湯浅誠「反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)」

面白い。ホームレス支援活動で有名な著者が書いたはじめての新書は、実に中身が濃い一冊となっている。タイトルが示す通り、貧困と戦う著者の思想と実践を書いたものだが、なんというか、うまいのである。
先に書いてしまうと、これを書いている僕自身は、この著者の活動の意義に何の疑念も抱いていない。あって当たり前の、しかし誰もやらなかった仕事だと思っている。
しかし、そういう著者のやっている活動とて、野宿するような生活になってしまったのは当人の自己責任でそれに手を貸すのはおかしい、と言われたり、その活動に嫌悪感を生じる人がいたり、さまざまいるのである。
たぶんそういうことは百も承知なのであろう。この著者は、言葉の選び方や、自分にできる範囲で最も及ぼす影響の大きなものから手をつけるやりかたなど、その活動のしかたがとことん考えられている。
お金がないことで他人から排除されるだけでなく、自分で自分を信じられなくなってしまい、負のスパイラルに陥ってしまうことを表わす言葉である『自分自身からの排除(p62)』。リストラにあったり、家族に不幸があったときに、いきなり貧困に陥らないようなお金や友人の助け、さらには「自分でどうにかできるだろう」という心の余裕も含めた余裕のことを表わす『溜め(p78)』。さらには、貧困状態にある人が連帯保証人になってくれるような頼れる人間関係を持たないことから打ち出した『人間関係の貧困も貧困問題である(p130)』というメッセージ。
こうした著者が用いる言葉は、貧困の実態を実感のこもったかたちで表わすもので、読むものに、貧困の新たな面を提示してくれている。著者の考える、そして伝えたいと考えている貧困のイメージが頭に定着しやすい言葉なのだ。このことは実際に読んでいただけると良く分かると思う。そして、こうした言葉を軸にしながら、政治家などに働きかけて、貧困の問題を大きく取り上げてもらっていく様子がこの本でも書かれている。自分に酔っているだけの活動家とは明らかに違う非常に戦略的でしたたかな面がそこにある。
もう一つ、うまいと感じたのが、先にもあげた自己責任論の乱用を防ぐための議論を用意していることである。どうやったって、この貧困の問題は自己責任だろう、という声が聞こえてくるのを避けられない。どちらかといえばその論に同意する人びとたちに、いかにして自己責任ではなく、社会の問題だと感じてもらうかは重要な点である。これに関して著者はこう書いている。少し長いが、面白いと思ったので引用しておく。

…多くの人たちが自分の経験に照らして心当たりがないから、それはきっと自己責任なのだと即断してしまうのだろう。だから私は先に、自己責任論の濫用を防ぐ条件として「基本的な前提を欠いている」ことに加えて「(それを)多くの人たちが知っている」ことを挙げた。事実として自己責任論が成り立つための前提を欠いている、というだけでは足りない。それが多くの人たちに知られて初めて、自己責任論の濫用を防ぐ社会的な力となる。(p83)

ちなみに、この「基本的な前提」とは以下のようなものである。

…自己責任とは「他の選択肢を等しく選べたはず」という前提で成り立つ議論である。他方、貧困とは、「他の選択肢を等しくは選べない」、その意味で「基本的な潜在能力を欠如さえた」状態(セン)、あるいは総合的に“溜め”を奪われた/失った状態である。(p82)

多くの人が知ること、できればなるべく実感をもって知ってもらうことで、人は他人の不幸な状況を自己責任だと決めつけなくなる。なるほどそうだ。考え方自体はセンらをはじめとして既に考えられていたことかもしれないが、それを自分の実感と合わせて一つの思想としてまとめて、社会的な力に変えていく方法を考えていくこのやり方。さまざまな社会問題だけでなく、自分が正しいと思うことをどのように社会的に広げていくかを考えていく際にもとても役に立つように思えた。
浮ついた言葉でなく、こうしたかちっと足が地に付いた考えから世の中を動かしていく感じが、読んでいて非常に面白い。もちろん、そういう面白さとはまったく別に、これまでの貧困に関する研究や社会的な動きもこの本のなかにうまくまとまっており、これは読んでおいてまったく損のない一冊だと断言できる。
ひとまず自分が生き残っていければ、と考えるのが当然のような現代において、この著者の動きが今後どれだけ受け入れられていくのか、どのように受け入れさせていくのか、は非常に興味深いし、応援しながら見ていきたい。