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和歌を読む4――「小倉百人一首」を読む

■前提

解説はしません。

 

■基本情報

省略

 

■鑑賞

 

▼No.1

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ  天智天皇

前から素直に追っていくと…

・秋の田の:「秋」だけだとちょっと寂しげなイメージがありますが、「秋の田」だと実りの秋、収穫の秋でなんとなくポジティブな印象になる気がします。私は黄金の稲穂の波がざーっと一面にあるイメージを浮かべました。

・かりほの庵の:これは収穫した"刈り"取った穂と、収穫時期用の"仮"の住まいって意味が両方あるようですが、後者の意味が強くでると、若干さみしげな雰囲気が出てきます。現代だと、例えば、海からちょっと離れたとこに本住まいのある漁師が、漁のために海近くの仮の掘っ立て小屋に一時的に一人で寝泊まりする、的なイメージでしょうか。

・苫をあらみ:「瀬をはやみ」と同じ、「〇〇が△△なので」文法。苫があらいので。苫を調べても「菅(すげ)・茅(ちがや)などで編んだ、こものようなもの」と全部わからない用語で説明されます(笑)。画像検索すると、要するに藁ぶき的なもののことを言うようです。苫の目が粗いのか、古くて荒れてる的なのかはわかりませんが、ここまで来ると寂しいイメージが強くでてきます。

・わが衣手は露にぬれつつ:ずっと勘違いして、雨漏りで濡れてるのかと思ってたのですが、露なんですね。森や山あいの地で、ほぼ外みたいな環境にいたらそりゃ朝とか露でびしょびしょになりそうですね。この衣手は袖なんでしょうか、着物全体なんでしょうか。露なら全身濡れそうですが、泣いてる時の袖を濡らすと、掛けてるのかもしれません(つらくて、さみしいよぉ、しくしく、的な?)。いずれにしても、最終的な着地点は寂しい感じになりました。

総じてみると、「秋の田」のきれいでポジティブなイメージから、どんどん暗く寂しいイメージに沈んでいくような印象です。実際に田で働いてる人にとっては、いつもみてる風景を「黄金の穂の波」なんて思わないのか、それとも本来なら祝うべき時期なのに…という対比なのでしょうか。

「ぼろやなので、濡れるぜ、コノヤロー」という生活のぼやきか?と思いたくもなりますが、しかしわざわざ秋の田という場面にしてるので、ただの貧乏ぼやきではなさそう。何か悲しいことがあったから涙を連想させる結びにしてるのではと読みたくなります。この辺はよくわかりません。

詩としてみると、映像ははっきりみえてくるし、なんと言ってもリズムがとてもきもちいいですね。「・・・・の・・・の・・の」という4文字、3文字、2文字で「の」を繰り返すとこんなに気持ちいリズムができるのか、と感動します。「苫をあらみ」のところは若干ぐちゃっとしてる印象がありますが、最後「つつ」というふわっと余韻の残る終わり方で、とにかく音が気持ちいい詩だなぁと。覚えやすいし。

さて、問題は作者が天皇ってことなんですよね。こんなザ・労働歌みたいな歌(リズムのうまさとかは別として)が天皇の歌なの?と思ってしまいます。解説を読むと、もともと作者不詳の歌が、民に寄り添った古代の名君、天智天皇!というイメージと合わさる中で、天智天皇の歌になっていった、とのこと。このリズムの良さと、天皇が農民の苦労をしのんで詠んでいる、というコンテキストを踏まえると、良い歌として残るのも納得、という感じでしょうか。

ちなみに、元とされる万葉集の作者不詳の歌はこちら。十巻の「露を詠む」シリーズの1つです。

秋田かる 仮廬をつくり わが居れば 衣手さむく 露ぞおきにける

百人一首のものよりさらに労働歌っぽいですね。「秋の田の」ではなく「秋田かる」なので、景色というよりは労働そのものから入っています。衣手もそのまま濡らすわけではなく、寒い上に濡れもするという感じ(こちらは袖より、着物全体という感じがします)。「の」を繰り返すあの技巧的なリズムもないので、本当に実感を歌ったのが伝わります。

 

なお、万葉集にはちゃんと天智天皇の作品もあって、こっちも自然を歌ってはいますが天皇感あふれる歌でした。

海神(わたつみ)の 豊旗雲(とよはたくも)に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ

鏡王女にあてた恋歌も。

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを

 

個人的にこの歌は好きですが、本当にこれが一番であるべきだったのか、というのはちょっと疑問が残ります。百人一首の歌は、過去の勅撰和歌集から選ばれているとはいえ、これ自体は勅撰ではないので、別にコンテクストありきで天智天皇をたたえる歌が1つ目である必要はあったのか。天智天皇をスタートとして1首ずつ、というのはコンセプトとして良いとして、天智天皇作の中でも、もっと適切なものがあったのでは、と思ってしまう。海神の~も、これから始まる感(夜だけど)があって良いですが、時間があれば、これこそ百人一首の一首目にふさわしいという天智天皇の歌を見つけたい。

 他方で、百人一首が障子に書かれるためのもので、2首セットだったことを意識するなら、次の歌との取り合わせを考えなければならず、そうなると、これしかなかった、と思えても来る。

 

 ▼No.2


来ぬ

来たる


衣干したる

衣干すてふ


天の香具山

父・夫




若者の「内向き志向」について 2012年版

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・リンクは別窓で開きます
・更新履歴 2013年6月8日
  :文章の微調整
  :20代人口と20代出国者数を比較したグラフを追加
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以前、若者の「内向き志向」と呼ばれる現象に対して、20代の出国者数と留学者数の二つの面で検証した記事を書きました。


「若者の内向き志向」について1 〜若者の留学離れ?〜
「若者の内向き志向」について2 〜若者の海外旅行離れ?〜


詳しくは記事を読んでいただきたいのですが、どちらも20代の人口減で説明できる部分が大きいが、海外旅行者数(=「出国者数」)については人口減以上に減少しているという結論に至りました。


前の記事が2009年のデータまででしたので、2011年のデータまでを用いてその後の状況を簡単にみてみたいと思います。
今回は、出国者数について。


*素人が数字をグラフ化しただけなので高度な分析は期待しないでください


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■結論■
1.20代の出国者数
  →1996年のピーク以降減少傾向だったが、ここ3年は増加
2.20代の対人口出国率
  →1996年をピークに増加は止まり減少に転じるが、ここ3年は増加。
3.対全世代出国率
  →全世代に対する20代の出国率は減少傾向から横ばいへ
  (他世代の出国者数増加が影響している可能性大)
4.40代の出国者数・出国率
  →この二年間はともに増加
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0.2007年、2008年の記事から

 ここは読み飛ばしていただいた構いません。もともとこのデータを調べてみようと思ったのが、2007年前後によく見られた以下の記事のような物言いに対する違和感だったので、一応載せておきます。


若者の海外旅行離れ「深刻」 「お金ないから」に「休み取れない」


法務省出入国管理統計によると、2007年の海外旅行者(出国者数)は前年比1.4%減の1730万人。03年以来、4年ぶりに減少に転じた。しかし、旅行業界でもっと深刻に受け止めているのが若者の「海外旅行離れ」。同統計によると、20〜29歳の海外旅行者数は1996年の463万人から、2006年には298万人にまで減少。10年間で35%近い「激減」で、若者の「海外離れ」が深刻になっているのである。(2008/4/30)
Jcastニュースより


若者が旅行に行かない!?

世界的な大交流時代を迎えるなか、日本の若者の旅行離れが進んでいる――。


法務省のデータを基にした出国率を2000年と2006年で比較すると、20─24歳の男性は12・4%から11・5%に、女性は27・4%から22・5%に、7年間で大きく減少している。25─29歳では、男性は20・1%から17・3%に、女性は31・5%から25・0%に減少。さらに、30─34歳では男性が23・8%から21・0%に、女性は21・3%から19・3%といずれも減少している。とくに女性の減少幅が大きい。(2007/10/09)

メディアサボールより 旅行新聞新社 旬刊旅行新聞 編集長 増田氏の記事

 それぞれの記事は、若者の海外旅行離れを主張しているという点は同じですが、前者は、若者の出国者数の全体量が減っていることをもって、後者は出国者率(若者の出国者数/若者の人口)の減少をもって、「若者」の海外旅行離れを主張しています。
 前回提示したデータをみればわかりますが、ここで「若者」と言われているのは「20代の人々」のことで、「海外旅行」というのは出入国管理統計における「出国」、「出国率」は、「20代出国者数/20代人口」のことです。
 *ちなみに出入国管理統計における「出国」は同一人物であるか否かを問うていないので、この計算によってでてくる「出国率」はかなり雑なものです。詳しくは前記事を参照下さい。

1.出国者数

最近10年間の出国者数の推移です。


まずは総数と一緒に20代の出国者数を見ておきましょう。
(総数や長い期間の中で見ることで冷静になれます)


続いて20代の出国者数のみ取り出します。

1996年を境に減少に転じ、2000年と2004年以外は毎年減少が続いていましたが、
2009年からは増加に向かっています。


20年間の推移です。

 スパンを長くとると、1996年までは一貫して上昇傾向であったことがわかります。1996年という年は20代人口のピークだった年でもあり、20代人口と20代出国者数は似たような推移を示します。

2.対人口出国率

最近20年間の対人口出国率の推移です。
(20代出国者数/20代人口 *「出国者数」は同一人物かどうかを問わない単純な数です)

 出国者数のグラフ同様1996年を境に減少へ転じますが、減少の度合いはゆるやかです。
冒頭に紹介した記事で、「(1996年から2006年の出国者数は)10年間で35%近い『激減』」と表現されていましたが、人口減少を考慮すると4,7%の減少です(2011年の数字なら3.5%)。人口減を考慮するだけでかなり印象が異なります。

 出国率でみると2000年以降は19%前後を維持しており、直近3年間の出国率が3%以上の上昇であることをみると、人口減にも関わらず減少幅は縮みつつあるとの評価も可能です。(もちろん人口減だけでは説明できない減少分があるから出国率が一時期下がったのですが)

3.対全世代出国率

前回、他世代と比較した時の若者世代の「内向き」が目立つ、という意見があることを紹介しました。


グラフを見ると、やはり1996年から減少が続き2007年に減少が止まって以来横ばいとなっています。全世代に対する出国率となると、他の世代の出国者数を考慮しなければなりません。そして前回指摘したように、20代人口が減少しつづけているのに対し、より上の世代の人口は増え続けており、それに伴って上の世代の出国者数も増加したことが影響していると考えられます。

4.40代の出国者数・出国率

 前回、直近の状況として(2008年、2009年)、20代の出国者数・出国率は上昇しているにも関わらず、40代の出国者数・出国率は減少しているということを書きました。その後のその後2年のデータをいれると以下のようになります。

これを見ると、この2年間で再び上昇していることがわかります。2004〜2007年は20代出国者数は減少し40代は上昇、2008−2009年は逆に20代出国者数は上昇し40代は減少というあべこべの動きを示していましたが、ここ2年はどちらの世代も上昇という同じ動きを見せています。


とりあえず、今回は以上です。
留学者数についてはまた次回。


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今回作ったグラフは全て以下をもとにしています。
 ・法務省出入国管理統計
   −1964〜2005年はこちらから
   −2006〜2009はこちらから
 ・統計局人口推計
  −1964〜2000年はこちらから
  −2000〜2009年はこちらから


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■おまけ
 前回、若者が海外へ行かなくなったことを、若者が「行きたがらなくなったから」という心理的な要因に求めることに対する反論として、インターネットを用いた意識調査を紹介しました。同調査会社が2010年に再び調査をしているようなので、こちらも更新。(ただし、調査対象者も調査目的も異なるため、グラフで比較することは控えました)


マクロミルという市場調査会社によるインターネット調査

・2008年「海外旅行に関する調査」
 −全国の15才〜39才の男女(マクロミルモニタ会員)
 −インターネットリサーチ
 −2008年7月23日(水)〜7月25日(金)
 −4740サンプル(性別・年代で割付 各470)
  *PDFはこちら

・2010年「海外旅行に関する調査」
 −1都3県(東京觥・神奈川県・千葉県・埼玉県)の、20才以上の会社員男女(公務員、経営者・役員含む)(マクロミルモニタ会員)
 −インターネットリサーチ
 −2010年8月25日(水)〜8月27日(金)
 −有効回答数1000(性別・年代で割付 各125)
  *PDFはこちら


2008年調査では
・海外旅行に「興味がある」「やや興味がある」の合計が、10代で74.35%(36.7%)、20代で76.8%(42.3%)。()は「興味がある」の割合。
・「2010年末までにプライベート目的で海外旅行に行きたいと思いますか」という問いに「行きたい」「やや行きたい」と答えたのは、10代で60.0%(34.2%)、20代で71.3%(44.3%)()は「行きたい」の割合。


2010年調査では
・「週末海外旅行」に「行ってみたい」「やや行ってみたい」と答えた人は、20代で83.2%(45.6%)。()は「行ってみたい」の割合。
・「海外旅行」に「興味がある」「やや興味がある」と答えた人は20代で92.0%(66.8%)。()は「興味がある」の割合。


対象も目的も異なるため比較はできませんが、20代でも海外旅行したいという意味での「出国したい」と思っている人は多くいるということはわかると思います。

入山章栄著『世界の経営学者はいま何を考えているのか』を読む

入山章栄,2012,『世界の経営学者はいま何を考えているのか』英治出版




――メモ――


日本の経済学部・修士を出て民間就職したのち、アメリカの経営学博士課程にすすんで、研究者となった著者による、「世界」の経営学を紹介する書。

内容についてはメモすらまだ。


 第一部で日本の経営学と「世界」の経営学の違いについて述べられているのだが、著者の書き振りがおもしろい。日本の経営学はフィールドワークが主流なのに対し、特にアメリカでは統計的な分析が多い、と。そして、経営学が統計的に実証可能な一般法則を打ち立てることを目的にする以上、アメリカ的な経営学が主流であり続けるだろう、ということである。

 私は経営学については全くの門外漢なので、よくわからないが、これを社会学や哲学の分野に置き換えて考えてみるとおもしろいと思った。例えば学部、修士で関係のない分野を勉強し、博士課程からアメリカの大学で社会学・哲学をまなんだ場合、そこで身に付けた研究スタイル・視点から日本の研究状況を見ると、なんとも奇妙に見えることは容易に想像がつく。


 著者曰く、経営学では欧米それほどアプローチ方法に違いがないらしいが、哲学や社会学では今も英米系と大陸系に違いがあるといえると思う。アメリカで哲学学んだ人がドゥルーズデリダを読むとは思えない(笑)。まぁそれはいいとして、要するに特定の知的伝統を持つ場で「科学」や「哲学」なるものの一般的なイメージを獲得してしまうと、他の地域で行われているものが「科学」や「哲学」とは離れたものに感じられてしまう。
 社会学の場合アメリカにもシカゴ学派の伝統があるので、フィールドワークが全くないわけではないが、量的調査や型がきっちりした仮説検証型の研究が多い。イギリスにはもっと多い。対して日本では、長らく質的調査と量的調査の間の終わりなき戦いが続いていて、量的調査が絶対的な優位にいるというわけでもない。アメリカに在籍する(あるいは留学している)日本人研究者が、日本の社会学の現状を嘆く時は、その質的側面が目立って見えるのだろう。(逆にヨーロッパにいる日本人研究者が嘆くことも非常によくある)
 日本型の研究が良いかどうかは別として、とにかく本書で著者が「驚いている」のはこのことなんだろうなと思った。おそらく経営学者側たちはそれに対して反論できるような理論武装はしてあると思うが。

 そういう意味で、(内容は別にして)よくあるストーリーの流れではあるんだけれども、経営学なので、学問内部の立場云々とは別に、外からの空気が欲しいという需要があれば一気に輸入されて日本の経営学も影響うけるんじゃないかなーとはちょっと思った。そこが経営学の大変そうなところ。


*気になったのは、科学的研究に慣れ親しんでいない人の持つイメージと科学的研究の差と、日本の経営学とアメリカの経営学の差、の両方が多少ごっちゃになって論じられている点。
 例えば、「アメリカの経営学」の比較対象が、「日本の経営学」の時と「日本のビジネス書を読む人がイメージする経営学」の時がある。ドラッガーを使って研究しないのは日本の経営学でも同じだろうと思う。あと「博士課程の学生を対象とした、経営学の理論を体系的に網羅した教科書はない」(41p)というのも、経済学を除けば多くの社会科学でそんな教科書はないのでは、思う。


世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア

世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア

小林秀雄「信ずることと考えること」 メモ

メモ段階

小林秀雄、昭和49年講演「信ずることと考えること」 


「経験科学」は対象を、人間の豊かで広大な経験を、”勘定できる経験”=「科学的経験」(合理的経験)に絞った。それによって科学は発達していったが、それは人間の経験を狭めることにもなった。「精神」の問題は、脳の問題に置き換えられた(心身並行論)。

 脳髄の運動と意識(精神)の運動が並行しているとするなら、なぜ自然は同じことに二つの表現を必要としたのか。盲腸が退化したように、精神もなくなっていてもおかしくないのではないか。ベルクソンは、記憶が脳髄の場所がわかっている箇所(言語中枢)に注目し失語症研究をすすめた結果、精神と脳髄の運動は並行していないことを明らかにした。失語は、記憶を思い出そうとするメカニズムが傷つけられることで起こるのであって、記憶自体が傷つけられているのではない。オーケストラでいえば、精神は音、脳髄は指揮棒。指揮棒の動きはとらえることができても、音はとらえることができない。ただし脳髄と精神の関係はわかっていない。
 脳髄は人間の精神を現実の世界に向けさせる装置であるといえる。意識の器官ではない。人はつねに全歴史(=無意識)を持っているが、脳髄は必要な時に、必要な記憶だけを思い出せるような働きをする。脳髄の作動が鈍るとき、記憶がでてくる(走馬灯)。同様に、脳髄が解体しても魂は独立している可能性が高い。お互いは独立している。
 科学は理性をもっているのではなく、方法を持っているだけである。人間には持って生まれた智慧、理性があるが、科学はそれを計算できるということのみに狭めた。計算できるということは、学問の特定の方法にすぎない。行動、便利さにおいては科学のおかげで発達したが、科学は精神を非常に狭い道に導いたため、人間は生き方の面で進歩していない。理性は科学を批判しなければならない。心理学は発達したが、人間の人格は発達していない。「そういうふうなことになっちゃったなぁ」


 民俗学は学問だが、科学ではない。計算可能なものだけを対象とする化学ほど狭くない。柳田は、14歳のころ祠で蝋石をみつけ、「あやしい」気持ちになり、ヒヨが鳴かなかったら発狂していた、という経験を語っている。おばあさんの魂と生活の苦労は同じ程度のリアリティ。そのような感受性をもたないと民俗学はつまらない。


 信ずるということは、自分流に信じるということ。私が信ずることと、あなたが信ずることは違って当然。一方、知るということは「万人のごとく」知るということ。学問的に知るということ。自分流に「知る」なんて知り方はしてはいけない。人は責任を取らないことばかり口にするが、信ずるということは責任をとるということ。間違えることも当然あるが、責任をとるということ。信じるという力を失うと、人は責任を取らなくなり、集団がほしくなる。そこからイデオロギーというものが幅を利かせる。今日の「物知り人」「インテリ」は、信ずる心を失っており、徒党を組んでいる。自分を持たない。反省がない。
 科学が提供する客観的事実は観念・知識でしかない。物事に対して直接に経験するもの、魂、心が「ほんと」の実在。それが「信ずる」ということである。それは危険であるがゆえに、それに対して責任は取らなければいけない。
 万人のごとく考えるという学問的な<考える>ではなく、本居宣長が文献学を通して得た「考える」は「(か)んかえる」=「身をもって相手と交わる」ということ。対象を観察するということではなく、相手と付き合うということ。相手の身になってみる。想像する。そう考えると「信ずる」ということと「考える」ということが近くなってくる。人間は学問的に<考える>時、感情を捨てる、人間を捨てる。パスカルの真意は、人間の分際をそのまま持って「考える」べきということではないか。


 昔の人が信じたとおりに、信じられなかったら歴史は読まない方がよい。歴史は過去に生きることができることで歴史。


 民族の統一感があれば、どんな神を信じても良いと感じられる。神は個人的な経験を通じて経験される。個人的な願いを聞いてくれないような神はいらない。


 言葉ほど人間を助けているものはないが、言葉ほど人間を迷わすものはない。使いやすい道具、頼りになるものは、裏を持つ。


 「正しく聞く(質問する)」ことが大事。それは自分で考えること。答えを求めるものではない。人生に質問する。人間の分際でそれに「答える」ことはできない。


シノドス読了メモ

畠山勝太「OECD諸国との教育支出の比較から見る日本の教育課題」(2012/6/19)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1944531.html


 GDP比の公教育支出という指標は、1.全人口に占める学齢人口の割合の大きさと、2.GPF比に対する政府の大きさにも依存するため、これに加えて、A.政府支出に占める教育支出の割合、B.学生一人当たりGDP比の公教育支出、という指標を使うべき、とのこと。


 教育段階にわけて考察し、義務教育段階におけるGDP比の公教育支出が決して低くないことを指摘。中等教育については、他のOECD諸国と比較して少ないが、前期中等教育後期中等教育が区別されていないため、後期中等教育の問題だと思われる、とのこと。高等教育については、学生一人当たりのGDP比私教育支出は高いが、公教育支出は極めて低い。一番の問題とされちえるのは、就学前教育で、GDP比の公教育支出はOECD諸国の中でも最低レベル。


 ただし、これだけでは、教育投資が効率的なのか、足りてないのかを判断することができないため、「質」の比較が重要だとして、就学前教育では「教員一人当たり児童数」が、初等教育ではTIMSS(国際数学・理科教育調査)の数学の成績が、中等教育ではPISA(生徒の学習到達度調査)の数学の成績が、用いられているが、質の比較についてはいまいちピンとこないので、今後の課題じゃないかと思う。

 就学前教育については厚労省の政策との関連もみていかなければならないと思う。

金明秀「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」(2012/5/11)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1929030.html


 Q&Aという形で多岐にわたる論点について整理されているので、まとめることはむずかしいが、一番重要なのは以下の部分。


「公立高等学校の授業料無償化・高等学校等就学支援金制度」、つまり「高校無償化」制度は、公立高校に通う生徒の授業料を無償化するもので、それ以外の学校(学校教育法上「一条学校」「非一条学校」に位置付けられる学校)に通う生徒には、「就学支援金」という形で、公立高校の授業料相当分が渡される。

 日本の朝鮮学校(朝鮮高級学校)は、「外国人学校」であり、学校教育法上は「非一条学校」の「各種学校」に位置付けられている。「外国人学校」には、インターナショナルスクール他様々な学校が含まれているが、「高校無償化」制度では、外国人学校のうち朝鮮学校に対してのみ就学支援金の助成が行われていない(“慎重に審査している”)。

 この状態は違法・違憲だという見解を、東京弁護士会、横浜弁護士会新潟県弁護士会などが示している。


 これに加えて、国交の有無は関係ないこと、諸外国でも外国人学校に対する助成は積極的に行われていること、在日コリアンは納税していること…などが述べられている。


 「ところで、実態として「学校」以外の何物でもない外国人学校などが、なぜそろばん学校や自動車学校と同じ「各種学校」という位置づけしか与えられていないのかというと、朝鮮学校をめぐる歴史にその由来があります。」という形で朝鮮学校成立と政府の「差別政策」の歴史が簡潔に述べられるわけだが、朝鮮学校以外の外国人学校もなぜ「各種学校」という位置づけしか与えられていないのか、ということの答えにはなっていなかったので疑問が残った。

日高庸晴・荻上チキ「セクシュアルマイノリティと自殺リスク」(2012/4/27)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1924417.html


 セクシュアルマイノリティHIV感染と自殺のリスクにさらされているが、そのための教育が不足している、というのが主旨。


 興味深いデータがいろいろでてた。


1.「国内における同性愛・両性愛の男性の65%が自殺を考えたことがあり、15%が自殺未遂経験がある」(字が小さくて出典が読めない)


2.男性の新規(HIV)感染者の7割強は男性同性間での感染(厚生省エイズ発生動向年報)


3.ゲイ・バイセクシュアル男性で、自傷行為(刃物などでわざと自分の身体を切るなどして傷つけた経験と定義)の生涯経験割合は全体で10.0%(30代で9.2%、20代で11.8%、10代で17.0%)(2011年度実施、インターネット調査)
 *ちなみに、首都圏の男子中学生における自傷行為の生涯経験割合は7.5%


4.自殺未遂の生涯経験割合は全体で9%(男性6%、女性11%)で、男性の場合、他の要因の影響を調整しても、性的指向によるリスクが高い。ゲイ・バイセクシュアル男性の自殺未遂リスクは異性愛者よりも5.9倍高い。(大阪ミナミのアメリカ村で実施した若者(15〜24歳の男女)の健康リスクに関する街頭調査(http://www.health-issue.jp/suicide/))


5.気分の落ち込み・不安などの症状に基づく、心理カウンセリング・心療内科・精神科の生涯受診歴はゲイ・バイセクシュアル男性の約27%。過去6ヶ月間では約9%。(受診時に自分の性的指向を話した経験のある者は8.5%)(「99年の調査」?)
 *ゲイ・バイセクシュアル男性は30代になるころには、他の集団の平均値(メンタルヘルスの状況を客観的に測定する心理尺度の平均値)と同じぐらいの値になる。


6.セクシュアルマイノリティの学齢期のいじめ被害経験割合は、最も高値を示した調査では約80%。(出典不明)

 *出典が不明なものがいくつかあったが、紹介されている2007年の「ゲイ・バイセクシュアル男性の健康レポート2」に書いてあるのかもしれない


 「性同一性障害性自認と身体の生物学的性の不一致)と性的指向(性愛の対象が同性や両性である同性愛、両性愛)が混同して捉えられ、教育や精神医療においてもその扱いに混乱がみられている」というのはその通りだと思う。

木村伸子「音の遺跡 ―― アラブの人々に受け継がれた身体感覚としての科学」(2012/3/26)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1912395.html

 著者はエジプト留学中にアラブ音楽に出会い、魅せられる。

「それまで自分はアラブの音を聴いたつもりでいたけれど、じつは何ひとつ聴き取れていなかったのだった。エジプト人のヴァイオリンの音が狂っているのではない。わたしの耳に、その音を捉えるセンサーがないのだ。」

ハイフェッツが弾きわける必要のなかった音、西洋音楽が一種類の音とみなしている音を、ダーゲル先生はいくつもの音に分類して弾きわけているのだった。それは今まで自分が知らなかった美しいハーモニーの世界だった。これがアラブの音なんだと思った。」

 こうした体験は、著者のような「最低限のクラシックヴァイオリンの基礎」を持つ人ではない人が、クラシック音楽に出会うときにも味わうものではないだろうか。私はそうだった。いまやクラシック音楽の和声システムがアメリカのポピュラー音楽経由で日本にわたり、日本の音楽を根底から支えているため、クラシック音楽に出会う前の日本人と比べれば、著者がアラブ音楽に出会った時のような衝撃は受けないかもしれない。著者がアラブ音楽をラジオで初めて聞いたときに、「エキゾチックといってしまえばそれまでであるが、西洋音楽と違うその音程感に、強い違和感を覚えた。」程度で聞き流したように、クラシック音楽も向き合わない限り、そうしたカルチャーショックを受けることがないかもしれないが、いざクラシック音楽と向き合うとなった時に、著者のように「「自分にはアラブの音(クラシックの音)がまったく分からない」という事実を思い知らされた」と感じるのではないだろうか。
 クラシック音楽についての批評、文章は、なぜか「向き合ってる人」が前提で書かれているため、ここで描かれたような「ショック」について語られることがない。おそらく執筆者自身がクラシック音楽を人生の早い段階でよく聞き、内面化したため、あらためてショックを受ける体験がなかったのではないか、と思うが…。それはいいとして、私にとってクラシック音楽との出会いは遅く、それゆえショッキングなものだったのを覚えている。
 著者は「自分が聴き取ることの出来ない音に出会ったとき、それを「聴こえたふり」だけはしたくないとわたしは思う」と言っているが、私はクラシック音楽という文脈でこの感覚をもっている。いまだに何が聴こえていて、なにが聴こえていないのかわからないが、その探求が楽しい。

読書メモ

・石川文康,1995,『カント入門』筑摩書房
 全七章でカントの批判哲学を概観する入門書。カントの生涯よりも「内面のドラマ」を描くという意識で書かれたそうだが、割とオーソドックスな構成。1,2章で批判哲学のエッセンスと著者が考える「仮象批判」と「真理の証明不可能性」が、どのようにカントの中で醸成されたのかを描き(普通に言えば伝記的部分)、3,4章が純粋理性批判、5章が実践理性批判、6章は判断力批判、そして7章は短いながらもカントの宗教論について述べられている。著者はカントの『単なる理性の限界内における宗教』(1793)を第四批判書と呼んでいるので、著者にとってなにか思い入れがあるのか。人間学や自然地理学、前批判期の自然科学的著作についても軽く触れられていて、小さい本なのによく目配りされている。法・政治・歴史については触れられていない。
 1,2章は多少ぐだぐだした感があるが、メインの3,4章は読みやすいしわかりやすい。5,6,7章も読みやすいが、バタバタして消化不良という感じ。ただ無理してでも三批判書+宗教論をある程度一貫した見方で(?)提示してくれたおかげで、カントの全体像がうすぼんやり浮かんでくるという意味では良い本だと思う。

カント入門 (ちくま新書)

カント入門 (ちくま新書)


・有福孝岳・牧野英二編,2012,『カントを学ぶ人のために』世界思想社
 「カントの生涯と著作」、「カントの哲学思想」、「カントと現代」の三部からなる編著。すべてを読んだわけではないが、すごく良い。全32人の執筆者による編著なので、上の書のような一貫したストーリーはないが、前から読んでもストーリーを感じることができるつくりにはなっている。カント研究が丁寧に紹介され、注もつくので「学ぶ」という視点がより強く出ている。石川本がカントの「内面のドラマ」を描くため、カントに寄り添って書かれたものだとしたら、カントを客観的にその限界を含めて全体像を眺めるのが本書だろう。
 各章・節は細かく分かれているので、必要な部分だけ読むことができるし、それぞれは非常に分かりやすい。人名・書名・作品名だけだが索引もついている。

カントを学ぶ人のために

カントを学ぶ人のために

William Shakespeare, 1595?, Romeo and Juliet.を読む

中野好夫訳、1951→1996、『ロミオとジュリエット』新潮社.


■内容
 ロザラインへの叶わない恋に悩むモンタギュー家のロミオを、友人たちが敵対するキャピュレット家の晩餐に誘う。そこでロミオはキャピュレットの娘ジュリエットに一目ぼれする。ジュリエットも恋に落ちており、窓からロミオへの想いを語っていると、ロミオが現れ結婚の約束をする。次の日の午後、ロレンス上人の立会いで秘密裏に結婚をすませる。
 しかし、その日のうちにキャピュレット家とモンタギュー家の親族同士の争いに巻き込まれ、キャピュレット家の者を殺してしまう。これによってロミオは追放となり、ジュリエットに別れを告げ、去る。悲しむジュリエットのために、キャピュレット夫妻は大守の縁戚である貴族のパリスと結婚させようとするが、ジュリエットは嫌がり、ロレンス上人に相談、眠り薬を用いて死んだことにし、やりすごすことにする。眠り薬はうまく働きパリスとの結婚はやり過ごせたが、不慮の事故でロミオに手紙が届かず、ジュリエットが死亡したと勘違いしたロミオはジュリエットの墓へ来て自害する。眠りからさめたジュリエットも、ロミオをみて後を追うように自害する。(Pada要約)


■訳者解説と感想
 戯曲や小説を読む教養がないので、中野氏の解説によってシェイクスピアの偉大さは理解できたが、「歴史的意義」以上のなにかを感じることはできなかった。だが中野氏の解説は非常に勉強になるので、特に三点紹介したい。一点目は劇場について。シェイクスピアが本作品を書いたとき念頭にあったのはエリザベス朝劇場である。これについて中野氏は詳しく説明しているが、小さな劇場であったこと、室外であったこと、ほぼ無背景であったこと、全面の幕がなかったことなどから、役者による言葉による説明が重要であったことが述べられている。状況説明や時間を説明するせりふが多いのはこのことに由来するらしい。知らないで読むとなんだか説明くさいなと感じてしまう。
 中野氏の解説で興味深かった二点目は、シェイクスピアが原作に加えた改変について。敵対する家の間の恋とそれによって悲劇となるという話は「世界とともに広く、歴史とともに古い」らしい。さらに、眠り薬による結婚回避の主題も紀元前からあるし、モンタギュー、キャピュレット家の確執も古くからある。1530年ルイジ・ダ・ポルタによる『二人の高貴なる恋人の物語』はロメオとジュリエッタによる話の大筋ができあがっている。その後、ロザラインの話、乳母の登場、ジュリエットが覚醒したときにはロミオが息絶えていることなどが付け加えられ、シェイクスピアが直接使用したアーサー・ブルックの『悲話 ロミュスとジュリエット』(1562年)にいたる。ここでほぼ素材は出揃っている。シェイクスピアが行った改変は、1.長い物語詩であった原作を、急激な物語展開をする五日間の物語に変えたこと、2.マキューシオ、乳母に精彩ある性格を創造したこと であるという。たしかにこれが4千行の物語詩で、9ヶ月間の物語であったら、冗漫で読む気がなくなるかもしれない。『ロミオとジュリエット』が読みやすいのは、展開のテンポが良いからであるといえるし、それが悲劇性を強調しているともいえる。乳母やマキューシオの性格はたしかにおもしろく、深みがあるが、現在のさまざまな文学や物語に慣れていると「天才の霊腕」といって過剰に強調されると違和感がある。シェイクスピアがそれへの道筋をつけたという歴史的な意義があるのかもしれないが、現在の水準でいっても突出しているといえるほどではないのではないか。
 中野氏の解説では、この『ロミオとジュリエット』が、他の悲劇と比べて宿命性を強調している点に注目している。『ハムレット』や『リア王』の性格悲劇のように、悲劇的な結末の原因がだれかに帰属されることがないのである。中野氏が指摘するように本編中にも「運命」「人間の力ではどうにもならない大きな力」といった言葉が何度もでてくるし、筋としても、ロミオがティボルトを殺すことになるのはロミオの性格のせいとはいえないし、ロミオにジュリエットの計画についての手紙が届かなかったのも単なる偶然である。さらに、両家の対立は絶望的なほど激しいわけではなく軽いいざこざ程度の対立であるという点も、逆に二人が死ななければならなかったことの逃れがたさを強調するように思われる。このように完全に運命に依拠しているため、中野氏のいうようにこれは悲劇にも喜劇にもなりうる物語なのである。だが、それとこの劇のおもしろさとはまた別なような気がする。シェイクスピアは性格悲劇で知られるため、『ロミオとジュリエット』のこの点を指摘することは、シェイクスピア研究にとっては意味のあることかもしれないが、『ロミオとジュリエット』の一読者としてはそのこと自体はあまり関係ない。この宿命性の強調が物語りをよりおもしろくしているのか、そうでないのかを考えなければならない。
 私にはそれを論じる能力はないが、シェイクスピアの改変と、運命悲劇的側面は「好き」だ。たった五日間のうちにどんどん物語が展開することも好きだし、本人たちがどうしたってこうなってしまっただろうという宿命性も好きだ。本人たちの性格や行動に悲劇の原因が描かれてしまうとどうも説教臭いし、そんなんで運命変わっちゃうのーと思ってしまったりする。どうしたって、どうにもできない、その感じが個人的にはすごく好き。にもかかわらず、それほどおもしろいと思えなかったのは、戯曲を読みなれていないからなのか、冗漫なセリフについていけないのか、筋を知っていたためなのか、翻訳が古いからなのか…。よくわからない。


■興味深かった点
 物語を読んだときには「おもしろい」とは思えなかったが、物語を考えたときには「おもしろい」点がいくつもでてきた。

▲ロミオの「軽さ」と「重さ」
 ロミオは恋に大真面目である。すごく「重い」。自分の想いが届かず、悩む場面で以下のように言っている。

諍いながらの愛……愛する故の憎しみ……
ああ、そもそもが無から生まれた有……
心沈む浮気の恋……大真面目の戯れ心……
外目は美しい物みなのつくり出す醜い混沌……
鉛の鳥毛、輝く煙、冷たい火、病める健康……
眠りとは呼べ、真実の眠りならぬ覚めての眠り……(第一幕第一場168:24p)

恋とはね、いわば深い溜息とともに立ち昇る煙、
浄められては、恋人の瞳に閃く火ともなれば、
乱されては、恋人の涙に溢れる大海ともなる。
それだけのものさ。ひどく分別くさい狂気、
息の根もとまる苦汁かと思えば、生命を養う甘露でもある。(第一幕第一場182:25p)

ただ、この「重い」恋を支えているのは、相手の「美しさ」のみである。

あああ、せっかく麗しさに恵まれた身も、宝を抱いて死んだんじゃ、
種もろともに滅びるわけ、その点じゃ拙い運命というものだ。(第一幕第一場207:27p)

美という奴は情け知らずに飢えさせると、
結局子々孫々の美しさまで、摘み取ってしまうことになる。(第一幕第一場211:27p)

したがって、さらに美しいものが現れれば、恋の対象は簡単にうつってしまう。
ここにロミオの「軽さ」が見られる。


ベンヴォーリオがロザラインのことを忘れさせるためにロミオをキャピレット家の宴会に誘うとき、「美人がたくさん来るのでロザラインのことを忘れられるだろう」と言うのだが、これに対してロミオは以下のように答える。

敬虔な、信仰にも似た気持ちで仰いでいるこの僕の眼が、
かりにもそんな偽りを言うとすれば、涙は炎に変わってしまえ。
そして幾度か涙の河に溺れながら、まだ死に切れぬこの両の眼、
見え透いた異端者どもを、偽り者として焼き殺してくれ。
僕のロザラインよりも美しい女だと?万物照覧のあの日の神でさえ、
この世はじまって以来、あの女ほど美人を見たことはないはずだ。(第一幕第二場85:34p)

しかし、その直後、ジュリエットにあった瞬間この「信仰にも似た気持ち」はあっさりとなくなってしまう。

おお、一きわ鮮やかなあの美しさ、まるで炬火に輝く術を教えているかのようだ!
さながら黒人の耳を飾る、光眩い宝石のように、
いわざ夜の頬に垂れる瓔珞とも見紛うばかり。
日々の用には豊麗すぎ、この世のものたるにはあまりにも貴い。
余の女たちに立ち交じって、一きわ目立つあの美しい姿は、
まるで鴉の群れに伍する、雪を欺く白鳩の風情だ。
この踊りが終れば、あの姫の居場所を見届けた上で、
一つあの手に、俺のこのむくつけき手を触れてみたいものだ。
それにしても、俺の心は今まで恋をしたなどといえるだろうか?
眼よ、否と言え!まことの美しさを眼に見るのは、今宵が初めてだからな。

なんとも軽いではないか。
いや、実際一目惚れというのはそのようなもので、「運命の出会い」は何度も訪れるのかもしれない。しかし、ついさきほどまでロザラインのことで頭がいっぱいだったのに、心変わりした自分を反省も、責めるもせずに、今までのは恋なんかじゃなかったと言い切るあたり、とても軽くて、すがすがしい。


とはいえ、老人にとってはびっくりするものらしい。
僧ロレンスの話。

いや、驚いた話、なんというこれは気の変わり方なのだ!
あれほどまでも思い焦がれていたロザラインが、そんなにも呆気なく、
思い切れたというのか!してみると、若い者の恋というものは、
まこと心にはなくて、眼一つにあるのだな。(第二幕題三場65:83p)

彼も「美しさ」だけで恋をしてることを皮肉っぽく指摘している。
(そんな彼も二人の結婚の準備をその日のうちに用意してしまうのであるが…。)


▲「結婚」について
 当時の結婚がどういうものだったのかは良くわからない。僧ロレンスは、二人が愛し合ってることを確認しただけで結婚させてしまった。両親の意向は関係ないのだろうか?

 パリスがジュリエットと結婚したいと考えたとき、彼はまず最初にジュリエットの両親に相談に行っている。この点で両親の存在はやはり大きいように思われる。しかし、キャピュレット自身は以下のように述べ、二人の気持ちが大事であることを示唆している。

だが、パリス君、とにかく本人に言い寄って、心をつかむことですよ。
わしの意向などは、彼女の承知へのほんの添え物にすぎん。
彼女さえウンと言えば、わしの同意、承諾などは、
むろん彼女の選択の外へは出ない。(第一幕第二場18:29)

 僧ロレンスも同様に二人の気持ちの重要さを説く。
 (もちろんロミオとジュリエットの気持ちを知った上でだが。)

あなたはかんじん、姫の心をまだ知らないと仰せられたな。
それはどうも筋の通らぬ話、わしは感心しませんな。(第四幕第一場4:159p)

 とはいえ、キャピュレット夫妻は、パリスからの申し出をうけ、ジュリエットを説得しようとするし(第一幕第三場)、最後の最後でジュリエットが結婚を拒否すると、キャピュレットは激怒し以下のように言う。

ふん、小生意気な!有難いも、名誉でないもあるもんか!
その間に、手足の方の用意でもするがよい、木曜日にはな、
どうでもパリス殿と、聖ペテロ教会に行かせるから。
いやだといえば、すのこにのせてでも引きずって行ってやる。
おのれ、この病人面の青びょうたん、白蠟色のおひきずりめが!
…(省略)
ええい、うるさい、この親不孝者のおひきずりめが!
よいか、言っておくが、木曜日には教会へ行くのだ。
いやなら、これから二度とわしの顔を見るな。
黙っておれ、口答えは無用、返事はいらぬ。

 とまぁ激しく怒鳴りたてる。乳母も夫人も心配するほど。
 おそらく、本人たちの意向を尊重しつつも、結婚相手は親が決め、最終的には親が強行突破できるという感じであったものかと思われる。(あくまで『ロミオとジュリエット』の中では)


**おまけ**
 L.ストーンの『家族・性・結婚の社会史』(1977→1991)によれば、英国の貴族・中産階級で結婚の際、本人の意思が尊重されることが定着したのは1660年ごろとされている。また、結婚が愛に基づくものでなければならないという感覚は18世紀末に登場した、というのが社会学の通説。16世紀後半に書かれたシェイクスピアの作品ですでにジュリエットの考えが重視されているようなことが書かれているように思われるが、どうなのだろう。
 もう一つ、ロミオとジュリエットは「一目惚れ」でお互いに惹かれあい、しかも物質的利害ではなく「愛」を重視している(ジュリエットはパリスとの結婚を断る)。この、「一目惚れ」と「愛」の重視はいわゆる「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」というやつだと思うのだが、これも典型的にはヴィクトリア朝時代(19世紀)に現われるとされるのが通説だったはず。「ロミオとジュリエット」はどう位置づけられているんだろうか?
 本作の中でも結婚に際して本人の「心」(なんの訳?)は強調されるけれども、「愛」が強調されるわけではないとみることはできる。ただ、たとえ「心」が「意思」であって「愛」ではないと解釈しても、1660年までには半世紀以上も開きがある。ヴェロナは「進歩的」な街だった(とシェイクスピアに想定されてた)のだろうか。シェイクスピア版のとその素材となったものを比較していくとおもしろいかも(だれかやってるか)。まぁ、常識的に考えれば、ストーンの社会史研究で示されているのは「実際の人々」の行動で、文学作品とは時間差(というか違う展開?)があるということなのかな。
 ただ、文学作品を史料として分析したルーマンの『情念としての愛』でも、「ロマンティック・ラブ」の普及は19世紀とされていたと聞く(読んでない)。たぶんこの研究で「ロミオとジュリエット」は絶対扱われてるだろうから、宿題ってことで。

 ついでに、婚前交渉に関して。なにが近代に特有で、なにが昔からあるものとされているのかは知らない。婚前交渉自体はキリスト教でずっと禁じられてきたと思うのだけれど、モーゼの十戒の「姦淫」に婚前交渉が入るということがはっきりと示されるのはいつごろだろうか。まぁ近代以前なんでしょう。婚前交渉がなかったんだろうな、と推察される場面が本作でもちょいちょいでてくる。ロミオの童貞を強調する場面がいくつかあるし、パリスとの結婚当日に乳母がジュリエットを起こしに行くシーンでは乳母が以下のような冗談をいっている。

お嬢様!もし、お嬢様!ジュリエット様!よくまあお寝みだこと。
…(中略)
ええ、ええ、ちっとでもお寝みなさいませ。
一週間分でもお寝溜めなさるがよい。それもそのはず、いずれ今夜になれば、
伯爵様が大張り切り、お嬢様もお寝みどころの騒ぎじゃございますまいとも。
おっと失礼、…(第四幕第五場1:177p)

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ジョー
 『ジュリアス・シーザー』などと比べたとき、『ロミオとジュリエット』は全体的にジョーク(といっていいのか?)が多い。特に乳母とマキューシオがジョークをうみだす基となっているし、彼/彼女がいる場面では全体的に楽しく明るい。中野氏は「この悲劇はこの二人の性格によってはじめて、シェイクスピア的な人生への深まりを示したということさえできる」といっている。「人生への深まり」かどうかはわからないが、この二人のかもしだす雰囲気が、本編のところどころで感じる、騒がしい、おっちゃらけた感じを作り上げていることは間違いない。仮にこの作品から彼らの独特の性格がなかったらなんとも味気ないものになっていただろう。
 ただし実際は彼らのおふざけは、言葉遊びの面が多く、どうしても翻訳ではそれがわかりにくい。翻訳者もがんばってるけれども、翻訳から50年以上もたっているし、まったくついていけない。けどなにやら楽しげなのはたしかだ。ロミオが結婚したあと、マキューシオとベンヴォーリオに出会い、上機嫌でふざけあうシーンは何を言ってるのかまったくわからないが、シーンとしては楽しげで、好きなシーンの一つである。
 シーンは異なるが、マキューシオ絡みで私が一番好きなジョークは以下のものである。

ベンヴォーリオ:キャピュレットの身内のティボルトの奴めが、ロミオの親父のところへ手紙をよこした。
マキューシオ:挑戦状だな、きっと。
ベンヴォーリオ:ロミオのことだ、応じるぜ。
マキューシオ:文字の書けるほどの人間なら、手紙に応じるのは当然だ。
ベンヴォーリオ:そうじゃない、手紙の主に応じて出る。仕掛けられて引く男じゃない、と言ってるのだ。(第二幕第四場6:85p)

無学を笑いのネタにするものは多いが、
なんとも“シュール”な笑いである。


▲再び「軽さ」と「重さ」

 さて、前半は先のこの二人のキャラクターの持つ明るさのからくる「軽い」印象が強いが、後半にはマキューシオは死に、乳母もあまり登場しなくなるため、明るい雰囲気が消え、「悲劇」へと向かっていく。しかし、この悲劇は「壮大な」「真面目な」「重厚な」ものでは決してない。全体的にやはり「軽い」。最初にロミオの「軽さ」と「重さ」について語ったが、より正確にいえば「軽さ」の上に「重さ」が乗っている。そしてそれは作品全体にも当てはまるように思われる。
 私は本作を一読して「ケータイ小説的だなー」という感想を持ったが、それはこの「軽さ」と「重さ」の関係が似ているからだと思われる。私がこの作品の気に入っているのはこの点である。
 ジュリエットの「美しさ」に惹かれ、それまでの恋をなかったことにしてその恋にのめりこむ。出会ったその日に結婚の約束をし、次の日には結婚。その日のうちに事件によって追放され、二日後にはまく情報が伝わらず二人とも死ぬ。それぞれの展開に「理由」は存在しない。すべて「運命」である。これがスピード感をもって進んでいく。このスピードと上述のジョークが「軽さ」を作り上げているように思われる。この「軽さ」の上に、ジュリエットのしつこいほどの悲しみの表現や、ロミオの死の直前の「重い」長セリフが乗っているように思われる。
 ちなみにケータイ小説『恋空』は、ケータイを通して出会った男女がセックスして、女が妊娠する。しかし事件によって流産する。その後男がガンになり、彼女の幸せを思って女と別れるが、女がそのことを知り後に復縁。最終的に男はガンで死ぬ。というあらすじである。こちらも、流産する必然性も、ガンになる必然性もない。まったくの悲しい運命である(女を遠ざけるのは男の意志だが)。しかし、それがあまりにあっさりと訪れるので「軽さ」が感じられる。エピソードは「重い」が、全体の流れは「軽い」。きわめて『ロミオとジュリエット』的である。
 ロミオとジュリエットは第三幕で会った後、(生きて)会うことはないのだが、デイビット・ギャリックは、ロミオ服毒後ジュリエットが目覚め、語りながら二人とも死んでいく、という筋の改作を作り上げた。中野氏によると、シェイクスピア研究者のエドワード・ダウデンは、シェイクスピアがこの結末の可能性を知っいたら、詩的昂揚の美しさを示す場面を残していただろうと惜しんでいたらしい。仮にダウデンの言うとおりシェイクスピアがそのように結末を作っていたら、ますますケータイ小説へと接続される気がする。中野氏はこれに対して、シェイクスピアの結末こそ「高い悲劇観の昂揚を示す結末」だと述べている。私はシェイクスピアがどのように考えていたかしらないが、中野氏の解釈はまさに「軽さ」によって「重さ」を表現しようとしているという解釈である(私の印象としては「軽い」が強いが)。シェイクスピアをこのように解釈するなら、『恋空』も同様に、その「軽さ」に「重さ」を見取るべきではないだろうか。シェイクスピア研究者の『恋空』批評をぜひ読んで見たいものである。


 私がこの作品を物語として「おもしろい」と思えなかったのはおそらくこの「軽さ」と「重さ」のバランスである。私は徹底して「軽い」か、徹底して「重い」ものが好きだからだ。しかし同時に、この作品を読んで、このブログ記事を書こうと思ったのもその「軽さ」と「重さ」のバランスが「おもしろい」と感じたからだ。読みおわって「あぁーおもしろかった」という物ではないが、考えてみるとおもしろい作品であった。


ロミオとジュリエット (新潮文庫)

ロミオとジュリエット (新潮文庫)



*後記
 書き終わってから思ったが、「重さ」と「軽さ」はシェイクスピアのテクストに内在する要素ではないと思う。一目惚れで激しい恋をして、それゆえに簡単に相手がうつっていくことを「軽い」と感じるのが近代以降の人間の考え方である可能性があるからだ。「おまけ」で書いてように、当時婚前交渉が禁止されていたのだとしたら、そして今のような形で「付き合う」という制度が存在していないのだとしたら、恋とはそもそも一目惚れ以外にありえなかったのかもしれない。ロミオの恋愛のスタイルは、当時としてはそれほど珍しいものではなかったのではないかな、と。ロレンスの嘆きについては、ちょっと考える必要があるけれども。
 同じことはケータイ小説にもいえる。あの恋愛のスタイルがどれほど「若者」の間で普通のものとして受け入れられているのかは知らないが、仮にあれが普通のスタイルだとすれば、あれを「軽い」と表現することはどうにもずれているといえる。
 したがって、上で述べた感想は、前近代の恋愛と、近代の後の(?)恋愛のあり方に対する近代人の「軽い」という評価を前提としたものという点に注意しなければならない(自分が)。