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古本夜話44 中野正人、花房四郎、『同性愛の種々相』

もう一冊「同性愛」という言葉を含んだ単行本がある。それはドクトル・アルベール著、花房四郎訳『同性愛の種々相』で、昭和四年に文芸市場社から、発行者を中野正人とする「談奇館随筆第四巻」として刊行されている。岩田準一『男色文献書志』 にも花房四郎の『男色考』(発藻堂書院)が挙げられているが、『同性愛の種々相』は男色ならぬ「女子の同性愛」が対象なので、こちらは掲載されていない。同書は主として「女子の同性愛」を古代ギリシャに起源を発するトリバードとサッフイストの二つに分け、それぞれの特徴を解説したものである。ただ著者のドクトル・アルベールがどのような人物なのかはわからない。
男色文献書志

ここでは同書にこれ以上踏みこまず、花房四郎にふれてみたい。花房は発行者の中野正人の別名で、彼もまた梅原北明の出版人脈を支えて一人でもあるからだ。花房は『文芸市場』の後半と『グロテスク』の実質的編集長を務め、文芸市場社=談奇館書局の責任編集者で、後に独立して文献堂書院を設立している。

斎藤昌三は昭和四十八年刊の『三十六人の好色家』 (有光書房)において、花房四郎に一章を割き、「北明の女房役」としての花房を次のように記している。
三十六人の好色家

 花房四郎はペンネームで、本名は中野正人である。生国も年齢も未だ調べてないが、大体梅原と同年輩位で、梅原に遅るること五年で去る二十六年病死した。五十歳と見る。
 北明がアレ程自由に大胆に活躍したのは、実際には花房が陰に在つたからで、花房は北明を肉親以上の兄として、時と場合に依つては北明の代りにブタバコにも入り、当局との難問題にも進んで接触したので、北明も細君や実弟にも打明けないことも、又は経済上のことや営業方針のことまでも一任するほどの信頼があつた。

また梅原は戦時中に科学技術振興会を牛耳り、海軍の翻訳出版に従事していたが、敗戦後に釣りの雑誌を企画していた。それを考えると、奥川書房=釣之研究社の近傍にいたとも推測できる。だが発疹チブスで急逝してしまった。その梅原の遺児たちの世話をしたのも花房だったという。

その一方で、戦後の花房は出版社の顧問や企画者となっていたようだ。おそらくそれらの出版社はカストリ雑誌の版元や、既述しておいたポルノグラフィの紫書房などだったのではないだろうか。

しかし花房の本名である中野正人をたどっていくと、梅原の出版の盟友とは異なる別の側面に突き当たる。それは日本プロレタリア文芸連盟、『文芸戦線』同人、労農芸術家連盟、前衛芸術家同盟、全日本無産者芸術連盟をたどる足跡で、中野はプロレタリア文学者でもあったのだ。だが彼の名前は『日本近代文学大事典』にも立項されておらず、その作品も見つけられずにいたが、最近になって一編だけであるにしても、『初期プロレタリア文学集5』 (『日本プロレタリア文学集』第5巻、新日本出版社)の中に収録されているとわかった。それは「紛擾」という短編である。何よりもまずこの短編を紹介しよう。

「紛擾」は家出していた盛島村長が一週間ほどして、村に帰ってくるところから始まる。彼は村の公金を無断で持ち出し、都会の株式取引所で株の売買に加わり、無一文になって戻ってきたのである。留守の間に組合の金をごまかしたことが露見し、村は大騒ぎになり、家族も非難する中で、盛島は自分勝手な怒りを爆発させる。盛島村長の評判は以前から悪く、村役場にはわずかな時間しかおらず、自分の儲け口を探し歩き、それに加えて強欲で、村の屈指の地主だけに小作人たちの反感も強かった。

しかし盛島は長いしきたりから、何でも自分の思いのままにできると信じ、村民に対しても高圧的で、御用地となる土地を安く買い占め、転売して巨利を得たりしていた。そのうちに親しい代議士から県会議員に立つことを勧められ、彼の野心は高まり、その地位と名誉を得るための富を確保しようとし、投機事業に手を出し、ひどい打撃をこうむった。それは田畑の大半を売り払っても償われないほどの失敗で、その損害を取り戻すために、村の購買組合名義で銀行から金を借り出した上に、その預金まで持ち出し、それらをすべて失ってしまったのである。

村民大会が開かれたが、盛岡は仮病をよそおって出席せず、中村という組合の理事が忌わしい事件の説明と大会の議事進行を務めた。村民は村長非難に終始したが、時間はいたずらに過ぎるばかりで、具体的な決議は提起されなかった。そこで中村が話し出す。組合が最も困っているのは銀行からの返済催促で、金がなければ、負債者の証書を渡せといわれていることだと。ここで大会の目的と形勢が代わってしまい、今度は借りている者が返せば預けている者はいくらかもらえるという組合の預金者と負債者の争いになってしまった。だが負債者の誰も返せるあてなどなかった。

数日後に中村理事の家が火事になり、折からの強風で全焼してしまった。それは負債者の一人である喜十という最も貧しい反古買が放火したものだった。彼は理事が持っている借用書が焼けてしまえば、苦しんでいる全員が助かると思い、火を放ったのだ。彼は村の人たちが痛ましい目つきで見守る中を、「俺がやらかした悪いことと、村長とどっちが悪いか考えてくらっせい、村の衆!」とどなりながら、巡査に引かれていった。

このようなストーリー紹介だけでも、「紛擾」がまっとうなプロレタリア農村小説だとわかるだろう。この作品は多くのプロレタリア作家を輩出させた『新興文学』大正十二年八月号に掲載された「初期プロレタリア文学」の一編であるが、「解説」を担当している祖父江昭二も、「中野正人のこともよくわからない」し、「詳細は不明」と述べている。梅原北明たちが大正十四年に創刊した『文芸市場』も最初はプロレタリア文学雑誌の色彩が強かったことからすれば、『種蒔く人』や『新興文学』に集った人脈が『文芸市場』や『グロテスク』まで継承されたと考えていいだろう。中野正人はその律儀にして代表的な人物だったのではないだろうか。

それゆえにプロレタリア文学運動と梅原たちのポルノグラフィ出版も表裏一体の関係にあったのであり、実質的に『新興文学』でデビューした小林多喜二の昭和八年の特高による拷問虐殺とほぼ時代を合わせ、ポルノグラフィ出版者たちが様々に分裂し、そのような出版自体も消滅へと向かったのは偶然ではないように思われる。

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