出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話14 村山知義と艶本時代

これまで伊藤晴雨を源流とする「アブノーマル雑誌」の系譜を、『奇譚クラブ』『風俗草紙』『裏窓』までたどってきた。また一方で、カストリ雑誌赤と黒』から「性風俗誌」の『人間探究』や『あまとりあ』に至る流れも追ってきた。そしてこの二つの人脈が久保書店あまとりあ社に流れこみ、そこからもうひとつの分野の雑誌『マンハント』が派生したことも見てきたばかりだ。

この「古本夜話」連載では、できるだけ戦後出版史に限定するつもりでここまで書いてきたが、出版裏通りとでも称すべき赤本業界、及びその周辺から立ち上がっていく様々な性にまつわる雑誌、ポルノグラフィ出版の企画と人脈は、戦前からつながっていることは明白であり、それらの複雑に絡み合った出版人脈と敗戦後の成金的資金が結びつき、空前のカストリ雑誌時代を出現させたと思われる。だからここで、その人脈と企画の起源のアウトラインだけでも記しておく必要があるだろう。

この出版人脈の最も包括的なチャートは、城市郎『発禁本』(別冊太陽)で示している「“昭和艶本合戦”珍書関係者系譜」である。昭和初期円本時代は、同時にポルノグラフィやセクソロジーや変態雑誌といった「艶本」出版時代でもあった。それらの全員に言及できないが、そこには文芸市場社の梅原北明を筆頭にして、国際文献刊行会と粋古堂の伊藤竹酔、温故書店・坂本書店の坂本篤、書物展望社斎藤昌三三笠書房の竹内道之助などが顔を揃え、さらに名前は記されていないが、当時の様々な文学ムーブメントに連なる多くの人々が関係している。また「異端の責め絵師・伊藤晴雨」も四ページにわたって紹介され、彼の多くの「責め絵」が掲載されている。伊藤晴雨もまたこの「艶本」時代にデビューしたといっていい。

発禁本―明治・大正・昭和・平成 (別冊太陽) 地下本の世界―発禁本 2 (別冊太陽) 発禁本 (3) (別冊太陽)

そしてこれまで断片的に記してきたが、国際文献刊行会の「世界奇書異聞類聚」全十二巻もこの「艶本」時代に出版されたのである。これは限定五百部と伝えられているが、幸いにして友人から贈られた一セットを所有しているので、その明細を記しておく。

第一・二巻 チョーサー、金子健二訳『カンタベリ物語』
第三巻 キャバネ、矢口達訳『世界浴場史』
第四・五巻 ナバル女王、梅原北明訳『エプタメロン』
第六巻 ルイス、川路柳紅訳『ビリチスの歌』
第七巻 アスパシャ・ライス、大隅為三訳『希臘美姫伝』
第八巻 フックス、佐藤紅霞訳『変態風俗史』
第九巻 ルイス、太田三郎・荒木季夫共訳『アフロデット』
第十巻 ヰリアム・モリス、矢口達訳『地上楽園』
第十一巻 フックス・キント共著、村山知義訳『女天下』
第十二巻 泉芳環訳『二十五鬼物語(インド古譚集)』

これらの文芸市場社の梅原北明からアカデミズムに属する矢口達や金子健二までの訳者を含んだ「世界奇書異聞類聚」全十二巻は、紺地にオレンジ色のタイトルを様々にあしらった全巻異装の新鮮な装丁で、『女天下』の訳者の村山知義が担当している。村山がこの企画に加わったのは『文党』の同人であったことがきっかけだろう。『文党』は金子洋文や村山など八人を同人として、大正十四年七月に創刊され、同じく村山が表紙デザインを手がけ、今東光が編集兼発行者だった。そして第二号から梅原北明たちが加わり、これも同年十一月に『文芸市場』が立ち上げられることになる。そのかたわらで、梅原と伊藤竹酔の交流が始まり、これらの三つの人脈が交差し、国際文献刊行会の「世界奇書異聞類聚」へと結びついていったと思われる。

また村山は前年に自ら編集兼発行人として、アヴァンギャルド芸術を標榜する『マヴォ』を創刊し、同人の萩原恭次郎の『死刑宣告』(復刻 日本図書センター)の造本、レイアウト、写真は村山たちのアヴァンギャルドの体現であり、それを象徴するような出版だった。その系譜は「世界奇書異聞類聚」にも確実に流れこんでいる。
村山が自らいう「ゴチャマゼの芸術家」の多彩な仕事の全貌をつかむことは難しい。それは絵画、舞台装置、戯曲、翻訳、小説、さらに装丁、挿絵、ポスターなどのグラフィックな仕事にまで拡がっているからだ。いくつかの彼の年譜を参照しても、それらを全体的に包括しているものはない。ただ演劇関係は彼の死により中絶してしまったが、四巻に及ぶ『演劇的自叙伝』(東邦出版社、東京芸術座出版局)が刊行されているので、俯瞰は可能である。また近年になって、『村山知義 グラフィックの仕事』(本の泉社)も刊行され、ようやく吉行あぐり美容室の設計も含めた建築から、書籍や雑誌の装丁、挿絵やカットに至るまでのグラフィックな仕事までたどれるようになった。そして同書を通じて、村山が円本時代の『近代劇全集』(第一書房)、『現代大衆文学全集』(平凡社)、『小学生全集』(興文社)に多くの挿絵やカットを寄せていることを知った。それからこれは特筆すべきことだが、昭和三十年代後半に理論社から刊行され始めた村山の時代小説『忍びの者』(岩波書店)全五巻は、大映において市川雷蔵主演で映画化され、忍者ブームに大いなる貢献を果たしている。

死刑宣告 村山知義 グラフィックの仕事 忍びの者〈1〉 忍びの者〈2〉 忍びの者〈3〉 忍びの者〈4〉 忍びの者〈5〉

だが依然としてわからないのは、出版社と翻訳についてである。これは城市郎の「発禁本」シリーズにも書影が見えないが、「世界性学大系」という叢書があり、四冊持っていて、その中にアルバート・モル著、村山知義訳『性欲と社会』『芸術に現はれた性欲』の二冊が入っている。これらは明らかに村山の装丁で、発行兼印刷者を上森健一郎、発行所を文芸資料研究会編輯部にして、昭和三年に刊行されている。詳述は避けるが、この出版社は梅原の文芸市場社から派生したもので、上森は文芸春秋を経て、戦後キネマ旬報社の社長を務め、総会屋としても名を馳せた人物である。彼は城山三郎の『総会屋錦城』(新潮文庫)のモデルとされている。この企画の出版経緯もよくわかっていない。
総会屋錦城)
これらの「艶本」だけでなく、『マヴォ』と『死刑宣告』、及び村山の最初の著作『現在の芸術と未来の芸術』などを刊行した長隆舎書店の畑鋭三郎がどのような人物なのかも伝わっていない。村山はタイトルに「演劇」がつくとはいえ、大部な『演劇的自叙伝』の中でも、まったくといっていいほど出版と翻訳について語っていない。何らかの差しさわりのある事情が潜んでいるのであろうか。そのために出版史の証言に空白が生じてしまっている。