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2017-04-11 古本夜話648『綜合ヂャーナリズム講座』12

[] 古本夜話648『綜合ヂャーナリズム講座』12

『綜合ヂャーナリズム講座』はこの第十二巻で完結することになるのだが、最終巻にしては出版部門の論考はあまり見るべきものがなく、次の二編にとどまる。

f:id:OdaMitsuo:20170218113127j:image:h110 総合ジャーナリズム講座日本図書センター復刻版)

 1 田中直樹「『娯楽雑誌』の編輯・其他」
 2 一城龍彦「出版書肆鳥瞰論 講談社の巻」

1 の田中直樹の「『娯楽雑誌』の編輯・其他」は本人も断わっているように、タイトルに見合うだけの内容を備えていない。田中のいわんとするところは「娯楽雑誌」の定義として、「学術雑誌を除いた一切の雑誌である」と考えていること、その編輯に当たっては「大衆と共に興奮せよ」「大衆の感情を表現せよ」といった思考に基づいていることに尽きる。後者のフレーズは、田中がアメリカの新聞王ハーストが部下に与えた言葉をそのまま述べたものである。

それでもここに田中を引いたのは、本連載38453などで彼にふれてきたことに加え、そのプロフィルが定かでなかったにもかかわらず、巻末の「講師略伝」において、ようやく写真入りで詳細が伝えられていたからだ。

 本名田中直一、直樹はペンネイムになり、明治三十四年十月廿八日、山口県熊毛郡田布施町に生る。尋常小学三年を修業したる外学歴なし、七歳の時より働いて学校に行く十歳の時健康に適せざるの故を以つて医師の注意を受け学業を中止す、同時に家計愈貧困、医師より死の宣告を受けたる体軀を以つて余儀なき労役に従事す。以来、大工、左官、鍛冶屋、材木屋、酒屋、醤油屋、果物屋、菓子屋、呉服屋、炭坑、鉄道、小間物等等等ありとあらゆる所にて働く、鉄道に於いても掃除夫連結手、小荷物、駅手転徹手等等を経、雇員採用試験をパツスするや貨物掛車号掛の職を経、新線開業にも特に出張せることあり後上京するや菊池寛氏主宰の文芸春秋社に入り、更に興文社に於て「小学生全集」を発行するや、その編輯員となる後編輯主任となり「小学生全集」の終るや、武俠社に入り雑誌「犯罪科学」を起しその編輯長として創刊当時より第十三号まで編輯、武俠社を去る。後四六書院に入り雑誌「犯罪公論」を創刊、その編輯長として現今に及ぶ。(後略)

省略をほどこさないでここに長く示したのは、おそらくこれが本人の記述によるものであり、彼の履歴はあたかもゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」の何人もの登場人物たちを彷彿とさせるからだ。ここに田中のプロフィルがほぼ明らかになったのである。近代出版界にはおそらく彼のように学歴も有さず、様々な履歴を負った優れた少年や青年たちが多くいたにちがいない。そして彼らは出版史にはほとんど記されていないが、その特異な固有の才能を通じて、ひとつの出版のトレンドを担ったように思われる。

そのような少年たちを最も多く収容していたのが、2の一城龍彦が論じる講談社に他ならない。正式には大日本雄弁会講談社と称する九大雑誌が一瞥される。高級雑誌を自称する『雄弁』『現代』、大衆雑誌の『キング』『富士』『講談倶楽部』『婦人倶楽部』、子供雑誌の『少年倶楽部』『少女倶楽部』『幼年倶楽部』である。一城によれば、これらの「九雑誌の総計部数は一ケ月五百二十九万部と云ふから、実に日本全雑誌発行部数の正に八割を占めてゐる」という。

それらの雑誌に共通するのは、これは先に貴司山治も指摘していたが、「封建的道徳の極致で、かつ資本主義日本の道徳観雄根本義である」とし、一城は次のように書いている。

 一切の秩序に顚倒を許さず、一切の階梯に飛躍があつてはならないのである。この封建的道徳が、あらゆる姿かも(ママ)りて、九大雑誌の上に縦横に躍るつてゐるのである。血湧き肉躍るところの武勇すぐれた仇討や、陸上競技の勇者が、個人的な英雄の姿で現はれ、薄幸に泣く美人や、貧窮と戦ふ孝子達が、気立てやさしい殿様や資本家に拾はれて、忽ち出世する。すべて個人の責任が問はれ一切の結果は個人の心懸け次第となる。

 (中略)切々たる哀話、涙くばしき悲恋の物語に於ても、原理は簡単に一貫してゐる。決して現在の制度の罪を問ふのでもなければ、社会的にものを解決しようといふのでもない。すべては人々の心懸けの問題なのだ。

それは「感謝感激たゞ涙あるのみ、本誌一冊で家庭円満、本誌の外におまけ沢山」という宣伝によって売られ、徳富蘇峰から「講談社は私立文部省」という折紙をつけられるに至る。これは雑誌だけでなく、全集や単行本にも共通している。

その講談社の出版事業は国家奉仕の大学としては六百の社員、三百の少年たちの日夜を分かたぬ仕事によって担われ、そうした「講談社式経営法」はまさに野間清治を「神様」とする「野間宗」によって支えられ、それに既成文壇の大家小家の一分も「三拝九拝」を捧げていることになる。

しかし一城は、現代の資本と労働の二大陣営の対立状況からすれば、講談社は「独自の歩みを似て文化反動の最後の一線を固守する」にしても、読者の意識の変化、及び講談社内部の質的変化が「野間宗の本壘講談社の牙城を内から衡く日の遠くないだらうこと」を予測し、この論考を終えている。これは貴司の紋切型批判よりも「野間宗」に肉迫している。

おそらく一城龍彦は大宅壮一と見なしていいように思われる。トリの巻に講談社批判をすえたのは、『綜合ヂャーナリズム講座』のひとつの目的がそこにあったとも見なせるが、残念なことに、一城の講談社に関する予測は当たっていなかったことになるし、出版企画としても反復され、戦後も続いていくのである。


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