かなおかマップ


今村さんと宝琳寺へ行ってきました。同寺で参考になるかもしれないということでいただいたのが「かなおかマップ」です。
同マップは、「金岡マップ制作委員会」が2009年1月に発行したもので、地域の歴史、地図、いきもの、「金岡おいでんせえ節」などが掲載されています。
宝琳寺では、お寺の土地が地域の中では高い場所にあること、沖新田88か所めぐりの68番に関係することなどを教えていただきました。
「かなおかマップ」の関係するとおもわれるところを原文のまま引用します。なお、68番は「北向き延命地蔵」ということだそうです。

北向き延命地蔵
台座石に享保七年(1722年)と書かれてある。ちょうど子供の背丈と同じくらいの立像である。文化年間(1811年)の沖新田88ヶ所の案内図に68番としてのっている。立江寺からお大師様を勧請したため四国19番立江寺の石柱がある。このあたり古くは松ヶ鼻とよばれており字名は松福町であった。毎年4月21日のお接待、8月23日の地蔵盆は多くの子供達でにぎわっていた。

沖新田88カ所巡りの版木が発見され、それを刷ったものが「沖新田開墾300年記念史」に収められています。68番付近を中心に拡大したのが下の図です。赤色は説明のため加えました。

1:「六十八」と「八幡宮」の字が読めます。現在の68番はお地蔵様です。さて? その上に お社のマークと「金岡」の字が読めます。宝琳寺南隣りの「裳掛天満宮」でしょうか。
2:「六十七」「ひらき」「小?庵」「寺」などが読めます。
3:お社のマークと「牛神」が見えます。現在の十番常夜灯の道向かいにある石碑のことでしょうか。
67-68-69への道、とくに68の急旋回は現在の位置関係と似ているように思えます。68番は別に「八幡宮」があったと考えなくても良いのでしょうね。どなたかご存知の方はいませんかねぇ〜
 

参考:(「沖新田開墾300年記念史」「かなおかマップ」から関係分要約)

  • 1671年・金岡新田完成
  • 1692年・沖新田堤防竣工
  • 1694年・沖田神社創建(=古宮の位置・沖元)
  • 1720年・池田藩により新田地方の無縁仏供養のため献寿寺建立、沖新田88ヶ所巡りの第1番札所となる
  • 1722年・北向き延命地蔵の台座石にある年(沖新田88ヶ所巡りの68番)
  • 1811年・沖新田88か所めぐりの絵図作成年
  • 1818年・「沖新田東西之図」、外七番の鹿之介作成
  • 1889年・町村制が敷かれ、沖新田は、沖田、三蟠、操陽、光政、津田、九蟠の6村になった