2010-04-24
■なんと卑劣で愚かな私(はてこさんへの公開質問つき)
私はいわゆる「性的なファンタジー」というものを一切必要しない人間である。
だが、最近いろいろ言われている「表現規制問題」については個人的にいろいろ考えるところがあり、はてなを始めとするブログ界隈をうろついていた。
基本的には私は「規制反対」の立場であるが、賛成派反対派のどちらの意見も興味深く読んだ。
また、「性的なファンタジー」に対して様々な見方があることも知った。賛成、反対関係なく、共感できる意見もあれば、理解できる意見もあったし、共感出来なくても理解出来る意見もあったり感想は様々だったけれど。
先程も述べたように、私は規制に反対の立場を取っている。
何故か?というのはもう、あまりにも単純でお答えするのも恥ずかしいくらいなのだが、やはり「表現の自由、思想や内心の自由を規制してはいけない」と思っているからである。
私にとって「性的なファンタジー」は全く必要としないものであるし、その表現、または作品の多くは興味もなければ、何の価値もない。 それどころか、あまりのえげつなさに怒りを覚える事もある。(それは男性向けだけでなく、女性向けである少女漫画やBL、残虐な暴力が描かれているものも含めて)
それでも「表現の規制はすべきではない」と私は思っている。
そんな私にとって「内心の自由」に深く切り込んでいる(ように見える)はてこさん(id:kutabirehatekoさん)の記事はとても印象に残った。
私は頭が悪いので、理解できない所も多々あったし、そもそも読み間違えている可能性も高いのだけれど、ものすごい「罪悪感」を感じてしまったからである。(性的ファンタジーなど必要とした事すらないのに)
この罪悪感の正体は一体なんだろう?と私はずっと考えて来たのだけれど、
その答えに今回たどり着けた気がした。
そうだ。鍵は良心だったのだ。
よく言われる「胸に手をあてて考えてごらん」これである。
私はとても図太くて自己中心的な人間なのだけれどそれでも「胸に手をあてて考え」れば誰かを傷つけてしまった、という事に思い当たり、「罪深き私を罰して下さい」と跪きたくなってしまうのである。
もちろん、はてこさんは誰の事も「断罪」なんてしていない(のであろう)。文章の何処にも「お前が悪い」などと具体的な事は書いていないし。
でも、背後からじわじわと伝わって来るのである。
もちろん、そんな事を勝手に読み取る私が悪いのだ。はてこさんは悪くない。私の頭が悪いだけ。
私はこれまでにたくさんの人々を傷付けて来た。
無意識のうちに。そして意識的に。
私は「アセクシャルである」と自認する前に何人かの人と付き合った。大抵の場合は私が肉体関係を拒んだり、やる気のない態度で臨んだりする事で関係が悪くなった。 その時、不思議な事に殆どが私を責めるのではなく、自分自身を責めるのだった。 彼らは私の言葉や表情の背景にこんな事を読み取っていたのである。
「お前の汚い性欲で、私のこの身体を汚すのか?そんなお前は本当に私の事を愛していると言えるのか?胸に手をあてて考えてみろ」
そんな事を読み取ってしまった彼らは「自分自身の性欲」を呪うのである。
私が性的な欲求を他者に抱けないのが、仕方の無い事であるのと同じ様に、彼らが私に対して性的な欲求を抱いてしまうのは仕方の無い事であるのに。 「性欲なんてなくしてしまいたい」彼らはよく私に言った。時には涙を流して。
私は彼らを混乱させ、傷つけていたのである。深く。
そして周到な事に「私自身が加害者である」と彼らに知らせないようにして。 それどころが、清純にして純真な哀れな「被害者」のフリをして。
「そんなことは言ってないよ」という逃げ道も確保して。
なんと卑劣な私。
そんな記憶を掘り返される文章であった。 それは私が勝手に掘り起こしてしまったものだ。 かつての私の表情や、しぐさや、声のトーンの背景に言外の言葉を読み取って「勝手に」傷ついてしまった彼らのように。
はてこさんの記事には例として
が書かれているけれど、言うまでもなく(というのは、はてこさん自身もお解りのようで、コメントなどでは他の表現の暴力性には触れられていますが、何故か主題にあがるのはいつも「男性が加害者」の例ですね)どんな表現でも、誰かを傷つける可能性を持っている。
「誰一人として、絶対に、傷つけない」そんな表現なんて存在しないのだ。
でもだからと言って、何かを表現する事を、表現されたものを求める事を、私は規制すべきではないと思っている*1。
私の中の神は、死んでいる。
幼い頃「人間は生き物(植物も含む)を食べないと死んでしまうのだ」と教わった時に。
私の中に良心はない。
私が食べないといけない豚さんに食べさせてしまったから。
人は誰かを傷つけずには、何かを犠牲にしなくては生きていけない。 それに対して意識的であろうとする事は間違いではないし、そうあるべきだ。 私はそう自分に言い聞かせている。自分自身だけに。
強制はしない。するつもりもない。
追記
はてこさんにしつもんです。
もちろんお答えいただかなくてもだいじょうぶです。
女性がファッションの自己表現として(いわゆる内面の自由として)ミニスカートをはくことをどう思われますか?
彼女の内面の自由は保証されますか?
また、その結果に責任がもてますか?
コメントを読んでさらに追記
「良心」とか「無意識」に訴えかける手法は最強ですね。
議論はその手法の前では手も足も出ない。
まあ、私は卑怯なので反則技をよく繰り出しますが。
女の特権的なね。弱者とみなされているのって、結構いろいろ使えますね。
■今更ながらのミニスカート問題
はてこさん(id:kutabirehatekoさん)から、ミニスカート問題についてお答え頂けた事をとても嬉しく思っている。
お答え頂いた事もさる事ながら、その内容が私の考えとほぼ同じであったから。
ミニスカート問題が浮上した時、私もいろいろ考えたのだけれど、反応が怖くて言えなかったのである。なんてチキンな私。
私も「ミニスカをはいていた女性が何らかの被害にあった時に責任を取るのは彼女自身だ」と考えるから。それは「彼女が悪い」という意味ではない。「加害者の罪が軽減される」とも思わない。 言うまでもない事だが、犯罪は憎むべき事であり「ダメ、絶対」である。
ただ、私は優しい人間ではないので「だからそんな格好はおやめなさい」とは言わない。好きな格好をすればいいのである。他人からどう思われようとも。
「自分の魅力を最大限に見せる」という基準も「寒いか暖かいか」という基準も「上品か下品か」という基準も人それぞれだし、本人が「似合う」と思って着ているのなら、つまり自分の内面の自由においてそれを選択しているのなら、それは私が「しかし似合ってないな」とか「もうちょっとこの場にふさわしいファッションがあるんじゃないの?」とか「センス悪いな」と思ったとしても関係がないからである。 だから私はそれを口には出さない。余計なお世話以外のなものでもないから*2。
「自由には責任が伴う*3」というのは至ってあたりまえの事だと私は考えているので「責任を取るのは彼女自身だ」と考えるのであるが、それは「そんな格好してたらどうなっても知らないよ」という非常に突き放した、冷たい態度である。
と、ここまで書いて来て思ったのだが、空想の世界の「女の子」にまで優しい視線を向けているはてこさんが、現実の女性にこんな冷たいスタンスを取るとは思い難いので、同意とは書いたもののもしかしたらまた私は読み間違いをしているかもしれない。はやり私は頭が悪い。
それはさておき繰り返し言うが、責任はもちろん本人にあるが、それで何か危害を加えられたとして、加害者の罪が軽減される訳ではない。そんなものに誘発されて理性のタガを外してしまう側の罪は大きい。当然の事である。
ファッションも表現のひとつであるが故、私は多少冷たいスタンスながらも、その自由を保証する。
あらゆる表現は批評される事を間逃れない訳で、ファッションももちろん批判の目にさらされる訳であるし、私も様々な感想を抱く訳だけれど、どんなファッションであったとしても批評はしても(とは言うものの私は基本的に口に出して批評はしない。人の趣味にケチをつけるのは下品だと思うから)否定はしない。全ての人が好印象を持つファッションなんて皆無だし、ましてや「私が不快に思うからやめろ」なんて言う権利はないから。
何をどう着てもその人の自由なのである。
出版物などに於ける表現もまた同じで、それをどう捉えるかは千差万別で、誰ひとり不快にさせない表現なんてない。あらゆる表現は批評される事を間逃れないし、私も批評はするけど否定はしない。
しかし同じ表現とは言え、出版物に於いけるそれとは違いがある。それはゾーニングが成されない事だ。部屋の中で独りでファッションショーをしているならともかく、街に出れば万人の目に触れる事になる。それを不愉快と感じる人の目にも。もちろんファッションにも「社会的なコンセンサス(例えば一般的な会社に面接に行く時の服装とか)」もあるし全裸で外を歩いたら犯罪なのである程度の規制はあるが。
そういう意味でも他者への配慮という問題は極めて複雑だとも思う。(はてこさんの言う配慮はどういう配慮を示しているのだろう? 機会があったら教えて頂きたい)
もうひとつ決定的な違いは「性的なファンタジー」に於いて、それはジェンダーやセクシャリティの問題が深く関わると言う事である(実際にはファッションにもジェンダーやセクシャリティが深く関わるがそれに関しては後日書くかもしれない)。
私はアセクシャルである事に対して、何の不都合もコンプレックスも感じてはいないし、現状に満足しているが、自ら望んでアセクシャルになった訳ではない。自己決定ではないのである。
性別を選んで産まれて来る事が不可能なように。 だから私はジェンダーやセクシャリティに関して責任は求めない。
もちろん、そこに「善悪」もないと考える。
さて、私は先程「怖くて言えなかった」と書いたが、何が怖かったのかを正直に言うと、この発言(ミニスカートの責任について)が女性批判と捉えられる事が怖かったのである。まあ、それで攻撃されようが別にどうと言う事はなかったのだけれども、公の場で(こんなブログでも公の場だと思っている)女性を批判するのは世間的には「悪」だもの。私にも少しは良心が残っていたのかな?とも思ったが、何の事はない、見ず知らずの「ミニスカートをはきたい女の子」の権利を守る為に悪者になるのが怖いという単なる自己保身だった。ま、そんな事はどうでもいいけど。
■私の不愉快はみんなの不愉快ではない
コメント欄ではリンクが反映されないのでついでに記事としてアップ。
書き足りない事もあったし。
私はこのCMが非常に差別的というか、ここに出ている男性を見下してあざ笑っているかのようで非常に不愉快なのだけれど、多くの人の目には一体どう写るのだろう?
私は自分自身の視点や価値観を重視しているので、自分が「価値がある」と思ったものが貶められても別に気にはならないし、逆に私にとってくだらないものが賞賛されてても気にはならない。疑問に思う事はあっても。
なぜなら、私は私と他者の価値観が一緒だなんて欠片も思っていないから。
自分自身の価値観を重視するけど、信用はしていない。つまり正当性を持っているとは思わない。
なので、「私は不愉快だ」→「不愉快に思っている人がいるはずだ」「皆が不愉快に思っているに違いない」みたいな発想は出来ないのである。
だから「これは不愉快なので無くしましょう」と呼びかけたりはしない。
前にも書いたが「数の理論」というか正当性みたいなものを持ち込みたくはないからである。
しかし、私がいくら不愉快だと喚き散らしたところでこのCMのような表現は規制の対象にもあがらないだろうな。
私にとっては、本当にセンスの悪い最低の表現物だけど。
*1:ただ、レイティングだけでなく、住み分けも必要だと思うし、「これはバナナであって性器ではありません」みたいな言い訳は本当に「愚か」だと思う。書くなとは思わないけど
*2:ところで、「彼女自身の内面の自由による選択」が他者に配慮されているか? という問いは非常に重要であるが無意味でもある。人間の感覚は千差万別なので、何処までが配慮された状態なのか?というのは一概には言えないからである。「配慮してますよ」と言えば「そうですか」と言うしかないと私は思っている
*3:これはあくまでも自分自身で選択し、決定した事柄においてという事であり、最近使われている「そう言う状況に追い込まれざるを得なかった場合」にも適用しようとする『自己責任論』ではない

