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2011-05-30 謎の作者 佐藤吉郎と『黒流』32 黄禍論とアメリカ排日運動

[] 謎の作者 佐藤吉郎と『黒流』32 黄禍論とアメリカ排日運動

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』
19 モーパッサン『ベラミ』
20 ゾラ『ナナ』
21 人種戦としての大衆小説
22 東北学院と島貫兵太夫
23 日本力行会とは何か
24 日本力行会員の渡米
25 アメリカと佐藤吉郎
26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会
27 『黒流』のアメリカ流通
28 浜松の印刷所と長谷川保
29 聖隷福祉事業団と日本力行会
30 日本における日系ブラジル人
31 人種と共生の問題

32 黄禍論とアメリカ排日運動

それならば、佐藤吉郎の『黒流』が書かれた大正時代、すなわち一九一〇年からに二〇年にかけて、日本人移民はどのような状況に置かれていたのだろうか。まずは黄禍論についてふれなければならない。「黄禍(こうか)」Yellow Perilはドイツ皇帝ヴィルヘルム二世によって流布された用語で、黄色人種の勃興によって白色人種が受ける被害をさすが、日露戦争における日本の勝利を受けて世界中に広まり、ヨーロッパからアメリカに伝わり、日本からの移民問題へとつながる要因でもあった。黄禍論についての当時の日本人の反応、及びそれをめぐる国際状況は橋川文三『黄禍物語』岩波現代文庫)に詳しい。だがここでは黄禍論がもたらしたアメリカの排日運動の高まりと日本人移民の問題に限定する。

黄禍物語

日本からの移民の増加による経済社会問題と人種差別と黄禍論が相乗して、アメリカは一九〇八年に日本からの移民を制限した日米紳士協定、一三年にはカリフォルニア州排日土地法、二〇年には排日移民法が制定され、アメリカにおける排日の動きはエスカレートする一方だった。それについては、若槻泰雄の『排日の歴史』中公新書)がコンパクトな好著なので、参照してその歴史を追ってみる。

若槻は戦後の日本力行会と関係の深かったと思われる日本海外協会連合会(後の海外移住事業団)に勤務し、同書の「まえがき」において、「仕事の関係上、アメリカでも南米でも、私の最大の関心の一つは、日本人の対外接触によりおこる問題、先方からいえば、新たに参入してきた労働力であり、異文化のにない手である日本人に対する排斥感情の醸成の問題で、アメリカは最も豊富な材料と教訓に満ちている」と記している。そして題名からすれば、太平洋戦争が起きる昭和十年から十五、六年に刊行されたと考えるかもしれないが、大正時代後半に『日本争覇戦』『日米戦争』『日米戦はば』といった本が「きわもの的なのも含めて数多く発行された」という事実から、若槻は『排日の歴史』を始めている。

これに対応する記述が川合道雄の『武士のなったキリスト者押川方義管見(大正・昭和編)』の中にあった。川合は藤一也の『押川方義――そのナショナリズムを背景として』燦葉出版社)に引用された、「大正十二年……再び米国における排日運動が熾烈になった時、押川は日米開戦を主張、日本海軍をして、突風の如くハワイを攻撃、取っておけ、と当局に進言したが容れられなかった」という代議士押川の膝下の証言を再録している。とすれば、このような見解も当然のごとく日本力行会に反映されていたかもしれないし、アメリカの排日運動は日本のナショナリズムを昂揚させ、後の太平洋戦争の要因につながったとも考えられる。

明治三十年に立ち上がった日本力行会の歴史はアメリカの排日運動の高まりとパラレルだった。このような文脈においてみると、そのために渡米は会員を「日米戦争」の戦士のような心情へと駆り立て、だからこそ「力行奮闘の歌」が必要とされたのだ。若槻の引用するところによれば、日露戦争末期にサンフランシスコの比較的日本人に好意的だった有力紙『クロニカル』も次のような要旨の記事を掲げるに至ったという。

 在米日本人は中国人と同様アメリカに同化せず、白人の仕事を敏速に習得して廉価な賃金によって進出しつつある。在米日本人の数はすでに十万人になろうとしている。この勢いで増加するとカリフォルニア州は日本人労働者の占拠するところとなるであろう。われわれは自衛の愛国心によって、日本人を排斥せざるを得ない。

そして日露戦争後、アメリカの排日運動は激しさを増し、一九〇六年サンフランシスコ大地震を機にして、日本人学童隔離問題が起きた。これは実質的に日本人の一般小学校からの排斥だった。当時アメリカにいた永井荷風『あめりか物語』の一編を、「一時、加州で日本の学童排斥問題がかしましくなってきた時分、日米間には戦争がおこるだろうと、ニューヨークを初めとして、国内の新聞は種々の憶説を書きたてた」と書き出している。しかし現実的に日本は日露戦争後の疲弊ゆえに好戦的主張はまだ起きておらず、その声が挙がるのは先述したように大正時代に入ってからである。

あめりか物語

アメリカの排日運動は移民制限を意味する「日米紳士条約」を成立させ、次には日本人の土地の所有を禁止するカリフォルニア州排日土地法、続いて日本人の移民を禁止する排日移民法が制定され、日本の反米感情に火がつき、「日米戦争」のモードに染まっていく。日露戦争で白色人種を敗北させた黄色人種と、アメリカの白色人種との闘争がすでに始まりつつあった。このような状況を背景にして、日本力行会の佐藤吉郎はアメリカを放浪し、彼が言うところの「人種戦」を目の当たりにしたのであろう。

そのようなエスカレートした露骨な言説を岩槻が例を挙げている様々な新聞の主張とレポートから抽出してみる。

  「日本人が善良なアメリカ市民となり得るか否かは問題ではない。われわれは血液の混合を恐れるのだ」 

  「要するにわれわれの不平の全部は、日本人が近隣に居住することを好まないということに帰着し、顔色、信念、言語、政府、および社交に対する考え方、道徳規準等の相違……すべて人種の相違にもとづく」

  「黄色人種と白色人種が平等などというのは、まだ多少生命のある一種族が精神錯乱して、その病床からうめき出した言葉に過ぎぬ。(中略)黄白平等などという考えはまだまだこの先当分考えてはならぬことだ」

  「日本人は沿岸の寄生虫だ。金を儲けて日本に持ちかえり、少しもアメリカを利さない(後略)」

まさに日本人は江藤淳が言うように「人種」、しかも当時のダーウィンの進化論に基づく劣等にして退化した「人種」としてしか見られていない。このような状況にあって、日本人移民はほとんど独身者だったが、アメリカで白色人種と結婚することは不可能であることから、「写真結婚」によって妻を日本から呼び寄せるしかなかった。こうした見知らぬ日本人同士の結婚をアメリカの新聞は飽きることなく取り上げ、「けだものめ」と悪罵したという。佐藤吉郎が「自序」で記している、「白色人種が如何に俺達有色人種に、侮蔑と汚辱を加へ」ていたかが、これらの新聞の言説から伝わってくる。

次回へ続く。

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