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混住社会論117 渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)

逝きし世の面影 特命全権大使米欧国回覧実記(岩波文庫)特命全権大使米欧国回覧実記(慶應義塾大学出版会)


前回見たように、フランスにおいてパリがパサージュや流行品店や百貨店によって消費社会の幕開けを迎えていた頃、日本はどのような社会であったのだろうか。
これも佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』から抽出してみる。それによれば、一八七〇年段階で、第一次産業83.6%、第二次産業4.9%、第三次産業11.5%であり、産業革命を経ていた欧米と比べ、純然たる農耕社会だったことがわかる。まだ人口は三千万人で、農業と手工業を中心とするミクロコスモスのような極東の島国だった。
成長する都市衰退する都市

これは本連載76で少しだけふれているが、幕末から明治にかけて日本を訪れ、その記録や回想を書き記した異邦人はあまりにも多く、この時代に関して異邦人による膨大な記録や回想が残された国は日本だけではないかと思われる。それらの中にはまだ未邦訳のものが多くあるようで、現在に至るまで翻訳出版され続けている。そうした異邦人の著作はセピア色の写真にも似て、もはや異国のような日本の過去を想起させ、彼らの記録や回想などの資料を抜きにして、この時代の復元ができないことも示唆している。

そうした意図も含めて、異邦人たちの記録や回想をもとに、失われた日本の原風景を素描しようとしたのは、二〇世紀末に刊行された渡辺京二の『逝きし世の面影』(葦書房)であった。同書は幕末から明治にかけての異邦人たちの訪日記録を博捜することによって、近代以前の文明が何であったかを問おうとしていた。そして大森貝塚の発見者E・S・モースが『百年前の日本』『モースの見た日本』(いずれも小学館)として残したかつての日本の風景や生活が、モノクロのドキュメンタリー映画のように再現されていく。近代以前の農業と手工業をベースとする日本の社会と何よりも美しい風景、異邦人たちはことごとくその風景の中にある人々の穏やかな生活に魅せられていた。
百年前の日本 モースの見た日本

それらの記録や回想について、渡辺は異邦人たちのオリエンタリズムやジャポニスムといった批判を注意深く排除し、彼らの眼に映った近代以前の日本、すなわち「逝きし世の面影」を忠実に復元しようとする。するとそこに浮かび上がってくるのは、ひとつのユートピアの風景である。

それゆえに異邦人の一人は日記にしたためている。「(……)おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人びとが彼ら重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」(ヒュースケン『日本日記』(青木枝朗訳、岩波文庫)。だが問われなければならないのは、このような異邦人の眼差しの出自である。彼らは産業革命を経て、工業社会から消費社会へと向かおうとしていた欧米から、農耕社会の日本へとやってきたのだ。

ちなみに同時代に突出した工業社会を出現させていたのはイギリスで、こちらの一八八〇年のデータを挙げておけば、第一次産業13.0%、第二次産業50.0%、第三次産業37.0%となっている。この事実に関しては、本連載59 のハワード『明日の田園都市』のところで取り上げているが、このような社会状況を背景にして、二〇世紀に入ると、田園都市計画が立ち上がってくることになる。ハワードは来日していないけれど、異邦人たちの日本訪問記を読み、田園都市計画のヒントを得た可能性も否定できないように思える。
明日の田園都市

それはともかく日本のことに戻ると、その時代に岩倉使節団が欧米に向かっていた。これは岩倉具視を特命全権大使とするもので、幕末維新期における最大にして最後の遣外使節だった。この使節団は明治政府の重要メンバーである木戸孝允、大久保利通、伊藤博文といった薩長の実力者たち、それに書記官として福地源一郎を始めとする旧幕臣たちが加わり、五十名に及んだとされる。また中江兆民、団琢磨、金子堅太郎などの五十九人の各国への留学生も同行していて、幕末と維新、幕府と新政府、明治を担う思想家や実業家たちが、それこそ混住するような使節団だったことになる。

この岩倉使節団は幕末時の条約の改正を目的とし、明治四年、すなわち一八七一年の十二月二十三日に横浜からサンフランシスコに向けて出発し、アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、スイスなどの十二ヵ国をめぐり、一九七三年九月に日本へと帰ってきた。使節団は来日異邦人たちとは逆に、農耕社会から工業社会や消費社会へと向かったのである。この一年十ヵ月に及ぶ長い旅程は、その後の七八年に久米邦武編『特命全権大使米欧国回覧実記』として、来日異邦人の記録や回想と同様に出版された。これは明治初期における世界各国のほぼリアルタイムでのレポート、及びエンサイクロペディアでもある。それゆえに広く様々に読み継がれたと思われるが、ここでは田中彰校注による全五巻の岩波文庫版を使用し、前回の『ボヌール・デ・ダム百貨店』との関連もあるので、第三巻所収の使節団とパリの消費社会との出会いに言及してみる。
ボヌール・デ・ダム百貨店 特命全権大使米欧国回覧実記第三巻(第三巻)

使節団は一九七二年十一月十六日にドーバー海峡を渡り、イギリスからフランスへと入り、パリに到着した。久米邦武の記述はイギリスと比べ、フランスに至ると明らかに異なる精細を帯び始める。それは彼がパリという消費社会の魅惑を肌で感じたゆえなのであろうか。彼は次のように記している。

 仏国製作ノ巧ナルハ、欧州第一ニテ、其伎倆精粋機巧ニシテ、風致ヲキハメ、美麗ヲ尽シ、ヨク人ノ嗜好ニ投合ス、故ニ欧洲ノ流行物(ハヤリモノ)ハ常ニ仏邦ニ源ス、(……)

また「百貨ノ都会タリ」とも述べている。そして慧眼にも、「其伎倆」が「英国ノ工業ハ器械ヲ恃ム、仏国ハ人工ト器械ト相当ル」と見て、「百貨ノ都会」の生産インフラとクォリティに関してもふれている。おそらくアメリカやイギリスを経てきたことで、工業社会における「器械」の意味と位置づけを見抜くことになったのであろう。そしてさらに消費社会の背後にも「器械」の存在を察知したことを意味している。つまり「百貨ノ都会」の成立も、「器械」を抜きにして語れないことを理解したのだ。それに加えて、同時代における「百貨ノ都会」の誕生と隆盛が繊維産業の工場生産への移行と密接な関係があるにしても、「百貨ノ都会」が求める「美麗」「嗜好」「流行物」は「人工ト器械ト相当ル」ことに注目したのも、「伎倆精粋」な手工業の日本からやってきたことに起因しているのではないだろうか。

さらにロンドンは「世界ノ天産ヲ輸入シテ」、それを加工し、再輸出するけれど「世界天産物ノ市場」というべきものだが、パリはヨーロッパの工芸の地で「流行ノ根」なので、「世界工産物ノ市場」と呼ぶべきである。したがって「将来日本ニ於テ、欧米輸出ノ途ヲ開カンニハ、此ニ注意ヲナスコト緊要ナルヘシ」とも述べている。これは近代日本の殖産興業に関して、「欧米輸出」をメインとするクオリティを備えた「世界工産物ノ市場」へと進むべきだという見解に他ならず、ここでも使節団の鋭利な観察と未来予測のアナロジーに賞賛を与えたくなってしまう。

前回、同時代のフランスの産業構造を挙げておいたが、それを先述のイギリスの例と比べると、十九世紀後半のフランスはイギリスのように工業をベースに置くというよりも、パリという都市の成長と繁栄を受け、商業や貿易を中心とし、流通と消費をコアとする第二の産業革命に時代を迎えていたのではないだろうか。まさにヴェブレンが『有閑階級の理論』(小原敬士訳、岩波文庫)でいうところの都市住民の「衒示的消費」の時代に入りつつあった。つまりいってみれば、岩倉使節団は近代以前の農耕社会からやってきて、フランスで初めて「流行物」と「百貨」のあふれる消費社会と出会ったのだ。一八七〇年のパリ人口は百八十二万人を数え、「其壮麗ナルニ至リテハ、実ニ世界中ノ華厳楼閣ノ地ナリ」とされ、馬車の中から見た市街の風景が描かれていく。
有閑階級の理論

 蔣蔣タル層閣、街ヲ挟ミテ聳ヘ、路ミナ石ヲ甃シ、樹ヲウエ、気燈ヲ点ス、月輪正ニ上リ、名都ノ風景、自ラ人目麗シ、店店ニ綺羅ヲ陳ネ、旗亭ニ遊客ノ群ル、府人ノ気風マタ、英京ト趣キヲ異ニス、(……)

「蔣蔣タル層閣」にして、「店店ニ綺羅ヲ陳ネ」とはあたかもボヌール・デ・ダム百貨店の風景のようにも思えてくる。それにその中央踊り場には日本製品売場もあったし、またモネが描いた「ゾラの肖像」の中には一枚の浮世絵、歌川国明の力士絵が見えていたことを付け加えておこう。ちなみにそのモデルとされるボン・マルシェの新館がオープンしたのは、岩倉使節団がパリを訪れた一八七二年でもあった。それ以前の六〇年代に、ボン・マルシェに続いてプランタンやサマルテーヌなどの百貨店も開店していたのである。

そして翌日の十一月七日には次のような街に遭遇する。

 此小街ノ上ヲ、玻璨(がらす)ニテ上宇ヲ覆ヒタル所アリ、常ニ日光ヲ透シテ、風雨ヲ漏サス、常晴ノ街路ナリ、両側ノ廛(みせ)ニ、百貨ヲ雑陳シテ売ル、陳ヲ化シ新トナス、是ヲ巴黎風ノ街トテ、白耳義(ベルギー)、及伯林(ベルリン)府ニモ模ス、亦一ノ繁華市場ニテ、往来ノ人、ミナ車ヲステ、此ニ集リ、陰晴風雨ノ日モ、徐歩徘徊、物ヲ買フヘシ、(……)

これはいうまでもなくパサージュの光景であり、「徐歩徘徊」する者とはベンヤミンが『パサージュ論』で一章を設け、言及している「遊歩者」(フラヌール)のことだ。彼は「遊歩者というタイプを作ったのはパリである」ともいっている。パサージュを歩き、その「遊歩者」をも目撃する岩倉使節団の一行はそこに何を見たのか、あるいは何を幻視したのであろうか。
パサージュ論

これらのパサージュはゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』だけでなく、「ルーゴン=マッカール叢書」の第九、十巻『ナナ』『ごった煮』(いずれも拙訳、論創社)でもお馴染みのトポスだった。それに久米によるパサージュの記述の隣のページには「ブルース」と「マーケット」の銅版画が掲載されていて、前者は第十八巻『金』(野村正人訳、藤原書店)の主要舞台の株式取引所、後者は第三巻『パリの胃袋』(朝比奈弘治訳、同前)の背景となる中央市場に他ならない。また第十九巻『壊滅』(拙訳、論創社)は普仏戦争とパリ・コミューンとテーマとしていて、使節団がフランスを訪れたのは、普仏戦争とパリ・コミューンの余燼さめやらぬ一八七二年だったから、久米の筆はパリ・コミューンにも及んでいる。それらもあって、『特命全権大使米欧国回覧実記』のフランス編は、ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」やベンヤミンの『パサージュ論』の近傍にあるといっても過言ではないように思われる。

ナナ ごった煮 金 パリの胃袋 壊滅

そして岩倉使節団は「逝きし世」の宿命を負った農耕社会に帰国し、工業社会や消費社会への建設へと向かう。それが日本の近代化でもあったのだ。百貨店は一九〇四年に三越が誕生したことで実現し、それに松坂屋、高島屋、そごうが続き、それらを中心とする都市の商店街が形成され始める。そして大正時代の郊外住宅地の開発を背景にして、阪急や東横などの電鉄系百貨店(ターミナルデパート)も出現していく。それから遅ればせであったにしても、戦後の高度成長期には全国各地方都市にも、日本のパサージュとでいうべきアーケード商店街が建設されていった。岩倉使節団が目撃してから一世紀後に、近代消費社会のインフラが完了したのである。

しかしアメリカに起源を持つ、一九八〇年代の郊外消費社会の誕生によって、地方の百貨店は次々に倒産に追いやられ、アーケード商店街壊滅状態にある。私たちはおそらく岩倉使節団によって、発見された近代消費社会の終焉に立ち会っているのだ。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1