論文完成まで,その後

ブンゴマでのウンカ・ヨコバイの個体群調査は2007年の3月から一年半にわたり続き,この間,キディアバイとロマヌスが完璧に仕事をしてくれて,穴の無い素晴らしいデータがとれました.途中3ヶ月ほど,ケニア大統領選後の混乱のためエタノールが手に入らず,トラップの調査が止まってしまったのは残念でした.しかし,むしろ情勢を考えれば,この間にも(エタノールを使わない)バキュームサンプリングを継続してくれたことは有り難かったです.採集された虫はヨコバイが約1万2千頭,ウンカが3千頭で,これにビタで採れた虫も加わったので捕獲数は2万頭以上となりました.私は2007年の秋から日本で仕事が始まったため,年に一度ケニアで標本を受け取って,手続きをしてから日本に運ぶ,という「運び屋」役を務めました.
虫のソーティング(仕分け)作業は,アフリカ産ウンカ科の分類を卒業研究としていた,東京農大のF君が担当してくれました.状態の悪い標本も多く含まれる,膨大な標本のソーティングはさぞかし困難な作業だったであろうと思います.また,アフリカのウンカ・ヨコバイ類の分類はまだ充分に整理されておらず,未記載種も沢山入っていたようでした.私も少し作業を分担しようと思って試みましたが,とてもじゃないが生半可な手伝いではかえって足を引っ張るだけだと思って諦めました.標本を後日,ドイツの専門家に送って確認してもらったところ,F君の同定がほぼ正しかったことが確認され,胸をなで下ろしました.いや〜F君,あんたは凄い.一年ほどしてF君から,労力の結晶のようなデータファイルが届きました.
データを整理してみると,特にバキュームサンプリングでは種ごとの発生消長が明瞭に現れており,短雨期後にピークをもつ類似した発生パターンを持つ種が多いことがわかりました.さらに詳しく分析して,各種の飛翔性の性差や,健全株と萎縮病発病株における個体数の違いなどについて調べ,論文を書いて投稿しました.この論文は,査読者から概ね好意的なコメントがもらえるにも拘わらず,何らかの問題点を指摘されて一発でリジェクトされる,という原稿で,結局4誌からリジェクトをくらい,完成から1年半かかって,Journal of Pest Scienceという雑誌に受理されました.ただ虫を数えただけのデータですが,多くの人の多くの労力が形になり,こちらとしても肩の荷が降りました.
ビタでの実験の方はKhanさん達が継続し,ネピアグラス上に優占するMaiestas banda(ヨコバイ科)が接種実験の結果,ファイトプラズマの伝搬能力を持つことが確認されました.現在,この種の食性や生態に関する研究が進められているほか,ネピアグラスの抵抗性品種(ファイトプラズマに感染しても病徴が発現しにくい品種)の探索も行われています.このヨコバイの生態については殆ど分かっていないようなので,また機会があれば調査したいと思っています.



ウンカ・ヨコバイ類へのファイトプラズマ接種実験を行った温室(2011年).ずいぶん研究場所っぽくなった.



ネピアグラスのファイトプラズマ抵抗性品種を探索するための予備実験.Maiestas banda(イナズマヨコバイの仲間)にファイトプラズマ感染株を吸汁させ,その後ネピアグラスの様々な品種をケージ内に入れて吸汁させ,発病の有無を調べる.



Napier stuntは,トウジンビエやイネなどに対しても萎縮病を引き起こすことがわかった(写真はトウジンビエ).ネピアグラスだけでなく,これらの穀物も含めた対策が必要だ.



2011年の3月はビタでユスリカが大発生して,電灯の下はどこでもこんな状況になった.

Wiga再訪

4月も半ばを過ぎて例年だと長雨期に入る頃ですが,ビタではここ数週間,雨が降りません.農家にとっては種まき直後の大事な時期だけに心配なことです.2005年にWigaで野外実験をした時も雨が少なくて植物が枯れ,村の井戸水も塩水で使えなくて,本当に困ったことを思い出します.手の打ちようが無いので,研究費で祈祷師を雇って雨乞いでもしてもらおうか,と半ば本気で考えたものでした(実現はしませんでしたが).今回の実験圃場はICIPEの構内にあってスプリンクラーが使えるので,雨不足の問題は解消されています.しかし,気が楽な一方で,なんだか農家の実態を反映しない状況で実験しているような引け目も感じます.この一帯の農家で灌漑設備を持っている人など見たことがありません.


農家の実態といえば,先月の中旬にWigaの旧実験農場を訪ねました.ちょうど2年前,ここのオチェングさんの土地を借りて,トウモロコシ畑の周縁に植えたギニアグラスが昆虫に及ぼす影響について野外実験をしたのでした.ギニアグラスでは害虫のズイムシが生育できない一方で,ズイムシを捕食するクモやハサミムシなどの数が増えます.ギニアグラスは牧草や屋根の材料としても使われているので,これを畑の周りに植えれば,生活資源としてだけでなく,トウモロコシの害虫対策としても有用ではないか,という結果を得たのでした.


当時の実験圃場の写真はこちら.圃場の周縁にギニアグラスが整然と植えられています(というか,僕が植えました).圃場の周辺に牧草を植えるだけなら簡単だし,害虫防除にもなるから良いじゃないですか!という話だったんですが・・・


それから2年後 の写真はこちら.圃場の半分ではトウモロコシが単植され,あとの半分は完全に打ち捨てられております・・・


農場主のオチェングさんは,ギニアグラスは根が深く張っているから抜くのが大変でさ〜,とこぼしておりました.ほんとはギニアグラスのおかげでハサミムシが増えてズイムシの被害が減っているはずなんだけどな・・・などと思いながら笑ってごまかす私.う〜ん.2年前にKhanさんが行ったアンケート調査によれば,ギニアグラスはこの一帯では農家の生活資源として一番人気だったはずですが・・・しかし考えれば,人の少ないWigaの周辺では放牧が主流なので,牛に餌をやるには草原に放しておけばよいわけだし,屋根の材料も,その辺に有り余るほど生えている植物を刈り取ってくれば用は足りるわけです.イネ科の牧草は,この地域ではわざわざ「栽培」するほどの価値は認められていないように思えます.ですので,せっかく畑の周りに植えるのであれば,たとえば牧草であるネピアグラスよりも,食料となる同属のトウジンビエなどの方が良いのかもしれません.その一方で,前回紹介したBungomaなど,畜舎を使った牧畜が行われている場所では,牧草が栽培されています.このような地域では,害虫抑制効果のあるイネ科の牧草を作物と混作することは意味のあることでしょう.同じ植物でも場所や生活の違いに応じて,人にとっての価値の大きさはまったく違うはずです.


Khanさんは化学生態学者ですが,彼が行っている研究プロジェクトは,活動の半分くらいが社会・経済学的な研究です.彼が開発した害虫防除法(プッシュ・プル法)が農民にとってどのように認識され,生活をどれだけ向上させるのかを調べています.私は2年前には,どうもこういう研究にはピンときませんでした.しかし,Wigaの様子を見て以来,農家の生活を詳しく知ることは非常に重要だなと考えるようになりました.研究の結果,いくら効果の高い害虫対策法が開発されたとしても,それが農家に受け入れられなければ意味がありません.農家の生活を詳しく把握し,「何が問題で,何がどのように満たされれば改善するのか」を分析することは,害虫管理法を普及させるうえで不可欠なんでしょう.




Bungomaからの帰り,キスム近くの赤道の標識にて.同行したイギリス人のP教授は気さくでよくしゃべる人だった.「ここでは俺の親父が写真を撮って,俺も写真を撮って,俺の息子も写真を撮ったんだ.親子三代だ.お前も写真を撮って欲しくないか?どうだ撮ってやろうか?」と繰り返し言われ,なんとなくそんな気分になり撮ってもらった一枚.Khanさんによれば,この標識は赤道から約50mずれているらしい.Khanさん,細かい.

カカメガ,ブンゴマ旅行

 えー今日は4月8日ですから40日ぶりくらいの更新になりますね.2週間に一度の更新という目標は早くもどっかにいってしまいました.開き直るようですが,ブログの更新などで変に目標をたてるとロクなことはありません.たぶん.ですから,これからも暇ができたら気楽に書き続けようと思います.


 3月は日本から科研メンバーの方々が来られて,皆でKakamegaやBungomaなどに行ってきました.Kakamegaにはケニアに唯一残された熱帯雨林があり,以前から行きたかった場所でした.ここでは十数年前からKEEP(Kakamega Environmental Education Program)というNGOが子供を対象とした環境教育を続けています.KEEPはICIPEとも協力関係にあって,エコツーリズム,野蚕の飼育,森の植物を使った薬品の生産など,森林資源の利用にも取り組んでいるそうです.我々がICIPEから来たことを告げると,快く昆虫の採集を許可してくれました.森に入ってみると,意外に樹は高くなくて,せいぜい30mくらいでしょうか.林内はそれほど蒸し暑くもなく快適でした.この数日後に,森林内に衝突板トラップを仕掛けたのですが,5cm程もある巨大なハネカクシが採れたのが印象的でした.ビタも数十年前までは森林が残っていたそうですが,現在は灌木が点在する程度で,森林は見る影もありません.これだけ人が多くて,みんな炊事に木炭を使っているわけですから無理もない話です.しかし,このままいくと,森林の減少や木材の枯渇はケニアの人々にとって深刻な問題となる気がします.


 次に訪れたBungomaは,Napier stuntの被害が最もひどい地域のひとつであり,Khanさんのプロジェクトのスタッフが常駐してヨコバイ類を調べています.常駐スタッフであるキディアバイとロマヌスにお願いして,日本から持ち込んだバキュームサンプラーと,マレーズトラップを使ったヨコバイの定期調査を始めました.Bungomaは人口密度が高すぎて牛を放牧する場所が無いため,牛を牛舎内で飼育して飼い葉を与える,「zero-grazing」と呼ばれる牧畜のやり方が一般的なようです.飼い葉に使うネピアグラスの牧草地がそこかしこにみられます.ネピアグラスの病気による生活へのダメージは確かに大きいでしょう.Napier stuntの問題を解決するまでの道のりは遠そうですが,病気の媒介種を実験によって特定すると同時に,ヨコバイの発生消長や寄主植物などの基礎的なデータもなるべく取っておきたいと考えています.


 Bungomaで滞在したTourist Hotelでは,夕食を注文してから必ず1時間以上待たされます.ある日などはチェックインと同時に夕食のメニューを注文して,部屋でシャワーを浴びたりして1時間くらいしてから食堂に行きましたが,やはりその後1時間以上待たされました.これは夕食が出るまでにできるだけビールを飲ませようという確信犯的な(?)サービス(??)に違いありません.もしくは,客が待っていないとやる気が起きないのかもしれません.どちらにしても,客としては,ウエイターに催促するくらいしか抵抗の手段がないのがつらいところです.しかしウエイターも悪びれた様子はまったくないので,笑うしかありません.一人で滞在する時は,本でも持っていこうと思います.



カカメガの森.樹の高さは20〜30mほどで,日本の森林と比べても少し高いくらいの印象だった.林道はよく管理されていて歩きやすかった.蚊も殆どおらず快適だった.



イチジクの仲間の「絞め殺し植物」.根の迫力が凄い.取り付かれた樹は既に枯れている.カカメガにて.



放牧が主流のビタ周辺(Suba地区)とは異なり,人口が稠密なBungomaでは牛を牛舎内で飼育する「zero-grazing」が主流.写真の少年のように,刈り取ったネピアグラスを牛舎まで自転車で運んでいるのをよく見かける.Bungoma周辺では,幹線道路を自動車で一日中走っていても,道路脇を歩く人の流れが途切れることは無かった.そのくらい人が多い.



ネピアグラスを食べる牛たち.ネピアグラスの他にサトウキビの搾りかすや合成飼料なども与える.放牧に比べて手間も,お金もかかる.



Napier stuntの感染率の特に高い場所と,比較的低い場所を選び,ヨコバイを採集するためのトラップを設置した.飛んできた昆虫がネットの網にぶつかり,上方に移動して,エタノールを入れたプラスチック容器に落ちる仕掛け.トラップをチェックしているのは,Bungomaでの調査担当のキディアバイ.



もう一人の調査担当者のロマヌスが,バキュームサンプラーでヨコバイを採集しているところ.初めての採集なので妙に興奮していた.真剣そのものだった.

調査準備,自炊

 ビタに来て1ヶ月が過ぎ,少しずつ調査の準備ができてきました.まずNapier stuntの実験に使う50cm四方,高さ90cmの木製ケージ(虫かご)を50個ほど,町の大工に作ってもらいました.研究所の構内にも作業所があるのですが,ここで頼むと高いので外で頼んだわけです.ところが,これが日本でやるようにはいかなくて,大工を呼んで一緒に材料のリストを検討して見積もりを出してもらうのに1日,大工と一緒に町の材木屋をまわって材木を手に入れるのに1日,買った材木にカンナをかけてもらうのに1日,それを研究所のトラックで大工の家まで運ぶのに一日,ケージの四方に張るナイロンメッシュをキスムに買いに行くのに1日,というような案配でした.その後もちょくちょく様子を見に行ったりして,大工のサイラスとは仲良くなった気がします.製作が始まってから10日ほどが過ぎ,そろそろ完成みたいです.


 もうひとつの研究テーマである,トウモロコシ畑での野外実験の準備も進めています.前回の野外実験は,ビタから100kmほど南西のランブウェ川流域にあるウィガという村でやりました.ここが実にいい雰囲気の田舎で,キリンがいたりして好きな場所ですが,今回はここをあきらめ,ビタの研究所内にある試験圃場でやることにしました.というのは,ランブウェは道路の状態が最悪という欠点があって,スコールが降るとあっという間に道が川になります.朝方ウィガに向かうと,マタツ(小型の乗り合いバス)のタイヤが4つとも道に埋まっていて,客を満載したまま夜を明かしたらしいのにすれ違ったりして,ああいうのはちょっと勘弁してもらいたいわけです.ケニアは,今年は例年以上に雨が多いそうなので,おそらく移動だけで大変だろうし,頻繁に通うのは不可能な気がします.そこで,味気ないですが自転車で通えるビタの研究所内で我慢することにしました.さて,試験圃場ですが,まずは調査予定地の草刈りをしてもらって,そこに生えている500本のクワの木を掘り出してもらうことから始まりました.このクワの木というのは,ナイロビにいる研究者がビタの試験圃場に植えたそうで,その後まったく管理されずにブッシュとなって,圃場のマネージャーは困っていたようです.その場所を僕が管理する理由もないわけですが,まあ礼金みたいなものかと思い直し,15人ほどにお願いして全部掘り出してもらいました.4,5日間で掘り出しが終了して,ようやく昨日,1回目の耕耘がすみました.この間にも,種まきに使う杭やロープを作ってもらったり,ネピアグラスの鉢植えを準備してもらったり,実験に使う植物の種を送ってもらったり,今のところは殆ど他人にやってもらっています.おかげでまだ日に焼けず体重も落ちていないはずです.最近は作業の段取りをつけるのと,調査の計画を立てるため,ほとんど部屋のなかに籠っています.


 久しぶりの自炊生活はなかなか楽しくもあり,焼魚や煮魚や揚げ魚や干し魚などを堪能しています.「オメナ」という干した小魚と,市場で売っている名前のわからない葉っぱを一緒に炒めるとなかなかオツなのがわかり,最近はこれにはまっています.自分の料理の基本スタイルは,何でも刻んで炒めてしまうので,ここの食材でもなんとかなるようです.そういえば,ビタの市場は1年前よりも少し大きくなった気がします.アボガドとかサツマイモなど,以前見かけなかった食材がコンスタントに売られています.この前は,りっぱなピーマンが売られていて驚きました.


それでは,今回はこの辺で.



野外実験の予定地にはびこるクワの木を掘り出してもらうことから準備が始まった.日本だったら,この時点で気力が萎えそうな状況.



クワの木を掘り出した後,トラクター(遠くに見える)で耕耘してもらった.手前のソルガム畑をつぶしてしまうのはもったいないが仕方ない.



これだけ風景のゴージャスな物干し場があるアパートは,なかなか無いですよね.ビタの天気に感動してしまうのは,これまで日本海側に15年も住んでいたからかもしれないけれど.



ケージ製作中の写真を撮ると言ったら,あわてて片付けたり道具をとりにいったりしてドタバタしていた.結局カナヅチでトントンやっているところを撮ったのだが,真面目な写真で面白くないので載せません・・・



ある日の夕食.揚げたナイルパーチをまとめ買いして,冷凍庫に取っておくと忙しい時は便利.

戻ってきました

 Mbitaに戻ってきました.前回の滞在から1年3ヶ月ぶりです.まさか1年後に戻ってくるとは,そしてこの「ICIPE滞在記」の続編を始めることになるとは想像もしていませんでした.こうして戻ることができたのは本当にラッキーなことです.とはいえ,昨年の春にケニア行きが決まった時は,「よし,戻れる!」とか,「またアレが始まるのか・・・」とか,「就職,だいじょぶであろうか・・・」とか,いろんな気分が混ざりあって,正直に言って複雑でした.しかし実際に来てみると,「懐かしい!」「俺は帰ってきた!」というようなポジティブな感情が圧倒的ですね.Mbita最高です.定職さえあれば,ずっと居たいくらいです.それも問題か?とにかく,戻ってきたのです.ここは開き直って,やるっきゃありません.


 何をやるっきゃないか,というと,今回のテーマは2つあります.一つ目は,前回の研究の続きで,牧草を混植したトウモロコシ畑における捕食性節足動物とズイムシとの関係についてです.これはまた別の機会に書きますが,簡単に言えばいかにトウモロコシを,ウガリを害虫から守るかです.もう一つは,西ケニアで問題になっている,ネピアグラスの病気を媒介する生物の特定です.ネピアグラスというのはこの地域の代表的な牧草で,多くの人々が牛の飼い葉としてこの植物を利用しています.ところが近年,phytoplasmaというウィルスによる「Napier stunt」なる萎縮病がこの植物に蔓延し,深刻な問題となりつつあります.西ケニアでは,この病気によって飼い葉を牛に与えられなくなったため,人々がつぎつぎに牛を手放しているというのです.全ての「欲」のなかでも「食欲」を最優先する私としては,これはもう黙っちゃいられない話です.ネピアグラスは花を咲かせないので,人々は挿し木によってこれを殖やします.しかしNapier stuntは感染から発症まで数ヶ月,ときには1年もかかるため,潜伏期には株の外見上から感染か非感染かを判断できません.このため,感染株を挿し木で殖やしてしまうことが,Napier stuntの伝染の主な要因のようです.一方,ネピアグラスを吸汁するウンカやヨコバイ類によっても,phytoplasmaが伝染することが,さまざまな作物で知られています.ネピアグラスを吸汁する昆虫の中には,phytoplasmaの感染媒体となるものがいるかもしれません.これを特定しようというのが今回のテーマです.


 1月20日にビタに到着後,Napier stuntについて調べたり,研究計画を話し合ううちにあっという間に1月がすぎました.共同研究者のKhanさんは,Napier stuntがいかに深刻であるか,タカのような目で熱く語り,こちらも熱くさせられました.この人は.ケニアの農業や生活向上のことをつねに第一に考えているところが,かっこいいのですね.「研究は面白ければそれでよい」という,なんとなく信じてきた信条のようなものが揺さぶられます.前回の滞在に比べてKhanさんはよく話をしてくれるような気がします.前回の研究結果で論文を書いたことがこれに影響していることは間違いないでしょう.それもふくめて,お互いが相手のことを分ってきた,ということなのでしょう.


 さて,今回はこの辺にしておきます.前回の滞在では「ICIPE滞在記」というのを書いていました(現在は見れなくなっています).ビタはあまりにものんびりしたところで,ややもすると何もしないでダラダラして終わりそうなので,今回の滞在でも,研究の状況や印象を書き留めておく備忘録として「Oyoo のICIPE滞在記 II」を始めます.「Oyoo」というのは「小さな道」を意味する,私のルオ名です.2週間おきの更新を目標として,7月末まで続けたいと思います.


それでは,今後もよろしく.



ナイロビ在住Fさん宅にて産まれたカメレオンの子供(生後1日).カメレオンは,は虫類であるにもかかわらず,卵ではなく子供を19頭も一気に産み落としたらしい.親には鼻先に3本の立派な角が生えているが,子供にも既にちょこっとだけ角が出っ張っているのがカワイイ.出産に立ち会ったというFさんが純粋にうらやましかった.



ナイロビからナロク,キシイを通過してビタへ向かった.始めて通る道だが,なかなか道路状態が良好だった.しかし雨が降るとなかなか大変な道でもあるらしい.



アパートの裏の物干し場のあたりにカワセミらしき鳥のつがいが住んでいる.



ネピアグラスは,トウモロコシ畑の周辺に植えると,ズイムシの成虫(ガ)を誘引して畑内部への侵入を阻止する「おとり植物」の役割を果たす.この植物は良質の牧草でもあり,これを牛に与えることによって牛乳の生産が高く安定するという.刈り取った茎を適度な長さに切り,地面に差しておくだけで簡単に殖やすことができる.



Napier stuntに罹ったネピアグラス(左下).葉が黄色化し萎縮して,これ以上生育しない.西ケニアのBungoma周辺では罹患率が60%を超える.右上は健全なネピアグラス.



台所の網戸のそばでシュモクバエの仲間を発見!

送別会

今週はビタに戻り,ICIPEに提出するfinal reportを作っています.研究の結果は,当初のもくろみからは随分外れて,きれいな結果とは言いがたいですが,全然つかえないデータでもなさそうです.もう少し分析すれば,いろいろと面白い事が示唆できると期待しています.

  サイラスが自宅で送別会を開いてくれて,わざわざ鶏をつぶしてくれまして,家族ぐるみで暖かいもてなしをうけましたが,そこでの話題は「テーブルクロスを1400シル(高すぎ)で買わないか」とか「あなたのラジカセの引き取り手がすでに決まっていたのは残念だった.なぜ最初に言ってくれなかったのだ,私がもらうつもりだったのに」とか,「まえにビタに滞在していた日本人の〜さんはいい人だった.帰る時には使っていたものをみんな置いていった」とか,「ぜひまたケニアに戻ってきて欲しい.その際は日本からバレーボールをもってきてくれ」とか,要するに「なんかくれ」というタカリ話ばかりで少し疲れました.わたしの周辺のケニア人はどうしてこう「もらう」ことしか考えない人が多いんでしょうか.いつもですと,内心「オメーなんかに釘一本やるものか」とまったく相手にしないことにしてるんですが,正直,この日は複雑な思いでした.

  親切はしてあたりまえ,されても当たり前,というのがケニア人の気質と言われているようですが,「物」や「お金」に関しては,(少なくとも外国人からは)もらって当然,という一方向の観念しか持っていない人が多い気がします.実際,何でもばらまいて帰っていく外国人が多いのでしょう.ケニアの知人と話していても,あからさまな依存心を平気な顔で押し出してくることがしばしばです.こちらとしてはフザケルナと思うわけですが,一方で,あんまり頑張って変な噂が広まるのもいやなので,ほどほどに「与えて」しまってきたかもしれません.結局,なんでも「交渉」と「妥協」なんですね,この国は.それを楽しみ,喧嘩にならずにうまくやれるかどうか,がケニアでやっていくうえでの鍵かもしれません.

  今週末にビタを引き払い,ナイロビで数日過ごした後,帰国します.次回が最終回になりそうです.


Silas.jpg
固く握手をかわすサイラスと私,楽しい送別会ではあったんですけどね.

Kitchen.jpg
この建物の屋根は,調査に使われた浪板で出来ている.

Hippo.jpg
ツァボ国立公園にて.

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目の据わったはぐれゾウ.この後,追っかけられた.

種同定・ボーナス

前回に書いたのが8月18日ですから,もう3週間も経ったわけですね.この3週間,昆虫のソーティングのメドをつけて,ナイロビの某博物館で種同定をお願いしました.ケニアは何でも交渉次第であり,種同定も正規料金は1個体ン十ドルというような高額ですが,「そんな金はない.多少は払うつもりはあるんだから,なんとかしてよ.」などと言って頑張ると,あっさり値下がりしたりするようです.個人取引ならまだしも,正規の業務のように見える仕事でも,いくらでも交渉の余地があるところがケニアらしいところです.来週の月曜には終わらせるとの事でしたが,まったく出来ていないこともあり得るし,ちゃんと調べてくれているかもわかりませんし,コストも交渉次第,ということで来週はひとつの山場だと思います.

野外調査が無事終わったので,アシスタントに少額ながらボーナスを支給して,使い終わった調査資材もプレゼントしました.プレゼントといっても,ピットフォールトラップに使ったプラスチックのコップだとか,ロープの切れはしだとか,粘着トラップにまみれたバケツとか,ボロボロで穴のいっぱい空いている軍手とか,そんなものばかりなのですが,みんなむしり合うようにして取り合っていました.ピットフォールトラップにはネズミが溺れていたり,ヤスデがいっぱい入っていたりしたのを皆知っているはずなのですが,それでも欲しいみたいでした.何に使うのか聞いてみましたが,「わからないけど,何かにつかう」とのこと.町で売ったりするのでしょうか.くれぐれもきれいに洗ってから使って欲しいものです.僕も,ものを捨てるのは嫌いなほうですが,ケニアの人の廃品利用は凄まじいものがあります.オイル交換したエンジンオイルさえ売る,という話を先日ある知人から聞きました.
明日からまたナイロビ,1週間後に帰ってきます.いよいよ帰国が近づいてきてしまいました.

Staff.jpg
アシスタントと記念撮影.みなハッピーな様子.こちらとしても,喜んでもらえて良かった.

Hailstone.jpg
ナイロビに向かう途中で,雹が降った.まさかケニアで雪道を運転するとは思わなかった.

Specimen.jpg
博物館の標本庫にて,マダラテントウを発見!!

Ferry.jpg
最終便のフェリーの出港まぎわにバスがダッシュしてきて,なんとか間に合うの図.