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古本夜話546 相馬御風『郷土文学読本』

やはり本連載541で、前回の田中貢太郎編『桂月随筆集』と同様に、相馬御風著『一茶随筆選集』も人文会出版部から刊行されていて、それを所持していることを既述しておいた。タイトルと「著」に齟齬を感じさせるが、その「緒言」を見ると、「この度人文会水守亀之助の勧めにうながされて、本書を刊行することにした。一茶随筆選集とは題したが、実は私の一茶鑑賞のノートのやうなものである」との言がしたためられていた。それで「著」の意味を納得するに至り、御風が良寛研究ばかりでなく、一茶に関しても同じく、その一端を担っていたことを知らされる。

そこで以前にも本連載203「矢島一三、中興館、海外文芸叢書『七死刑囚物語』」の訳者として、御風の名前を挙げているが、ここでは手元にもう一冊ある御風の『郷土文学読本』にふれてみたい。これは先行する『郷土人生読本』の姉妹編とされ、「過去二十数年間に於て私の味つて来た郷土生活の滋味を表現し、或は叙述した文章詩歌約五十篇」を収録したものであり、昭和十三年に実業之日本社から出版されている。その巻末広告には『郷土人生読本』の他にも、明らかに児童書とわかる御風の『一茶さん』『良寛さま』『西行さま』など八冊が掲載され、この時代における御風と実業之日本社のかなり密接な関係を教示してくれる。
良寛さま(復刻版)

御風の著作に関して記せば、まさに大正五年の「郷土」越後の糸魚川退住以前の主たる評論などは『島村抱月 長谷川天渓 片上天弦 相馬御風集』(『明治文学全集』43、筑摩書房)で読むことができる。またその生涯と文学についても、紅野敏郎、相馬文子を編者とする『相馬御風の人と文学』(名著刊行会)が出され、そこに娘の相馬文子が「『野を歩む者』その推移と御風像」を寄せ、御風が昭和五年に会員制雑誌『野を歩む者』を創刊し、以後二十年にわたり、第九十号まで発行していたこと、その内容についても言及している。それによれば、同誌は文芸随筆雑誌的な内容で、おそらく『郷土文学読本』などはそこに書かれたものから編まれたと推測されるけれど、実業之日本社の出版物にはふれられていない。また同書には上笙一郎の「相馬御風の児童文学」も収録されているが、同じく御風と実業之日本社との関係についての記述はない。
明治文学全集 相馬御風の人と文学

それは『実業之日本社七十年史』も同様で、本文には御風の名前も著書も挙がっておらず、ダイレクトな言及は見られない。ただ「出版総目録」には大正四年のところに、御風の『ゴーリキイ』(「近代文豪評伝叢書」第四冊)、それからほぼ十五年後の昭和五年に『良寛さま』その翌年に『良寛と蕩児』があることからすれば、両者の途切れていた関係が昭和に入って復活したことを示していよう。それには昭和十三年に休刊となってしまうのだが、雑誌『日本少年』も絡んでいたのではないだろうか。

また同じく昭和十三年の記述として、「この年の十月出版部は、翌十四年から義務制となった青年学校の教科書出版に着手した。(中略)わが社にとってその出版は重要さを加え、翌十四年には出版部から独立した教科書部が生れ」とある。昭和十三年とは奇しくも先述したように『郷土文学読本』の刊行年だったし、あらためて御風の「緒言」を読んでみると、「本書は青年学校の副読本、又は男女青年団の読本として採用されんことを希望する」という一節が置かれていることに気づく。これは先の『同社史』記述と符合するし、『郷土文学読本』にしても、「青年学校の副読本」や「青年団の読本」に採用されることをねらっての出版だったことになる。

さて「青年団」については本連載527「洛陽堂と山崎延吉『農村教育論』」でふれているけれど、「青年学校」とは何なのか。その立項が『教育学大事典』(第一法規)にあるのを見出したので、それを抽出して示す。

 戦前日本における勤労青年教育機関の一つであり、1935(昭和10)年4月1日に公布された勅令「青年学校令」によって設立された。日中戦争から太平洋戦争にかけて、戦時下の勤労青年に対する一般教育・道徳教育・職業教育・軍事教練(男子のみ)・家庭科教育(女子のみ)を実施した。パートタイムの学校である。正式に廃止されたのは、戦後6・3制が施行され始めた1947(昭和22)年であるが、終戦以後ほとんど有名無実の状態であった。

さらに補足すれば、この青年学校制度は戦前の軍国主義教育体制下にあって、軍事的予備教育機関として立ち上げられたものだが、戦争目的の達成のためだとしても、教育史的視点から見れば、勤労青少年教育の義務化の歴史的意味は大きいとされる。その設置者として、私人や営利法人も認められていたので、工場や事業所も私立青年学校を多く設立し、内実も伴う労働と教育の開拓的実践に至ったケースもあったようだ。戦後における企業内学校なども、この青年学校制度に端を発しているとわかる。

実際に御風の『郷土文学読本』が青年学校の「副読本」に採用されたのかどうか、それは確認できない。その「田家の朝の情趣」と題された冒頭の一文は、「筧をおちる水の音を聴きながらいつとはなしに夢のない深い眠りに沈んでゆく―さうした田家の夜の静けさも懐しい(……)」と始まっていて、軍国主義教育体制下の青年学校の「副読本」にはふさわしいとも思えない。ただ逆にこのような一冊だからこそ、「郷土」に基づくパトリオティズムを喚起する「副読本」の資格を備えていたとも考えられる。同じ一冊の本でも、時代や状況によって、読者も読み方も変わるのだということを示唆していよう。

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