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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論99 多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)

犬婿入り


拙著『〈郊外〉の誕生と死』の中で、一九七〇年に発表された古井由吉の『妻隠』(河出書房新社)に言及し、郊外における都市と地方の混住のフォークロア的なゆらめきにふれたことがあった。若い夫婦が郊外のアパートに暮らす五年間のうちに、夫は東北地方出身の妻が、娘から「家刀自」へと変容していったことに気づく。そして妻がアパートの隣に住む同郷の職人たちと外の流し場で酒盛りする場面に、それが顕著に表出するのであり、都市出身の夫は加わらずにその場面をアパートの窓から覗き見ている。その酒盛りの場面は、巫女と神官による古代の宗教儀式のようにも映り、混住がもたらす郊外の新しい物語の出現に立ち会っている思いに捉われるのだった。

〈郊外〉の誕生と死 妻隠

それからほぼ二十年後に書かれた多和田葉子の『犬婿入り』は、『妻隠』の物語の新たなヴァージョンのように読むことができる。しかもそれは古井の作品よりも民俗学的色彩が濃くなり、伝承文芸、神話や伝説を導入して組み立てられている。だがその舞台となるのは、山田太一の『岸辺のアルバム』や鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』に続いて、またしても多摩川沿いの公団住宅のある郊外の町だ。『犬婿入り』はその憂鬱な新興住宅地の団地の一角の、風のない七月の静まり返った午後二時の風景の描写から始まっている。その一角の電信柱に〈キタムラ塾〉という半分破れた汚らしい張り紙が剥がれ落ちずに残っていた。このキタムラ塾が『犬婿入り』の物語の発生するトポスなのである。この塾は成績が上がるかどうかは個人差があったけれど、子供たちに愛され、子供たちが行きたがるということで流行っていた。ただ妙な噂も流れていたが、母親たちは気にしないようにしていた。そのキタムラ塾は子供たちの住む新興住宅地とは異なる古い地区にあった。
岸辺のアルバム 

 そもそもこの街には北区と南区のふたつの地区があって、北区は駅を中心に鉄道沿いに発達した新興住宅地、南区は多摩川沿いの古くから栄えていた地域で、今では同じ多摩に住んでいても南区の存在すら知らない人が多いけれど、北区に人が住みはじめたのはせいぜい公団住宅ができてからのこと、つまりほんの三十年ばかり前のことで、それに比べて多摩川沿いには、古いことを言えば、竪穴式住居の跡もあり、つまりそのような想像も及ばない大昔から人が暮らしていたわけで、稲作の伝統も古く、カドミウム米の出た六〇年代までは堂々と米を作っていたし、また〈日本橋から八里〉と刻まれた道標の立っているあたりは、小さな宿場町として栄えたこともある。空襲を免れた古い家も多く、そんな南区に団地の子供たちが出かけて行くのは、以前は写生大会とカエルの観察の時くらいだったのが、キタムラ塾ができてからは、子供たちは塾へ行く日が来ると、まるで団地の群れから逃れようとでもするように、せかせかと多摩川の方向へ向かい、(……)。
犬婿入り (文庫版)

多和田特有のセンテンスの長い文体ゆえに引用が長くなってしまうこともあり、中断するかたちをとってしまったけれど、新興住宅地のかたわらには大昔の古代人の住居跡があり、三十年ほど前は農村や宿場町に他ならなかったことが浮かび上がってくる。つまりかつてはこの地域も郊外ではない町や村だったのである。このようにして空間軸を広げ時間軸を遡行することで、キタムラ塾にたどりつくのであり、それは塾とそのトポスが新興住宅地と「古い地区」のボーダーに位置していることを告げているようだ。そしてイントロダクションに示された「死に絶えたような憂鬱な新興住宅地の団地」の風景から遠ざかり、そことは異なる物語を内包している。それを期待して、子供たちも「せかせかと」出かけていくのだ。

キタムラ塾の先生は北村みつこという三十九歳の女性だった。彼女がこの土地へやってきたのは二年ほど前で、昔からの農家が土地を売り、その金で駅の近くにマンションを建て、自分たちもその一室に移り住み、その家を取り壊そうとしていたところ、「親戚の誰それの〈親友〉」を名乗って現われ、家を貸してほしいと頼みこみ、それが受け入れられて塾を始めたのである。白いワンピース姿でマウンテンバイクに乗って現われたみつこは、元はヒッピーで、東南アジアやアフリカを放浪していたとか、指名手配されていたテロリストじゃないかとか、様々な噂が流れていた。だがもんぺのようなものをはき、洒落たサングラスをかけ、桜の木の下でポーランド語の小説を読んでいるのを見ると、「どんな育ち方をしたどんな家柄の人間なのか見当がつけにく」かった。それでいて「嬉しそうな顔をした美人」だった。これらの説明から、キタムラ塾と北村みつこが、郊外における一種のアジールにしてまれびとのような位置づけにあるとわかる。

しかも北村先生は次のように語り出すのだ。「君たちは動物と結婚する話と言えば〈つる女房〉しか知らないかもしれないけれど、〈犬婿入り〉っていうお話もあるのよ」と。その話は次のようなものだった。昔、王宮に面倒臭さがりやの女がいて、この女は小さなお姫様の身の周りの世話をする役目を追っていたが、お姫様が用を足した後、お尻を拭いて上げるのが面倒臭いので、お姫様のお気に入りの黒犬に「お姫様のお尻をきれいになめておあげ。そうすればいつかお姫様と結婚できるよ」といつもいっていた。

その後の話は聞いた子供たちによってばらばらで、黒い犬がお姫様をさらって森に入り、嫁にしてしまったとか、両親がお姫様の尻を舐めている犬を目撃し、黒い犬とお姫様を無人島に島流しにしてしまったとかで、それらのヴァージョンにもいくつもの異なる後日譚が添えられていた。この〈犬婿入り〉の話は子供たちのソフトクリームや手のひらの舐め方にも反映され、子供たちを通じて母親たちにも伝わったが、カルチャーセンターに通う母親が民話の本にも載っていたと主張したので、「教科書にさえ出てこないような話を子供にうまく話すことができる先生はユニークだ」という安心感へとつながっていった。

そのキタムラ塾に扶希子という三年生の女の子が新しく入った。彼女は太っていて髪の毛も洗わず、靴下もはいておらず、父親も変人と囁かれ、みんなとしゃべらなかった。扶希子に続いて、夏休みに二十七、八の男が現れた。革のトランクを手にして、刈り上げた髪の毛、真っ白なワイシャツ、折り目のついたズボン、磨き上げた革靴などはみつこの服装と対照的で、太郎と名乗り「お世話になります」、さらに「電報、とどきましたか」と繰り返しいうのだった。もちろん電報はついていなかった。

そしていきなり〈犬婿入り〉の儀式にとりかかるのである。「男は、みつこのからだをひっくりかえして、両方の腿を、大きな手のひらで、難なく摑んで、高く持ち上げ、空中に浮いたようになった肛門を、ペロンペロンと、舐め始めた」。その後、「みつこは魅せられたようにその頭を撫でまわしていた」。すると男は台所で食事の支度を始め、みつことの食事をすますと、家の掃除をするのだった。

その男を子供たちも目にし、母親たちも彼が草取りをしているのを見つけた。それに男の生活のリズムは尋常ではなく、日中は眠ってばかりいたが、夕方になると起き出し、掃除と夕食の後、暗くなると外に出て走り回り、夜中になると帰ってきて、みつこと交わりたがるので、彼女も朝起きることができなくなり、「北村先生は〈男ができた〉」という噂が広まった。

それで母親や子どもたちも太郎を見たくなり、庭にいる太郎と見ると、心が躍り、何かいけないものを見てしまったように思った。太郎は活字も読まず、テレビも見ないで、料理、洗濯、掃除などをする以外に、みつこの「からだのニオイを嗅ぐこと」だけに執着していた。しかし母親の一人である折田さんが、太郎は夫の部下で、三年前に蒸発した「イイヌマ君」ではないかと言い出した。飯沼太郎は大学を出て、折田氏の薬品会社に勤め、職場の同僚で狐に似た良子と結婚したが、一年後に会社からも家庭からも姿を消してしまっていた。そこで良子が太郎を確認するために、みつこのところにやってきた。

良子の話によると、太郎は確かに自分の夫だが、まったく手がかりがなかったわけではなく、松原利夫と〈夜遊び〉をしているのを知っていた。実は松原なる人物は扶希子の父親だったのである。三年前に太郎が変身したきっかけは、丘陵の寂しい林道で犬に襲われ、かまれたことにあった。

九月に塾が始まり、扶希子はみつこの家で太郎が作った夕食を食べるようになり、みつこに可愛がられるようになった。そのことで、父親に関して陰で悪い噂が囁かれるようになる。それは「扶希子の父親がゲームセンターでよく〈腰を振っている〉」というものだった。また子供たちがゲームセンターというのは〈ゲイバー〉のことだとみつこは知った。九月末に折田夫妻は上野駅で、飯沼と松原が旅行用トランクを持ち、ぴったり身を寄せ合っているのを見た。折田氏が追いかけたが、逃げられてしまったので、みつこに知らせようとした。すると、もはや家には誰もおらず、マジックペンで〈キタムラ塾は閉館されました〉と書かれていた。そして次の一文で、『犬婿入り』は閉じられている。

 翌日、折田家にみつこから電報が届き、そこには、フキコヲツレテヨニゲシマスオゲンキデ、と書かれていた。みつこの住んでいた家は間もなく壊され、そこにはアパートが建つことになり、その工事が始まった頃には、どの子もそれぞれ、新しい塾を見つけて通い始め、南区に足を踏み入れることはほとんどなくなっていた。

アレゴリー的に考えれば、この物語の展開はみつこが子供たちに語った〈犬婿入り〉の話を反復していることになろう。昔の王宮がキタムラ塾、面倒臭がりやの女が扶希子、お姫様がみつこ、犬が太郎で、飯沼良子、折田夫妻、松原利夫などの出現は唐突であるゆえに、お姫様と犬が無人島に流されてからの後日譚を担う人々のようにも思える。

もちろんこの『犬婿入り』はみつこ自身が〈つる女房〉と並ぶ「動物と結婚する話」と語っているように、柳田国男の『桃太郎の誕生』(『柳田国男全集』第10巻所収、ちくま文庫)や『昔話と文学』(同第8巻所収、同前)などに挙げられている「異類婚姻譚」のパターン、すなわち人間以外のもの=主として動物が人間と結婚する物語に則っている。これには異類の男性が人間の女性と結婚するものと、異類の女性が人間の男性と結婚するものがあり、〈犬婿入り〉は前者、〈つる女房〉は後者に属するのだが、多和田の『犬婿入り』の何よりの特色は、この「異類婚姻譚」を様々にクロスさせていることにあると思われる。狐に似た良子と太郎の結婚は、狐を妻とする信太妻説話を想起させるし、折田という名前は「信太妻の話(『折口信夫全集』第二巻所収、中公文庫)を書いた折口をこれまた連想させる。また飯沼太郎と松原利夫のホモセクシャルな関係の暗示も、折口をめぐる弟子たちとのことを思い浮かべてしまう。このように考えてみると、多和田の『犬婿入り』はいくつもの「異類婚姻譚」が重奏的に絡み合い、交差することによって成立した物語のようにも読めるのである。そしてそれがありふれた新興住宅地の風景の中にも埋まっている物語でもあるかのように提出されているのだ。
『柳田国男全集』第10巻  『柳田国男全集』第8巻 『折口信夫全集』第二巻

『犬婿入り』で、太郎がみつこに「電報、届きましたか」と問う場面が書きこまれているが、それはパゾリーニの映画『テオレマ』からの引用ではないだろうか。イタリアの郊外のブルジョワの邸宅に電報が届き、テレンス・スタンプが扮する謎の青年が現われ、それを機にして家族全員がおかしくなっていく。『犬婿入り』はイタリアならぬ、多摩川沿いの郊外、犬ではあるが、電報の到着を問いながら出現した太郎は、『テオレマ』の謎の青年と重なってしまう。そして謎の青年が理由も明かすことなく去っていったように、『犬婿入り』の太郎たちも謎のように失踪してしまうからだ。両者の謎、異類婚姻譚的関係、セックスとホモセクシャルもまたオーバーラップしてくるし、その通底性に関して想像を逞しくしてしまうほどだとここに記しておこう。

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◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1