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古本夜話55 尾崎久彌『江戸軟派雑考』

秋朱之介の『書物』の寄稿者に尾崎久彌がいる。尾崎の名前は城市郎のチャートに出ているが、それは彼が『江戸軟派研究』を発行していること、及び「変態文献叢書」のうちの『会本雑考』を封酔小史のペンネームで刊行していることによると思われる。しかし尾崎の場合は、梅原の出版人脈から少し外れているような気がする。

この頃重宝している神谷敏夫の『最新日本著作者辞典』(大同館書店、昭和六年)で、尾崎を引いてみる。

 江戸軟派・浮世絵の研究者で、明治二十三年六月名古屋に生れた。明治四十四年国学院大学高等師範部国語漢文科を卒業し、現に名古屋商業学校・育英学校等に教鞭をとり又国学院大学の講師となつている。大正十一年十月個人雑誌『江戸軟派研究』を出し、昭和三年十月に『江戸文学研究』として今日に至つている(後略)。

梅原たちが文芸資料研究会によって「変態十二史」を刊行し、所謂「軟派出版」に参入していくのが大正十五年であるから、尾崎の『江戸軟派研究』はかなり先駆けていたことが明らかであろう。だから彼は教師と研究者を兼ねる、すでに梅原たちの先を行く出版者でもあったのだ。

尾崎の『江戸軟派雑考』は、主として『江戸軟派研究』に発表された論考をまとめたものだが、これもすでに大正十四年に春陽堂から菊判六百ページ近くの大冊となって刊行されている。そこには坪内逍遥が年齢にそぐわないほどの熱気のこもった異例の「序」を寄せている。尾崎の「自序」によれば、出版も坪内の推挽だという。同じく名古屋出身の尾崎の江戸文学への肩入れを見て、逍遥は若き日に貸本屋大惣でそれらを読みふけっていたことを思い出したのかもしれない。長文の「序」の要点だけを取り出してみよう。

坪内はこれまでまとまった江戸軟派の研究が絶無であり、本書は「近時の出版界に於ける異彩」で、愛情と研究の双方を備えた一冊だと述べ、次のように書いている。

 君は蝶ではなく、蛾でなく、蚕でない。譬ふべくば蜜蜂でもあらうか? 色香にあこがれて、花から花へと翔びわたり、付きまつわり、さうして其間に絶えず夥しい甘い液を吸ひ、貯へ保ち、最後にそれを料にしておのが独自の密蝋を製る蜜蜂は、取りも直さず、君の姿ではないか? 君の其主題に対する沈浸、合嚼、消化は殆んど耽溺的だといつてよい。しかも其観察は、殊に其最後の態度は殆んど科学的といつてよい程に冷静であり、批判的である。

まさに尾崎の『江戸軟派雑考』はこの逍遥の魅惑的な比喩に充ちた言葉に尽きていると言えよう。しかも逍遥は用意周到に検閲に対する事前的弁護まで織りこませている。簡略にその内容を挙げてみる。何と最初に「原始的な稚児物」と題される章がすえられ、近世男色物としての『稚児乃草紙』が取り上げられている。そして伏字含みながら、全文の掲載があり、『岩つつじ』も引かれている。江戸川乱歩岩田準一はこの『稚児乃草紙』の絵巻原本を、京都の醍醐三宝院へ一緒に見にいっている。これは男色文献として重要であり、当然のことながら、岩田の『男色文献書志』に『江戸軟派研究』初出を掲載している。
男色文献書志

この「原始的な稚児物」に続くのが、『好色むらく坊』と作者の桃隣、西鶴のおさんの正体、近松半二の『心中紙屋治兵衛』と大近松の『天の網島』の比較、曲亭馬琴黄表紙、江戸時代の私娼比丘尼の考証、十返舎一九による絶妙な『三都の口真似』、方外道人の名店を紹介した『江戸名物詩』、春信や歌麿などの浮世絵師の心理の考察、死んだ役者の似顔絵を描いた死絵、本朝艶画とそこにこめられた民衆の心理、菊池寛『藤十郎の恋』の種本『賢外集』、錦絵に見られる「踊形容」の意味などである。とりわけ興味深く読んだものを列挙してみたが、これらもすべて江戸時代の文献を実際に入手し、舌なめずりするように吟味し、多くの挿絵を配置して、次々と私たちが知らない事柄や事実を教えてくれる。まさに江戸時代の万華鏡にして、これまで明かされることのなかった知識の饗宴なのである。内田魯庵や飯島花月たちの書信も紹介されているが、彼らが便りを寄せるほど面白いのだ。
藤十郎の恋・恩讐の彼方に

それでいて、尾崎の筆致は逍遥が言うように「耽溺的」でありながら、「冷静」で「批判的」な視線も含んでいる。それらの例をふたつほど挙げてみよう。「浮世絵師の心理」において、春信や歌麿が描いた美女は彼らの「寂しい心」が生み出したものであり、「彼等の美人は、彼等の手に成された美人で、当時の現実界にも観られなかつたものであろう。然すると一種の偶像の把持者、自己創作の夢に陶酔した一種のドリマーではなかつたらうか」と尾崎は述べている。また「エロチツクスに滲む心持」の中で、春画における「民衆の征服欲、性の国の王石ならんことを欲する民衆の心理」を指摘している。これらは尾崎が近代をくぐり抜けた視線で近世を見ていることを物語り、彼が梅原北明たちと一線を画す研究者だったことを示していよう。

やはりモダニストであった逍遥が、これらの論考に驚喜したのがわかるような気がする。そして二人をつなぐ名古屋というトポスから、梅原の盟友酒井潔、『詩と詩論』によってモダニズム文学運動を推進した春山行夫が浮かび上がる。彼らを生み出した名古屋の近代も再考されるべきなのかもしれない。

尾崎久彌の『江戸軟派雑考』が「変態文献叢書」に与えた影響は多大であり、そのためにいくつかのタイトルに「雑考」が付されているのだろう。だがこの画期的著作は久しく絶版のままになっている。市古貞次編『国文学研究書目解題』東大出版会)においても、尾崎の著書は『江戸小説研究』の一冊しか立項されていない。だが今こそ尾崎だけでなく、酒井も春山も読み返す時期を迎えているように思われる。

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