◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事 |
1 東北書房と『黒流』 |
2 アメリカ密入国と雄飛会 |
3 メキシコ上陸とローザとの出会い |
4 先行する物語としての『黒流』 |
5 支那人と吸血鬼団 |
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人 |
7 カリフォルニアにおける日本人の女 |
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち |
9 黒人との合流 |
10 ローザとハリウッド |
11 メイランの出現 |
12『黒流』という物語の終わり |
13 同時代の文学史 |
14 新しい大正文学の潮流 |
15 『黒流』の印刷問題 |
16 伏字の復元 1 |
17 伏字の復元 2 |
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』 |
19 モーパッサン『ベラミ』 |
20 ゾラ『ナナ』
このように『黒流』のキャラクターなどから遡行し、物語祖型となったと思われるブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』とモーパッサンの『ベラミ』における共通の要点を紹介してきたが、もう一冊挙げてみたい。それはエミール・ゾラの『ナナ』である。『黒流』の中で黒人の金を巻き上げる賭博場兼淫売窟で、白人の美しい女グラハムが黒人に変装した荒木たちを挑発し、ストリップティーズに及ぶ場面は『ナナ』の物語の最初で、ヴィーナスに扮し、舞台に衝撃的に姿を見せる描写と似通っている。私の新訳もあるのだが、ここでは大正時代の宇高伸一訳(『世界文学全集』19所収、新潮社)を引用する。
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観客は身震いした。ナナは裸体なのだ。自分の肉体に十分の自信をもつて、彼女は、裸体のまま大膽にも落着いていた。ほんの一枚の軽羅(うすもの)が、彼女を包んでいるばかりだつた。円い肩、薔薇色の槍のやうにくつきりと盛りあがつた固い二つの突起のある胸、淫蕩な動作で揺れている大きな腰、脂ぎつた金色の腿、かうした彼女の全身が泡のやうに白い軽い織物の下に、透き通つたり露はに見えたりしていた。(中略)人々の顔は緊張し、鼻に皺を寄せ、唾も涸れて口をからからにさせていた。
フランスでの『ナナ』の出版は『ベラミ』より早い一八八〇年で、日本の明治十年代に『ナナ』も『ベラミ』も刊行されたことになる。これらの自然主義として翻訳されたフランスの近代小説が放っているエロティシズムは、私たちが現在想像する以上に強烈なものであったと思われる。しかしまだ映画の時代にも入っていなかったし、ナナのような西洋の女性の肉体はファンタジーの領域にあったのではないだろうか。それゆえに『ベラミ』や『ナナ』に表われている女性の肉体に関する描写、つまり男の生々しい欲望を喚起する衣服、露出の多い肌、白い肌と豊満な肉体が示す誘惑、立ちのぼる体臭と香水の匂い、そしてきわめつけの「裸体」などが頻出しているが、それらの描写や技法がダイレクトに同時代の日本文学へと導入されていなかった。そのように女たちを描くことは生活や風俗やエロスの異なる日本においてはまだ不可能だったからだ。
それでも谷崎潤一郎だけが大正十三年から十四年にかけて、『痴人の愛』を連載し、西洋人のような女であるナオミを登場させていた。谷崎の試みとまさに同時期に、佐藤吉郎はこれまでなかった白人の女たちを描く小説を書いていたことになる。おそらくそれは佐藤吉郎のように長期間にわたって、南北アメリカの女たちと接触してきたゆえに可能だったのではないだろうか。
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またこれは偶然かもしれないが、『痴人の愛』(改造社)と『黒流』の刊行時期は前者が大正十四年七月、後者が同年十月でほぼ同時なのである。さらに付け加えれば、谷崎はあの『刺青』の作家でもあり、『黒流』における刺青の象徴性は谷崎の作品の投影とも考えられ、谷崎と佐藤の作品の関連性も考慮すべきであろう。
ところでこれは余談になってしまうのだが、やはり大正十四年に刊行され、大衆作家としての地位を確固としたとされる三上於兎吉『白鬼』(新潮社)も『ベラミ』の換骨奪胎である。