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2009-01-26 ■レジュメ■ 『内田樹の研究室』 〜大統領就任演説を読んで〜

内田先生のオバマ大統領の演説を聞いての論考からの抜粋。


日本人の自己を語る際の定義の方法について。

『私はいま「日本辺境論」という本を書いているのだが、タイトルからわかるように、日本人というのは「それに引き換え」というかたちでしか自己を定義できない国民である。水平的なのである。「アメリカではこうだが、日本はこうである」「フィンランドはこうだが、日本はこうである」というようなワーディングでしか現状分析も戦略も語ることができないという「空間的表象形式の呪い」にかかっている。』

なるほどと思わされます。

個人的にも、そういった、「空間的表象形式の呪い」にかかっていると自覚します。


アメリカ人のナショナル・アイデンティティを基礎づけ、賦活させるためには「他国との比較」は必要ないのである。〜中略〜「われわれはかつて・・・であった」だから「これからも・・・であらねばならぬ」が自動的に導かれ、その(よくよく考えるとぜんぜん論理的でない)ロジックに国民の過半が感動的に頷いてしまう、というようなかたちでアメリカは国民的統合を果たしている。私たちにはこれができない。』

確かに、歴代※大統領の言説で、そのような事をあまり聞いたことが無い。

自らの出自と、それを受けての過去。

そして、未来へどう展開していくか。

それが、いたってシンプルなロジックで語れるというとこでしょうか。

(両親によく言われました。「○○クンはこうだから、お前もこうしなさい。」とかね。そうじゃなくて、「家はこうだから、こうしよう」といったような垂直的なロジックを※は持っていると。)

『「過去の日本」はどうであったのか、「未来の日本」はどうあるべきなのか、という「時間軸」の上にナショナル・アイデンティティを構想するという発想そのものが私たちには「ない」からである。1868年には「ご一新」があり、1945年には「一億総懺悔」し、何かいやなことがあるとすぐに「改元」し、「終わったことは水に流し」、大晦日を過ぎると借金がチャラになるような生活倫理で生きてきたので、過去と未来を繋ぐ壮大な「物語」というのが「ない」のである。』

確かにそうなのかもしれませんね。

もちろん、維新も、戦後も経験していない世代ですが、イメージとしては理解できる。

そう考えると、日本人てなんて楽観的なんだろう。

本質的な問題は、結局お茶を濁し、時が経過すれば何もなかったかのように。

個人的にも当てはまることなだけに、うなずける。

http://blog.tatsuru.com/2009/01/22_1011.php