山森亮「ベーシック・インカム入門 (光文社新書)」

すべての人に、無条件で、生活に必要な所得を配分する。この「ベーシック・インカム」という考え方について、実際にどのような仕組みなのか、また、歴史的・哲学的にどのような議論がされてきたのか、さまざまな側面から解説していく。
一章では、「反貧困」でも『綻びが、露呈してきている』と議論されているセーフティネットについて概観し、諸外国でベーシック・インカムについて議論されてきていることについて論じる。賃金労働に従事しているものを主な対象としている現在の福祉制度の問題を提示した上で、二章ではキング牧師やシングルマザーの運動の中でベーシック・インカムが主張されてきた歴史を振り返る。
こうした、歴史的な議論や哲学的なお話が続く二章から四章は人によっては退屈に感じるかもしれないが、あまり聞かない話だけにとても興味深かった。
そんなことよりも、もっと具体的にできるかどうかを考えたい、という声もあるかもしれないが、かつて同じような議論がされていたことを知っておくことはとても大事だと思う。例えば、保険を中心とした現在の福祉国家が構想されるときに、経済学者がベーシック・インカム型モデルの優れていることについても提唱していたことなどは、ありえたかもしれないもうひとつの福祉の形としてベーシック・インカムを考えさせてくれる。こうした歴史について学術的に概観できる人が、わかりやすく書いてくれるのはとてもためになる。

この本の書評はひさびさに書くのに窮して、アマゾンやらいくつかのブログを見てみた。そこでは財源はどうなんだとか、実行可能性はあるのかとか、そのへんがあまり書かれていないことについての批判が多く書かれていた。
ただ、確かにそうだなーと思いながらも、ピンとこない自分がいる。きっと、ぼくは「この制度をどうすればできるか」には今のところ興味がないのだ。実現はしないだろうと思い込んでしまっているからかもしれない。つまり、それよりも、はじめに、で書いてあるこのあたり、

この息苦しい社会のなかで、完全な形でのベーシック・インカムなどすぐには実現しそうもないかもしれないが、それでもこの考え方について議論することに今ここでの解放感があるとすれば、それは将来に起こりうることへの希望だけではなく、この新しい所得保障について語ることが、今は社会から否定されている生き方の肯定につながる部分があるからだろう。(p14)

こういう、この本を読んで、労働観についてだとか社会との関係だとか、あり得る社会のかたちについて考えることが面白いと思うのだ。
お金の不安なく自分の仕事をできることがどれだけ創造的なものを生み出すかは、逆に短期的な保障しかない状態でどれだけ創造的なものが抑えつけられるのか、研究にたずさわるものとしてとてもよく実感できる。
下は、本文中で引用されているジョン・スチュアート・ミルの1848年の言葉。

およそ人間が糊口のためになす労働と、生活の資をすでに十分にもっている人が楽しみのためになす労働とを比べてみると、前者がいかに激しいものであっても、後者の強度にまさることはまずないということ、である。(p167)

こういうことを言っているのを読むと、ハングリー精神があったほうがいい、ということを強調するのもあまりよろしくないのかなと感じたりする。実際のところ、よほど小さい頃からハングリーな状態に慣れていない限りは、お金を切り詰めなければ食べていけないというのはストレスに過ぎない。

これから、この本の歴史的背景などを土台にして、実際に実現できるのか、などが議論されていくといいなと思う。おすすめの一冊。