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2016-12-01 出版状況クロニクル103(2016年11月1日〜11月30日)

[]出版状況クロニクル103(2016年11月1日〜11月30日)

出版状況クロニクル103(2016年11月1日〜11月30日)

16年10月の書籍雑誌の推定販売金額は1079億円で、前年比12.1%減。

書籍は499億円で、同15.1%減、雑誌は579億円で、同9.3%減。

雑誌内訳は月刊誌が464億円で、同8.5%減、週刊誌が115億円で、同12.3%減。

今年最大のマイナスである。

送品稼働日が前年より2日少ないことにもよっているが、出版業界の現在を象徴するようなマイナスだといっていい。

返品率も書籍が41.8%、雑誌が43.2%と、またしても上昇している。

店頭売上は書籍が5%減、雑誌の定期誌はこれも5%減だが、ムックは6%減、コミックは12%減である。

11、12月はどうなるのかという年末状況の中で、16年が暮れていこうとしている。


1.日販の『2016年出版物販売額の実態』が出され、その「販売ルート別出版物推定販売金額2015年度」が『出版ニュース』(11/中)に掲載されている。それを示す。

■販売ルート別推定出版物販売額2015年度
販売ルート推定販売額
(百万円)
構成比
(%)
前年比
(%)
1. 書店ルート1,159,59364.694.6
2. CVSルート190,34110.687.9
3. インターネットルート172,7009.6106.2
4. その他取次経由ルート81,3594.693.3
5. 出版社直販ルート191,16310.695.4
合計1,795,156100.094.9

[15年の「販売ルート別出版物推定販売金額」はこれまでと「販売ルート」分類が異なっているので、まずこれに言及しなければならない。ここにはそのことに関するコメントが付されていないからだ。

これは本クロニクル91を見てくれればわかることだが、これまで「販売ルート」は書店、CVS、インターネット、生協、駅売店、スタンドで構成されていた。しかし15年度は生協、駅売店、スタンドが「その他取次経由ルート」に一本化され、それに新たに「出版社直販ルート」が加わる新しい構成となっている。

念のために付け加えておけば、「インターネットルート」は紙媒体だけの推計。「その他取次経由ルート」は大学生協、駅、スーパー・ドラッグストア等のスタンド店、二次卸を経由した出版販売額。「出版社直販ルート」は出版社が取次を通さず、販売店や読者へ販売した出版販売額である。

そのような新しい販売ルート別15年の出版物推定販売額は、1兆7951億円で、前年比5.1%減ということになる。14年の1兆6099億円、前年比4.4%減は、出版科学研究所の推定販売金額1兆6064億円とほぼ同じであった。15年の後者は1兆5520億円であるので、前年の35億円に対して、2431億円の較差が生じてしまっている。それはひとえに「その他取次経由ルート」と「出版社直販ルート」の導入によっている。とりわけ新たな「出版社直販ルート」の数字はどこからどのようにして加えられたのだろうか。それはマイナスにしても同様である。

前回の本クロニクルで、ニッテンによる2015年の出版社売上額が1兆7922億円だったことを既述しておいたが、15年の「販売ルート別出版物推定販売金額」は出版科学研究所のデータではなく、こちらに合わせていて、所謂ゲタをはかせているという印象を否めない。そこには日販ならではの思惑もこめられているのだろうか]

2.『出版ニュース』同号には1に示したCVSルートの「出版物売上高と扱い比率」も掲載されているので、それも引いておく。

■CVSの「出版物売上高と扱い比率」2015年度
順位企業名年間
総売上高
(億円)
店舗数14年
店舗数
1店舗当
売上高
(百万円)
出版物
扱い比率
(%)
出版物
売上高
(百万円)
1店舗当
出版物
売上高
(百万円)
1セブンイレブン42,91118,57217,491231.11.668,1013.66
2ローソン23,60512,39512,276190.41.740,6263.27
3ファミリーマート20,05610,83410514185.11.733,9443.13
4サークルK・サンクスジャパン9,3675,9915,990156.41.716,0982.68
5ミニストップ3,3632,2212,151151.42.48,1593.67
6デイリーヤマザキ1,8641,5181,533122.83.36,1374.04
7セイコーマート1,8481,1801,168156.61.22,1641.83
8NEWDAYS1,019502508203.03.03,0136.00
 8 社 計104,03353,21351,631195.51.7178,2423.34
 

[ついにコンビニ上位8社の年間総売上高は10兆円を超えた。

しかし出版物売上高は14年の2002億円に対して、15年は1782億円で、前年比11%減となっている。1でもCVSルートは1903億円、同12.1%減とマイナス幅はそれを上回っている。

15年における雑誌のつるべ落としのような凋落が、コンビニを直撃しているとわかる。16年はそれが加速しているわけだから、もはやコンビニで出版物の流通販売がコストに見合うのかが問われることになろう。ガソリンの値上げともなれば、取次は耐えられないだろう。

ちなみに14年はセブン-イレブンが420万、ローソンが380万、ファミリーマートが370万円と、かろうじて日商1万円を保っていたのが、15年はそれを割りこんでしまっている。

ちなみにとは逆で、14年までは「1店舗当出版物売上高」も出していたのに、本クロニクルで言及されることもあってか、15年はそれを外してしまっている。したがって今回の表に示されているのは、本クロニクルによるものである]

3.「岩波ブックセンター」を経営する信山社が破産。負債は1億2700万円。

[前回のクロニクルで、会長の柴田信の急逝を伝えたばかりだが、その1ヵ月後に信山社も破産を余儀なくされたことになる。

これは柴田の信用と看板で、かろうじて岩波ブックセンターも存続してきたことを意味していよう。

その店舗はどうなるのであろうか]

4.『週刊東洋経済』(11/19)に「ドコモの雑誌読み放題『dマガジン』の成功の秘訣」という記事が掲載されている。

 それによれば、雑誌も79誌から168誌に増え、2015年に200万だったユーザーは16年には300万を超え、毎月12億円の売上で、年商は144億円に達するとされる。

 その一方で、出されたばかりの日本ABC協会の16年の上半期の「ABC雑誌販売部数表」(『文化通信』11/21掲載)を見ると、「dマガジン」などの読み放題ユニークユーザー(UU)数は83誌合計で、473万部、15年下半期比64.1%増となっている。そのトップは『FLASH』で、紙の9万部に対し、15万部を超え、同71.6%増、続いて『週刊文春』が紙43万部に対し、13万部に及び、同220%増である。

週刊東洋経済 

[『FLASH』が「dマガジン」で紙の倍近く読まれていることに驚き、あらためて「ABC雑誌販売部数表」を確認してみると、紙を上回っているのは『FLASH』だけではないのである。それらは『SPA!』『MEN`S NON・NO』『Casa BRUTUS』『UOMO』『おとなの週末』『日経ビジネス アソシエ』など全部で18誌に及んでいる。

このような「dマガジン」の成長による紙との部数の逆転は、さらに起きてくると考えられるし、もしユーザーが400万を超えれば、この「ABC雑誌販売部数表」の見取図も様変わりしてしまうかもしれない。またそれが同様に書店に与える影響も含めて。

だが今回意外だったのはデジタル版のほうはもはや成長が止まったようで、最大部数の『日経ビジネス』にしても3万7千部で、次が『日経TRENDY』の6千部で、前者はまだ伸びているが、後者は減少している。

やはり毎月400円で読み放題という「dマガジン」のコンセプトが「成功の秘訣」ということになろうか。

だがそれが雑誌の編集、取次や書店の雑誌の流通や販売に与えていく影響を見極める必要も生じてきたことになる]

5.アマゾンの電子書籍読み放題サービス「キンドル・アンリミテッド」の削除問題に関連するレポートが続いている。それらを挙げてみる。

 『選択』(11月号)の「日本で『独り勝ち』アマゾンの異変」は日本人の広報部門のトップやキンドル事業本部長の退社、シアトル本社から送りこまれた米国人広報、それとパラレルに起きた公取委による立ち入り検査と「キンドル・アンリミテッド」問題に関しての言及である。

 それによれば、アマゾンの削除問題は出版社との信頼関係よりも、シアトル本社の意向を受けたものだとされ、「今回のキンドル・アンリミテッド問題では『出版社優先』というのがお題目に過ぎないことを露呈した」とも述べられている。

 『FACTA』(12月号)の「アマゾン『読み放題』破綻の真相」は『選択』よりも出版社寄りで、講談社、小学館、光文社、朝日新聞出版だけでなく、20の出版社の作品が一方的に削除されたこと、それに対し、アマゾンは説明も謝罪もしていない。それは新しい米国人広報者が日本語を一言もしゃべれず、まったく対応できないことにあるとされている。また『選択』での二人の他にも日本人法務スペシャリストの退社、さらに書籍事業本部担当のバイスプレジデントの退社も噂されているという。これらの一連の出来事を「シアトルの再植民地化」と結論づけている。

 『週刊東洋経済』(11/19)にも「アマゾン読み放題なおも続く全削除」が掲載されているが、これは先の2つの記事と重なるので言及しない。

 また『週刊エコノミスト』(12/6)の「出版の未来」特集も、ほとんどが電子書籍の側からの一方的言説なので、これも同様である。

アマゾンの売上は1兆円に迫り、出版物に関しても2千億円を超えたとも伝えられている。また昨年からアマゾンと直取引を開始したKADOKAWAの販売冊数が3割に達したという話も聞こえてくる。

しかし出版物売上に限っていえば、近年の雑誌の凋落に見られるように、アマゾンですらもピークアウトし始めているのではないかという推測も成り立つであろう。コンビニにおける雑誌売上の凋落とも関連するけれど、ピークアウト後のアマゾンにおける出版物対応はどうなるのか、「キンドル・アンリミテッド」の一方的な削除問題と同様のことが起きてくるかもしれない。

それは出版社のみならず、取次との関係にしても同じことが考えられる。しかし最も問題なのはそうしたアマゾン絡みの取引に関して、リスクヘッジをかける戦略も余裕も、現在の出版業界からは失われてしまっていることだろう]

6.日本電子図書館サービス(JDLS)はDNPと同グループのTRCと資本提携し、JDLSの第三者割当増資の1000万円をDNP、1億1000万円をTRCが引き受けた。

 JDLSは2013年に紀伊國屋書店講談社KADOKAWAの3社によって設立され、今回の割当増資でDNPグループと3社は、それぞれ25%の出資比率となった。

 JDLSは電子図書館サービス「LibrariE(ライブラリエ)」を展開している。DNPはTRCと丸善雄松同のグループ会社2社と共同で電子図書館システム、及び日本ユニシスとのクラウド電子図書館サービスを提供し、現在は50の公共、大学図書館で利用されている。

 今回の資本提携で、DNPグループは取扱いタイトル数が合わせて4万点となり、中高図書館への電子図書館システムの導入を進めていく。そして18年には累計8万タイトルの販売と200自治体での電子図書館サービスの導入を見込んでいる。

[この資本提携の狙いはコンテンツを増やすことによって、TRCを通じての公共図書館や中高図書館への電子書籍の拡販にあると考えられる。しかし雑誌のデジタル版の伸び悩みを見たばかりであり、電子書籍が図書館市場において浸透していくかは難しいし、それこそこの提携がそのことを告げているのではないだろうか。

電子出版制作・流通協議会の『電子図書館電子書籍貸出サービス調査報告2016』によれば、電子書籍貸出サービスを実施する図書館は53館でしかない。その導入が進んでいない理由として、コンテンツの価格と少なさ、予算の確保、電子書籍貸出サービスの実施に対する知識の欠如、電子書籍サービスの継承に対する不安などが挙げられている。

それはもっともで、これは電子書籍とは関係ないけれど、どの図書館も相当量のVHSビデオを抱え、ほとんどがデッドストックになってしまったことを目の当たりにしているからであろう。DVDやブルーレイに移行することで、ハードその物がなくなってしまい、貸出も途絶えてしまっていると思われる。

例えばこのようなJDLSとDNPグループの提携のかたわらで、トーハンが12年に始めた書店店頭での電子書籍販売システム「c-shelf」の停止を発表しているもいる。トーハンは新たな電子書籍店頭販売システムの仕組みを検討しているとの言だが、これで打ち止めと考えるべきだろう]

7.書協の文芸小委員会が、全国2600の公共図書館の館長宛に文芸書などの購入や寄贈に対する要望書を送付。

 「出版界からの声と住民との要望のバランスに配慮され、文芸書・文庫本の購入や寄贈に、格段のご配慮を」というものである。

『出版状況クロニクル4』で、15年11月における新潮社佐藤信隆社長の公共図書館に対して、新刊本の1年間の貸出猶予を求める要望書を出すとの発言を紹介しておいたが、それが今回の要望書となったのであろう。

しかし一方で、新潮社は画期的労作と呼んでいい梯久美子『狂うひと』を刊行したばかりである。これは島尾敏雄『死の棘』の謎に肉迫した作品で、戦後文学のコアすらもえぐっているように思える。それは同時代の他の文学者たちの問題へともつながっているのではないだろうか。

それはともかく、この新刊は定価が3000円であることからすれば、初版部数は少なく、書店への配本も同様だった推測できる。だがこのような1冊こそ全国の2600の公共図書館は購入すべきであり、そのことによって広く読まれ、新潮文庫『死の棘』も新たなベストセラーとなり、それが島尾文学ルネサンスに繋がっていくことを夢想してみる。もちろんそんなことはありえないにしても、このような要望書を出すより、そうした図書館における一冊の本と読者の出会いを考えたほうが楽しいし、図書館の現場に対しても訴求力があると信じたい。

書協の文芸小委員会なるものが、どのようなメンバーによって構成されているか知らないけれど、図書館の現場を考えれば、このような要望書が単なるパフォーマンスでしかないことは自明のように思える]

狂うひと 死の棘

8.雑協は取協とコラボレーションし、初めての「12月31日特別発売日」を設定し、雑誌129誌、書籍40点、部数にして雑誌700万部、書籍100万部を書店とコンビニで全国一斉発売する。

[『新文化』(11/17)にその「発売予定タイトルの一部(雑誌扱い)」として、70誌の一覧が掲載されている。だが雑協の「雑誌価値再生委員会」がいうところのすべてが「特別版」で、「家族全員で書店に行った時に、誰もが欲しいものに出会えるタイトルが揃った」企画だとは思われない。

また「特別発売日」のベースにある「子どもたちもお年玉をもらってお金を使いたくて仕方ない。そんな時に書店で買える新刊がない]という発想自体がアナクロニズムではないのか。現在はドラえもんの時代ではないのだ。

それに書店は1万4千店を割り、もはや近くに書店もないこともめずらしくない。ところがコンビニは5万店を超えていることからすれば、書店よりもコンビニのための「特別発売日」となってしまうのではないだろうか。

単価500円で800万部、消化率60%でも24億円の市場を創出といっているのだから、「雑誌価値再生委員会」はその結果報告を義務とすべきだ]

9.創文社の『季刊創文』(第23号/秋)が届き、本号で終刊となること、2017年3月まで新刊書籍を刊行し、その後、20年まで書籍販売を継続し、同年で解散することが述べられ、そこに至る経緯と事情も記されているので、それを引いておく。

   弊社は、一九五一年(昭和二六年)に産声を上げ、爾来七〇年弱、創業者久保井理津男の「良書は一人歩きする」という強い信念のもと、人文社会科学の専門書出版社として「出版の王道」を歩んでまいりました。
しかし時代は変わり、日本経済の長引く停滞、および大学予算の縮小化に伴う大学図書館への販売の低迷、さらには学術論文、博士論文の電子化・オンライン化という事態にさらされ、
紙媒体専門の学術書専門出版社の経営は、大きな打撃を被ることとなりました。

 日本文化の一役を担う出版社の経営は、一般企業の経営とは明らかに異なる「こころざし」をもって当たらねばなりません。しかし、だからと言って社会の成員としての責任を免れるものではございません。

 これまで、創文社の出版活動をご支持下さってきた、著者の先生方、および取引業者の方々に、経済的なご迷惑をおかけしないために、この度の決断と相成りました。  

本クロニクル99で、創文社の解散は既述しておいたが、このような知らせを実際に目にすると、近年の人文科学専門書出版社の苦境がリアルに迫ってくる。

同号には稲垣良典の「創文社、『神学大全』と久保井さん」が掲載され、1960年が始まり、2011年に全訳にこぎつけたトマス・アクィナス『神学大全』翻訳の長い歩みが語られている。これはまさに創文社としての「出版の王道」を伝えるもので、ぜひ読んでほしいと思う。

先日久しぶりに早稲田の古本屋街を歩いたのだが、営業している店は少なく、その閑散とした光景にショックを受けた。確実にひとつの時代が終わろうとしているのだろうし、創文社の解散や信山社の破産もそれとリンクしていることになろう]

 神学大全 

10.雑誌『旅と鉄道』『SINRA』を発刊する天夢人がインプレスホールディングスに株式を売却し、グループ傘下に入る。

 同社は正社員12人で、年商3億4千万円の黒字経営。

旅と鉄道 SINRA 山と渓谷

[前回の本クロニクルでも、コミックやライトノベル一迅社講談社傘下入りを伝えたばかりだが、天夢人もまたこのような出版状況下において、雑誌の販路拡大のためのデジタル事業のノウハウと財源もないこと、後継者も決まっていないことからの判断だとされる。それから『旅と鉄道』朝日新聞出版『SINRA』新潮社を発売所としていたので、統合する必要にも迫られていたのだろう。

インプレスHDのほうも、06年の山と渓谷社のM&A以後、グループ拡大をしてこなかったが、山と渓谷社とコラボするかたちで、外部成長をめざすとされる。確かに『山と渓谷』『旅と鉄道』『SINRA』の組み合わせは悪くないように映る。

書店が取次によってM&Aされているように、中小出版社もサバイバルの方策として、大手グループとの連携に迫られる状況を浮かび上がらせている。だが書店と比べて、出版社のほうはM&Aが水面下で推進されているケースも多いと思われるので、実際には毎月のように起きているのかもしれない]

11.静山社の「ハリ・ポタ」シリーズ第8巻『ハリー・ポッターと呪いの子 第一部第二部特別リハーサル版』1800円が初版部数80万部で11月11日に発売され、14日に20万部の重版が決まり、100万部に達する。

ハリー・ポッターと呪いの子 火花

[これにはよくわからない印象がつきまとう。4巻から8巻までは買切だったのに、どうして返品リスクのある委託に戻したのか。

8年4ヵ月ぶりの新刊だったこと、またこれまでと異なり、四六軽装版で、内容もそれに通じるものがあったにしても、買切から委託へと移行したこととそのままつながっているようにも思えない。考えられるとすれば、版権取得にまつわる契約条件にあると見なすしかない。

事前注文が60万部あったとされるが、このようなベストセラー化には返品がつきもので、20%でも20万部の返品となり、それはそのまま重版分である。ブックオフには現在でも「ハリ・ポタシリーズ」をよく見かけるし、それは明らかに売れ残りの新刊だとわかる。7巻は200万部売れたとされるが、実売はどうだったのだろうか。

再販委託制下に加えて、現在の書店市場から考えれば、ベストセラーの背後にある返品はかつてよりも高くなっているはずで、文春の『火花』にしても返品はどうなったのか。静山社がそのような轍を踏まないことを祈る]

12.10月27日にオープンしたジュンク堂書店柏モディ店の売上高が『文化通信』(11/7)で報告されているので、それを示す。

 初日187万円、28日143万円、29日214万円、30日198万円、31日124万円である。ジュンク堂側はまずまずの出足とし、売上目標は月商4000万円とされる。

[柏モディ店は千葉県柏市の同エリア最大級の売場面積500坪だという。坪当たり在庫100万円とすれば、5億円の在庫と見なせるが、月商目標からすると、年商4億8000万円で、商品回転率はかろうじて1回転にすぎない。少なくとも在庫の3回転が必要なのは書店や取次関係者であれば、よくわかっているはずだ。

もちろん旧マルイ館のリニューアル物件なので家賃も安く、在庫も圧縮しているにしても、単店で利益が出せる売上だとはとても思われない。

それはジュンク堂だけでなく。どの大型店のオープンにもつきまとっている疑問でもある]

13.出版協から頼まれたこともあり、これまで断わってきた講演を11月4日に試みてきた。『図書新聞』からのオファーも出されたが、要約する必要もあったので、ここにその前半の部分だけを提出しておくことにする。

 講演の前半の基本チャートを示す。

■出版物をめぐる世界
(三)出版
―出版物に関する様々な読者、作者、研究者、
ジャーナリズムなどが、織り成すイメージ
作品
(二)出版業(界)
―社会経済大系としての出版社・取次・書店
商品
(一)出版史
―自然過程としての歴史
作品と商品

[出版物をめぐる世界は、上のような三層構造と関係によって形成されているとみなせます。

これをさらに補足しますと、(一)は作品と商品、(二)は商品、(三)は作品という概念をコアにして成り立ち、日本だけでなく、欧米でも共通する構造と関係だと考えられます。

ここから日本だけの特質を抽出してみます。(一)からは現在が明治以来の3度目の大転換期にあることがわかります。その兆候は出版物の価値の暴落として表われているからです。

1度目は明治初期で、近代を迎えることによって、近世の和書に代表される出版物は二束三文となり、古典類も見向きもされず、たきつけや襖の芯に使われたといいます。

2度目は敗戦時で、これもまた戦前、戦争下の出版物は捨て値同然となり、古書業界でも所謂つぶしの対象になったとされます。

3度目はいうまでもなく現在に他ならず、最近の古書目録で見た例を挙げてみます。それは筑摩書房『明治文学全集』全百巻が3万円、講談社『日本近代文学大事典』全六巻が二千円というもので、これには本当に唖然とする思いでした。これらは私が最もよく参照しているもので、特に前者は日本の全集の金字塔といえるでしょうし、これが出版されていなければ、私たちの世代にとって、明治文化そのものを全体としてイメージすることが困難だったと考えられます。

このことを親しい古本屋に話しましたら、そうした古書価であっても買い求める読者は少ないし、これらの全集の所有者の高齢化を考えれば、まだ次々と古書市場に出てくるであろうし、下げ止まることはないという返事が戻ってきました。この事実は出版社の在庫がもはやデッドストック化していることを意味しています。これらが(一)からたどられた3度目の危機の実態です。

次に(二)から見てみます。日本の出版社・取次・書店という近代出版流通システムは雑誌をベースとして、書籍が相乗りするかたちで形成され、成長してきました。戦後の再販委託制下にあって、その流通販売を支えるためには2万店以上の書店が不可欠でしたが、現在は1万4千店を割っているはずで、完全に生産、流通、販売のバランスが崩壊してしまったといっても過言ではない状況に追いやられています。その原因のひとつは1980年以後の書店のバブル出店、複合店、大型店化に求められるでしょう。90年代後半の出版危機の始まりはその帰結であり、中小書店を退場させることになったわけです。

(一)と関連づけて考えれば、1度目は近世出版システム、2度目は国策取次の日配解体に伴う戦中出版システム、3度目は再販委託制による戦後出版システムの危機で、いずれも共通するのはそれらが出版業界全体の危機として表出していることです。その中でも最大の危機は現在にあることを否定できないと思います。

これは(二)のポジションのどこにいるのかによって把握するのが難しいのですが、基本的に再販委託制は出版物販売が常に上昇していくことを前提とするものです。そのメカニズムは出版物が商品であると同時に、金融を兼ねるものとして流通しているからです。そのために(二)においては、出版物が商品と換金機能の双方を有することになるのです。1980年以前の出店、閉店がほとんどなく、売上が伸びていた時代には出版物の送品に伴う先払い、後払いの再販委託制のバランスシシートが保たれていましたが、今世紀に入ってからはもはやそれが機能不全に陥ってしまったことは明白です。

そうした例として、取次の大手出版社への支払い条件、同じく大手書店への出店に対しての開店口座条件を挙げることができるでしょう。しかし出版業界のすべてに危機が露出し、販売額がドラスチックに減少していく中にあって、もはやそれに象徴される再販委託制は破綻していると見なすしかないのです。

このように(一)と(二)からたどることができるのは、紛れもない出版危機に他ならず、それが日本特有の出版史と出版業界システムから生じるものであることがわかるでしょう。それゆえに欧米と比べて日本だけが出版危機に追いやられてしまったのです。

またここで留意して頂きたいのは、「出版状況クロニクル」が(一)の歴史に基づき、(二)の社会経済大系の現在状況に対する正確な分析を目的としていることです。それに関して(三)からは日本の特質として、書籍、雑誌、コミックからの形成を指摘できます。ただ「出版状況クロニクル」において、(三)の共同幻想としての出版は完全に切り離すことはできないにしても、棚上げしているといっていいでしょう。

それゆえに(三)については「出版状況クロニクル」とは別に、やはり(一)と(二)をふまえて、トータルな出版の歴史をたどるつもりで、ブログ「古本夜話」として書き継がれています。これは伊藤整の『日本文壇史』と、山口昌男の晩年の『「敗者」の精神史』などの近代歴史人類学三部作を、出版を通じてリンクさせる試みとして、すでに連載600回を超えています。

しかしほとんどの出版、編集、書店に関する本や雑誌の特集などは(一)をまったく理解する努力を傾けず、捨象し、手前勝手に(二)と(三)を混同して論じているために、現在の出版危機の根幹にある問題とずれてしまう考現学もどきのものだと見なすしかありません。「出版不況」という言葉もこのようなところから発せられています。またそうした視点から企画される様々なイベントやプロジェクトなどにしても、出版状況をミスリードするもの、もしくは疑似イベントと考えるべきでしょう。

このような機会ですので、もう少し「出版状況クロニクル」についての自己解説もどきを付け加えておきます。毎月、本クロニクルを記すにあたって、いつも念頭に置いているのは、イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグの『裁判官と歴史家』(上村忠男、堤康徳訳、平凡社、1992年/ちくま学芸文庫、2012年)という一冊であります。

ギンズブルグは同書において、長年の友人を主犯とする明らかな冤罪事件に対し、歴史家として裁判記録を丹念に読み、事件の経緯を詳細にトレースしていきます。そしてその事件にまつわる証言、証拠、記録を検討しながら、裁判官歴史家の関係の位相を浮かび上がらせることになります。それは裁判と裁判官を批判する歴史家をも意味しています。

私も1990年代後半から現在にかけてのほぼ20年間にわたって、同時代の出版状況をトレースして記録し、それらの「出版状況クロニクル」は7冊、その一方でオーラルヒストリーである「出版人に聞く」シリーズは20冊に及んでいます。そうした事実をふまえれば、私はギンズブルグのような優れた研究者の足元にも及ばないけれど、市井の「歴史家」と称することは許されるであろうと思われます。そして出版状況、様々な言説、発言への批判も、そこから発せられていることを、ここで伝えておきます]

日本文壇史 「敗者」の精神史 f:id:OdaMitsuo:20161126112951j:image:h110 裁判官と歴史家 出版社と書店はいかにして消えていくか ブックオフと出版業界 出版業界の危機と社会構造

14.「出版人に聞く」シリーズ番外編の鈴木宏書肆風の薔薇から水声社へ』の刊行は遅れてしまい、17年1月にずれこんでしまった。

 今月の論創社HP掲載「本を読む」10は「清水俊二、吉川英治、吉川晋」です。

2016-11-27 古本夜話605 寺島徳治、文理書院、『人生手帖』

[] 古本夜話605 寺島徳治、文理書院、『人生手帖』

これは日本評論社と直接の関係はないのだけれど、文理書院についても書いておきたい。それは美作太郎が『戦前戦中を歩む』の中で、前回の千倉書房にふれた際に、「序でながら、その後の千倉書房の編集部からは、文芸評論家の瀬沼茂樹や、『人生手帖』の創始者で文理書院を主宰した寺島徳治(文夫)が巣立っている。寺島は一九七五年胃がんで亡くなった」と書いてもいたからだ。

f:id:OdaMitsuo:20160911212321j:image:h110

これも前回既述したように、本来は日本評論社の企画であった『現代商学全集』の編集に従事した瀬沼のことはともかく、どうして美作が『人生手帖』の寺島の名前を挙げ、その死までを伝えているのか、よくわからないところがある。ただ美作と寺島の間に何らかの関係を推測することはできるのだが。

といって、私にしても寺島や文理書院と接触しているわけではないし、ただ寺島の死後に文理書院からスエンデンボルグの笹岡康男訳が出されていることに対し、奇妙な思いに捉われてきただけである。『天界と地獄』の翻訳史などに関しては本連載247「鈴木大拙、スエンデンボルグ原著『天界と地獄』」で言及しているので、よろしければそちらを参照されたい。

天界と地獄 f:id:OdaMitsuo:20121019113732j:image:h120『天界と地獄』

それはさておき、この文理書院の『人生手帖』は『戦後史大事典』三省堂、平成三年)に立項されているので、まずはそれを示す。

 じんせいてちょう『人生手帖』

 人生記録雑誌。一九五二年(昭和二七)一月〜七二年一一月(二三巻一一号)。i以後『健康ファミリー』と改題し、現在にいたる。編集緑の会、文理書院発行。若い世代の生活体験の記録を集めて出版した『生きる日の喜びと悲しみに』(第一集)、『いかに生くべきなのか』(第二集)が人気を博し、読後感を寄せた読者を中心にして緑の会が結成され、柳田謙十郎、高桑純夫らの指導によって会の機関誌として発刊。戦後の混乱期から脱出した社会のなかで自分の姿を見つける時間が出てきたころの人生雑誌で、青少年男女の人生相談的役割をはたした。

手元に文理書院の山内久原案、津軽十三著『若者はゆく』があり、その田中邦衛、山本圭、佐藤オリエたちのカバー写真から、これが昭和四十四年の同タイトルの映画のノベラゼーションで、それもあって、四十五年第五版となり売れているとわかる。この裏の見返しのところに、「健康な心と体をつくる雑誌」というキャッチコピーを添えた月刊誌『人生手帖』の内容が紹介され、「主義主張にこだわらず、有名人も無名の読者も、平等の立場で人生を考え語り合う雑誌」と謳われている。巻末広告には「人生記録」シリーズとして、農家の主婦高岡なを『コスモスの記』、女医上条なつ『道ありき』、山本克巳『不屈の青春』に加え、健康、哲学、経済などのための手引書が掲載されている。

『人生手帖』を読んだこともないし、見かけた記憶もないのだが、昭和四十年代まではまだ人生論の時代で、それらの書籍も多く出されたいたことを彷彿とさせる。先の立項からも、寺島、文理書院、『人生手帖』の関係が成立する経緯と事情はうかがえない。考えられるのは寺島が千倉書房時代に柳田謙十郎や高桑純夫と親交し、それがきっかけで文理書院を設立し、『人生手帖』を発刊するようになったのではないかとの推測である。柳田はともかく高桑は唯物論研究会の近傍にいたし、美作も寺島のことを気にかけていたのだから。そこで『千倉書房目録(昭和四年〜昭和六十三年)を確認してみた。ところが二人の著者は刊行されていない。

とすれば、柳田は戦後になって唯物論哲学の啓蒙的著述活動、平和、日本友好、労働者教育などの大衆的運動に献身し、高桑もまた同様だったようなので、そこから緑の会が発生し、寺島と文理書院にリンクし、『人生手帖』が創刊されるようになったのだろうか。どうもそうした経緯と事情、人脈なども明らかになっていないし、それが戦後の出版のひとつのトレンドであったことは確実なのだが、実用書と同様に、人生論関連出版物が出版史の傍流におかれていることも作用しているのだろう。

そのようなことは出版社や出版者ばかりでなく、執筆者、著者、編集者も同様だと思われる。井家上隆幸『三一新書の時代』(「出版人に聞く」シリーズ16)の中で、三一書房の「高校生新書」に人生論や学園小説などもラインナップされ、倉本四郎の『することがない青春なのか』も入っていることに対し、以下のように応えている。「倉本はもともと『人生手帖』といった人生論雑誌の編集に携わっていた関係から「高校生新書」の著者としてリクルートされたんじゃないかな」と。倉本は『週刊ポスト』創刊の頃から書評コーナーを担当し、その書評は一世を風靡したといっていい。それは近年まとめられた『ポスト・ブックレビューの時代』右文書院)にその一端が示されている。

三一新書の時代 ポスト・ブックレビューの時代

そしてまた「高校生新書」には藤井夏の『若者たち』も収録され、裏表紙に「これはテレビ・ドラマ『若者たち』を小説化したものです」との断わりが書かれている。『若者たち』は昭和四十一年に山内久シナリオ、森川時久演出により、フジテレビで放映されたが、その社会批判的内容ゆえに打ち切られ、それが昭和四十二年からの映画『若者たち』『若者はゆく』『若者の旗』へと展開されていったのである。このようなことを書いてきて、この三部作を支えた観客もまた、『人生手帖』のような人生論の読者だったのではないかということに思い至ったのである。

若者たち 若者たち f:id:OdaMitsuo:20161029151112j:image:h110 f:id:OdaMitsuo:20161029154508j:image:h110

だが『天界と地獄』のことにまでは至りつけなかった。


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2016-11-24 古本夜話604 千倉書房、白柳秀湖、籠山京『勤労者休養問題の研究

[] 古本夜話604 千倉書房、白柳秀湖、籠山京『勤労者休養問題の研究』

前々回の大畑書店の他にも、日本評論社から独立して出版を始めた者もいて、それは千倉豊である。彼は『出版人物事典』にも立項されているけれど、美作太郎に語らせたほうがいいだろう。美作は千倉の写真を掲載し、『戦前戦中を歩む』の中で、次のように述べている。

f:id:OdaMitsuo:20160911212321j:image:h110

 私が入社した年の翌年、千倉豊が入社したきた。今日の千倉書房の創始者である。六尺ゆたかの巨軀で、狭い会社をのし歩くという風であった。福岡の出身で、快活で明るく、営業・宣伝を担当していたが、編集室にもよく顔を出した。金融恐慌で倒産した鈴木商店から転じてきたといわれ、どこか実業家くさいところのある変わり種であった。千倉は、それから二年後の一九二七(昭和四)年に独立して千倉書房を創業し、在社中に親しくなった著者を中心に『現代商学全集』(三十八巻)を刊行して、おくればせに円本ブームに参加することになる。この全集は、千倉が日本評論社在社当時にすでに企画されていたものであるが、これを自分の社にもらい受ける結果となった。千倉は、河合栄治郎『英国労働党のイデオロギー』を創立早々に出版しているが、河合教授との縁はそれきりになった。千倉は白柳秀湖と親交があり、その著書を出版し、次第に経済面で独自の性格を発揮するようになった。

実は最近、浜松の時代舎で、昭和十三年に千倉書房から出された白柳秀湖『定版民族日本史』全五巻を購入したばかりだが、どうして千倉書房が版元であるのかの理由がここに示されていることになる。それはおそらく白柳が昭和四年に日本評論社から『財界太平記』と『西園寺公望伝』の二冊を続けて刊行している事実を考えると、白柳も千倉が「在社中に親しくなった著者」にちがいなく、『千倉書房総目録(昭和四年〜昭和六十三年)』によれば、戦前だけでも白柳三十五冊に及んでいる。

定版民族日本史

この旺盛な千倉書房の出版活動は白柳の著作に限るのではなく、全体に及ぶもので、まさに美作がいうところの千倉の「企業心にたけたボスの風格」によっているのだろう。『同目録』に掲載された千倉書房の創刊年から昭和十年までの新刊発行点数は四百三十点で、年平均六十点以上であり、毎週一点を出していたことになる。千倉書房は「商科大学の解放の旗幟のもとに」創業したとされるが、その出版分野は文学、歴史、政治などと多岐に及び、千倉の並々ならぬ出版人としての力量を彷彿させる。優秀な編集者も在籍していたことだろうし、ちなみに本連載601 でふれた瀬沼茂樹も東京商科大学卒業後、千倉書房に入り、『現代商学全集』(ママ)の編集に従事していた。これも美作が語っていることだが、日本評論社の浅野武人という編集者も千倉書房に移ったとされる。

現代商学全集(『商学全集』第18巻、『銀行経営論』)

このような企画や編集事情は通常の出版社社史であれば、そのアウトラインだけでもたどることができる。だが『同目録』はタイトルとおりのもので、その内容への言及もない、まさに出版目録なのである。またこれも戦前の出版目録によく見られることだが、出版年不明、刊行されたのかわからないものも八十点近くに及び、千倉書房のような商業書を主とする出版物の収集の難しさを伝えている。

そのような一冊が手元にあり、これは『同目録』に記載されていない。それは籠山京の『勤労者休養問題の研究』で、昭和十九年九月の刊行である。菊判上製三二九ページ、初版二千部、定価五円六十銭、これに戦時下税と見なしていい特別行為税相当額二〇銭がかかり、売価は五円八十銭となっている。高定価の専門的研究書が二千部も刊行されるということ自体が戦時下の出版状況と関連しているはずで、このタイトルからして、本連載592でふれた東洋書館の「労務管理全書」を想起してしまう。

しかし考えてみれば、大東亜戦争下にあって、よくぞこのようなテーマの一冊を出したと顕彰すべきかもしれない。著者は「序言」で、「休養」は勤労が生産であるに対し、不生産な消費だと考えられてきたと始めている。だが勤労は疲労につながり、疲労の回復は休養を必要とするし、それゆえに「休養」と勤労は歯車の両輪の関係にある。そして「この決戦の最中に、正当な勤労の為の休養をば、発見し、反省せしめられるに到つた」。それがここに論じられている勤労者の休養問題ということになる。そのような主旨のもとに、「休養」の基本的解釈、これまで無視され、犠牲にされてきた実態がレポートされ、戦時下における具体的な休養確保の手段と方法が考察されていく。深読みすれば、戦時下における「怠ける権利」の提起のようでもあり、それはマルクスの娘婿ポ−ル・ラフォルグが著した同名の『怠ける権利』(田淵晋也訳、人文書院)を想起させる。

怠ける権利

医学博士とある籠山の立項が『現代人名情報事典』に見出されるので、それを引いておく。

現代人名情報事典

 籠山京 かごやまたかし

 衛生学者(生)長崎1910.11.15…… (学)1934慶応義塾大学医学部(博)1938医(経)1949満鉄衛生試験所所長、47中央労働学園教授、52北海道大教授、68退官後、上智大学教授、81名誉教授(著)1980《怠けのすすめ》、82《最低生活費研究》、83《貧困と人間》、84《国民生活の構造》

著書を見る限り、戦後になっても『勤労者休養問題の研究』のモチベーションをずっと手離さず、『怠けのすすめ』に表象されているように、それを持続させてきたと見なせよう。だがもはや時代は戦時下ではなく、一九八〇年代は消費社会が隆盛を迎えようとしていた。とすれば、消費社会下での「休養」の問題はどのように論じられたのであろうか。

怠けのすすめ


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2016-11-22 古本夜話603 服部之総『黒船前後』と国際文化情報社『画報近代百

[] 古本夜話603 服部之総『黒船前後』と国際文化情報社『画報近代百年史』

前回、服部之総『黒船前後』の書名を挙げただけで、その内容にふれなかったこともあり、服部の軌跡を含め、ここで書いておくことにしよう。

『黒船前後』は戦後になって三和書房、角川文庫版が出され、昭和四十一年に増補の上で筑摩叢書、五十六年には新編集で『黒船前後・志士と経済』として岩波文庫に収録されている。前者には「黒船前後初版はしがき」と「同再版はしがき」が収録され、「大畑書店のすすめで、まとめる機会をもった」が、「入念に準備してくれた書肆が、出版後遠くなくつぶれてしまった」と書かれている。それゆえに、「自分でもこのましい本と思っていたが、同時にいちばん不しあわせな本」だったけれど、「不しあわせは自分だけのこと」ではなかったと述べている。再版は初版の二年後の昭和十年に清和書房から刊行されたようだが、未見である。この清和書房に関しては、やはり美作太郎が『戦前戦中を歩む』の中で、大森に住んでいた清水正義、博兄弟が営む出版社だったと語っている。

黒船前後 f:id:OdaMitsuo:20160911212321j:image:h110

それはともかく、あらためて『黒船前後』を読んでみると、幕末事情としての「空罎」「尊攘戦略史」「志士と経済」などはとりわけ興味深く、服部が新しい歴史学に基づくエッセイストとして受け止められたことが了解される。「尊攘戦略史」を読み、吉川英治が訪ねてきたというエピソードはそのことを象徴的に示していよう。

また筑摩叢書版の編集に携わった松島栄一の「解説」は、服部の様々なプロフィルを伝えていて、啓蒙的な紹介としてとても優れているのだが、戦後になっての交際もあってか、唯物論研究会と『唯物論研究』のことにはふれられていない。ただそこから浮かび上がってくる服部の実像とは、東洋大学や法政大学教授といったアカデミズムにおける姿ではなく、絶え間なく民間の研究や出版活動に併走し、そして執筆者も兼ねる出版企画編集者の軌跡である。それを『日本近代文学大事典』『近代日本社会運動史人物大事典』などの立項も参照し、たどってみる。

日本近代文学大事典近代日本社会運動史人物大事典

その前に服部の出自と大学を出るまでの経緯も記しておく。彼は明治三十四年島根県の西本願寺派正蓮寺に長男として生まれ、三高を経て、大正十四年に東京帝大社会学科を卒業。在学中は新人会に属し、大宅壮一も同期であった。以下に年表を作成してみる。

大正十五年新潮社大宅壮一が企画編集した『社会問題講座』に寄稿。
昭和二年産業労働調査所々員。これは大正十三年に日本労働総同盟の援助を受け、同年に発足した無産階級運動のための専門的調査機関。
昭和四年中央公論社に初代出版部長として入社。レマルク『西部戦線異状なし』をベストセラーとする。
上野書店の『マルクス主義講座』が刊行され、そこに「明治維新史」を執筆。プロレタリア科学研究所にも参加。秋田雨雀を会長とし、昭和四年に設立。『プロレタリア科学』を発行し、専門的研究、講演会と講習会を開催。
昭和五年岩波書店の『日本資本主義発達史講座』の執筆者に加わる。
昭和七年唯物論研究会の発起人兼幹事となる。
昭和八年大畑書店から『黒船前後』刊行。
昭和十年白揚社の未刊に終わった『日本封建制講座』の刊行を企画。
昭和十一年花王石鹸社・長瀬商会嘱託となり、『花王石鹸50年史』と『初代長瀬富郎伝』を編纂。
コム・アカデミー事件で検挙。これは先の『日本資本主義発達史講座』や『日本封建制講座』の執筆者たちがソビエトのコム・アカデミーの役割を果たさんとしたものとされる講座派有力者検挙事件。
昭和十二年白揚社から『明治染織経済史』、育生社から信夫清三郎との共著『日本マニュファクチュア史論集』を刊行。
昭和十三年花王石鹸入社、宣伝部長、敗戦後までその役員。唯物論研究会創立者の一人として検挙され、思想弾圧強化のため論文発表を断念。それでも渋沢栄一をモデルとした村山知義との合作シナリオ『藍玉』を書く。
昭和十八年ムーランルージュ文芸部の小沢不二夫が『初代長瀬富郎伝』をモデルとした小説『青雲』を刊行し、また島崎藤村も絶筆『東方の門』でも同じくモデルにしている。

これらは戦前だけの服部の研究会や出版活動とその余波を抽出したものだが、そうした動向は戦後も継続されている。その中での出版活動だけを紹介しておきたい。服部は昭和二十六年から国際情報社で、『画報近代百年史』『画報現代史』などの写真を主とする画報形式による日本歴史の出版に携わっていた。これは視覚による歴史への接近と理解、簡潔な解説による分析で、後に続く多くの図説や図録物の先駆的出版であり、それらをまとめた日本近代史研究会編『写真図説総合日本史』は、昭和三十二年の毎日出版文化賞を受賞している。それは服部が亡くなった翌年のことだった。

画報近代百年史画報現代史

こうした国際情報社=国際文化情報社の出版物は、同社の写真グラフ雑誌と同様に、直販システムで流通販売され、広範に頒布されたと思われる。現在でも古本屋の均一台でこれらの端本をよく見かけるが、服部が企画編集に携わったことを知ると、感慨深い思いに捉われる。このような出版物もまた一朝一夕にしてなったものではないことを教えられるからだ。

それから戦前のことだが、服部が中央公論社の初代出版部長だったとは知らなかったので、『中央公論社の八十年』を確認してみると、大宅壮一の推薦によるもので、「年表」の「昭和4年7月」のところに、「出版部長として入社」とあった。またレマルクの『西部戦線異状なし』のことだけれど、この中央公論社の処女出版のベストセラー化は、服部と同時に入社した営業部長の牧野武夫の『雲か山か』(中公文庫)の記述により、牧野が手がけたとばかり思っていた。それは『出版広告の歴史一九八五年…一九四一年』(出版ニュース社)で、『西部戦線異状なし』を担当した尾崎秀樹も同様である。ただよく考えれば、牧野は営業担当だし、企画編集者は別にいたと見たほうが妥当であろう。しかし『中央公論社の八十年』にはそのことに関する言及はなく、手元にある昭和四年十二月十五日百十版を見ても、服部の名前もない。

雲か山か

秦豊吉の「序」にあたる「訳者より」には「昭和四年九月」の日付で、「日本に於ける出版権並に翻訳に就て、多大の尽力をされたのは、野原駒吉君、野原乙董君である。僕は厚く御礼を申述べなければならぬ」と書いている。この言葉からすれば、実質的な企画編集者はこの二人の野原だと思われる。だが二人の名前は『中央公論社の八十年』にも見あたらないし、おそらく編集部の末端にあったからかもしれない。同書の「年表」の「10月」のところに「『西部戦線異状なし』(ルマルク、秦豊吉訳)を中央公論社出版部の処女出版として刊行、たちまちベストセラー」とある。服部と牧野の入社は七月であるから、直接企画編集には携わっておらず、たまたま二人がそれぞれ出版、営業部長についていたので、ベストセラー業績も付加されたということになるのだろう。

なおその後読んだ高橋輝好『日・独の闇に消えた男―「野原駒吉」探索ノート』(さんこう社、二〇〇九年)によれば、野原駒吉は日独混血の在独日本大使館関係者であり、中央公論社の編集者ではない。それゆえにここで秦が述べているのは版権取得に関する謝辞だと見なせよう。

日・独の闇に消えた男―「野原駒吉」探索ノート


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2016-11-20 古本夜話602 大畑達雄と大畑書店

[] 古本夜話602 大畑達雄と大畑書店

前々回、『唯物論研究』の第二〇号だけが大畑書店を発行所として出されたことにふれておいた。

f:id:OdaMitsuo:20160911212321j:image:h110 (『戦前戦中を歩む』)

大畑書店は本連載588でもその名前を挙げた大畑達雄が立ち上げた出版社である。彼は日本評論社の翻訳者、編集長だった。美作太郎は『戦前戦中を歩む』の中で、その一生を「大畑書店の栄光と受難」と題し、直接の上司で、「そのやさしい性格と堅固な思想を持して」編集の手ほどきをしてくれた大畑について語っている。やはり本連載588で既述したように、日本評論社の創業者の茅原茂が大正十四年に亡くなると、営業部長の鈴木利貞が社長に就任した。ところが次第に鈴木の独裁的になる傾向に対して、従業員組合が結成され、美作たちは昭和四年にストライキ闘争に突入し、翌年に力尽きて退社するに至った。大畑もストに入った美作たちと行動を共にすることはなかったが、同じく鈴木の独裁的なやり方、及び次々と全集物企画を追いかける方針に反発し、退社してしまう。それを美作は次のように記している。

 大畑は鈴木社長が引き留めるのもきかないで、正式に日本評論社を退社し、一九三二(昭和七)年早々に、自分がかねがね抱懐していた出版の理念を生かそうとして、大畑書店を創立した。著者の中にも、この大畑の独立をよろこんでいる人が少なくなかったし、私たちはもちろんこれを支持した。日本評論社時代からの仲間であった秋山という人が経理方面を受けもち、事務所を神田今川小路の教育会館内の小さな一室に置いた。

 大畑書店は、今中次麿の「現代独裁政治論叢書」の第一巻として『現代独裁政治学概論』を処女出版として世に送ってから、一九三四(昭和九)年の前半までの約二年間に、計四十四点の新刊を出版している。これは、月平均二点弱ということになる。この数字は、編集に若い助手を使ったことがあるとしても驚嘆に値する業績であり、しかも出版された本が、紙装、ハードカバーのいずれを問わず、今日に目でみても実に行きとどいた造本の出来映えを示している。このことだけでも、病弱な大畑には大変な激務であったろうと想像されるし、そのための過労が死期を早めるようになったのではないかと思われる。

大畑は持病の肺結核が思わしくなく、中野療養所に入院し、昭和十年に四十五歳の若さで亡くなったのである。茨城県真壁郡の豪農の家に生まれ、早稲田大学卒業後、「出版・編集・翻訳の道を一すじの白銀の糸のように貫いてきた『志』は、ここでぷつりと切れてしまった」と美作は述べ、大畑書店の刊行目録を掲げている。それはこの美作の著書の中でしかリストアップされていないかもしれない。だから興味のある読者はぜひ『戦前戦中を歩む』を見てほしいと思う。ちなみにそこには足助素一の叢文閣の出版目録も掲載されているからである。

それはともかく、美作は大畑書店の刊行書目に大畑の学問に対する深い敬愛、権力の圧迫に対する抗議の精神、ファシズムの科学的分析の精神、マルクス主義の唯物論に基づく企画の追求を挙げている。そして発禁となり、後の瀧川事件へと繋がっていく瀧川幸辰の『刑法読本』、長谷川如是閑『日本ファシズム批判』、若き鈴木安蔵憲法学の労作『憲法の歴史的研究』笠信太郎、林要、住谷悦治などの経済学的所産の仕事、唯物論研究会の戸坂潤、岡邦雄、船山信一たちの著作の出版にそれらの投影を見ている。

私も何冊かは入手しているはずだが、現物を見出せず、その代わりに戦後の復刊が出てきた。それらは服部之総『黒船前後』(筑摩叢書)、本連載523でふれている田村栄太郎の『一揆雲助博徒』(三崎書房)の二冊である。これは古在由重『戦時下の唯物論者たち』所収の「座談会 唯物論研究会の活動」の中での証言だが、服部は幹事であると同時に『唯物論研究』の主たる編集者だった。その事実からすると、第二〇号掲載の田村の「上州世直しと小栗上野之介」は彼の初めての寄稿であり、服部の要請によって書かれたのではないだろうか。そしてその号が大畑書店からの発行となったことも関係しているようにも思われる。

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美作の言によれば、大畑は昭和八年春に、創業して間もない大畑書店の仕事を案じながら入院している。だが刊行目録から明らかなように、大畑の入院中もおそらく「若い助手」が彼の指示を受け、出版を続けていたはずだ。この「若い助手」は田村の著書の「序」で、謝辞が述べられている「大畑書店秋山寿一郎氏」かもしれない。しかし経営者が不在の大畑書店にとって資金繰りは困難を極めたに相違なく、新刊の刊行は九年前半で途絶えてしまったと考えられるし、大畑の病状も悪化し、死も迫りつつあった。

そこで大畑書店から著書を出すことによって知り合った服部と田村が、もしくは服部が大畑に田村を紹介したのかもしれない。危機にある大畑と大畑書店へのカンパの意味で、『唯物論研究』第二〇号を大畑書店発行とするように計らったのではないだろうか。そのために、服部を通じて田村は見舞いの意味もこめ、原稿を書いた。先の座談会の証言からすれば、当時の『唯物論研究』は三千部ほどは売れていたので、大畑書店としての販売マージンはささやかなものであっても、干天の慈雨のようなものになったにちがいない。しかしそれは幹事としての服部の一回だけの独断のようでもあり、幹事会員の判断ではなかったと考えられる。そのような野辺送りを受け、昭和十年に大畑は亡くなり、大畑書店もまた消えていったのであろう。


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