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2012-10-15 ブルーコミックス論54 岡崎京子「Blue Blue Blue」(『恋とはどう

[] ブルーコミックス論54 岡崎京子「Blue Blue Blue」(『恋とはどういうものかしら?』所収、マガジンハウス、二〇〇三年)

恋とはどういうものかしら?


前回岡崎京子によるボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』にふれたこともあり、表題作でも長編でもない短編だけれど、ここで彼女のブルーコミックにも言及しておこう。その「Blue Blue Blue」は九六年に『アンアン』に発表されたこともあってか、岡崎の多くの作品の中でも数少ないオールカラーで描かれていて、それだけでも特筆すべき一編かもしれない。

うたかたの日々

さらに付け加えておけば、この他にも『恋とはどういうものかしら?』には「東京ラヴァーズ」三作もカラーで収録され、この一冊は五十ページ以上がカラーという豪華な仕上がりになっている。八九年に同じマガジンハウスから出された『pink』は色彩そのもののタイトルにもかかわらず、カラーページはまったくないことと比べても、『恋とはどういうものかしら?』は岡崎の作品の中で記念すべき一冊とよんでもいいような気がする。

さて「Blue Blue Blue」に戻ると、従来の岡崎の作品はモノクロで描かれていたことから、白黒映画のイメージが強かったが、こちらは明らかにカラー映画をはっきり意識した作品だとわかる。ナレーションの場面はまず紅で示され、そこに白抜きで、ヒロインのモノローグが書きこまれ、物語の輪郭と進行を伝えようとしている。それは次のようなものだ。

 6時半のバスでこの街から出てゆくはずだったの。月曜日の。朝6時半に。若い恋人と。でも彼は来なかったの。よくあるお話よね。

バス停で待っている彼女が描かれ、脈絡なく病室で横たわる若い女と彼女を見守っている若い男が挿入される。ヒロインは自宅に「ただいま」といって戻り、いつもと同じようにいつもより遅い朝食をつくりはじめる。モノローグの部分は千草色、勿忘草色(わすれなぐさいろ)、黒と変わっていき、「半年前、私たちは恋をした」ことが語られ、次の部分は黄色で、それが「夏の夜で10時半だった」と述べられている。この一節は次の黒の部分で、もう一度挿入されている。

ここまできて、この「Blue Blue Blue」のモノローグ、色彩の配置、物語を覆っているニュアンスがマルグリット・デュラスの小説と映画に範を得ているとわかり、その色彩に関する既視感が一九六〇年代のフランス映画にあったと了解される。黄色の部分のモノローグはデュラスの小説と、映画のタイトル『夏の夜の10時30分』をそのまま使っているからだ。

夏の夜の10時半 夏の夜の10時30分 (映画パンフレット)

一九六〇年代に出版されたデュラスの『夏の夜の10時半』は、スペインの小さな町を舞台とするフランス人の夫婦の終焉と新しい恋の始まりを描いている。そして六七年ジュールス・ダッシン監督によって映画化され、日本でも公開されたのだが、残念なことに日本ではまだDVD化されていないようだ。

もちろんデュラスの小説や映画からインスピレーションは得たにしても、岡崎の「Blue Blue Blue」はそれをなぞっているわけではない。日本の八〇年代から九〇年代初頭にかけてのヴァニティな生活を背景とするカップルの日常を、彼女ならではのやるせなさと悲しみを共存させながら、見事に描いている。もうひとつのモノローグを引いてみる。「私は今28で、夫は32。3年前に祝福されて結婚した。幸福だった。今でも不幸ではない。ただ不幸でないことが幸福とは限らない」。

そして「夏の夜の10時半」に、「私」は若い男と出会い、夏の匂いとともに彼の匂いをも感じる。それは彼も同じで、夏の夜の彼女の匂いを思い出し、それまで「私」だけのモノローグであったのに、「ぼく」=ヨシヤのそれも重なり合うようになり、彼女の匂いの記憶に導かれて彼女を訪ねる。彼のモノローグも聞いてみよう。「奇妙な夏休みが始まった。悲しいような、なつかしいような、せつない夏休みだった。学校に入り、家を出てから初めてのこの街の夏だった」。この「ぼく」のモノローグを機にして、本を借りたり、一緒にビールを飲んだりするようになるのだが、ガールフレンドや彼女の夫とその愛人も含めた関係の世界へと膨らんでいく。その夏が終わり、秋が始まろうとする頃、「私」と「ぼく」は寝る。そのシーンが二人のモノローグで語られ、後に非人称的モノローグが続く。「奇妙な関係。複雑な関係。単純な関係。いりくんでいるけど、よくある、ありふれた関係」と。

まだ「Blue Blue Blue」の物語は半ばだが、後は読んでもらうことにしよう。ただすでにおわかりのように、クロージングは最初の場面に戻り、秋の街角のバス停に佇んでいる「彼女」の姿が、フランス映画の一シーンのようにまたしても挿入され、最後は彼女の若い恋人と夫のどちらを愛しているのかという思いについて、「でもそんなのわからなくて、困って、それがおかしくて悲しくて、少し笑うしかなかった」というモノローグで終わっている。

これはいつも思うのだが、このような岡崎の作品を読むたびに、彼女が同時代のコミックを含めた文化状況に多大な影響を与えたことは、村上春樹をはるかに超えているのではないだろうか。そしてあらためて、私たちの時代に比べ、八〇年代から九〇年代のコミックそのものが、驚くべき成熟と深化をとげたことを実感してしまうのだ。おそらくこの一編だけを考えても、九〇年代の他の優れた小説や映画と拮抗する作品たりえていると思われる。そしてタイトルにこめられた三つのブルーは、九〇年代と登場人物の心的現象のメタファーであるのだろう。またデュラスの映画だけでなく、六五年のアニェス・ヴァルダの『幸福』も思い出してしまった。

幸福

だがこの映画にはふれず、やはりデュラスの『夏の夜の10時半』の映画の脚本のために書かれた一文を引用して、「Blue Blue Blue」を閉じることにしよう。出典はジャン・ピエロ『マルグリット・デュラス』(福井美津子訳、朝日新聞社)である。

マルグリット・デュラス

 心変わりしたからといって誰を責められよう? 誰も責めることはできない。責めたところでなんになろう? 恋が体験されたことに変わりはないではないか。愛することは現世ではいまなお、最良の事柄なのだから。苦しまなければならないならなにもしないがよい? そのとおり。しかし、この苦しみは耐えうるものに変えることができる。それは苦しみを引き起こす張本人になることだ。(後略)

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」53 ジョージ朝倉『バラが咲いた』(講談社、二〇〇三年)
「ブルーコミックス論」52 原作朝松健・漫画桜水樹『マジカルブルー』(リイド社、一九九四年)
「ブルーコミックス論」51 名香智子『水色童子K.K.』(小学館、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」50 吉田基已『水の色 銀の月』(講談社、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」49 かわかみじゅんこ『軽薄と水色』(宙出版、二〇〇七年)
「ブルーコミックス論」48 大石まさる『みずいろパーフェクト』(少年画報社、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」47 グレゴリ青山『マダムGの館 月光浴篇』(小学館、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」46 豊田徹也『アンダーカレント』(講談社二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」45 漆原友紀『水域』(講談社、二〇一一年)
「ブルーコミックス論」44 たなか亜希夫『Glaucos/グロコス』(講談社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」43 土田世紀『同じ月を見ている』(講談社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」42 marginal×竹谷州史『月の光』(エンターブレイン、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」41 喜国雅彦『月光の囁き』(小学館、一九九五年)
「ブルーコミックス論」40 平本アキラ『俺と悪魔のブルーズ』(講談社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」39 中村珍『羣青』(小学館、二〇一〇、一一、一二年)
「ブルーコミックス論」38 山田たけひこ『マイ・スウィーテスト・タブー ―蒼の時代』(小学館、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」37 山岸良子『甕のぞきの色』(潮出版社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」36 金子節子『青の群像』(秋田書店、一九九九年)
「ブルーコミックス論」35 原作李學仁・漫画王欣太『蒼天航路』(講談社、一九九五年)
「ブルーコミックス論」34 原作江戸川啓視、漫画石渡洋司『青侠ブルーフッド』(集英社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1
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