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古本夜話239 楠山正雄『夢殿』と講談社版『小川未明童話全集』

楠山三香男編『楠山正雄の戦中・戦後日記』冨山房)はタイトルに示されているように、楠山の日記の部分が半分以上を占め、それは昭和十七年九月から死に至る前年の二十四年四月に及んでいる。戦前はまだ『国民百科大辞典』に引き続いて、冨山房『国史辞典』の実質的編集責任者であったこともあり、しばしば言及されているが、最も多い記述は全六巻に及んだ『日本神話英雄譚宝玉集』に関するものである。

楠山正雄の戦中・戦後日記  『日本神話英雄譚宝玉集』5
また戦後になると、山一書房、東西社、児童図書出版社、小峰書店、光文社、二葉書店、童話春秋社、湘南書房といった、主として新しい出版社による児童書の企画の持ちこみと、その刊行についての記述に染められていく。

これらのことを考えると、この時代において楠山はかつての演劇への関わりや編集者としての立場以上に、児童文学者の側面が大きなポジションを占めるようになっていたとわかる。たまたま『日本神話英雄譚宝玉集』の第二冊『夢殿』を持っているので、この本を取り上げるつもりでいた。このシリーズは楠山版の日本の神話と英雄の物語で、第一冊は『天の浮橋』と題され、「神仏と古代の物語」、第二冊の『夢殿』は「飛鳥奈良平安京の物語」となり、さらに書き継がれ、昭和十九年に第五、六冊の『鎌倉山』と『吉野の行宮』の校正を見ていることが日記にも見える。

ところが手元にある『夢殿』だが、これは楠山の日記の始まる三ヵ月前の昭和十七年六月に出されているので、残念なことに執筆から刊行に至る経緯と事情がまったく詳らかではなく、奥付の定価三円六十銭、三〇〇〇部というデータが残されてだけだ。

しかし日記が途切れ、闘病中だった昭和二十五年に楠山は、講談社の『小川未明童話全集』全五巻の推薦文を書き、未明からの見舞いを受け、その第一巻が発売された十一月に亡くなっている。これは編者の楠山三香男の記述によるのだが、それを読み、昭和二十三年十月十九日の「講談社に赴く。小川、坪田、浜田等と会う。」という一節が、おそらく小川の全集のための打ち合わせであることに気づき、またかつてこの児童書としては特異なデザインの箱入り全集を二冊購入したことも思い出した。

探してみると、それらは第一、二巻で、まさにその第一巻の箱の表に、「黄金の書・黄金の企画」と題された、楠山の次のような推薦文が掲げられていた。

 人間を愛し、人間の貴いことを信じ、人間の善くなることを望む小川さんの、五十年もちつづけて変わらない人道主義の光に照らし出された近代日本の子供たちの生きてきた姿を、未明童話全集のなかにわたくしたちはみることができる。これは永く後代にのこる黄金の書であり、また、刊行者のありがたい黄金の企画として推讃する。

なお第二巻の推薦文は坪田譲治によるもので、「星のように美しく」と題されている。二人は編纂委員としても名を連ね、他は秋田雨雀宇野浩二浜田広介などで、早稲田大学を発祥とする児童文学のラインがここに表出しているし、巻末には『浜田広介童話選集』全六巻の広告の掲載もあるので、明らかにこの二人の著作の刊行は、これからの戦後児童書市場を見すえた講談社の出版戦略とも絡んでいるのだろう。

また付け加えておけば、未明も早稲田文学社に在籍し、処女作『愁人』は隆文館が出し、『種蒔く人』の有力な執筆者にして、島中雄三の文化学会にも属し、その関係で『小川未明選集』も出されている。それゆえに本連載でふれてきた人々の近傍にいつもいたことになる。

『種蒔く人』 
やはり編纂委員の山内秋生の「あとがき」によれば、この全集は挿絵も含め、昭和初年の丸善版『未明童話集』全五巻をベースとしているようで、未見ゆえに『丸善百年史』を参照すると、内田魯庵鈴木三重吉の尽力で上梓に至ったとされる。

またそれらの挿絵は川上四郎、初山滋武井武雄、山路真護によるが、先の三者のものは丸善版を転載し、未明の児童文学者としての歴史的再評価と復権の意図がこめられていたのではないだろうか。装丁と校正を担当したのは初山滋で、これ実物を見てもらうしかないのだが、当時の講談社の児童書とは思えない印象を与える。そのことについて、『講談社の歩んだ五十年』も書影を掲載し、「箱、表紙、見返し、扉、そのいずれもが創意のたくましさにあふれ、新機軸に基づく斬新さが衆目をひいた」と述べている。

そればかりか、この『小川未明童話全集』の出版は、講談社にとっては象徴的な意味があったようで、「これがために編纂準備には、最も慎重が期せられ、用紙、資料、印刷、宣伝、販売等各部面にわたる完璧が望まれた」とまで書かれている。それが功を奏してというべきか、昭和二十六年に未明は児童文学者として初めて日本芸術院賞を受けたし、全集の装丁に対して第一回装丁美術賞が贈られたのである。続けて第二期全七巻も刊行され、その編纂委員は川端康成佐藤春夫正宗白鳥たち、装丁と構成は村山知義に代わり、さらなるバックアップ体制を固めていった。そうした前史があって、昭和五十年代に講談社から相次いで『定本小川未明童話全集』『定本小川未明小説全集』が出版されるに至ったのである。

定本小川未明童話全集 (復刻、大空社)

しかしその一方で、未明の『童話全集』刊行の同年に亡くなった楠山正雄は忘れられ、やはり昭和五十年代に講談社の学術文庫に『日本童話宝玉集』が四分冊で収録されたが、もはや絶版となってしまっている。それらのことを惜しんで、楠山に関する何編かを書いてみた。

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