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古本夜話184 和田伝編『名作選集日本田園文学』と加藤武雄「土を離れて」

前回、農民文芸会のメンバー、もしくは編集者が日本の農民文芸アンソロジーを構想したにちがいないと書いておいた。確かめてみると、それらは二冊ほど刊行されていて、加藤武雄、木村毅他編『農民小説集』(新潮社、大正十五年)、和田伝編『名作選集日本田園文学』(文教書院、昭和三年)がある。前者は未見だが、後者は所持していて、その奥付広告には やはり和田訳述『名作選集世界田園文学』が掲載されていることからすれば、まだ同じようなものが他にも出ていると考えられる。

『名作選集日本田園文学』の「序」において、和田は明治初期からの文学が都会人と戯作者による頽廃的な色彩に覆われていたことに対し、明治三十七、八年にヨーロッパ文学に呼応し、新文学である自然主義文芸運動が起き、それは田舎人によって建設されたと述べ、次のように続けている。

 若き田舎人国木田独歩がまづ江戸戯作文芸の伝統と絶縁して立ちあがり、ついで徳富蘆花が、上州の田舎漢田山花袋が、信濃の野のなかから島崎藤村が、ついでにこの書物におさめた作家たちが、この建設に着手し、参与し、完成させた業蹟は、近代日本文学史の最も偉大なる頁なのである。

そしてこの自然主義文芸運動が農民文芸につながっていることはいうまでもなく、そのことによって、「自然生活が、田園農民生活が、文学の取材するところ」となり、また「自然のなかから農民生活のなかから、文学の生誕を見るところになつた」とされる。

そのような視点から、和田は独歩、蘆花、花袋、藤村の先達を始めとして、岩野泡鳴、小川未明、長塚節なども挙げ、それに吉江喬松、中村星湖、加藤武雄といった農民文芸会のメンバーの作品も加え、全十九編のアンソロジーを編んでいる。この中から加藤武雄の「土を離れて」を紹介してみる。これは農民文芸を代表する農村小説集『土を離れて』(新潮社、大正十四年)所収の同名の短編で、それこそ和田のいう「都会」と「田舎」の大正初期のコントラストを描き、リアルに迫ってくる一編だからでもある。

加藤の「土を離れて」は都市近郊の農村の実態とそこから追われ、都市へと漂着するしかなかった家族の生活を浮かび上がらせ、その時代のひとつの「田野の農人の運命」を間断なく物語っていて、それは次のように書き出されている。

 今日、田舎から来るといふ客を、婆さんはその予報(しらせ)の端書の着いた二三日前から待ち続けていた。夕方になると幾度も外へ出て見た。
「ほ、蜩が鳴いてゐる。」
 ふと斯う云つて、婆さんは、膝につツ張つた両手で二重(ふたへ)に曲る腰を支へ、白髪の頭を二三十度の角度に仰向けて、水浅黄の空に黝ずんで行く樹立の梢を見た。

この冒頭の一節は、まさに都市に育った人々や現在の若い世代にはすでにイメージを喚起することが難しいと思われるが、私のように戦後の農村で暮らし、育ってきた身にとってはリアルこの上ない描写といえる。
「婆さん」が田舎からの客を待ち続け、何度も外に出てみたという書き出しは、電話もなければ車もなかった生活と、そのような中で暮らしてきた年寄りの心象を見事に暗示させている。そしてそのような心象を暗示させることで、「田舎」の持つ意味がいきなりクローズアップされる効果をもたらしている。また「膝につツ張つた両手で二重(ふたへ)に曲る腰を支へ、白髪の頭を二三十度の角度に仰向けて」という婆さんの描写は、それが当時の長年にわたって農業に従事してきた身体の老いを伝えて余りある。しかもこの「婆さん」はまだ六十歳を出たばかりであり、現代との隔たりを自ずと浮かび上がらせている。だがこれもまた昭和四十年代まではよく見かけられた農村の現実の老人の姿でもあったのだ。

「土を離れて」は田舎から「町場」にやってきた「をじさん」の登場によって、田舎の状況が語られるとともに、婆さん一家の事情が明かされていく。婆さん一家は養蚕の失敗と不景気が重なり、借金が増え、小作料が払えなくなったために、高利貸を兼ねる地主によって家屋敷まで人手にわたり、去年の師走に先祖代々暮らしてきた村から追われ、町場に出ざるをえなかった。息子は工廠に通い、その勤めは村での生活よりも苦労であり、彼は「いくら酷くても田舎がいゝ、矢張り百姓はいゝ。骨は折れても百姓は仕事には楽みがある」と語り、婆さんも「本当だぞい。どんなに貧乏しても田舎がいゝぞえ。知つて居る人あ無し人気は荒しな」と嘆く。孫の金三も田舎の村の祭礼の記憶を懐かしく思い出す。婆さんは孫に言う。「おばあさんも帰り度いぞい。連れて帰つて呉れろ! 早く大きくなつて」と。

婆さんは村を出て一年足らずのうちに、すっかり衰えてしまい、「官能も意識も霧がかゝつたやうに朦朧として居る。その朦朧とした心の中に、田舎の生活の心象(イメージ)が、驚く可き鮮かさで浮び上る」と述べられている。その一方で、孫の金三は姉が都会の刺激的な生活に目覚め、「田舎娘の特徴はすつかり失はれて、その眼は始終何物かを求めて、そはゝゝと動いてゐる」ようになったことを羨ましく思い始め、もはや田舎へ帰りたくなくなったところで、この「土を離れて」は終わっている。

ここで描かれた田舎と都会のコントラスト、及びデラシネ的な出郷の心象風景は、それ以後も半世紀以上にもわたって繰り返し反芻されることになり、近代文学から現代文学へもつながっていくテーマのひとつのコアを形成していく。そういえば、現代文学としての最後の農村小説ともいえる立松和平の『遠雷』(河出文庫)の映画化において、主人公の祖母を演じたのは『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』(講談社文芸文庫)を書いた中野重治の夫人の原泉であった。それらの始まりの心的現象を、この加藤の「土を離れて」は鮮やかに切り取っているように思われる。

遠雷 遠雷 DVD 村の家・おじさんの話・歌のわかれ

なお付け加えておけば、これらの和田編、訳述の二冊の日本と世界の『田園文学』を刊行している文教書院は本連載175 の阿野自由里『ミスター弥助』の版元でもある。奥付の発行者の近藤弥壽太は岡山師範を出て、小学校校長などを勤めた後、大阪宝文館を経て、大正七年に教育書や児童書を主とする文教書院を創業している。私はこれらの他に『世界名作物語読本』二冊、『新訳世界教育名著叢書』一冊を入手しているが、両者ともアンソロジーで、こうした企画や近藤の経歴を重ねて考えると、小学校から大学までの学校や図書館のサブリーダー的採用を意図したものとして刊行されたのではないだろうか。

またさらに農民文芸会編『農民文学十六講』において、農民文芸と田園文芸は区別されているにもかかわらず、タイトルに「田園文学」が付されているのは、そのような文教書院の営業方針の反映のように思われる。左翼的ニュアンスもある「農民文芸」よりも「田園文学」のほうが学校に採用されやすいと判断したことに起因しているのではないかと思われてならない。それから二冊の『田園文学』アンソロジーは吉江喬松や和田伝の近傍にいた片上伸が文教書院から『文芸教育論』などの著作を刊行した関係から、和田によるアンソロジー企画の成立を見たのではないだろうか。

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