出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

志水辰夫『うしろ姿』

〇五年に刊行され、〇八年に文庫化された志水辰夫の短編集『うしろ姿』 (文春文庫)の「あとがき」は、それまで作家たちが自覚しつつあったにしても、当時はほとんど誰も発してこなかった出版状況をめぐる生々しい言葉と感慨が書きこまれていた。それに志水は「あとがき」を添えることのなかった作家であるだけに、余計に生々しい。三ページ余にわたる全文を引用したいほどだが、紙幅の関係もあるので、抽出して紹介するしかない。
うしろ姿

 本が売れなくなった。小説が読まれなくなった。暮らしのなかに占める本の比重が信じられないくらい軽くなってしまった。本というものにどっぷり浸かって生きてきたわたしなどにとって呆然とするほかない時代がやってきた。
 出版界を取り巻くこれほどはげしい情勢の変化は、これまでだれも予測していなかったように思う。わたしにしても小説を書きはじめてまだ二十年ちょっとなのである。

 しかし小説の読者が減ってきたとしたら、その責任の多くは供給する側にあるとわたしは思っている。小説というスタイルそのものが、現代をとらえるにはもう適切でなくなっているのではないかという思いを捨てきれないのだ。時代の要求するものをつくる側が満たせなくなった。というより何が求められているか、それすらつかみきれなくなった。
 読書人口が減っている実感は、地方に住んでいるとより深刻に感じる。日常生活から本が駆逐されてしまったと思えるときすらあるのだ。しかもその度合いはますます強くなっている。最近以前ほど本屋へ行く気がしなくなったのも、新しい本に出会える期待がいちじるしく低下してしまったからだ。地方の本屋に並んでいるのは、圧倒的に売れている本か、その亜流ばかりなのである。それが並んでいる平台ときたら、書店というより風俗かファッションの先端に立ち合っている感じだ。一方で圧倒的に売れていないほかの本の棚には、いつ行っても同じ本しか並んでいない。この両極端化は今後強まりこそすれ、弱まることはないだろう。小説がかすむ一方になってしまったのも当然といえば当然か。

 わたしの小説、とくにこの本に収めた作品などすでに過去のものである。過去のスタイルであり、過去の価値観という畑でつくりだした作物にすぎない。自分がそういうなかで育ってきた以上、ほかのものをつくることも、その方法も持ち合わせていなかったということだ。したがってそのこと自体は恥ずかしいと思っていない。しょせん小説は時代の子。その背景を共有するものにしか共鳴力を持たない。そして時代というものはいつか終わりを迎えるものなのだ。

これに続けて、「わたしたちの時代は終わろうとしている」と記し、「一緒に歩いてくれた読者がいただけでもしあわせな時代に生まれ合わせたと感謝している」とも書いている。志水の言葉に喚起される読者がいたら、ぜひ文春文庫を読んでほしい。「この手の作品はこれが最後」で、「この本を手にとってくださった方に心からお礼を申し上げます」と結ばれているからだ。そして志水はそれ以後、時代や編集者の要請に応じてなのか、「時代小説」へと赴くことになる。私は彼の忠実な読者であり続けていたけれど、痛々しい思いを感じ、それらの「時代小説」を読んでいない。それはともかくここでは「時代というものはいつか終わりを迎えるものだ」という志水の述懐を、戦後出版史の文脈において考えてみよう。

これは渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』 未来社)などから学んだことだが、そこで渡辺は「プログラムピクチャー」という概念を提出している。「プログラムピクチャー」とは映画館への定期的配給のために量産される映画のことをさす。それらの映画は量産と定期的配給を宿命づけられているゆえに、興行的バランスも含め、一定のフォーマットに従って製作され、そこに映画会社ならではの社風や路線が生まれる。それらは芸術映画や大作と対照的な大衆娯楽映画、B級作品と重なる面もあるが、あくまで「プログラムピクチャー」の本質は「量産化、定期化、路線化」にあるとされる。渡辺はその典型に日活アクション映画と東映の任侠映画を挙げ、日活の『赤いハンカチ』や東映の『総長賭博』をそれぞれの傑作としている。私であれば、大映座頭市眠狂四郎シリーズを挙げたくなる。
日活アクションの華麗な世界

つまり「プログラムピクチャー」は同じフォーマットに従うマンネリズム映画だが、監督はフォーマットさえ守れば、そこからはみ出す部分は自由で、脚本家は同じパターンの中での細部に工夫をこらし、俳優もまた決まりきった役割を精緻に練り上げることができる。それは美術や照明も同様で、繰り返しによるマンネリズムがもたらす必然的洗練という現象が生じる。「プログラムピクチャー」の時代は映画が全盛だった六〇年代であり、七〇年代の初めまでは細々ながらも続いていたとされる。

この「プログラムピクチャー」の概念を出版史に当てはめてみる。志水の「小説は時代の子」で、その時代が終わりつつあるとの言葉を換言すれば、一九五九年のカッパノベルスから始まり、八〇年代前半の講談社ノベルスや角川ノベルスなどの創刊を経て、九〇年代まで続いていた新書判の「プログラムノベルス」の時代が終わってしまったことを意味しているのではないだろうか。

とりわけ八〇年代前半の相次ぐノベルスの創刊とそれに刺激された既存のノベルスの活性化は、映画と同様に小説の「量産化、定期化、路線化」を招いた。これらを「プログラムノベルス」と称していいように思われる。ノベルスは単行本と異なる部数を必要とすることから、「量産化」され、毎月の刊行がまず先にありきで「定期化」され、各ノベルスの差異化もあって「路線化」が求められる。当然のことながら、そこでは「定期化」のために、編集者たちの新人採用もかなり自由裁量化され、またそのことで自分の好みと主張を投影させ、作家たちも「量産化」をクリアすれば、こちらも自由な「路線化」を可能ならしめた。その「路線化」のひとつが所謂「冒険小説」であり、『本の雑誌』や八八年から始まった年度版『このミステリーがすごい!』が併走し、その系譜上に「新本格ミステリー」も成立していると考えられる。さらにノベルスの成功を見て、単行本シリーズの「新潮ミステリー倶楽部」、講談社の「推理小説特別書下ろし」、「早川ミステリワールド」も企画されたといっていい。

したがって戦後のミステリー出版も「プログラムピクチャー」的な「プログラムノベルス」の歴史とともに歩んできたのである。志水辰夫も八〇年代前半に『裂けて海峡』 『散る花もあり』 (いずれも講談社ノベルス)、『尋ねて雪か』 (トクマノベルス)などを刊行し、『行きずりの街』 (「新潮ミステリー倶楽部」)は、九二年版『このミステリーがすごい!』の第一位に選ばれている。

裂けて海峡 散る花もあり 尋ねて雪か 行きずりの街

このような「プログラムノベルス」の時代を背景に作家としてデビューし、読者を得たことについて、「しあわせな時代に生まれ合わせた」と志水は語っているのであろう。彼のデビューに関して付け加えれば、八一年の処女作『飢えて狼』 講談社の編集者白川充のもとに持ちこまれたもので、白川は船戸与一にも小説の書下ろしを勧め、それは七九年の『非合法員』 として出版されたのである。したがって「冒険小説」の八〇年代から九〇年代にかけての両雄は、同じ編集者によって見出されたことになる。「新本格ミステリー」に付き添った同じく講談社宇山日出臣のことは語られているが、白川については書かれていないので、「冒険小説」をめぐる事実として記してみた。

飢えて狼 非合法員

確かに講談社ノベルスなどはまだ刊行されているし、『本の雑誌』も『このミステリーがすごい!』も続いている。しかし編集者と併走し、読者の熱い支持を得た「プログラムノベルス」の時代はすでに終わってしまったのであり、それを実感として「わたしたちの時代は終わろうとしている」と志水は述べているように思われる。

この一文を書いた後、思いがけずに『本の雑誌』二月号において、新保博久による「梶山季之から船戸与一志水辰夫、そして〈大衆文学館〉―白川充インタビュー」が掲載された。ぜひ併読されたい。