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古本夜話312 高木斐川『政治及社会思想』(教文社)と高木、古賀峡谷編『世界風俗奇聞大観』(廣文社)

ここで大阪から東京に戻り、もう少し特価本業界のことを続けてみよう。まだ本が残されているからだ。

特価本業界にはプロフィルの定かでない著者や作家や編集者たちが多くいて、「造り本」を始めとする多種多様な出版企画に関係していたと思われる。そのような例として、本連載258で大畑匡山、比較的よく知られた人物として、同267で帆刈芳之助、同278などで「春石部屋」に集っていた二流の作家たちを挙げておいた。

そうした著者や編集者として高木斐川なる人物がいて、その編著が二冊手元にある。それらは単著『政治及社会思想』と古賀峡谷共編『世界風俗奇聞大観』である。前者は大正十三年発行、十四年十二版、四六判上製八百六十ページ弱、定価四円二十銭、発行者は海老原丑之助、発行所は麹町区飯田町の教文社、後者は昭和三年発行、四年六版、四六版上製六百五十ページ余、定価三円五十銭、発行者は宗像時雄、発行所は神田区表猿楽町の廣文社である。後者は裸本だが、前者と同様に箱入だったと考えられる。
[f:id:OdaMitsuo:20130615152014j:image:h120](教文社版)


『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に海老原と教文社、宗像と廣文社の名前は見えていないけれど、テーマとその厚さ、高定価と短期間での重版状況、それから何よりも著作権のところに教文社や廣文社の出版社印が押されていることは共通しているので、特価本業界の「造り本」と判断してかまわないだろう。これは両者とも譲受出版、もしくは買切原稿で印税の発生しない出版物であることを示しているからだ。

それぞれの内容についてふれれば、『政治及社会思想』はデモクラシー、普通選挙、婦人参政権、様々な政治主義と説、労働や社会政策と社会主義、農村、育児制限、婦人などの問題に関する資料と解説と語解から一冊がなり、所謂一種の政治と社会思想の事典とよんでいいし、そうしたコンセプトと体裁によって、成立している。

『世界風俗奇聞大観』は朝鮮、支那、印度から始まり、東南アジア、シベリアと東欧、南洋諸島、オーストラリア、アフリカ、ヨーロッパ、北欧、南北アメリカ、日本までをも網羅している。同書の「序」の言葉を借りれば、「その国々に於ける或は数千年・或は数百年の歴史により、或はその国の開未開によつて、尚ほ未だその国々に於ける風俗習慣を異にするものゝあること」を取り上げ、それについて言及し、一書が形成されている。

『政治及社会思想』が同時代の多くの著作からの引用を示し、それらの出典が明らかになっていることに比べ、『世界風俗奇聞大観』は出典記載がまったくなく、これほど多くの外国の「風俗奇聞」の情報が何からとられているのかの手がかりがつかめない。

例えば、『世界風俗奇聞大観』の最初の章は朝鮮で、四十項目にわたって八十ページと、同書の中で最もページが割かれている。それはまず朝鮮の両班にふれ、この二班の東班が文官、西班が武官で、朝鮮の支配階級の地位にあったとされる。これに対して、常民が普通の人民として置かれ、次に賤民が挙げられ、その中の白丁、奴婢への言及が続くのである。とりわけ白丁と奴婢に関する記述ばかりでなく、この朝鮮に関する「風俗奇聞」はかなり詳細で、その国の社会や民俗に対する知識は付け焼刃のように思われないほどだ。

そこで、本連載173でふれた新光社の『日本地理風俗大系』の二巻を占める「朝鮮」を繰ってみたのだが、白丁と奴婢やその他の「風俗奇聞」の記述はほとんど見られなかったし、もちろん編集委員や執筆者の名前に高木や古賀の名前は見当らなかった。それにこの「朝鮮」二巻の刊行は昭和五年なので『世界風俗奇聞大観』の出版後に出されたことになる。

この新光社の『日本地理風俗大系』に関連して付け加えておけば、同時代における世界各国の地理と風俗を収録した、やはり新光社の『世界地理風俗大系』の刊行が始まったのも昭和三年であり、『世界風俗奇聞大観』は同年五月に刊行されているので、これらも参照されていないことになる。高木や古賀の執筆分担も不明であるけれども、彼らはどのようにしてこれらの「世界風俗奇聞」を入手し、このような大冊へと仕上げたのであろうか。

連載181などで、新潮社の「十二講」や「十六講」のタイトルが入った啓蒙的シリーズ「思想文芸講話叢書」の多くを代作した加藤武雄にふれ、大正時代に至って、そのような卓越した能力を有する青年たち、いってみれば、近代読書社会によって培われ、突出したリテラシーを身につけた青年たちが出版の世界に現われてきたことを意味しているのではないかと既述しておいた。そしてその多くが地方出身の独学者に近い存在であったことについても。

『世界風俗奇聞大観』の編者である高木斐川も古賀峡谷もそのような人たちだったのではないだろうか。そして彼らは必然的にそのような人材を必要としている特価本業界へと接近し、そこに身を置き、著者や作家や編集者として働き始める。しかしそれらの出版物は「造り本」ゆえに評価されず、また彼らも認められることなく、出版史の闇へと消えていったように思われる。

なお彼らは先に『世界国情大観』も上梓しているという。
『世界風俗奇聞大観』の書影はブログ
「天国大平 愛書連」より拝借した。

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