金岡の南限は(岡山市東区西大寺)

金岡の南限については、「十番常夜灯付近であろう」「68番あたり」などさまざまに教えていただきながら、バイクを走らせ調べてみたのですが、結論は「良く分からない」です。基準を明確にしないまま調べる気軽さです。
国土地理院の「沿岸海域土地条件図 西大寺」というのがありましたのでご紹介します。
>>沿岸海域土地条件図 西大寺
凡例を見ながら「土地」とは何かと改めて考えさせられます。
「金岡平源開」については、これまでにUPしてないことが少しありますのでここに書いておきます。
「金岡平源開」のうち、現在、田となっているところは土地を低くして田んぼにした。以前は畑だった。これは土地の所有者からお聞きしました。「金岡平源開」のうち最南端あたりでは田の水が一部、北上するものがあります。現地を見たとき、ちょっとビックリしました。自然な流れであれば南へとなるはずです。周囲に土地ができる(=沖新田・九蟠)順番とか高低差の関係とか色んなことが考えられます。「金岡平源開」に住んでおられる方にお聞きすると、九蟠であると明言されます。それをどうにか考える必要はあまりなさそうに思います。
沖新田東西之図、沖新田88か所巡り、そして今回の沿岸海域土地条件図(西大寺)、「松ケ鼻」という地名など、金岡の南限をひも解く手がかりのほかに、何かないのか想像をめぐらす2009年の夏であります。金岡新田、沖新田ができてからすでに300年以上たちました。備前の国が比較的豊かで、境界争いなどが激しくなかったのでしょうか。ひきつづき何か手がかりがないか調べてみたいと思います。皆さまのご助言をいただければ幸いです。