架空の杜

The journey is the reward.

マリア≒音無響子

67話でマリアさんがハヤテを男性としてちらっと意識したことで、マリアさん音無響子さん化現象が加速してきました。

めぞん一刻 (1) (小学館文庫)

めぞん一刻 (1) (小学館文庫)

赤貧アパートの管理人とお屋敷のメイドさんでは全然違うようで

  1. エプロンと箒
  2. 年上
  3. だけど敬語を使ってくれる
  4. 年下の主人公を意識している
  5. 実はツンデレ
  6. 恋愛に関しては不器用

ということで似ています。
伊澄の呟いた「マリアさんラスボス説」はこうなると信憑性が高くなってきますね。

のだめカンタービレ(3) (KC KISS)

のだめカンタービレ(3) (KC KISS)

やっと3巻を入手。ちゃんと音が聞こえてくる。大巨匠の小悪党ぶりがたまらなく面白い。二ノ宮和子を今までスルーしてきた自分が悔しい。

最近面白い作品と出会ったら、最後まで読んだり観たりするのが惜しくて、ジリジリとしか鑑賞しないという悪い癖ができてしまいました。ローゼンメイデンの9話も観てないし・・・。老化の表れか、吝嗇が趣味にまで及んできたのか(-_-;

無思想の発見 (ちくま新書)

無思想の発見 (ちくま新書)

購入理由は二つ。普段なら「あぁバカの壁先生の新著ね」ということでスルーですが、妄想メンター内田老師が養老センセと仲がよろしいので、「まだもらっていない知がこの人にはある」と確信したからです。も一つは、ちくま新書という点が大きいですね。他社の新書と比べてハズレが圧倒的に少ないです。今から読みます。

テレビをみる人みない人

新たな特権意識の発露という気がしないでもない - 昨日の風はどんなのだっけ?
テレビを見ない人、見る人 - naoyaのはてなダイアリー
大橋巨泉がみっともない人間であんなのと一緒くたにはされたくないというのは、空気読めている人の中ではいうまでもないことです。で、私が申し上げたいのは、世間ではテレビをみている人が圧倒的多数であり、みていない人の疎外感は相当のものがあるということです。

私など相当捻くれていたのか高校生ぐらいから殆どテレビをみなくなり大学時代に既にニフティ>>テレビという序列ができてしまった人間です。現在暇だらけの生活なんですが、それでも週4時間みているかどうかです(なぜか週末だけはテレビをみる習慣、多分競馬中継があるからだろう)。今は全然困っていないのですが・・・

営業やっていたときは、お客さんとの雑談で向こうがテレビをこっちもある程度みているという前提で喋るので、こっちがみていないとバレると気まずい雰囲気が流れました。それから、職場の飲み会でも結構テレビをみていないと辛い思いをします。場の空気で共通の話題を無意識に皆が探すと、テレビの話題に落ち着きやすいのです。トドメは流行歌(旧い)です。世紀が変わってからはさほどでもないのですが、90年代だとまだ社会知としての流行歌を知っていることがマナーであり、これを知らないとカラオケ等で気まずい雰囲気を自らが醸し出してしまう羽目に陥ってしまいました。

そういう過去を持つワタクシから申し上げると例えば、ネット上の知的なエスタブリッシュメント集団である「はてな」のスタッフがテレビをみないという話を聞くとなんだか嬉しくなってしまうのです。おそらくtoroneiさまが見聞したテレビをみない人の同調ぶりとかそういうのは、そういった疎外感を持った人間の些末な劣等感の発露と推察できますので、お怒りにならないでいただきたい、、左様に思うわけです(-_-;