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2017-04-13 古本夜話649 サトウハチロー『エンコの六』と松本清太郎

[] 古本夜話649 サトウハチロー『エンコの六』と松本清太郎

もう一編、内外社に関して書いておきたい。『綜合ヂャーナリズム講座』を通読することで、定かでなかった人物のことが判明したからである。

そのことにふれる前に、一冊の復刻本に言及しなければならない。それは昭和五十七年にみき書房から刊行されたサトウハチローの『エンコの六』である。これはタイトルにあるエンコの六を通称とするスリの浅原六造をめぐる十二の短編連作集で、「エンコ」とは公園の逆読みで、/東京で「エンコ」といえば、浅草をさすから、六さんは浅草公園に出没するスリ、それも六区で仕事をするスリということになる。

それにはモデルがいて、本文にも「地下鉄サム君とクラドツク探偵みたいに」とあるように、主人公や相手役の刑事だけでなく、物語にしてもジョンストン=マッカレーの『地下鉄サム』乾信一郎訳、創元推理文庫)に範を仰いでいるといっていいだろう。サムもまたニューヨークの地下鉄を専門とするスリで、戦前には『新青年』などに翻訳が掲載され、日本でもよく読まれていたと伝えられている。

地下鉄サム

「序」に当たる佐藤房枝の「“エンコの六”から思い出すこと…」という夫人の回想によれば、サトウが浅草にいて、新カジノフォーリーに関係したり、エノケンと玉木座でプペ・ダンサントを発足させ、文芸部長として菊田一夫を率いていた時代の作品であり、博文館の『講談雑誌』に連載されたものだという。この雑誌に関しては本連載426でも言及している。

先に『地下鉄サム』の訳者として乾信一郎の名前を挙げておいたが、本連載477で既述しておいたように、彼は『新青年』や『講談雑誌』の編集長だった。おそらく彼は『新青年』掲載の「地下鉄サム」シリーズの翻訳を担っていたはずだし、乾がサトウにその日本版としての「エンコの六」を書くように勧めたのではないだろうか。

みき書房の復刻版には内外社から昭和七年四月発行、発行者は松本清太郎という奥付が残されているので、それが内外社の単行本だとわかる。ただ内外社の場合、本連載635などで指摘してきたように、単行本はプロレタリア陣営絡みの企画が多く、今の言葉でいえば、エンターテインメント系の『エンコの六』だけが異色の一冊に映る。清水三重三の装丁や挿絵も同様であるし、復刻版には箱はないが、八木昇の『大衆文芸図誌』新人物往来社)に見える昭和六年版は、箱に粋な「六さんの和服姿」が描かれているのだ。

大衆文芸図誌

しかしサトウが新カジノフォーリーに関係していたとの言から、これも内外社からそのカラーが合わない『カジノフオーリーレヴユー脚本集』が出されていることを思い出した。これは未見だが、やはり昭和六年の刊行で、『エンコの六』と同じ編集者によって企画されたと見なせるし、それは前述の松本清太郎の可能性が高い。だがどのような人物なのかはつかめなかった。

ところが『綜合ヂャーナリズム講座』第十二巻で、ようやく松本を見出したのである。彼は「特別講座」のところに「ヂャーナリズムより見たる明治時代の小説」を寄稿し、明治時代における作家とジャーナリズムの契合をトレースしていた。この論考はとりたてて言及すべき一編でもないけれど、彼は巻末の「講師略伝」にも写真入りで紹介され、こちらのほうは興味深いので、全文を引いてみる。

 松本清太郎

 明治廿七年三月、京都祇園に生る。中学卒業の他に何の学歴もなし、大正十四年頃出版書肆聚芳閣の創立に加わり爾来三年間同閣の壊滅まで進退を倶にせり、

 著書に小説集「松本清太郎集」「祇園島原」の二種あり、青年時代より藤村氏花袋氏に私淑して夥しく小説を作りたれど、自己の作品が当代に売れざるを覚つて筆を断つ、現、内外社員。

聚芳閣といえば、劇作家の足立欽一が営んでいた文芸書出版社であり、私もかつて「聚英閣と聚芳閣」や「足立欽一と山田順子」(「古本屋散策」54・55、『日本古書通信』二〇〇六年9・10月号所収)を書き、徳田秋声の『仮装人物』などとの関係にふれている。

松本はその足立と聚芳閣に寄り添い、創立から「三年間同閣の壊滅まで進退を倶にせり」という立場にあり、またその一方で、島崎藤村田山花袋の弟子であったことになる。それに聚芳閣は戯曲なども出版していたから、松本も足立を通じて浅草のカジノフォーリー関係者たちともつながりができ、それが『エンコの六』や『カジノフオーリーレヴユー脚本集』の内外社での出版へと結びついていったのかもしれない。

松本は出版史にも文学史にも、その名前を見出せないけれども、それは彼だけが例外ではなく、出版史にも文学史にもそのような人たちは多くいるにちがいない。

ちなみに前回言及した田中直樹は松本の次ページに掲載され、二人は並んでいるのである。ただ松本のほうは内外社員だったことからすれば、またしても内外社の「壊滅まで進退を倶にせり」という状況を迎えていたのであろうか。

なお最後に付け加えておくと、美作太郎の『戦前戦中を歩む』の記述によれば、昭和七年に内外社からヒトラーの『余の闘争』が出されているという。これは未見であるが、『エンコの六』と同様に、広告もなされずに刊行されたのであろうか。


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