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古本夜話115 バハオーフェンと白揚社版『母権論』

ローゼンベルクの『二十世紀の神話』について、「読むに堪えない」もので、ナチスの指導者たちさえも読んでいなかったのではないかというノーマン・コーンの指摘を、前回記しておいた。

しかし実際に『二十世紀の神話』を通読してみると、そこに呪術的な言葉の表出が至るところにばらまかれ、「血の深秘的な標徴」に覆われた言説、その「血液の命令をば、言わば夢睡の裡に、『自然を霊視するように』」文節が組み立てられている。そのために繰り返し文章をたどっていくと、凶々しい悪夢のような世界の神話的な出現を錯覚してしまう。血と人種の神話のどよめきが、同時代の偽史とオカルティスムを通じて送り出され、同書のサブタイトルの言葉にある「心霊的」な「争闘」の一冊を形成し、それを同時代のドイツにおいてみれば、異様なまでのアジテーション効果をもたらしたのではないかと想像される。何と「世界史の意味」はアトランティス大陸出身の金髪碧眼のアーリア人種において担われるというのだ。

『二十世紀の神話』の背景にあるドイツは第一次世界大戦後の帝国の失墜の真っ只中に置かれていた。ヴェルサイユ条約による膨大な賠償金、植民地の喪失と割譲、軍備制限、インフレと様々な生活難の状況を、訳者の吹田順助は「解説」の中で、次のように記している。彼はその状況を実際に目撃していた。

 人心は恟々としてその堵に安んぜず。悲懐と絶望と自暴自棄とが一般民衆の生活雰囲気を支配してゐるかのやうに見えた。食糧制限で家婦達が買物籠を抱へてパン屋の店先に行列を作つてる一方では、為替の暴落を附目にして潮の如く独逸へ流れ込んだ外国の漫遊客が、意気揚々として伯林のクールフュルステンダムを闊歩した。貧困と窮迫とに平行して享楽廃頽の風も滔々として世を蔽ひ、歓楽街のカバレーにバーにタンツ・ロカールには、成金の猶太人、為替成金の外国人、そしてマルクの日々の暴落に貯蓄心などを失つて了つた本国人も交じつて、紙幣(サツ)ビラを切り、楽欲の幻影に心をとろかしてゐた。戦前の独逸帝国と戦後の独逸共和国―それはいろいろの点においていかなる対照であつたであらう!

これが「独逸共和国」の一面の真実であり、そこに「人種」ではなく、「人類」を唱える「マルキシズム及び自由主義」による精神的崩壊が表出している。これが訳者吹田と著者ローゼンベルクに共通する視座であった。
ちなみに付け加えておけば、本連載80「『性の心理』と『相対会研究報告』」でふれた黙陽の『赤い帽子の女』はこの時代のベルリンが舞台なのだ。
赤い帽子の女

しかし現在の私たちはピーター・ゲイの『ワイマール文化』(亀嶋康一訳、みすず書房)などによって、このワイマール共和国が現代文化のプレリュードを形成したことを知っているし、それは多くの亡命者たちが証明している。
ワイマール文化

そしてまた亡命者とはいえないが、英国にわたってオックスフォード大学教授として、『東方聖書』を編集刊行したマックス・ミューラーの影響を、『二十世紀の神話』は明らかに受けている。ミューラーの名前は見出せないにしても、同様の影響を受けたと考えられるルドルフ・シュタイナーやアニー・ベサントの名前を見ることもできるからだ。

この『二十世紀の神話』には十九世紀から二十世紀初頭にかけて、膨大に出版された宗教学、人種論、民族学、神話学、オカルティスム文献が埋めこまれているに相違なく、第一章の「人種と人種魂」において、バハオーフェンの名前が挙げられ、その後に次のような一節が続いている。

 母、夜、大地及び死―これらは、浪曼的・直感的の討究に取つて、謂ゆる(有名無実な)「古代希臘的なる」生活の基底として示現されるところの、諸要素である。

これはバハオーフェンの『母権論』の要約で、バハオーフェンはこの後も五ヵ所にわたって言及されることになる。バハオーフェンの『母権論』とその一九二〇年代ルネサンスについては、上山安敏の「神話の古層」(『神話と科学』所収、岩波書店)で意を尽くして論じられ、そこではナチスとローゼンベルクと母権制の関係も言及されているので、ここでは『二十世紀の神話』と同年に刊行されたバッハオーフェン(ママ)の富野敬照訳『母権論』(白揚社)にふれてみたい。なぜならば、バハオーフェンの『母権論』はエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(戸原四郎訳、岩波文庫)の中で、モルガンの『古代社会』(青山道夫訳、岩波文庫)に次ぐ重要な基礎文献だったにもかかわらず、一九九〇年代に白水社の『母権制』とみすず書房の『母権論』の完訳版、及び三元社の抄訳版が出されるまで、この白揚社版『母権論』だけしか刊行されていなかったからだ。

神話と科学 家族・私有財産・国家の起源 母権論1 みすず書房 母権論 三元社版

しかしこの白揚社版はバッハオーフェン著と銘打たれているが、四六判二百四十ページの構成はバッハオーフェンの「自叙伝」、「母権論」、エーリッヒ・フロンムの「母権論批判」の三部からなり、本来の『母権論』は原書の「序文」にあたる百ページ余であるから、抄訳ともいえぬ羊頭狗肉の一冊と判断するしかない。またこれは蛇足ながら、フロンムとは『自由からの逃走』などのエーリッヒ・フロムに他ならないだろう。
自由からの逃走

冒頭に掲げられた富野の長い「訳文の前に」を読むと、まず古代各地の母権制の痕跡がラフスケッチされ、それらに対して日本上代の母権制研究が列挙され、これらを架橋する「偉大なる古典」として、バッハオーフェンの『母権論』が示されている。ところが「原著が極めて高価にして容易に入手し難いこと、及びギリシア、ラテンの古典語で埋めた四ツ折版の大物」ゆえに「かかる古典的大著が我国に於て殆ど全く紹介されてゐない」ことから、「ここに彼の母権論の一端とその自叙伝及び彼に対する批判の訳出の禿筆をとつた」と記されている。

奇しくも高群逸枝の『母系制の研究』が厚生閣から刊行されたのも、白揚社版の『母権論』の出版と同年であった。ただ前者は六月、後者は十二月の出版であるから、高群が後者を読み、『母系制の研究』へ投影させたという推測は成り立たない。しかし西川祐子は『森の家の巫女 高群逸枝』(新潮社)において、高群の『母系制の研究』に影響を与えたのは、本居宣長の『古事記伝』の他に、石川三四郎の『古事記神話の新研究』(三徳社、大正十年)や渡辺義通の『日本母系時代の研究』(白揚社、昭和七年)に織りこまれたバハオーフェンの『母権制』を指摘している。

森の家の巫女 高群逸枝 古事記伝

すると奇妙な出版史の事実に気づく。白揚社は大正十年にスタートし、後に左翼系出版社として名をはせていくが、それ以前には三徳社といい、中村徳二郎によって創業された、取次を兼ねる出版社だった。したがって石川、渡辺、富野の『母権論』も同じ版元から出されていたことになる。

また高群の『大日本女性人名辞書』『母系制の研究』は、本連載108でふれた春山行夫が去った後の厚生閣から刊行されている。白揚社にしても厚生閣にしても、担当編集者は誰だったのだろうか。

そしていうまでもなく、高群の女性史研究を支えたのは、夫にして平凡社の社員で『現代大衆文学全集』を企画した橋本憲三であった。このようにして出版の物語は連鎖していく。

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