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古本夜話117 ヴァイニンガー『性と性格』とダイクストラ『倒錯の偶像』

オットー・ヴァイニンガーの『性と性格』ヒトラー『わが闘争』などにも影響を与えたことをあらためて確認したのは、ブラム・ダイクストラ『倒錯の偶像』富士川義之他訳、パピルス)においてだった。ダイクストラ『性と性格』が「第三帝国総統の図書室の書棚に栄えある地位を見いだしていた」と指摘している。

わが闘争 倒錯の偶像

ヴァイニンガーは一八八〇年にユダヤ人としてウィーンに生まれ、九八年にウィーン大学に入学し、哲学、生物学、生理学などを学び、ユダヤ教からプロテスタントへ改宗し、『性と性格』の第一部を博士論文として提出する。一九〇二年の大学卒業後に第二部を書き、〇三年五月に『性と性格』を出版し、同年十月に二十三歳でピストル自殺に至る。その不可解な自死によって、刊行以来、何の反響もよばなかった『性と性格』はたちまち版を重ねるようになり、広く欧米で翻訳され、日本も同様だった。日本での翻訳はドイツ語学者の片山孤村により、〇六年(明治三十九年)に抄訳され、これも版を重ねたと伝えられているが、これは未見である。

その後『性と性格』は村上啓夫によって英語からの重訳で、大正十四年にアルスから、その全面改訳版が河出書房の『世界性学全集』(第15巻、昭和三十三年)の一冊として刊行され、昭和五十五年になってようやくドイツ語からの竹内章による全訳版が村松書館から出されるに及んだ。村上訳は戦前に改造文庫にも収録されているが、原書刊行から八〇年近くたって、重訳ではない全訳版の出現を見たことからすれば、ヴァイニンガーの著書は欧米に比べ、あまり影響を及ぼさなかったように思える。
性と性格(竹内章訳)

それは日本近代において、男性と女性との間における言葉とイメージによる戦争、それに伴う女性嫌悪ミソジニー)がヨーロッパ近代ほどに激しくなかったことを告げているのではないだろうか。あるいはまたヴァイニンガーが「まえがき」でいっているように、「女性の問題は人間存在の最も深いところにあるすべての謎に関連していて、それを実際的理論的に、道徳的、あるいは形而上的に解くには、あるひとつの世界観の確実な導きが必要なのに、それを敢て見出そうとしなかったのではないか」とも考えられる。

ダイクストラ『倒錯の偶像』の中で、多くの十九世紀後期の絵画を渉猟し、そのイコノグラフィに敵意に充ちた女性嫌悪とその国際的広がりを見ている。そしてヴァイニンガーは絵画ではなく、知識人の言葉によって「女性皆殺し」(ガイニサイド)の陣営に加わったと見なす。ヴァイニンガーの「世界観」は同時代の進化論科学、精神病理学、哲学、社会学などの概念から組み立てられ、『性と性格』はそれらの寄せ集めであり、独創的なものではなかった。

ヴァイニンガーは女性が存在論的現実を持たず、理念とは無縁で、無道徳、無論理であり、それゆえに存在しないという。そしてその女性はユダヤ人に結びつけられる。「女性とユダヤ人の関係は実に深いものがある」。ここにユダヤ人として、ヴァイニンガーのユダヤ女性嫌悪ユダヤ教からプロテスタントへの改宗、自殺に至る過程が垣間見える。

世紀末転換期の新しい女たちの台頭に怯える上流階級の知識人と画家たちは、言葉とイメージによって、女性嫌悪、女性皆殺しの幻想の中に入りこんでいった。それは文化的戦争であり、その知的前提がナチスの「民族皆殺し」につながっていったとダイクストラは指摘し、次のように結論づける。

 世紀転換期の文化のはなはだしい人種差別論的・性差別論的な進化の夢は、中産階級のマゾヒスティックな幻想の糧となった。その幻想のなかでは、(中略)たとえ自分の妻を処刑することは―そうなると都合が悪いとまではいわないが―むずかしいとしても、その代わりに女々しいユダヤ人がつねに存在していた。女性皆殺し(ガイニサイド)の幻想は、このようにして、民族皆殺し(ジェノサイド)という現実への扉を開いたのだった。

それゆえにこそ、絵画ならぬ言葉で示された世紀末幻想に基づく『性と性格』は、ヒトラーナチスへと吸収されていったのである。そしてこの指摘はヨーロッパの世紀末文学になぜ多くの「宿命の女」(ファム・ファタル)が登場するようになったのかの解説とも見なせよう。またダイクストラはこれらのイメージの遺産がハリウッドや大衆芸術の世界に命脈を引き継がれ、現在でも変わることなく存在していると指摘している。

さてそれらに関連して、ここでは『性と性格』の訳文は竹内章の全訳版を参照し、村上の重訳にふれてこなかったが、その村上が戦後になって訳した一冊にふれてみたい。それはダシール・ハメット『マルタの鷹』創元推理文庫、昭和三十六年初版)であり、この一九三〇年に発表されたハードボイルド小説の代表作は、ミソジニーファム・ファタルの闘争を描いているようにも読める。前者は私立探偵サム・スペイド、後者は依頼人女性ブリジッド・オーショネーシーが表象し、それは四一年のジョン・ヒューストンの同書の映画化によって、ハンフリー・ボガードとメアリ・アスターが演じ、ハリウッドにおけるミソジニーファム・ファタルのひとつの範を銀幕へ焼きつけたと思われる。しかしその物語祖型が十九世紀末の男女間の文化的イメージ戦争にあったとすれば、ダイクストラのいうように、それはハードボイルド小説やその映画の中にも明らかに受け継がれていったのである。

マルタの鷹 マルタの鷹 DVD

私は少年時代に、村上が『性と性格』の訳者であるとももちろん知らずに、彼の訳で『マルタの鷹』を読んだ。そして大藪春彦が村上の訳文に影響を受け、彼の主人公の外見的描写に応用していることを知った。

そしてあらためてヴァイニンガーの『性と性格』のことを書くに及んで、村上訳の『性と性格』におけるミソジニーは、同じ村上訳の『マルタの鷹』を通じ、大藪春彦の世界へも流れこんでいるのではないかと想像するに至った。それにハードボイルドそのものがホモソーシャルな世界に他ならないからだ。

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