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菌類の悪意  このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-05-27

ベン・シャーン

展覧会にゆく。

ベン・シャーン クロスメディアアーティスト

――写真絵画グラフィックアート

Ben Shahn : Cross Media Artist / Photographs, Paintings and Graphic Arts

http://benshahn2011-12exh.info/

ベン・シャーンの作品で強烈に覚えているのが、きょうだいの誰かの美術教科書に載っていた、瓦礫の山の上、ひどく不安定な遊具で遊ぶ無表情な子供たちの絵。

妙に心にひっかかって、色合いも構図も何もかもがお気に入りだった。

どうやらこれは、ニューヨーク近代美術館蔵の『解放』という作品らしい。

会場にいると、心穏やかになってゆくのがわかった。

このひとの描く世界は、不安さや不吉さとユーモアのバランスがとてもいい。

線のゴリゴリした強さも好みだし、パースの付け方も独特だ。

社会に対するシニカルさと、生き物への温かい目線が同居している。

初期の主張の強い社会派の作品よりも、街角のアイス屋さんや、牛や蛙をスケッチしたものの方が好きだな。独自なスタイルレタリングもおもしろかった。

最後のコーナーには、第五福竜丸事件を扱った作品が。

『福竜丸』=『ラッキードラゴン』だなんて、なんて皮肉なこと。

絵本を購入。

2012-05-05

身体のいいなり

先日上旬子宮内膜症の手術で5日間ほど入院してきました。

その体験記をここに書こうと思った矢先、

この本を読んでしまったのです。

身体のいいなり

身体のいいなり


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身体は自分で選べない。自分に与えられたものとずっと付き合って行かなきゃならない。

三十路を越えたあたりから、それまで意地と気力で動いていたであろう部分がガクっと音を立てて崩れ落ちた。

それまでは、厄年なんて迷信だとまったく気にしていなかったけれど、ある程度の年齢を越すと心身に影響が出て来るものなのだと、先人の教えに耳を傾けるようになった。

さて、この本の筆者は、病気まで至らない心身の不調をずっと煩っている。

大きくは、腰痛アトピー子供時代は三度のごはんが苦痛で運動が苦手でガリガリ。わたしと同じである。

この二つはまったく不愉快で、常時じわじわと患者を苦しめる。

腰痛及びアトピーが、不機嫌で人を厭う生活、あるいはそのような性格の構築に大きく貢献していることは間違いないと、物心ついた頃からこれらと共生している自分は断言する。

乳がんの闘病部分は「大変な病気を乗り越えてカムバックしたサクセスストーリー」とはなっていない。

どこまでもシビアで、生活の困窮ゆえお金の描写も赤裸裸。

とにかく仕事を優先、病気で死んでしまえばそれまでの人生、とかなり投げやり。

乳房再建の部分は大変参考になった。

女性の身体にとって、おっぱい問題は大きいのだ。

男性医師に投げられた険のある言葉は、ぐさぐさと刺さって来る。

健康になって、生に対して貪欲になってゆく。その過程は、なんだか心地よい。

この本の文体は人を突き放すところがあって、始めの方の自分の身体をちっとも慈しまない態度に苛つきもする。でも、読ませる。

産科婦人科を分けた方が関係者全員にとって幸せ、という部分には深く同意

産婦人科の待合室は、健康幸せ妊婦と、そうでないご婦人を同席させるべきでないのだ。

2012-04-03

・一番大切なもの以外は、なくしてしまったっていい。

・この世は生きてる者の世界だから、生きてる限りはなんとでもなるから、

この世界にいる権利放棄しないこと。

それ以外はね、何やったって大丈夫。(※他者の権利を侵さない限り)

・頭と身体がそこそこ動いて、寝て食べて、命の危険がなくて、そういう幸せ

・卑屈と傲慢の間にある感情に触れると、気分が悪くなるんだ。

自分を労り愛せない人間が他人を愛してるだとか、愛してほしいだとか、ちゃんちゃらおかしいんだ。そういう時にだれかが与えてくれる「愛」は、底の抜けた花瓶に水を注ぐようなものなんだ。足りない足りないの無限回廊。渇望ばかりで終わりがない、誰も満ち足りない、そんな干涸びた愛。

・長く付き合える友人は財産

大人になってできた友達は、トイレに行く時に群れたりしないし、個人主義だし、これまた財産

・他人に見返りを期待しないこと

他者の感情を推測したり、行間を読むことができない人がいるという認識を持つこと。

想像力を働かせること。

・対話なき一方的な叱責は、相手を傷つけ事態を悪化させる。

日頃から互いに目を見て対話していれば、労り合っていればこうも捻れなかったのに...とは思うが、悪いと感じても謝ることをしないあの性格はもう治らないのかと思うとどっと疲れる。

理屈で生きてるわけじゃないのよ人間は。理屈正義もわかっているからこそ、美しくない現実との板挟みで苦しいのでしょうが。

人間は神じゃない。神じゃないから失敗する。

 失敗してもやり直せる生き方を。世の中を。

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・もう手慣れた感じになって来たけど、それでも手術前夜は緊張するだろう。

10年前に傍にいてくれた人、お世話をしてくれた人、お見舞いに来てくれた人のことなどを思う。

みんな、ありがとう

2012-02-19

読書やら映画やら/夜と霧

名作と言われてるものの基本に触れていなかったりして、

人生時間を勿体なく過ごしていると思った昨今。

夜と霧。

迷ったけれど新訳の方を読みました。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

たぶん読み返すたびに違うことを想う本の一冊。

旧訳版にはトラウマになりそうな写真が入っているそうで、そういうものを手元に置きたくなかったというのもひとつの理由。

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

文体その他に目は通しておこうと図書館で検索したが、やはり新訳しか置いてなかった。

こちらの映像はかなり辛そうなので、未見。いつか見たいけれど、いつか。

夜と霧 [DVD]

夜と霧 [DVD]

フォントの本や新書をいくつかと、専門書。

原発事故後のこの期に及んで、基礎的な理系の知識がないために理解の及ばない話が多々あることを痛感する。

<以下、ざーっと見たもの>

悪人 スタンダード・エディション [DVD]

悪人 スタンダード・エディション [DVD]

逃避行もの。

殺人&逃避行だと、坂本順二の「顔」を思い出すが、あんなタフさや悲喜劇こもごもはなかったかな。

原作が好きだったのぶん、ディティールが抜け落ちて物足りない感。とても頑張っているし、役者もよい感じなのだけれど。

劇中に出て来るトミーの絵がよかった。英語公式サイトダウンロードした。

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2 [DVD]

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2 [DVD]

にっくきスネイプ先生の純愛物語が暴かれ、なにか別の初々しい感動が生まれた(笑)

ネビル・ロングボトムは鼻っ垂れの弱々しいおばあちゃん子だったと記憶していたけれど、大人の男になっていたのね。

映像特典によると、最後のシーンの老けメイクはやりすぎて撮り直し。そのOKが出る前の老けメイクがなかなかの残念感で、もう一度どこかで見てみたいと思う。

グリフィンドールだからってみんなが勇敢なわけじゃない。スリザリンだからって高慢ちきで排他的なわけじゃない。

夜と霧を読んだ直後だから、そんなことを思いながら観た。

一面が白く明るい、死もしくは想像世界。血にまみれた胎児妖精のようないきものが転がって呼吸をしている。

(以下うろ覚えの会話)

ハリー「先生、あれはなんです?」

ダンブルドア先生「我々には救えないものじゃよ」

ゆっくりとその場を通り過ぎる二人。

救えない、そういうものも、あるね。

ブラウン・バニー [DVD]

ブラウン・バニー [DVD]

ぼやーっと見たのでよく覚えていない。ロードムービーセックスして感傷、みたいな。

バッファロー’66は公開当時、大好きだったんだけど。

出会う時期を間違えたようだ。公開当時、ヒロインオリーブ少女の憧れだったという記事もあったから、しかるべき時期に観れば自己投影できたかもしれなかった。オリーブ少女ではないけれど、オリーブ少女的なものに共感する感覚はわかる。

とんがっててクレイジーな女の子が壊れていくのは、辛いばかり。

<結論>

セックスして死んで(殺して)純愛、みたいなのはもうお腹いっぱいになった。

しばらく違うものを観ようと思う。

2012-02-08

冬マンダラ

ちょっと前のメモと、補足その他

バックアップに残っていたので。

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既に廃刊された、ある雑誌に載っていた、ある作家言葉('98)

怒りも観念になっちゃうと、当事者じゃない人に向けられることが可能

あー、これわかる。感情の便秘とでも呼ぼうか。

不自由で気持ち悪いし、不健康

冬のある日

今日は無理そうだ、と悟った朝は、体の怠さにかまけて

布団の中で掌をグーパーグーパーしている。

意思はあるのに動かないって面倒だ。

指一本動かすことが困難で、身体がバラバラになっていく感覚がある。

確実に脳味噌のどこかがやられている。

酷くなると、実際に頭の中がピリピリと痛い。

そんな時の自分は、他のことはできなくても、その感覚を知っている。

指は動かせないけれど、言葉は発さないけれど、

視ているし、聞いている。

論理的に観念を統合できないけれど、ぼんやりと、感じている。

そして繰り返し感じたことが蓄積されている。

やがて、このカプセルの中に入って身動きできない状態が、身体感覚になる。

言葉すら発せない、でも気持ちはある。

将来、例えば寝たきりになったり認知症になったりした時に、同じもどかしさを覚えるんじゃないかという気はしている。

たぶん、そうとうキツい。

例えばうちの祖父母。

晩年は耳が遠くなったり、認知症になっていたのだけれど、

彼等がぼんやりと幸福な世界に生きているんだと思い込もうとしていたことに気づく。周辺の人間の、傲慢で、押し付けがましくて、自分勝手な想いである。

そうあってほしいと願うことと、目の前にいる人の実際がイコールかどうかなんて、確かめられないのだ。

本人の感じる幸福の度合いが、過不足なく他者に伝わっているかどうかは、かなり疑わしい。

自分たちの生きる現実世界を、一緒に生きていないと思い込んでしまっていた。

気持ちも身体も、もう向こう側にいってしまう人、ってどこか便利な場所に気持ちを片付けてしまっていた。

でも、そうじゃない。

生きてるってことは、同じ土俵に立って生きてるってことだった。

何しろ怖くて、老いや、死や、病や、色んなところが変わってしまっても生きている目の前の相手の人格本質をわかろうとはしなかった。

たまにしか会わない相手だったから、余計に。


忘れがちなことなので記録しておく。

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あとね

自身の経験則として

眠れない人と表情がなくなっている人は、「しんどい人」だ。