横山雅彦「大学受験に強くなる教養講座 (ちくまプリマー新書)」

とてもオリジナリティのある主張で、面白かった。
予備校で英語を教えるカリスマ英語講師が、いくつかの角度から、受験で出題されるような評論を読み解くための視座を提示する。
著者自身、受験英語の長文読解において、英語を読むというよりはその文章のバックグラウンドとなる知識や考え方、歴史について解説する講義をやっていたとのこと。とても面白い目のつけどころだ。この本も、おそらくそういう講義で語っていたキーワードについて、読んでわかりやすい語り口で書いているのだろうと思う。
ニューアカデミズム」について、「ダブルバインド」について、「脱工業化社会」について、「ポストコロニアル」について…。タイトルだけ引っ張ってくると難しいが、そこは高校生までの読者をターゲットにしているちくまプリマー新書のこと、身近なテレビ番組やニュースなどを取り上げつつ、だれでもわかるように導いていく。
そもそも、大学で地域研究などの研究をなさってきた方ということもあり、大学とはどういうところか、アカデミックな世界とはどういう性質を持っているか、というようなことに関して、しっかりした考えを持っておられる。受験で頭がいっぱいだった高校生は、あんがい、大学に入っても大学がどういう場所かというのはわかっていないのである。たとえば次のような言葉。

大学教員の講義は、いわば図書館で自学するためのナビゲーションであり、手ほどきに過ぎません。大学生は、同じ学問分野の先輩である大学教員から、「こんな文献に当たるとよい、こんな本を読むとよい」という案内を受け、図書館に入り浸って本を読み、そして論文を書くのです。(p11)

もちろん文系の人の言葉でもあり、理系にも全部あてはまるわけではない。しかし、講義があくまでナビゲーションである、という考え方は当たり前のように聞こえる。それでも、大学はやはり何かを教えてもらう場所なのだという考えは根強いし、実際に大学生の話からもそれを感じることが多い。しかし、そういう若者に向けて、大学で学ぶべき知とは、思っているよりずっと総合的であり、広くて深い世界への関心が大事なのだよ、と語る著者の言葉には、大学生になる前の高校生のみならず、大学にいて研究をしているものの心も揺り動かされずにはおられない。
個人的には、カール・ポパーベイトソンなど、名前だけは聞いたことはあるけど…という人々の思想を解説してくれ、歴史の中に位置づけてくれたのがありがたかった。これから、狭い分野にこもらずにもっと勉強していかねばな、と思う。