「遺伝子は種の存続と自分のコピーを将来に残すという目的を持っており人間はそのための道具である。あるいはその遺伝子の目的が人間の生きる理由だという。」

利己的遺伝子理論という説(?)が日本でかってに発展したのがこんな感じだ。(他の国はどうか知らない)
これは戦後科学技術と産業にばかり力を入れてそうすれば幸福になれると信じてきた日本人にはちょうどいい倫理かもしれないが、科学しか信じられない日本人というのは悲しすぎる(私の個人的な感情だけど)。それだけじゃなくこの理論と民族による遺伝子の優位性が結びついたら、ジェノサイドによる一部の民族の虐殺を簡単に正当化できる気がする、

「種の存続の妨害となる一部の遺伝子を排除することは遺伝子の乗り物である人間の義務であり、遺伝子をあとの世代に伝えるためには止む終えないことだ」
とかなんとかいって。


利己的遺伝子という考え方はイギリスの動物学者が初めて言い出したものだ。しかしその時点では理論でさえなくこれと利己的遺伝子理論は同じものではない。
前者は理論ではなく(淘汰・自然選択のによってもたらされる結果の)比喩で、そういう見方をすれば分りやすいという話でしかない。
利己的遺伝子理論というのは利己的遺伝子という比喩の文字面だけを見て比喩を比喩と理解できない人の勘違いの産物なのだが、今日本ではなぜかそれが一部でもっともな理論として語られている。

つづく

ここやここ(同じ方の質問なのは偶然です)で利己的遺伝子理論を使っている方を見てこの記事を書いたわけでした。)