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古本夜話313 中山太郎『日本民俗学辞典』と梧桐書院

特価本業界とともに歩んだのはプロフィルの定かでない著者、作家、編集者だけでなく、本連載でも既述してきたように、梅原北明一派や宮武外骨たちも同様で、彼らの本が成光館などの出版社から再版されていることからもうかがわれる。また民俗学に関係する人々もそれらの出版社とジョイントしたり、コラボレーションしていたはずで、本連載43などで取り上げてきた中山太郎もその一人だったと思われる。

手元に中山太郎編『日本民俗学辞典』がある。やはり本連載194でふれた昭和書房から昭和八年に初版が出され、十六年に梧桐書院によって再版されている。ただ国会図書館の蔵書を確認すると、昭和八年の梧桐書院版もあるようだ。昭和書房も特価本業界の出版社と見なしていいが、梧桐書院も『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に出てくるし、戦後は実用書出版社として、よく知られた版元でもあり、それらも含めて次のように紹介されている。

 梧桐書院―昭和十年に淡海堂に入った田中淑雄氏は、淡海堂の出版部長として活躍、さらに傍系出版社梧桐書院の代表者として出版に従事、二十三年に独立して株式会社梧桐書院を創立しました。学生参考書(ママ)、実用書、中学校夏期テキストなどを出版、別にきんらん社を興してマンガを出版するなど着実に出版界に地歩を築いてきました。業界への販売は学友伊藤幸二氏の経営する東京書籍を通じて行うなどしていましたが、現在は荒川恭二氏とともに経営、実用書出版の大手とし活躍しています。

なお別の記述によれば、本連載258でふれた岡村書店の二代目岡村章平も、梧桐書院の経営陣として合流しているという。
『日本民俗学辞典』の奥付を見ると、発行者は田中捨吉となっているので、これが田中淑雅の旧名だと思われる。奥付絡みでもうひとつ記しておけば、中山の押印のある検印ラベルが貼られていることから、印税が発生する出版企画だとわかる。これはやはり本連載194で既述しておいたように、昭和十二年に成光館(凾表記は昭和書房)から出された中山の『日本盲人史』も同じ扱いで、他の著者たちの多くが印税の発生しない譲受出版だったことに比べ、中山は別格的存在だったことを示している。ちなみに成光館と昭和書房は、淡海堂と梧桐書院のような関係にあったと推測される。

『日本民俗学辞典』の「序」を読むと、昭和六年にかねてより計画していたこの辞典の編纂に着手し、遅々としてすすまなかったが、「昭和八年の初め同郷のよしみである根岸君が来て慫慂するので意動き心決し、老軀に鞭打つて仕事を進めた」とある。この「根岸君」が昭和書房の編集者だったのかもしれない。そして昭和八年以来久しく絶版だったが、十六年に至って梧桐書院から再刊されたことになる。

それは四六判上製で九百ページを超える大冊で、これも五十ページを超える「類従索引」の項目も優に三千以上に及んでいる。私の関心から「イシガミ(石神)」のところを引くと、石神の例は全国に千百を数えるので、ここではその一端を挙げると断わり、次のような例が示されている。
陸前加美郡の飯豊神社の巨石、東京市豊島区雑司ヶ谷町の鷺明神社の疱瘡の守護神としての小石、武蔵秩父郡の大木の杉に立てかけられた石の棒から派生した地名の棒の神と石神なる血の神体としての丸石、遠江新居町と近江中郷村の二宮明神の神体の、穴があって小さな五色の石、攝津豊能郡の野間神社の神体としての水晶、越後南蒲原の古墳の呼称石神、安芸佐伯郡の連田神社の自然の大石、石見邇摩郡の三瀧神社の天降した神石、豊前企救郡の貴船神社の海中から得られた霊石、沖縄の波上権現の霊石、徳之島の石を神体とする地神。

これらの石神たちが各地方の風土記や郷土誌、神社や社寺資料、随筆類から抽出して並べられているし、さらに参考文献として、柳田国男の『石神問答』を始めとする十一の資料が挙がっている。

そしてその前後に、石神に関連する石打、石占、石蛭子、石合戦、石子詰、石信仰、石手向などが配置され、結果として石をめぐるフォークロアがそれぞれの項目を横断し、浮かび上がってくるような仕掛けになっている。もちろん服部幸雄の『宿神論』岩波書店)や中沢新一の『精霊の王』(講談社)の出現を見ている現在からすれば、中山の石神をめぐる言説は民俗学的側面に限られているけれども、これだけの分量の石に関する集積はそれまでなかったものではないだろうか。それは中山の『日本民俗学辞典』を編むという行為が初めての試みだったからではないだろうか。

宿神論  聖霊の王

戦後になって、民俗学研究所編『民俗学辞典』(東京堂出版)、大塚民俗学会編『日本民俗事典』(弘文堂)などが出されているが、中山の先駆的仕事と思われる『日本民俗学辞典』への言及はない。中山の近親が営むパルトス社からの復刻は見ているけれども、おそらく中山の民俗学的方法論に対する軽視、及び特価本業界から出された著作であることが相俟って、再評価もなされずに今日に至っているのだろう。
民俗学辞典 日本民俗事典

偶然だが、この七月に中山の『売笑三千年史』がちくま学芸文庫に収録され、刊行の運びとなっている。一連の著作が続けて出されることを願う。
売笑三千年史

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