一五五 良久(六七)

○一五五 良久(六七)  玉篇曰、良猶長也、長對㆓於促㆒、非㆓暫時㆒也、夜〻比左爾安利天ヤヤヒサニアリテ
慧苑と同じ、但し慧苑は促を短に作る。暫字、私記も慧苑も斬の下を足に作るが、暫に同じであるから、印刷の不便を考へて變へた。ヤヤの假名書は古い所に見えぬ。神代紀下海神の女豐玉姫が彦火火出見尊にはじめて會ぶ條の本文に、良久有㆓一美人㆒排㆑闥而出とあり、ヤヽヒサシクシテと訓んで居る。萬葉集は差字をヤヤと訓むべきであり、名義抄〈僧下一〇八〉は經久、良久をヤヤヒサシと訓んで居る。萬葉集十五に妹が袖別レテ比左爾ナリヌレド、靈異記興福寺本第卅五話に良久二を也〻比支爾と訓じ、此の下支字と見る他無いが、ヒキニの語ありとも思ヘない、ヒサニの誤寫か。