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2008-11-24 鉄斎筆「火要鎭」 
今の時期、富士山はくっきりと見え易く、頂上にちょうどいいバランスの冠雪、例えそれが新幹線からの眺めであっても最高ですね。暮れが近付く度に富士山を見ては鉄斎描く富士山図を連想します。
鉄斎は神仙に対する清々しい思いを胸に抱いたまま、1924年の大晦日に89歳の天寿を全うしました。きっと天に昇っても休む事は無く、大らかな鬼を従え星々の輝きの下、宗教や学問への追求をいつ止める事も無く、しかし仙人の如く気侭になさっている事でしょう。
連想ついでに台所や家の隅々まで守っていただいた鉄斎筆の「火要鎭」写しの新品を、車折神社まで買い求めに行きました。ちょっとおくどさんに立ち昇る湯気や油で痛んでしまいましたから、思い出して良かった。京都では愛宕神社の火の用心札「阿多古祀符火迺要慎」と並んでポピュラーなものなんですよ。車折神社の神額や神社名を掘った石碑の書も鉄斎の手によるものです。
鉄斎は兄が死んで帰京した後、京都市上京区室町通一条下ル薬屋町に居を構え、嵯峨住民からの要請や御祭神清原頼業公への敬神の念から宮司に就任、神社経営にも非凡な手腕を発揮し、御祭神700年祭を斎行しました。鉄斎夫人の姪と結婚した現在の宮司高田亘さんの曾祖父高田静衛氏に地位を譲る迄の5年間、鉄斎は最後の宮司生活として毎日人力車で来社しては、神社の隆盛に心血を注いだそうです。
近代日本に生まれた唯ひとりの世界的な大芸術家を、出張時に新幹線の窓越しに見た富士山で思い出し、連休最後の日に京都市右京区を走る京福電車嵐山線に乗り、車折駅の南側で降りるぼく。のんびりした風情がとっても楽しい。穏やかな秋雨が降って落ち着いた町や森(東山辺りは大変な観光客の姿も無く)は、散歩には最適でした。
芸事の神様おわす場所でもあるため、各芸能人が成功祈願する縁から、時折うるさい芸能ファンも来るには来るけど、今日は静か。広隆寺や太秦の近くと合わせて歩くのが又好きになりました。
以前書いた車折神社の事→id:PW_paperback:20080514
