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古本夜話642『綜合ヂャーナリズム講座』6

 総合ジャーナリズム講座(日本図書センター復刻版)
『綜合ヂャーナリズム講座』第六巻は、本連載635でふれた小澤正元による興味深い「日本プロレタリア新聞発達史」も掲載されているが、これは新聞の領域にあると見なし、言及は差し控える。今回は以下の三編とする。

 1 菅忠雄 「座談会と合評会」
 2 甘露寺八郎 「出版書肆鳥瞰論(二)左翼的出版社の巻」
 3 仲間照久 「通俗科学図書の出版」

1 の菅忠雄は文藝春秋社で『文藝春秋』や『オール読物』の編集長も務め、小説家としては本連載388の『新進傑作小説全集』に『関口次郎集・菅忠雄集』がある。これは「座談会と合評会」というタイトルだが、実際には『文藝春秋』の座談会のレポートといっていい。この座談会は菊池寛が考え、昭和二年三月の『文藝春秋』において、実現したものだった。

 最初の主旨は飽くまで、所謂一流どころ、発表価値を百パーセントに持ち合わせながら、しかも時間とか、其の他の理由により、積極的には、世間に表明の機会を得ない人々から、その胸中の意見なり、乃至は過去における大衆的興味を持つ所の経験談を引き出して、誌上に公開して、大衆の目前に曝け出す、之れである。

後には経済的、政策的な編輯の一方法、即興的形式、リーダブルな大衆的文章による会話などといった説明が加えられるようになったが、当初はこのような主旨で始まったのだ。第一回は徳富蘇峰、それから後藤新平、新渡戸博士と続き、その後は次第に人物中心から、「現代医学座談会」といった新機軸としての題材中心へと移っていった。そうすることで、昭和五年には毎月二回近い十九本が掲載されることになった。それとパラレルに座談会はジャーナリズムの潮流に乗り、天下を風靡するに至った。その発端はひとえに『文藝春秋』のコンセプトにふさわしい「談話のカクテル」だったからだと菅は述べている。

2 の甘露寺八郎の「出版書肆鳥瞰論(二)左翼的出版社の巻」は「的」がつけられていることに注視すべきで、甘露寺も最初に次のように断わっている。「だからここで論ずる範囲は、形態に於てはブルジョワ出版社であり、内容に於ては左翼的出版物を専門にしてゐる出版社を対称としてゐる」のである。それらに大出版社はなく、小規模で、新聞に広告はほとんど掲載されず、翻訳物が多く、訳者も世間的に無名で、しかも少部数高定価を特徴とする。それは労働者階級の中の読者層、及びインテリゲンチャの左翼を想定する限定販売的出版だからだ。

この左翼的出版社の系譜は本連載233の同人社、弘文堂、同206などの叢文閣を始めとして、共生閣、市川義雄の希望閣が続いた。それから白揚社、同265の鉄塔書院、世界社、大田黒某のイスラム閣、難波英夫のマルクス書房、失敗した版元として、同603の服部之総が関わった上野書店同213の南蛮書房、同65の南栄書院も挙げられ、これらが大正後期から昭和初期にかけての「左翼的出版社」の一覧ということになろう。

なお甘露寺はこの「左翼的出版社の巻」と並べて、「改造社の巻」も提出していることを付け加えておこう。それは大出版社ながら、改造社も「左翼的出版社」といえる一面を合わせ持っているからに他ならないことに起因しているのだろう。

3 の仲摩照久は本連載171などで取り上げてきたが、巻末の「講師略歴」にその写真入り紹介があるので、それをまず引いておく。「現住所」は省略する。

 明治十七年三月五日、大分県大分郡高田村大字常行四八一に生る。学歴、日本大学法科、大正四年四月新光社創立今日に至る。新光社主幹。
 著者、雑誌「科学画報」の他、「万有科学大系」「世界地理風俗大系」「日本地理風俗大系」其他主として科学書の出版に従事。

ここでは記されていないが、前回の原田三夫を主幹として、大正十二年に『科学画報』は創刊されているのである。これらの経緯と事情は「原田三夫の『思い出の七十年』」(『古本探究2』所収)で既述している。
思い出の七十年  古本探究2

「通俗科学図書の出版」は初めて目にする仲摩の論考で、最近における科学雑誌の隆盛が語られている。かつては博文館の『中学世界』、冨山房の『学生』、研究社の『中学生』が売れていたが、それらは廃刊になり、その代わりに中学生読者たちは科学的知識を求めて、『科学画報』や『子供の科学』に向かい、それが両雑誌の大いなる部数の増加となって表われている。それに関して、仲摩は述べている。

 啻に彼等は科学雑誌を読む事に熱心である計りでなく、其燃ゆるが如き知識欲は、之を読んだ計りで満足せず、進んで其学び得た知識を実地に実験せんとする驚くべき熱心を示すに至つた。ラディオは既に事足りた。模型モーターによる電機機関車の運転、モーターボート、汽船の工作運転から、近頃はテレヴィジョンの実験にまで進み、中には硝子の素材からコツコツと二三ヶ月もかゝつて反射鏡を研磨して、天体望遠鏡を試作し、天体観測に熱中するものも少なからず見るに至つた。

中学生たちをコアとする新しい科学の時代が訪れていたのだ。それを仲摩は「兎に角現代は科学の世代」と見なし、「学者の大衆進出と出版者の科学的理解と印刷技術の驚くべき進歩」の一致協力によって、「科学書出版の黄金時代」の出現を確信するに至る。その現実化が大正十五年の『万有科学大系』であり、それに続くのが『世界地理風俗大系』『日本地理風俗大系』だったことになる。本連載173「新光社と『日本地理風俗大系』」などでも、それらにふれているが、また仲摩のことも含め、あらためて言及することになろう。


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