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2017-03-14 古本夜話640『綜合ヂャーナリズム講座』4

[] 古本夜話640『綜合ヂャーナリズム講座』4

『綜合ヂャーナリズム講座』第四巻からは次の四編を紹介してみよう。

f:id:OdaMitsuo:20170218113127j:image:h110 総合ジャーナリズム講座日本図書センター復刻版)

1 久保栄「演劇雑誌の編輯に就いて」
2 飯田豊二「希望社の出版事業概観」
3 丸山岩吉「哲学・宗教・教育図書の出版」
4 神田豊平赤本・浅草本漫話」

1 の「演劇雑誌の編輯に就いて」において、久保栄はソヴエトとドイツと日本演劇雑誌の分類、及びそこに表出している傾向の分析から始めている。そしてソヴエトやドイツと比べて、戯曲専門雑誌の弱さが訴えられている。そこにうかがわれるのは、前回の猪野省三がいうところの「プロレタリア出版」ならぬ「プロレタリア演劇」のための、「闘争の武器として」の専門雑誌の発刊への要望である。それは「演劇運動のボルシエヴイキ化」という言葉にも示されていよう。そのよってきたるところは、当時の演劇雑誌のほとんどが同人制度、個人編輯によっていて、財政基盤や流通販売も不安定だったようで、それらのタイトルも挙げられている。

『演劇新潮』『劇と評論』『劇場街』『演劇研究』『演劇改造』『コメデア』『テアトル』『演劇芸術』『劇場文化』などで、実際に久保も『劇場街』や『劇場文化』の編輯に携わっていたことが語られている。また小山内薫編輯『劇と評論』は版元が玄文社、歌舞伎出版部、原始社、清香社から独立経営へと転々としたことにもふれられている。この事実は本連載345の加藤彰一の原始社も、当時の演劇運動と併走していたことを教えてくれる。なお『テアトル』は高田保、『演劇芸術』は寺田辰夫編輯とあった。

2 の「希望社の出版事業概観」の飯田豊二は、これも本連載354で既述しているように、金星堂の編集者、プロレタリア文学者で、後に解放座や解放劇場を組織していて、この人物も1 の演劇運動の流れと確実につながっている。だがここで俎上に載せられている希望社は演劇絡みではないようで、「かういふ出版方法、金儲け術もある」という一例として挙げられ、あくまで「同じ出版事業をやつてゐても、ちよつとした目の着け所の違ひで、かうもうまい儲けが出来るものか」を紹介せんとしているのだろうし、それを見てみる。

希望社は後藤静香という人物が主宰する財団法人で、その事業は単なる出版だけでなく、所謂希望主義の上に立つ反動的団体の組織が主たる看板となっている。それは各地に支部を設け、一県に一つか二つの希望館を建て、早天修養会や神田掃除会といった修養団に名をかりて会員の獲得に励んでいるのである。

この会員を連盟委員と称し、甲委員、乙委員、普通の連盟委員、さらに終身社友がいて、これも甲、乙に分けられている。その中の甲委員は三十銭の月刊誌『希望』の購読者で、無料の『希望の日本』が配布される。乙委員はやはり十銭の月刊誌『学徒』、もしくは『大道』の購読者である。また甲社友は一時に三十円、乙社友は同じく十円を前納した者で、終身にわたって前記の雑誌を送本される資格を得る。飯田はこれらの四誌の総発行部数を七十万から七十三万部と見て、印刷実態と原価計算から六万円以上の純利益があると算定するに至る。これが宗教団体の出版物販売と共通していることはいうまでもないだろう。そして飯田はこの一文を次のように結んでいる。

 世の中には斯ういふ巧い商売もあるのである。何はともあれ、商売、謀事は密なるを以て良しとする。だのに、自分の商売の秘伝や種子明しを自分でやつてのけようといふ、『綜合ヂャーナリズム講座』は、何といふ商売下手な出版だらう、阿々!

さて3 の「哲学・宗教・教育図書の出版」の丸山岩吉だが、巻末の「講師略伝」によれば、彼は社会哲学専攻で、早稲田大学出版部編輯部兼理想社編輯同人とある。この理想社が戦後に雑誌『理想』や『ニーチェ全集』などを刊行した版元の始まりなのであろう。丸山は最初に日本の哲学書出版に関して、次のように批判的に書いている。

 現代日本の哲学書の出版について、何がその最も顕著な現象かといへば、殆どすべてが受売り、紹介、翻訳であつて、純粋の意志に於ける著述と見做すべきものが、暁天の星よりも稀なことである。就中哲学の中心課題である理論的方面のものに於て、これが最も稀である。これは日本の哲学思想がまだ独特の内容を持つまでに発達しない当然の帰結であつて、たゞ稀に、西洋哲学の伝統を東洋哲学の遺産と結合することによつて可成り異色ある論述を生むことがあるだけである。西田幾多郎博士の若干の著書などはこの部類に数へられるべきものであらう。

このような現実を鑑みて、丸山は続けて述べている。日本の哲学出版はまだ啓蒙期的出版時代にあるとし、それが大正時代の岩波書店の「哲学叢書」の発刊を機として、続いて、これも本連載433の大村書店の設立につながっていった。しかし啓蒙期的出版にもかかわらず、専門的で難解な「岩波的文章もしくは岩波式翻訳文」によっていたために、哲学書の売れ行きは五百部ほどにまで低下してしまった。

それもあって最近の哲学翻訳書は読み易いということに努力が払われることになり、以前よりはかなりリーダブルになっているし、理想社はそれを目的としている。また出版ジャーナリズムから哲学書出版を見ても、マルキシズムの隆盛に伴い、ヘーゲル復興を迎え、彼とともにフッサールやハイデッガーなども歓迎されていくだろう。これが丸山が提出している哲学書出版の見取図と予測である。ただタイトルと異なり、ここでは宗教、教育図書にはほとんどふれられていない。

4 の神田豊平の「赤本・浅草本漫話」は「大阪物や浅草物は、本の内容の如何に拘らず、殆んどが五ガケ、六ガケといふやうなものが多く」、「どうしてこんなに多くの部数が出るのか? 広告もしないで、くだらない本が何処へ売れてゆくのか?」をレポートしている。それは田舎において、著者名を示して求める客は少なく、三十銭ばかりのお噺話の本ということで購入されていくので、大量生産でカケが安い大阪物や浅草物が売れていくのである。またこの他にも、前回の通信販売の出版屋、本連載376の上田保『趣味の法律』の二十万部というベストセラーにもふれられている。おそらく文体、用語からして、この神田は前々回の「通信販売とは何か」の村田勇治だと思われる。

趣味の法律(『趣味の法律』)


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