メッセージ 【Arrival:2016】

見てきた。

それほど期待していなかった。あたまにあったのは未知との遭遇モノリス、そして昔見たジョディ・フォスター主演の『コンタクト』


冒頭聞き覚えのあるBGM、そこからの短いシークエンス。エイミー・アダムスの暗く悲しい目。『カールじいさんの空飛ぶ家』の冒頭を思い出した。あれよりもずっと短いけれど。

このあたりで冷静でいられなくなってしまった。自覚ははっきりあった。自分が変わったことを否応なく認識した。

そのあとはゆっくりとしているようで実はテンポよく話が進む。特に目新しいものはなかった。どこかでみたようなイメージ。「あれら」は『ミスト』の「あれ」と烏賊タコを混ぜた上に象さんを張り付けたようなビジュアル。ただし知的な存在であることと「あれ」が発する声を併せて考えると「あれら」改め「アボットコステロ」はクジラのようなイメージなのかもしれない。あっちのひとは好きだね、クジラ。

特筆するべきはエイミー・アダムスであり、ほかの役者は悪くないんだけど印象に残りにくい。そういうこともあり(他にも理由はあるけれど)、『ゼロ・グラビティ』のサンドラ・ブロックを思い出す。あれは殆ど一人芝居だったけれど、この映画もエイミー・アダムスの一人芝居であるかのような印象が残る。


化粧っ気がなくもたついた下半身がそのまま映しだされた、暗い目をした中年女。にも拘らず、とても美しく見える。話が見えてきたときにこそ彼女の演技がどういうものであったのか、に気が付き、それ以降あの暗い目をのぞき込むようにしてこの映画を見ることになる。


終わってみれば未知との遭遇であるし、さらにタイムトラベル物のようなところもあるんだけれども、ようは彼女という一人の人間の生き方がメインであってSF要素はすべてそのための小道具でしかなかったのね、ということになる(SF要素も悪くないんだけど)。

で、この「生き方」「選択」というテーマががあざといかというとそうは感じられなかった。それはエイミー・アダムスの演技が良かったのか、自分自身が変化したせいなのか、それともそのどちらもなのかはわからない。

時間をおいていつかもう一度見たい。