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混住社会論125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)

california yokohama カリフォルニア州ヨコハマ町



南北アメリカへの日本人移民に関しては本ブログの「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」でふれてきたが、アメリカで生まれた日系二世、日系アメリカ人の物語にはほとんど言及してこなかった。ここではそれを取り上げてみたいと思う。

これまで様々に論じてきたように、戦後のGHQによる日本の占領は強制的混住ともいえるもので、それは前々回の日本の教育問題のみならず、戦後社会の至るところにその痕跡を残している。しかし戦前においては日本人が移民としてアメリカへ向かい、主としてヨーロッパを出自とするアメリカ人と混住することを宿命づけられた時代もあったのである。それは必然的に「JAP」と「Hakujin People」の混住を意味し、その帰結は太平洋戦争下においては日本人強制収容所へとつながっていく。「アメリカにおける日本人移民」というサブタイトルを付された、若槻泰雄『排日の歴史』(中公新書)などを参照し、その明治から始まる歴史を簡略にたどってみる。
排日の歴史

一八六八年/明治元年は移民元年とされ、ハワイへの渡航。
一八六九年/カリフォルニア州ゴールドヒルへの移住。
一八九〇年/アメリカ国税調査により、フロンティアの消滅を告知。その一方で、日本人移民が本格化。
        九〇年代前半は太平洋沿岸だけで四千人から七千人に増加。ヨーロッパにおいて黄禍論が唱え始められる。
一九〇六年/サンフランシスコ大地震、罹災者二十万人に対し、日本は五十万円の見舞金を送るが、日本人学童隔離問題が起き、公立小学校から東洋人学校への転校がカリフォルニア州学務令によって実施される。
一九〇七年/日本人移民制限を目的とする日米紳士協約が締結され、日本はこれまでの自由移民に対してのアメリカ本土行き旅券の発給を自主規制。
       ただし再渡航者、及び在住者の両親と妻子は除外となるが、これとともに写真結婚による呼び寄せは認可される。この協定にもかかわらず、〇八年には在米日本人十万人を超える。
一九一三年/カリフォルニア州における排日土地法と帰化法の成立。
       アメリカの帰化法に基づき、日本人はアメリカ市民となり得ないアジア人であるので、土地所有禁止と借地制限の実施。
       カリフォルニア州だけでも日本人の農業者所有土地面積は二万六千ヘクタールにも及んでいたことから、排日土地法はその息の根をとめる致命的法律だった。
一九一九年/日本政府は排日運動緩和のために、写真結婚の禁止に踏み切る。
一九二〇年/第二次排日土地法成立。
       これによって様々な便法も禁止され、日本人による土地所有は全面的に禁止となる。そして半年もしないうちに、ワシントン、アリゾナ、デラウェアなどの諸州でも制定される。
一九二四年/比例制限法が実施され、在留外国人人口に比例して、各国からの移民数が定められ、これが新移民法への施行へとつながっていく。
        排日移民法と呼ばれ、日米新協約は破棄され、実質的に日本人はアメリカに移民としてわたることはできなくなった。
        そして日本から花嫁を迎えたり、家族を呼んだりすることも、帰国して再渡米することも禁止され、帰化権、農地の所有権、借用権もなくなり、一世、二世からなる日本人社会は孤立していく。
一九四一年/真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発。
一九四二年/カリフォルニアなどの太平洋沿岸三州とアリゾナ州居住に十二万人の日本人が強制収容所に送られる。

この太平洋戦争下の日系人の記録とのその後の生活については、実際に強制収容所での生活を描いたヨシコ・ウチダの『荒野に追われた人々』(波多野和夫訳、岩波書店)、そこで誕生したダニエル・沖本の『日系二世に生まれて』(山岡清二訳、サイマル出版会)などに異議申し立ても含んで語られている。またアメリカ人の側からも、D・S・マイヤー『屈辱の季節』、A・ポズワーズ『アメリカの強制収容所』(いずれも森田幸夫訳、新泉社)として提出されている。それらは日系人がまさに難民として処遇されたことをレポートしている。

ここで取り上げる『カリフォルニア州ヨコハマ町』(大橋吉之輔訳、原題Yokohama,California,1949)の著者であるトシオ・モリも、上記のような日本人移民クロニクルと強制収容所を経て、日系アメリカ人作家、「序文」を寄せたウィリアム・サロイヤンに従えば、「彼はカリフォルニア州のどこかに生まれた若い日本人で、最初のすぐれた日系アメリカ人作家」として、戦後になって登場してきた。トシオ・モリは世界文学辞典類にも立項されていないので、まず訳者の大橋によるポートレートを示しておきたい。

トシオ・モリは一九一〇年にカリフォルニア州オークランドに日系二世として生まれている。両親は広島県出身で、父は農業に従事していたが、妻と二人の息子を残してハワイに渡り、砂糖きび畑の労働者として三年間働き、カリフォルニア州に移住した。そして紆余曲折を経て、オークランドの風呂屋の経営者となり、日本に残した妻を呼び寄せ、三人目の子供としてトシオが生まれると、二人の息子も渡米してきた。それから一家はオークランドの郊外ともいうべきサン・リアンドロに移り、カーネーションや菊の栽培を始めた。その当時、サン・リアンドロは日本人移民が多く集まり、園芸栽培が盛んな農村地帯であった。

トシオはそこからオークランドの学校に通い、一九二六年の十六歳の時に古本屋でシャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』(橋本福夫訳、新潮文庫、小島信夫・浜本武雄訳、講談社文芸文庫』)を見つけ、文学に開眼したという。そしてエマソン、ソーロー、サロイヤンなどにも魅せられ、作品を書き始め、それらをサンフランシスコの文芸同人誌『ザ・コースト』に発表するようになった。そのうちの一九三二年から四一年に書いたものを『カリフォルニア州ヨコハマ町』として、四九年に上梓するに至ったのである。

ワインズバーグ・オハイオ ワインズバーグ・オハイオ

本来であれば、四二年に出版予定だったが、四一年の日米開戦により、四五年までトシオはユタ州トパズの強制収容所に送られ、解放後はサン・リアンドロの園芸栽培の立て直しの仕事に忙殺され、長きにわたって出版は宙吊りのままになっていた。それがようやく、その経緯と事情は不明だが、『わが名はアラム』の著者の序文を得て、四九年に刊行されたのである。邦訳にはサンフランシスコ湾をはさんだオークランドやサン・リアンドロとサンフランシスコ周辺の地図が収録され、タイトルとなっている架空の地名「ヨコハマ町」がこの地域の日系人社会であることを浮かび上がらせている。これは原書にも掲載されているのだろうか。
わが名はアラム

『わが名はアラム』はカリフォルニア州の架空の町フレズノを舞台としたアルメニア人移民の物語であり、『カリフォルニア州ヨコハマ町』と共通している。それに私はかつて「移民の町の図書館」(『図書館逍遥』所収)で、サロイヤンの同様の『人間喜劇』にふれた際に、「冬の葡萄園労働者たち」(古沢安二郎訳『サローヤン短編集』所収、新潮文庫)に日本人移民も登場していることを指摘しておいた。
図書館逍遥 人間喜劇 サローヤン短編集

それゆえにサロイヤンの物語の投影もしのばれるけれど、やはり『カリフォルニア州ヨコハマ町』に決定的な影響を与えたのはアンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』に他ならないだろう。アンダソンもオハイオ州ワインズバーグという架空の町を設定し、二十二編の短編からなる連作によって、そこに住む人々の生活や心象現象を描いた。そのアンダソンの作品と重なるように、トシオの『カリフォルニア州ヨコハマ町』も二十二編の短編によって構成され、それが『ワインズバーグ・オハイオ』を範として書かれた物語であることを示している。それは登場人物が『ワインズバーグ・オハイオ』を手にして現われる「アキラ・ヤノ」にも見てとれる。

しかしトシオがアンダソンと異なるのは、トシオがその物語において、日本からアメリカにわたってきた日本人移民とその二世たちを登場人物にすえ、それもあくまでカリフォルニアのヨコハマ町の生活として描いていることだ。それでいて、その生活が世界のどこにでも見受けられる普遍なものであることを伝えているかのようなのだ。それは「リトル・ヨコハマ」と題された一編のクロージングの文章にくっきりと表出している。ここには移民や日系人の存在は感じられないだろう。

 そして今日――いつもと同じ日、太陽がまた出ている。主婦たちはベランダに坐り、老人たちは日蔭に坐って新聞を読んでいる。庭の向うでは、ラジオがベニー・グッドマン楽団の演奏をボリュームいっぱいあげて流している。子供たちがリンカーン中学校から帰ってくる。しばらくすると、年上の子供たちが工業学校やマックライモンズ高校から帰ってくる。それから、男の子たちが女の子たちと連れだって、どこかへ遊びに出かけて行く。老人たちは、ベランダや窓から、それを眺めながら、首を振り、にっこりほほ笑む。
 世界中どこにでもある一日、リトル・ヨコハマの一日。

トシオが『ワインズバーグ・オハイオ』と出会ったのは一九二六年、そして『カリフォルニア州ヨコハマ町』としてまとめられる作品を書きためていくのが三二年から四一年とされる。それらの年月は彼が十六歳から三十一歳にかけてであり、先の日本人移民クロニクルと照らし合わせると、新移民法の施行の始まりと重なっていることになる。この事実は日系二世としてのトシオの少年時代から青年時代が最も困難な時期に相当し、さらにその先には強制収容所が待ち受けていたのである。。

しかしそうした中においても、トシオは淡々とヨコハマ町の肉親も含めた住民たちの生活を描き、それは作品によっては紛うかたなきアメリカ文学の一編として迫ってくる。例えば、「アメリカ娘ナンバーワン」は兄弟が街中にあるわが家の玄関先のベランダに坐り、その前を通る小柄な美人の日系人娘を目にするようになる。美術学校に通う画家の卵の兄は彼女を「アメリカ娘ナンバーワン」と呼ぶようになるが、弟のほうはよくわからず、時によってかよわい平凡な女にも見えたし、また稀に見る美女のようでもあった。だが二人とも彼女の名前は知らなかったけれど、彼女も見られていることに気づき、兄弟に微笑を送り、彼らも挨拶を返すようになった。ところがなぜか彼女は現われなくなり、しばらくして日系新聞で、彼女はロスアンジェルスの若い有望な医者と結婚するという記事を読んだ。それで彼女が現われなくなった理由、及びアヤコ・サイトウというその名前を知ったのである。再びアメリカ娘ナンバーワンの姿を見ることはなかったし、彼女の束の間の微笑と奥深い神秘に代わるものはないと信じていたが、それでも「ゲームはまだ終わっていない」と思い、兄弟はベランダにずっと坐り続けた。「私たちの目の前には、すべてが――事実、全世界が、あったけれど、彼女を忘れることはできなかった」からだ。

この短編は同じようにベランダに坐り、少年の子頃から崇高な人間を待ち受け、老境に入っていく人物を描いたホーソンの「大いなる岩の顔」(坂下昇編訳、『ホーソン短篇小説集』所収、岩波文庫)をも想起させる。こうしたアナロジーこそは『カリフォルニア州ヨコハマ町』がそうであるように、「アメリカ娘ナンバーワン」もまさにアメリカ文学の系譜上に出現していることを告げていよう。
ホーソン短篇小説集

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1