員会もこのようなニューディール政策のパラダイムに基づき、GHQの占領政策の一環として、経済安定本部内に設立されるに至った。

それは一九四七年のことで、四九年には資源調査会と名称を変え、資源調査とともに地域計画調査も行なった。そのために同年に国土計画審議会も廃止され、その代わりに総合国土開発審議会が設立された。そこでは経済復興5ヵ年計画やエネルギー不足に対処する電源開発問題が論議されたが、最大の役割は国土計画に関する法律制定準備を進めたことだった。その過程で、審議会の目的として、都道府県、地方、特定各地域の総合開発計画が明らかにされていった。そして五〇年に国土総合開発法案として閣議決定され、国会に提出され、衆参両議院を通過し、国土総合開発法として交付、制定されたのである。

しかしここで留意すべきは占領下における同法の制定だと思われる、戦前の企画院の国防国家態勢整備の色濃い国土計画にあっても、法律の裏づけが必要とされていたが、産業や公共施設の地域配分はともかく、人口の配分を強制的、権力的に行うことは基本的人権の侵害にも関わるという懸念もあり、法律的制定に踏み切れなかったとされる。それゆえにこの国土総合開発法の制定は、酉水も『国土計画の経過と課題』で述べているように、「この法律の制定はいうまでもなく画期的なこと」だったのだが、そこに至る審議のプロセスは明らかにされていない。さらにまた国土総合開発法が国土総合開発計画を全国総合開発計画(一全総)、都道府県総合開発計画、地方総合計画、特定地域総合開発計画の四つに区分し、全総を上位に置き、その他の計画の範とした。それは法律的処理、策定手順なども同様だったと考えられる。

これらの事実を考慮すれば、国土総合開発法から全総へと至る流れは戦時国土計画よりも強権的で、国民の基本的人権を侵害する要素を秘めて発足した。そして現実的にはダム建設に見られる住民の強制的移住、もしくは三里塚問題、工業地帯で発生した公害として表出したことになるだろう。またいうまでもなく、原発問題へともつながっていく。

そうした動向は朝鮮戦争の始まりによるアメリカ軍特需で、工業が急成長し、工業設備投資が活発化し、戦後の工業社会が形成されていったことと重なっている。そして六〇年に池田内閣が発足し、所謂倍増計画と高度成長の時代へと向かい、六二年の全国総合開発計画(一全総)が始まり、それに六九年の新全国総合開発計画(二全総)も続き、その流れに田中角栄の日本列島改造論も寄り添っていたのである。

そのような国土計画の進行に伴う人口移動を通じて、郊外と混住社会が出現したことになる。また同時に急速な産業構造の転換によって消費社会が招来され、七七年の第三次全国総合開発計画(三全総)とパラレルに郊外消費社会化も進んでいく。そしてこれは『〈郊外〉の誕生と死』や本連載などで繰り返し書いているように、八〇年代を迎えて、日本の第三次産業就業人口は56%に達し、それは第一次、二次産業就業人口も含めて、アメリカの一九五〇年代とまったく重なるものになってしまったのである。そればかりではない。郊外消費社会の風景はアメリカを出自とするロードサイドビジネスで埋め尽くされてしまったし、東京ディズニーランドの開園も八〇年代だったのだ。つまり五〇年代のアメリカの風景によって八〇年代の日本は覆われてしまい、ここにアメリカによる占領が完成したのである。それは郊外のマイホームと車を入手した八〇年代の日本人が、本連載37のリースマンのいうところの「孤独な群衆」となることも意味していた。

そうした敗戦と占領、その占領下で始まっていく国土計画、それらが形成されていくメカニズムの詳細なディテールやプロセスは伝えられていない。しかしそれはアメリカに管理された日本の国土計画だったかのように思われてくる。戦後の国土計画とは何であったのかを問い続けなければならない。

なお戦前の国土計画と資料は、石川栄耀『都市計画及国土計画』(工業図書、ゆまに書房復刻)、酉水編『資料・国土計画』(大明堂)に収録されている。


◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1 

2016-05-24 古本夜話558 井上哲次郎『釈迦牟尼伝』と文明堂

[] 古本夜話558 井上哲次郎釈迦牟尼伝』と文明堂

かなり飛んでしまったが、本連載512513514などで続けてふれてきた仏教書の光融館や井冽堂と並んで、明治三十年代にやはり仏教書版元として文明堂がある。この出版社は、前回の井冽堂が加藤咄堂や南条文雄の民衆啓蒙教化本を柱にしていたように、井上哲次郎の著作をメインにして出版活動を営んでいたと思われる。

実際に私が所持している一冊も、井上の『釈迦牟尼伝』であるし、これも光融館や井冽堂と同様に菊判和本仕立てである。その巻末には彼の号にちなんだ「井上巽軒著述目録」が置かれ、合著、編著、関係余も含めて二十五点ほどが挙げられている。ただこれらのすべてが文明堂の出版物と見なすことはできないし、文明堂が井上の近傍に位置する版元であり、しかも取次や書店も兼ねていたことを示しているように思える。

f:id:OdaMitsuo:20150908210517j:image:h120

井上に関してはいろんな事典を繰ってみたが、帯に短し、たすきに長しといった感じで、適切にして簡略な立項が見当たらないので、『日本近代文学大事典』などの立項を要約してみる。彼は安政二年筑前に生まれ、東京大学文学部を卒業し、ドイツに留学、帰国後帝国大学文化大学教授、東京帝国大学文科大学長、貴族院議員、哲学会会長なども務め、この間に多くの大学に出講した。従来の英仏系統の哲学に対し、ドイツ系の哲学、特にカントとショーペンハウエルを移植した。また日本主義、東洋哲学への傾倒を深め、キリスト教を批判したこともある。また明治十五年には外山正一、矢田部良吉と『新体詩抄』(丸善)を上梓し、明治の新しい詩としての文語定型長詩を提唱もしている。

日本近代文学大事典

このような井上のプロフィルをふまえ、『釈迦牟尼伝』をひもとくと、明治三十五年十一月付の「序」がまず置かれている。そこで井上は次のようなことを述べている。日本の従来の釈迦伝の類は「荒誕無稽の小説」でしかないが、近年西洋においては仏教釈迦の研究が進み、大いに見るべきものが出現するに至っている。だがまだそれらは日本に紹介されていないので、それらを参照し、「世界的偉人にして、即ち人間の神霊なるもの」である釈迦の真相を紹介してみたい。

そうして六人の西洋の仏教釈迦の研究者名が挙げられ、その一人は「マクス・ミュレル氏」、すなわちマックス・ミュラーである。それに続いて、高楠順次郎の助言と本書の梵語校正の担任に対する謝辞も述べられ、また次のページのエピグラフとして、「シヨッツペンハウエル」の「印度的霊知は欧羅巴に逆流し吾人の知識及び思想上に根本的変化を来たすべきなり」の一文が引かれている。これらはこの井上の『釈迦牟尼伝』がショウペンハウエル、ミュラー、高楠のインド、仏教釈迦研究の系譜上に出現したことを物語っていよう。

そして序論における仏教の歴史とその位置づけと第一章の「歴史上に於ける釈迦の位置」から始まり、第十二章の「釈迦入滅後の状況」までの釈迦の生涯がたどられ、最後に三つの付録として、「釈迦関係書類」「原始仏教史料考」「和漢撰述仏教史類」が置かれている。これらの三つの付録にまとめられた同時代の世界的な釈迦仏教に関する研究とその動向が、この井上の『釈迦牟尼伝』にダイレクトに反映されていることは疑いを得ないし、「釈迦関係書類」の中で、またしてもミュラーへの言及があり、「東洋聖書Sacred Books of the East の発行によりて直接に仏教研究の路を開拓せり」と述べられている。このような仏教原典や研究書の英仏独の出版を鑑みて、明治後半からの日本における仏書ルネサンスも起こり、それとパラレルに民衆のための啓蒙書や教化本も刊行されるようになったと推察される。それに寄り添った出版社が光融館や井冽堂や文明堂であり、そのイデオローグ高楠順次郎、南条文雄、加藤咄堂、井上哲次郎たちということになろう。

しかしそのような仏書出版動向の中にあって、文明堂は海老名弾正の、『耶蘇基督伝』のような著作も刊行していることを記しておくべきだろう。これは入手していないが、『釈迦牟尼伝』の巻末広告が打たれ、大文字と小文字を組見合わせたヴィヴィッドなコピーとなっているので、そのピクチャレスクなイメージが伝えられないにしても、全文を写してみる。

f:id:OdaMitsuo:20150908202802j:image:h120

 今や宗教を求むる声、天下に洽く且つ之を求むるもの唯理論のみを以て満足せず、直に偉人の胸臆を叩いて活ける光明を生命とに接せんとす憾むらくは此千古の宗教的天才を伝ふるもの、我邦亦二三の書なきに非ずと雖、或は単に福音書の切抜に止まり、或は主観的理想的基督の讃評に陥り、未だ歴史的考察に基づく正確なる叙述なきを本書は耶蘇基督を猶太国に生れたる一個歴史上の人物として主として其時勢と周囲との関係に於ける活動を描けるものにして井上博士の釈迦牟尼伝と相俟ちて我読書界多年の渇望を満たすものあらん謹て河湖の一閲を祈る

レイアウトの斬新さを伝えられなくて残念だが、このコピーによって、『耶蘇基督伝』『釈迦牟尼伝』と対になるようなかたちで刊行されていることがわかる。しかもそれが仏教書版元から出版されていることに、「今や宗教を求むる声、天下に洽く」ある時代の趨勢をうかがわせている。それに同時代において、著者の海老名は自らの牧した本郷教会を東京の有数の大教会ならしめたキリスト者、霊的信仰者である一方で、日本の神道や仏教などとキリスト教の接続にも関心を寄せ、吉野作造などの大正デモクラシーの精神的背景ともなったとされている。そうした海老名の一端が、このような仏教書版元からの『耶蘇基督伝』の刊行に表出しているのだろう。

最後になってしまったが、東京本郷区にあり、発行者を清水金右衛門とする文明堂は、大正七年の『東京書籍商組合員図書総目録』を繰っても、やはり前回の井冽堂と同様に見当らない。光融館、井冽堂、文明堂といった仏書出版社の最盛期は本当に短いものだったにちがいない。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

2016-05-22 古本夜話557 『大正文学全集』を夢見る

[]古本夜話557 『大正文学全集』を夢見る

これは本連載170でもふれていることだが、大正文学や思想を考察する上で、筑摩書房から出るはずだった『大正文学全集』が未刊に終わったことは本当に残念至極というしかない。同じく筑摩書房の『明治文学全集』を抜きにしては、もはや明治文学や思想を語れないように、『大正文学全集』が出現していれば、おそらく近代文学の生産、流通、販売を含めた出版業界との関係、昭和円本時代を用意した出版の隆盛と多様性、それこそ近代文学研究者の山本芳明が明らかにした『カネと文学』(新潮選書)の問題なども、さらに広範に探究を可能にしたと思われる。

明治文学全集 カネと文学

確かに山本も編集委員となっている『編年体大正文学全集』ゆまに書房)が刊行されたことも承知しているが、「編年体」と大正年の巻数による全集でははっきりいって物足りず、大正時代のそれらの問題に肉迫するツールと見なせないのである。そうした状況から考えて、自ら『大正文学全集』を手がけることも夢想したが、資金や編集のこともさることながら、研究者の全面的協力や支援が不可欠であり、小出版社が実現できる企画としては荷が重すぎた。それに加えて、近年の危機に追いやられている出版状況の中ではとても無理だと断念するしかなかった。

編年体大正文学全集

しかも最近になって、小学館『昭和文学全集』の元編集者から、その完結後に続けて『大正文学全集』の企画も挙がっていたが、前者ですら多大の経費がかかり、独立採算ではとても無理だったことから、後者の企画は通らなかったという話を聞いた。筑摩書房の『大正文学全集』企画は八〇年代に『明治文学全集』の続編として構想されたものであった。それは造本と体裁も、定価と発行部数も『明治文学全集』に準ずるものとされていたが、筑摩書房は倒産後でもあったために、全五十巻に及ぶ『大正文学全集』の刊行は実現に至らなかったのである。

昭和文学全集

そのような事情と経緯もあって、筑摩書房の『大正文学全集』プランは他の文芸出版社でも検討されたはずだし、小学館もそうだったと考えられる。実際に私にしても、それを入手していることからすれば、いくつかの出版社にもちこまれていたことは確実であろう。それをふまえて、ここにその五十巻に及ぶラインナップを示してみる。ただし、その内容と作品、アンソロジーの作家、著者明細などは省く。

1 夏目漱石
2 武者小路実篤
3 志賀直哉
4 里見・長與善朗集
5 有島武郎
6 鈴木三重吉・内田百痢γ 勘助・瀧井孝作
7 寺田寅彦・阿部次郎・安倍能成・小宮豊隆和辻哲郎
8 大杉 栄集
9 堺 利彦・荒畑寒村・山川 均集
10 青鞜社文学集
11 吉野作造・河上 肇・長谷川如是閑
12 大正言論・教育論集
13 森鷗外幸田露伴
14 永井荷風
15 泉鏡花水上瀧太郎久保田万次郎
16 谷崎潤一郎
17 佐藤春夫室生犀星
18 田山花袋徳田秋聲
19 島崎藤村
20 岩野泡鳴・近松秋江小川未明
21 正宗白鳥・廣津和郎集
22 宇野浩二葛西善蔵牧野信一
23 相馬泰三・加能作次郎・吉田紘二郎・谷崎精二中戸川吉二
24 徳富蘆花・賀川豊彦・倉田百三
25 柳田国男・柳 宗悦・折口信夫・(南方熊楠)集
26 芥川龍之介
27 菊池 寛・久米正雄豊島與志雄
28 山本有三・小山内 薫・岸田国士
29 野上弥生子・中條百合子・宇野千代
30 大正女流文学集
31 大正労働文学集
32 初期プロレタリア文学
33 新感覚派文学集
34 武林無想庵・辻 潤・石川三四郎稲垣足穂宮武外骨
35 生田長江厨川白村・土田杏村・茅原華山集
36 大正藝術・文学論集
37 高村光太郎萩原朔太郎
38 山村暮鳥宮沢賢治・野口米次郎・日夏耿之介佐藤惣之助堀口大學
39 大正詩人集
40 齋藤茂吉・島木赤彦集
41 北原白秋前田夕暮若山牧水・木下利玄・古泉千堅・中村憲吉集
42 大正歌人
43 高濱虚子・河東碧梧桐荻原井泉水
44 大正俳人
45 大正戯曲集
46 大正哲学思想集
47 大正宗教文学集
48 大正児童文学集
49 大正大衆文学集
50 大正記録文学
   (大正文学回顧録集)

これをここで公開したのは、すでに三十年も前のもので、筑摩書房が断念した企画であり、もはやそのリークや流失と考えられないし、未刊の検討すべき出版プランに位置づけていいように思われるからだ。

それだけでなく、実は個人でこの『大正文学全集』を編んでみようと考えているのである。例えば、1の『夏目漱石集』の内容は『行人』『こころ』『道草』『明暗』『私の個人主義』『硝子戸の中』からなっている。最も理想的なのは大正時代に刊行された原本を揃えることだが、それには時間とお金を必要とするので、近代文学館の復刻を利用するか、もしくは手軽に文庫本を揃えてもいい。そうすれば、『大正文学全集』の『夏目漱石集』の本編の内容は満たされるし、これに荒正人の『漱石研究年表』を加えると、「年表」も備わることになる。

行人 こころ 道草 明暗 私の個人主義 硝子戸の中

もちろんこれは漱石であるゆえに、ほとんど手間暇をかけずにできるし、作家中心の巻もそれほど難しくないだろう。しかしそうではないアンソロジーは揃えることに時間がかかるのではないかと思う。六十半ばという自分の年齢のことを考えると、それを完結できるかどうかとの疑念も生じるけれど、そのようにして編んだ『大正文学全集』を読んでみたいというお誘惑が脳裏を去らないのである。

もし本気で始めようとするならば、当初は文庫などで代行したにしても、いずれは大正時代の原本を入手したくなるであろうし、そうするとこれからの古書業界の行方も気にかかってくる。結局のところ、あまり気負うことなく、揃えることが難しくない巻から試していくしかないという心境にあると、まずは記しておこう。


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

2016-05-19 混住社会論141 田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一

[] 混住社会論141 田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)

日本列島改造論


これは拙著『〈郊外〉の誕生と死』でも記しておいたことだが、一九五〇年代から六〇年代にかけて、私はずっと農村に住んでいた。当時の村は商品経済、つまり消費生活とは無縁に近く、それらはかなり離れた町で営まれているものに他ならず、何かを買うためには駅のある町まで出かけなければならなかった。ようやく六〇年代になって、村のはずれに小さな雑貨屋ができたけれど、そうした事情はほとんど変わっていなかった。

〈郊外〉の誕生と死

そうした商品経済だけでなく、水は井戸、火はかまどによっていて、道路は舗装されておらず、電信柱も木であった。そのような生活環境が少しずつ変わっていくのは六〇年代に入ってからであり、それはテレビの出現に象徴されていた。だが全体的な変化を肌で感じるようになったのは六七、八年頃だったと思われる。それは田や畑だったところに、新しい住人のためのマイホームやアパートが建てられ、またそれらの住居に続いて、周辺にいくつもの新興住宅地が開発され、またこれもいくつかの大きな工場が出現していった。その事実はこれまで農地、すなわち田や畑でしかなかった土地が、住宅地や工場用地として、農地よりも高く売れる時代が到来したことを意味していた。私に限っていえば、この事柄を抜きにして大学進学を語れないだろう。そうして七〇年代に至り、郊外の誕生と混住社会の出現を見ることになったのである。

かつてはこれが高度成長期の帰結だと見ることもできたけれど、このような戦後の農村の変容も、一九五〇年の国土総合開発法を起点とし、六二年から始まる全国総合開発計画(一全総)、六九年の新全国総合開発計画(二全総)が密接にリンクしていたとわかる。それに後者の二全総には、七二年に首相の座についた田中角栄の日本列島改造論も併走していた。

その七二年に田中は『日本列島改造論』日刊工業新聞社)を上梓し、それは同年のベストセラーとなり、八五万部に達している。田中はその「序にかえて」で、昭和三十年代に始まる日本経済の高度成長によって、東京や大阪などの太平洋ベルト地帯に産業や人口が過剰に集中し、日本は世界に例を見ない高密度社会となり、逆に農村は若者が減り、高齢化してしまったと述べ、次のように記している。

 明治百年をひとつのフシ目にして、都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットへ変わった。国民がいまなにより求めているのは、過密と過疎の弊害の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮していけることである。そのためには都市集中の奔流を大胆に転換しえ、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる。(中略)

 その意味で、日本列島の改造こそはこんごの内政のいちばん重要な課題である。私は産業と文化と自然とが融和した地域社会を全国土におし広め、すべての地域の人びとが自分たちの郷里に誇りをもって生活できる日本社会の実現に全力を傾けたい。

そして田中はこの『日本列島改造論』が六八年にまとめた「都市政策大綱」に基づく「国土総合改造大綱」であることを明言し、その五つの重点項目を挙げているので、その目的を方法、具体的な政策、プロジェクトを要約して示す。

 1 新しい国土計画の樹立とその達成のための法体系の刷新、開発行政体制の改革
全国各地を結ぶ鉄道新幹線の建設と国土開発総合研究所の設置。
 2 大都市の住民の住宅難、交通戦争、公害からの解放
職住近接の原則に基づく立体化高層化による都市の再開発と近郊市街化、ニューシティの建設。地下鉄の強化。
 3 広域ブロック拠点都市の育成、大工業の基地の建設を中心とする地方開発の推進
これらの拠点と背後地の都市、農村を結びつけるためと道路などの産業や生活基盤の先行的建設、及び二次、三次産業の地方配置と高収益の農業を拡大することによる魅力的で近代的農村の育成。
 4 公益優先の基本理念のもとでの土地利用計画と手法の確立
都市における工業適地、優良農地の確保、市街化地域、用途別地区の指定、土地区画整理方式の活用、土地委員会設置による有効な土地利用の推進。
 5 国土改造のための国民全体の資金と蓄積の活用
利子補給制度の採用による民間資金の導入、及び国土改造拠点金融機関を創設し、長期低利資金の大幅な供給。

先の「序にかえて」の引用部分とこれらの五つの重点項目が『日本列島改造論』の眼目であり、以下はその補論と注釈と見なせるだろう。また田中は同書において、「私がこれまで手がけた国土開発の政策づくりの軌跡をたどると、戦後間もない昭和二十五年、国土政策の礎石として国土総合開発法をつくったことが思い出される」と記している。そして続けて八十項目に及ぶ「戦後国土開発計画の歩み」の一覧を示し、「私の半生における四分の一世紀は、まさしく戦後の国土開発の足どりとおもに歩んだ」とも述べている。

しかしいくら田中角栄であっても、一九四七年に初当選したばかりだし、またGHQ占領下にあったわけだから、国土総合開発法の成立はニューディール政策の影響下にあったと見なすべきで、田中がそれなりに関係していたにしても、「国土政策の礎石としての国土総合開発法をつくった」とは思われない。だがよくあるはったりと大風呂敷の政治家の言説として処理すべきではないし、ひょっとすると、このようなアメリカを無視する言説がロッキード事件へとつながっていったのかもしれない。

それはともかく、この日本列島改造論は全国開発計画の提出に他ならず、当然のように土地投機が生じ、インフレが進行した。さらに七三年にはオイルショックが起き、トイレットペーパー、洗剤、砂糖などの生活必需品をめぐるパニックが出来し、その後には「狂乱物価」に襲われた。それに続き、翌年には「田中金脈」問題によって内閣総辞職となり、日本列島改造論も終わりを告げたように思われた。同時に高度成長も終焉に向かったけれど、七〇年代前半の日本は第三時産業就業人口が五割を超えるという消費社会へと転換し、工業を中心とする地域開発も見直さざるを得ない状況へと追いやられたはずだった。

しかし六六年都市政策大綱、六九年の新全国総合開発計画(二全総)、七二年の日本列島改造論は都市や地域開発の基本チャートとして根を張り、延命し、七七年の第三次全国総合開発計画(三全総)、八七年の第四次全国総合開発計画(四全総)、九八年の21世紀の国土グランドデザイン(五全総)へと継承されていった。それは五全総下に進行した大都市の立体化高層化による再開発に象徴されていよう。これこそは日本列島改造論の目玉であったのだ。その他にもこれに類する事柄はいくつも挙げられるだろう。

本間義人は『国土計画を考える』中公新書)の中で、二全総は田中の列島改造論とイメージが重なり、高度成長を前提とした最も開発志向が強い国土計画だったと述べ、次のように書いている。

国土計画を考える

 それだけに、この国土計画がもたらしたリアクションも大きかった。一全総につづく地域の開発にともなって環境破壊が続出したが、何よりも大きいのは全国で地価が高騰しつづけ、土地神話を定着させたことである。大規模公共投資はまた、政・官財界の構造的癒着の土壌となり、金券体質を生むことことにつながった。

 一方で、計画期間中の七三年には国際的な石油ショックに見舞われ、各地でトイレットペーパーや洗剤の買い占め騒ぎが起こる。そして従来の高度成長路線は破綻して、低成長を余儀なくされることになるのである。結果的には、まさに狂乱の七〇年代の国土のグランドデザインが、この二全総であった。

この二全総や列島改造論のかたわらで、先述したような農村の変化、すなわち郊外化と混住社会化が起きていたのである。それは「大きな物語」としての高度成長の終焉に伴うようなかたちで表出してきた、個人の「小さな物語」としてのマイホーム幻想をベースとするもので、出現しつつあった消費社会はそれを「大きな物語」として育て上げようとした。列島改造論とパラレルに住宅ローン専門の金融会社が設立され、ハウスメーカーも成長し始める。

そして何よりもインフレーションは続き、国土計画と列島改造論は「全国で地価が高騰しつづけ、土地神話を定着させた」のである。だがそれは一方で、農地が住宅地として売れることで農村に思いがけない現金収入をもたらし、またマイホームを購入した側も、地価が上昇することによって、これも賃金のベースアップを上回る財産の獲得を意味していた。そのために郊外はさらにスプロール化し、都市の外側へと拡散し、混住社会だけでなく、新興住宅地が形成されていった。そのことによって、都市でも地方でもない、あるいは村でも町でもない郊外が全国的に出現していったのだ。

その郊外化と連鎖するように、ロードサイドビジネスも誕生していく。これは駐車場を備えた郊外型商業店舗の総称で、七〇年代前半におけるファミリーレストランを先駈けとし、当初はストリートビジネスとして始まったコンビニエンスストアやファストフードも含め、八〇年代になってありとあらゆる業種がビジネスの郊外化を図ったために、郊外消費社会の成立をも見ることになったのであり、それは全国各地の風景を均一化する装置としても機能していたことになる。このロードサイドビジネスもほとんどが田や畑だったところに出現していったのである。

そのような郊外化の動向は、第三次全国総合開発計画(三全総)にも反映されていったと考えられる。七七年にスタートした三全総は、七八年に発足した大平内閣の田園都市国家構想とリンクしている。それは「都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力をもたらし、両者の活発で安定した交流を促し、地域社会と世界を結ぶ、自由で、平和な開かれた社会、そうした国づくりを目指す」というもので、田中の列島改造論とは異なるイメージを帯びている。これは本連載59や72でもしばしば言及してきたハワードや、明治時代の日本の内務省の田園都市構想への回帰という側面も指摘できようが、日本近代史において、郊外がかつてないかたちでせり上がってきたことの影響を受けてのもののようにも思われる。

これは国土開発という「大きな物語」と郊外と混住社会、及びロードサイドビジネスからなる郊外消費社会化という「小さな物語」の交差を意味していよう。そしてそれらの交差が、八七年から始まる中曽根内閣の第四次全国総合開発計画(四全総)のバブル経済の時代を生み出していったことになろう。


◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1 

2016-05-18 古本夜話556 厨川白村『近代文学十講』

[]古本夜話556 厨川白村近代文学十講』

前回の宮島新三郎と同様に、大正時代の英文学者、文芸評論家だった厨川白村も四十三歳で早逝している。それは鎌倉での関東大震災時の津波にさらわれたことによる死だった。

厨川も残念なことに谷沢永一『大正期の文芸評論』で取り上げられていないし、やはり忘れ去られてしまった文学者ともいえるかもしれない。それでも宮島と異なるのは、本連載284で述べておいたが、その遺作『十字街頭を往く』のベストセラー化に示されているように、知名度も高く、人気のある評論家だったと考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20160424210416j:image:h120

とりわけ厨川は『近代の恋愛観』改造社、大正十年)で自由恋愛を唱え、青年層に大きな影響を与えたとされ、その一編は『大正思想集2』(『近代日本思想体系』34所収、筑摩書房)にも収録されている。またその死後に『厨川白村集』が同刊行会、続けて円本時代にも『厨川白村全集』改造社からと、二度にわたって出版されたことも、読者層が保たれていたことを示していよう。後者の六巻本のうちの五冊を古本屋の均一台から拾っているけれど、各巻の内容は文学論、英文学論、恋愛論などのいずれもが充実したもので、彼の人気がそのジャーナリスト的センスと該博な知識と歯切れのいい記述にあったことをうかがわせている。

厨川白村全集(『厨川白村全集』)

厨川は明治十三年京都に生まれ、三高を経て東京帝大英文科に進み、小泉八雲夏目漱石上田敏について学び、四〇年には三高教授となっている。そして京大講師も兼ね、十九世紀と世紀末の英文学を論じ、やけどが原因で左脚を切断することになるのだが、大正五年には京大助教授となり、欧米近代文学の紹介と文学による文明批評的解説とで名声を高めたとされる。その代表的な一冊が『近代文学十講』であり、これは『日本近代文学大事典』の厨川の立項のところでも、その解題が掲載されているので、それを引いてみる。

近代文学十講

 [近代文学十講]きんだいぶんがくじゅつこう 評論集。明治四五・三・大日本図書刊。三高の課外講義を集めたもの。西欧の近代文芸思潮の推移とその社会的背景を、自然主義の発達からはじめ印象主義、神秘主義、象徴主義芸術至上主義の特質を解説したもの。啓蒙的とはいえこの種のてびきがなかったため、情緒的理解にすぎる欠陥はあっても、時代の傾向に合致して歓迎された。

この『近代文学十講』の大日本図書版を入手している。それは大正二年の訂正縮刷版の同十三年第八十八版であるから、大正時代を通じてのロングセラーになっていたことを告げている。

この厨川のデビューを飾った代表作を一読すると、彼が英仏独に通じた読み巧者で、同時代における西洋文学の体系的紹介者として、大いなる役割を果たしたのではないかと思われてくる。実際にこの『近代文学十講』は前回の宮島の著書の範となったはずだし、本連載181加藤武雄と『近代思想十六講』」でふれた大正時代の新潮社の「思想文芸講話叢書」も同様であろう。また京都からの発信であるから、明治版『構造と力』と見なしてもいい。それゆえに日本の近代文学や文芸評論にも多大な影響を与えると同時に、様々な西洋文学知識のタネ本であったと考えても間違いないはずだ。

何とここではすでに「アルテユル・ラムボオ」の「母音」の第一行目の「Aは黒、Eは白、Iは赤、Vは緑、Oは蒼」が原文とともに紹介されている。ただし原文は欠落があり、訳文のアルファベットの「V」は「U」の誤植であり(73ページ)、これはもう一度引用されているが(569ページ)、そこでは直っている。これも少しばかり注釈を加えておけば、この「母音」(『詩集』所収、鈴木信太郎訳、『ランボー全集』1人文書院)は、昭和五年に小林秀雄訳でランボー『地獄の季節』白水社、現在は岩波文庫)が出され、その「言葉の錬金術」に組みこまれた一説として、よく知られるようになる。だがそれは『近代文学十講』での紹介から二十年後のことだったのである。その事実を考えれば、かなり先駆けた紹介だったとわかる。

ランボー全集地獄の季節

それはランボーばかりでなく、他の文学作品に関しても同様で、ゾラと自然主義にも多くのページが割かれている。私はゾラの訳者であり、本連載193で「大正時代における『ルーゴン=マッカール叢書』の翻訳」を書いているが、それらの翻訳刊行も大正十年代からなので、これも厨川がいち早いゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の紹介者であり、これらの翻訳のいくつかにしても、厨川の著作における言及がきっかけとなったのかもしれないのである。

厨川はゾラの自然主義が生理学と遺伝子のクロード・ベルナールや文芸批評家テーヌの影響を受けたもので、「人生の自然現象を科学的に研究せむとする文芸」であり、それが「ルーゴン=マッカール叢書」だとする。これは一八七一年の第一巻『ルウゴン家の運命』に始まり、九三年の第二十巻『パスカル博士』によって完成するものであり、次のような色彩の「叢書」だと述べている。

ルーゴン家の誕生(第一巻、『ルーゴン家の誕生』) パスカル博士 (『パスカル博士)

 即ちもとから病的遺伝を持つてゐる一家の人が種々の境遇や事件や周囲(ミリウ)の中におかれて、そこに発生する様々な現象を描いたる一篇の科学的進化史で(中略)、社会各方面の事実がそのなかに描かれてゐる。即ち政治、宗教、商工、青物魚市、酒店、取引所、鉄道生活、鉱山、何でも彼でも現代社会のあらゆる方面にわたつて、醜穢悲惨な事実が忌憚なく精細に描き出されている。

そしてその代表作として、原タイトル、英訳名を添え、第七巻『酒店』(『居酒屋』)、第九巻『ナナ』、第一三巻『陽春』(『ジェルミナール』)、第十四巻『製作』(『制作』)、第十九巻『滅落』(『壊滅』)を挙げている。カッコ内は現翻訳タイトルを示す。この最後の『滅落』に関して、「二人の兵卒の身の上話を中心にして、普仏戦争の事を書いたものだ。戦場の光景は云ふに及ばず、傷病兵や捕虜の苦悶、殊に攻囲中の巴里城内の惨憺(さんたん)たる有様が驚くべき程精緻に描かれてゐる」と評している。

居酒屋 ナナ ジェルミナール 制作 壊滅


実はこの『滅落』=『壊滅』の翻訳は他ならぬ私が携わっており、それは『ナナ』『ジェルミナール』も同様であり、計らずも厨川が「叢書」の五つの代表作として挙げたうちの三つを、これも『近代文学十講』からほぼ一世紀後に、私が翻訳を手がけることになったのである。これも奇妙な巡り合わせのように思われてならない。

しかしこのゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」などへの言及から考えると、厨川は英仏米の同時代の概説書や文学史に通じていたことは確実だが、これらを実際に読んでいたかは疑問である。とりわけ『壊滅』は普仏戦争とパリ・コミューンに通じていないと読むことが困難な大長編でもあるからだ。だがそれはないものねだりかもしれず、ゾラに限らず、明治末において、これほど広範にして、しかもよくまとまった近代西洋文学解説書を出しただけでも、大いなる業績だと顕彰すべきであろう。


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら